蒼の涙

蒼の涙-4

 いくつもの土の盛り上がりの上にそれと同じものを一つ加えてから、俺は元の廊下へ戻っていた。
 ただ、立っていたのはさっきまでの俺とはだいぶ違う。

「まだ、どうも慣れねェな…どうだ、似合うか?」

 俺が身につけていたのは、元々シエルが身につけていた銀色の鎧だった。俺の服は、もう土の中にある。
 元々俺が持っていた二本の剣も体に忍ばせてあるので、少しだけ動きが取り辛い。だが鎧自体は思ったより軽く、とても優秀な武具なのが分かる。

『思ったよりは様になるな。鎧に着られぬように気をつけろよ』
「手厳しいお言葉なことで」

 肩をすくめて降参の意を示すと、シエルの表情が少しだけ緩んだような気がした。
 俺は一呼吸置いて、地面に刺さった大剣を引き抜く。金属の擦れるわずかな音の後に、耳に感じていたノイズが解けるかのようにその先の戸を覆っていた魔力の膜が霧散する。剣に付いていた血を払って、鈍く光る刀身を背中に背負った鞘に収めた。
 先に待ち構えているのは、傷一つ付いていない大きな両開きの戸だけだ。

『言い忘れていたが…ネージュ殿は、目が見えん。気を使って差し上げてくれ』
「分かった。…行くぜ」

 一歩前に踏み出し、戸に手を掛けようとしたとき、俺はその手を途中で止めた。

「…目が見えないのに、何で……」

 間違いない。戸の向こうからかすかに聞こえてくるのは、ピアノの音だった。
 脆く儚い、降り続く雪のような音の小さな粒。そこに込められていたのは、屋敷ごと壊れてしまいそうな程の息苦しさと寂しさだった。

『眼が見えずとも、できることは山ほどある。見える者よりできるようになる事も、山ほどな』

 まさか、またピアノの音が聞けるとは思っていなかったのだろう。目を閉じて響き続ける音を聞くシエルを見て、俺はしばらく動き出すのを止めた。
 積もっていく音の中には、痛いくらいの孤独が含まれていた。

『…もう、大丈夫だ。行くぞ』
「おう。囚われの王子さまを救いに行くとしようか」

 巨獣の唸り声のような重々しい音を立てて、戸を開く。見えたのは、心臓を剣で刺し貫かれたような顔をしてこちらを振り向く、人間の少年だった。
 歳は十代の半ばを少し過ぎたほどに見える。少し長めに切られた髪は空から降る雪のように白く、瞳は透き通る氷の塊のように青い。紙と瞳の色と同じ白と青で彩られたローブを纏い、首元には青く小さな宝玉を守るように銀色の檻のような飾りがあしらわれた首飾りが揺れている。どうやら、あれがシエルの言っていた秘宝のようだ。それなら、賊によって奪われなかったのにも納得がいく。
 ただ、俺にはどこかそれに見覚えがあった。今まで色々な所を巡ってきた中で、確かにその秘宝の話を伝え聞いた。頭に霞がかかったように記憶が出て来なかったので、ひとまず忘れることにした。今は、宝がどうとか考えている場合ではない。

「…シエル………?」

 俺の気配に気が付いた少年―ネージュは勢いよく立ちあがり、手元の杖を使ってこちらに駆けてきた。反動で座っていた椅子が勢いよく倒れたが、そんな事は欠片も気にしていないようだ。
 一直線に駆け寄った先はやはりシエルではなく、その隣にいた俺だ。

「シエル!どこに行ってたの?凄く、心配したんだからっ…」

 杖さえも放り投げて銀の鎧に飛びつき、顔を埋めるネージュ。その声はとても震えていて、すぐに泣いているのが分かった。

「…すまない」

 シエルを真似て低い声をネージュに投げかける。ばれはしないかと肝を冷やしたが、どうやら今のところは大丈夫のようだ。

「……血の匂いがする。何か、あったの?」

 念入りに鎧を拭いて感づかれないようにしようとしたものの、即座に見破られてしまった。だが、それは後に話をつなげる種にもなる。

「…賊が館に攻めて来た。主は既に逃げられている。急いで此処を出るぞ」
「シエル…。分かった。僕は、シエルに付いて行くよ」

 床に落ちている杖を拾い、ネージュは右手で強く握りしめる。これだけいきなり状況を突き付けられても、気丈に振る舞えるのには合格点だ。もう片方の手が強く俺の腕を握っているのは、やはり内心では状況を整理しきれていないからだろう。シエルがどれだけ慕われていたかも、様子を一目見れば分かる。

 実際の館には、俺たち以外には誰もいない。少し走ってどこかの道に出られたら、一晩あれば町にたどり着くだろう。ネージュの手を引いて走り出そうとした、まさにその時だった。

「今度こそあの部屋をブチ破ってやれ!あのデカブツの守ってる先に、お宝があるに違いねェからなァッ!」

 シエルが、そして俺が一番憎んでいる下卑た鬨の声が、館の中に響いたのだった。






 こんな事態は、全くもって想定していなかった。突然の出来事に身体を強張らせながら、必死に考えを巡らせる。

『数は二十、といったところか。腕の立つ連中を連れて戻ってきたようだ。…この屋敷の出口は、正面しかない』

 放っておけば瞳に炎が点いてしまいそうなほどの怒りを込めて、シエルが言い放った。要するに、俺達は絶望的な状況に立たされているということだ。俺一人ならまだしも、今は一人の大きな荷物を抱えている。無傷で通れないのはおろか、下手をすれば両方の命を失ってしまいかねない。
 それでも何もせず八つ裂きにされてしまうよりは、足掻いてでも一太刀浴びせてやるのが筋というものだ。

「…必ず、お前を護る。行くぞ」
「……もう、いなくなっちゃ、嫌だよ?」

 瞳を潤ませながらこぼしたその言葉に一番心臓を握り潰されるような心地を感じたのは、俺でなくシエルの方だったろう。一瞬はっとしたようにネージュを見たものの、すぐにその表情は激しい自責の念で歪む。

『私のことはいい。早く…急ぐぞ』

 迷っている暇はない。俺は、不安に顔を曇らせるネージュを連れてホールへと急いだ。






「まだ生きてやがったのか。つくづく面倒臭ェ騎士様だぜ」

 玄関ホールに出て、初めに投げかけられた言葉がそれだった。どうやらゆっくり仕事に取り掛かるつもりだったようで、俺の姿を見るなり人の群の中心に居た獅子獣人が憎々しげな視線を飛ばしてきた。

「宝を探す手間が省けたには違いねェか。今度も愉しませてくれるンだろうなァ?」
「…貴様の腰が笑って立てなくなるほどにな。尻尾をまいて逃げる準備は済んだか?」

 ねぶるような目でこちらを睨む賊の頭領に、汚らわしいものを見るような視線を返す。シエルの気持ちが、俺にも少しは理解できる気がした。

「シ、シエル…」
「下がっていろ。巻き込まない保証はない」

 ネージュを後ろに下げたまではいいが、相手は集団。一人で突っ込めばどうなるのか、分からないわけではない。

「活劇みてェな展開だな、こりゃ」
『…誰でも一騎当千の主人公になれるほど、世の中は甘くない。慎重に行け』

 頭領が右手を俺に向けて軽く降ったのを合図に、四人の手下が階段を上って俺に襲いかかる。左手から力任せに振り下ろされた斧をかわし、しゃがみ込んでそいつの持ち主の腹に爪先で蹴りを食らわせた。その勢いをそのままに、背中から剣を抜いて二人の身体を力任せに吹き飛ばす。階段から落ちた手下は鈍い音を立て、そのまま動かなくなる。

『…上々な腕前だな』
「少しばかり上品さに欠ける気がすることを除けばな」

 誇り高き騎士を演じている暇はなかった。普段からこんなに重い剣を持った事は無かったために、一振りするだけで腕の筋肉が悲鳴を上げる。何人を相手に立ち回れるかは、当然たかが知れていた。
 最初の四人が飛ばされているうちに、すっかり俺の周りは賊の連中に囲まれていた。恐らく、最初の連中は最初から捨て駒にするつもりだったんだろう。

「数を揃えても無駄だ。同じことを繰り返したいのか?」
「正面から向かっても敵わねェことくらい分かってンだよ。賊は意地汚くてなんぼだからなァ」

 意と反する軽口で相手の気勢を削ごうとするが、小手先の様子見はまったく意味を持たないようだ。返された頭領の言葉の意味を測り損ねていると、突然視界が揺らぐ。何とか片膝を付いてこらえるが、視界は何重にもぼやけて満足に見ることも叶わなかった。

「…毒か。浅ましい連中が使うのに、誂え向きの手だな」
「言ってろ。その自信がいつまで持つかが楽しみだぜ」

 じりじりと賊がこちらへにじり寄る。何とか剣を構えるものの、足取りさえおぼつかないこちらに勝ち目はない。
 万事休す。俺の命は、ここまでのようだ。勢いよく、何本もの斧が振り下ろされる。

『…今、死なれては困る。少し、借りるぞ』

 びくりと身体が跳ね上がり、剣を持つ右腕の筋肉にとてつもない力が込められる。それは足元で水平に大きな剣を薙ぐと、周りにいた賊の身体を思い切り弾き飛ばした。

「元はと言えば私が巻き込んだことだ。…この命まで、失わせはしない」

 俺の身体を動かしていたのは、俺ではない。そこに立っていたのは、さっきまで確かに亡霊と化していたはずの、本当の騎士だった。






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