蒼の涙

蒼の涙-2

「だ、誰だお前ッ…何で俺の姿をッ」

 頭が混乱して、うまく言葉を発せられない。そもそも、何で俺の姿をした奴が目の前にいて、どうして食器が飛んできて、でも目の前の奴が何で半透明の身体をしているのか。考えれば考えるほど思考がもつれていって、短剣を持った手も、俺の体自体もいつの間にか震えていた。

『お前の姿などではない。ただ、似ているだけだ』

 目の前にいる声の主はあっさりとそう言い放ち、不満そうに腕を組む。確かに顔や鱗の色などは完璧といっていいほど俺とそっくりなのだが、身に纏っているのは相当の重厚感を窺わせる銀白の鎧だ。俺の着ている軽い旅装とは、まったくもって対極に位置する格好である。

「お、お前…その格好、騎士なのか?」
『そうだ。…騎士だった、と言った方が正しいのかもしれないが』

 自身の有様に一度視線を落としてから、そいつは苦々しそうに呟く。本人も、気がついてはいるようだった。一瞬止まった思考を最大限に活動させ、今の現状を理解しようと試みる。

『そんなに考えたところで、見たままの状況に変わりはないぞ』
「…考えずにいられるかよ。こっちだって、できれば考えずに逃げ出してェくらいだ」

 俺の心を見透かしたかのような言葉に、奥歯を強く噛んでありのままの本心を話す。賊か旅の連中かと思っていたのに、現れたのは他でもない幽霊なのだ。対応できただけでも大したものだろう。

『そう…かも、しれないな。だがもう、私は生きたヒトではない。それでいて、完全に消えているわけでもない。…それが、事実だ』

 本当は一番、本人が戸惑っているのだろう。騎士として毅然とした態度をとりながらも目を伏せて言葉を漏らしているのは、何よりの証拠だ。信じる信じないといった以前に、目の前の光景は自分の頭に対して強く主張していた。

『私にも、分からぬことだらけだ。まさか、こんな事態になるとは思っていなかった』
「…死んだ事は、覚えてんのか?」
『覚えていなかったら、なりふり構わずお前に襲いかかっているだろうさ』

 困ったような自虐的なような複雑な顔を浮かべられては、こちらも反応の仕方が分からない。それは気の毒に、で済むような問題の程度をただでさえ逸脱しているのだ。そんな事を言ったら、本当にとり殺されてしまいかねない。

「…とりあえず名前と、何があったか位は聞いてやるよ。俺にはお前がどうしようと関係ねェが、このままだと寝覚めが悪ィんでな…俺はアルクだ。お前は?」

 俺がここにたどり着いたのも、こんな状況に見舞われているのも、きっと何かの巡り合わせに違いない。偶然など存在しないというのが、幼い頃に教えを乞うた師の教えだ。

『…シエル=ジュモー=ソーティアン。このエリティエ家に仕えていた、騎士の末裔だ』






 幽霊の騎士ことシエルの話によると、この屋敷はエリティエ家という下級貴族のものだったようだ。貴族といってもよく聞く貴族のように民から食料を搾取して生活をしていたのではなく、代々当主の行う魔術の研究によって国から得る収入をもとに慎ましく暮らしてきた一族らしい。
 長い間争いとは無縁の静かな生活をしていたが、つい数日前に大きな賊の集団に襲われた。

『突然だった。どこから嗅ぎつけたのか、賊は瞬く間に侵入して暴虐の限りをつくした。こちらでまともに戦えるのは私と数人いた主の側近だけ。数十人の賊を相手にするには、あまりに分が悪すぎた』

 魔法の研究を主としていた当主も当然魔術の心得はあったが、たった一人で数十人分の勢力を覆せるほど世の中は甘くない。

『主は、何とか側近の者と逃がすことができた。今頃は、きっとどこかの街へ逃れているだろう。だが…』

 それ以外は駄目だった、という意味だろう。金属を噛んだ時のように苦々しく眉を寄せるシエルの拳は、強く握られていた。こんな顔をされては、軽々しい返答などとてもできるはずもない。

「…ん、待てよ。なら、一体その料理は誰のためのモンなんだ?」

 身体が存在しないのならば、当然食べ物など口にできるはずがない。それなのにわざわざ食事を用意するとなれば、考えられることはほぼ絞られたようなものだ。

『…頼みがある。悔しいが、私には万に一つもできぬ事なのだ』

 俺を射抜くシエルの視線は、卑屈ではなく、高圧的でもなく。主を護り通す、真摯な騎士のそれだった。






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