神の住む社

神の住む社-5

 古びた社の前で、俺と元は朝食を食べている。少し焼きすぎた俺のクロワッサンのサンドイッチは、口に入れるとほのかに苦い味がした。

「なあ、元。お前、ほんとに神様なのか?」
「何度も言わせるな。ようやく、信じる気になったのか?」
「さぁ…まだ、よくわかんねぇけど。でも、お前といると…不思議な気分になる」

 クロワッサンを一口かじり、俺は答える。元は少し不服そうな顔をして、一緒に持って来た茶を飲んでいた。

「そうだ、昔話をしてくれよ。前に話してくれなかった四十点分、何なのか知りたいしな」
「……いいだろう。簡単になら、話してやる」

 最後の一口を口に放り入れ、元は手を払う。木でできた床の上であぐらをかき、元はゆっくりと話を始めた。

「―昔々、この地には守り神がいた。神は龍を象ったヒトの形をとり、大地には恵みを、海には潤いを与えていた。人々はこの神を祀り、社を建てて神に願い、祈りを捧げた。だが、ある争いが起こったのを境に人々は神に愚かな願いをかけるようになった。失望した神は、しばらくして人々の前から姿を消した」
「姿を消した…それじゃあ、どうして姿を消したはずの神様がここにいるんだよ?」

 俺は、首を傾げて元に問い、クロワッサンにかぶりついた。塗ったバターが口の中で溶け、柔らかい肉と混じり合って喉に運ばれる。

「決まっておろう。願われたからだ」
「願われた……って、まさか俺にか?」

 当たり前だ、と元はそっけなく答え、口を開けて最後のクロワッサンをかじる。少し不思議そうな顔をして、すぐにそれは満足そうな顔に変わった。

「いつもより旨いな。味付けを変えたのか?」
「少し、高い塩を使ってみた。今日のはけっこう自信作だぜ」

 ふがふが、と言語になっていない答えを返して、元は自分の分を食べきった。まだ飲み込みきらないうちに、供えておくために置いてある分にまで手を出している。

「そんなに食い意地張ってると、龍神様にたたられるぞ」
「自分にたたられるカミサマが居るなら、ワシに教えて貰いたいな」

 口の中に残っていた分を飲み込み、元が笑う。俺はその顔を見て小さくため息をつくと、空になった皿を籠の中に片付けた。きっと、神様もコイツの笑顔に免じて許してくれるだろう。






 夏本番になると、夜は当然暑いわけで。俺はすぐに寝る気にもなれず、ゆっくりと布団を出た。

「はぁ、今日も働いたな…っと」

 俺は上半身裸でベランダに出ると、氷水で冷やした酒をちびちびと啜る。傍らには酒の入った瓶と、肴の干し肉が入った皿を置いた。せわしなく鳴き声を上げる虫の音が暑いながらも心地よく、明かりの灯る街と水平線を見ながら小さくため息をついた。

「一人酒か?なら、ワシも付き合ってやろう」
「…元。なんだ、すっかり寝たと思ってたんだけどな」
「眠り辛かったのは、ワシも同じだ。さあ、酒をくれ」

 ちゃっかりコップまで持ってきていた元に、少しだけだぞと言って酒を注ぐ。既にいくらか酔いが回っていた俺は、ふわふわとした気分で干し肉を噛みちぎった。

「……晶。前から気になっていたのだが、その胸の印は何だ?まさか、刺青ではないだろう」

元は俺の胸をじっと見つめていた。その視線の先には、毛が焦げたように黒くなっている部分があり、歪な模様が浮き上がっているように見える。

「これは……」

 俺の頭を、一瞬血と闇の記憶がよぎる。反射で少し顔をしかめたが、酒のおかげか、不思議といつものように震えはしなかった。

「思い出すのが嫌ならば、無理にせずとも良いのだぞ。ヒトは時に過去に縋り、時にはそれを忘れてしまおうとするが……それが、今、此処に、生きている証なのだからな」

 干し肉をかじり、元が一口酒をあおる。少し酒がきつかったのか、眉間に皺を寄せて体を震わせた。

「…なんだか、親父みてぇな言い草だな」
「実際、歳は晶よりずっと上だ。仕方ない」

 優しい目をして星空を見つめる元はとても静かで、優しい雰囲気を纏っていた。見るたび見るたびに、俺には元が年を取っていっているように見えた。

「じゃあ、昼間の昔話の礼っちゃなんだが…話してやろうか。俺の話」

 元はわずかに頷くと、空になったコップを傍らに置いた。月の光を吸って、透き通ったコップは淡い光を反射する。俺は瓶から酒を足すと、丸い月を見上げた。

「…孤児だったんだ、俺。小さいころに山に捨てられて、その時はどうしたらいいか分からなくてずっと泣いてた。何で捨てられたのかは、分かってたけどな」

 一口酒を喉に流し、俺は深くため息をつく。胸に刻まれた印を、左手でそっと撫でた。

「生まれつき、俺は魔力が強かった。…持ち過ぎてたんだ、常人の容量を逸脱するくらいにな。制御ができなくて、周りの人をたくさん傷つけた。仕方なかったかも知れないが、それでも寂しかった。自我を捨ててただの獣になれれば楽なのに、と思ったこともあった。
 …だけど、俺は拾われたんだ。近くにあった、小さな村の人にな」

 まだ空でないグラスを、月に透かす。黄色い月は波打ち、すぐに少しいびつな丸になった。

「その村で、俺は育ててもらった。危険だって分かっていながら、村の人たちは文句も言わずに受け入れてくれた。村にあった書物をかき集めて、どうにかして俺の魔力を抑えられないか一生懸命探してくれた」

晶という名前も、そこでつけてもらったものだった。透き通る水晶のように純粋でまっすぐな人になるように、と、考えた人は俺の頭を撫でながら言っていたっけ。

「…しばらくして、方法は見つかった。試してみようとして、俺の意識が途絶えて…。気付いたら、村は無くなっていた」

残ったのはばらばらになった家の群れと、かつて俺を可愛がってくれたヒトだったものの肉塊と、胸に刻まれた禍々しいしるし。血に塗れた俺のチカラは、ほとんど閉じ込められていた。

 意識が戻った時、考えるより先に声が出た。ほとんど絶叫に近い声をあげて、俺は嘆き続けた。転がりながら自分の喉を引っ掻き、言語にならない声で吼え続けた。死んでしまいたかったのに、それを叶えるだけの力は、もう、なかった。

 一日経って、全く声が出なくなった。かすれた息だけが肺から出続け、喉からは血が出ていた。痛みを感じる感覚よりも上に、後悔と、懺悔と、罪の意識がこびりついて離れなかった。
 二日経って、動くことができなくなった。筋肉が耐えられずに壊れたのか、全身が引きちぎれるように痛かった。それでも脳は回転を続けた。このまま、心まで壊れてしまえばいいと思った。
 三日経って、俺は意識を失った。これで楽になれると、ぼやけて薄らぐ視界の中で思った。

 何日立ったかも分からない朝に目覚めて見た緑と青の世界は、残酷なほどに眩しかった。

村の残骸を全部片付けて埋めて、その場を離れた。生きなければいけないと、思った。忘れてはいけないと、思った。
何日も何日も歩いて、海と山に囲まれた街を見つけた。誰も住んでいない家を見つけて、そこを住処にした。村にいる間に教わったことを思い出して、薬や道具を売って暮らした。夜が来るたびに、震えながら眠りについた。
 月日を経るごとに、だんだんとぐっすり寝られるようになった。

「はっきり覚えているつもりなのに、時々思い出せなくなっていく。絶対、忘れちゃならないはずなのに。覚えているのも怖かったけど、忘れるのはもっと怖かった。みんなの事を覚えているのは…俺しか、いないからな」

 震えずに寝られる晩が増えた。街に出かけるようになった。くだらないことで、知り合いと笑い合えるようになった。昔を思い出すことが、段々と減っていった。それが、時々俺をひどく不安にさせた。

「……こんなもんか。悪い、子供に話すような話じゃなかったな。忘れてくれ」

 あらかた話した後にふと我に返って、俺はいたたまれない気持ちになる。話しているうちに、いつの間にか止まらなくなっていた。話したところで、どうにもならないはずなのに。
 元は、ずっと俺を見ながら話を聞いていた。表情を変えることなく、ただ俺を見ていた。話が終わって俺が行動に困っていると、元は静かに口を開いた。

「……遠い昔、この町で戦が起きた。当時は、あの街を一人の暴君が支配していてな。民から金を巻き上げ、払えないものは奴隷にし、暴虐の限りを尽くしていた。民の方も黙っていられなくなったのか、暴君に抗おうとする集団ができた。そ奴らは山に社を建て、祈りを捧げて、強い身体と魔力を持つ一人の竜人に禁術を施した」

ため息を吐きながら、元は自分のコップに酒を注ぐ。言葉を発そうと口を開きかけた俺を目で制し、元は話を続けた。

「竜人は、禁術によって人の願いを実現させる力を得た。願いを叶え続けなければ、自身の存在を維持できなくなるという代償を負ってな。…時限爆弾を抱えたカミサマ、とでもいったところか。歓喜した村人はまず、暴君を死に追いやることを願った」

これまでの威張り具合が嘘のように醜い顔で命乞いをする暴君の首を、竜人は片手で捻じって殺した。人々があらぬ方向に首の曲がっている死体を殴り、蹴り、刺して狂喜しているのを、竜人は少し曇った表情で見ていた。
 人々は竜人を神と崇め、社に集まっては竜人のために祭りを開いた。煌びやかな着物を着せ、社の中を豪奢に飾り立て、沢山の巫女と御子を付けた。華やかな日々を過ごす中で、竜人はいつも少し冷めた顔で人々を見つめていた。

「暴君が死んで暫く経った頃、今度は次の街の長が誰になるかで争いが起きた。最終的に争いはある二人の間で深刻化し、片方は自らに逆らう者への死を、もう片方は決して死なない身体を、竜人に願った」

 竜人は、二人の願いを両方とも叶えた。逆らう者へ死を与える力を持った者は町の人々を次々と殺した。死なない体を手に入れた者は死なずに張り合った。それでも二人の決着は着かず、町の人々はあらかたただの肉の塊になり果てた。

「最後には、二人で互いに殺し合っていた。一晩中刃を向けあった果てに、逆らう者への死を望んだ者は死んだ。死なない体を望んだものは、生きていた。腕がもげ、脚を切り離され、腹から血を流し続けながら」

 狂ったように醜く吠え続ける声が耳障りで、竜人はかつてヒトだったものの体を砕いて埋めた。ただの小さな塊になっても、肉はずっと生暖かかった。
 残った人々は、起こった事を忘れる事を竜人に願い、再び街を立て直した。すっかり忘れ去られたカミサマは、一人で長い長い時を過ごした。

「奴等は、つまらぬ事しか願わなかった。欲に塗れた連中は、大抵他の消滅か自らの永遠を願う。どちらを取っても、ただ苦しむだけであろう事が分からぬままな。
…散々人の命を奪っておいて自らの欲の為に死んだ者や、自らの命の重みに耐えきれずに壊れた者より、ヌシは随分とマシだ。それでヌシが救われる訳では、ないがな」

 俺に向かって僅かに笑みを浮かべ、元は酒を飲み干す。カミサマだけど神様ではないコイツは、俺にも分からないほど底の知れない空洞を内に抱えていた。

「此処では、これから先を話し辛いな。場所を変えるとしよう」

 元が立ち上がり、ぱちんと指を鳴らす。同時に辺りの景色がぐにゃりと歪み、俺の視界は真っ白になった。






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