「今日は天気がいいな。洗濯物でも干すか」
元が家に来てからしばらく経った、真夏の晴れの日。
店の横にある広めの庭に、俺は木で組んだ物干し棒を立てる。暑くはあるものの、海から運ばれる涼しい風が吹いているせいか過ごしやすい温度のように感じる。
元はというと、少し離れたところで体を動かしていた。どうやら、武術の型を練習しているようだ。輪を描いて舞うように攻撃を繰り出すその姿はまるで舞踊を捧げる踊り子のようで、猛々しい中に優雅さが感じられた。
「あうっ…くそ、また失敗した」
どうやら、まだまだ練習は足りないようだ。疲れたのかぱたりと草の生えた地面に元は倒れ、大きくため息をつく。そのまま眠ってしまうかと思ったが、すぐに起き上がってまた練習を再開していた。
「ふう…今日は、このくらいにしておくか」
しばらくして区切りをつけたようで、元が額の汗を拭いながらこちらへ向かってくる。俺が物干し棒を立てているのを見ると、にんまりとこちらに笑みを見せた。
「晶。茶を淹れてくれ」
「自分で淹れろ。俺はこれから洗濯しなきゃなんねぇんだ」
「茶が先だ。その方が、晶のためにも良いと思うが」
「…。どういうことだよ、それ」
首を傾げる俺を通り過ぎ、元は家へと向かう。戸の前まで行くと、こちらの方を振り返った。
「雨が降る。強い、特大の雨雲が来るぞ」
「無茶苦茶晴れてるぞ、外。…もし降らなかったら、おやつは無しだからな」
「構わないぞ。どうせ、そんな事にはならん」
自信満々に答えて家の中に入る元に、俺はしぶしぶ続く。今朝汲み貯めた川の水を使って二人分の茶を準備していると、外でくぐもった魔物の唸り声のようなものが聞こえた。何事かと思って外へ出てみると、さっきまで青かった空は半分ほど黒い雲に覆われ、激しい雨が家の屋根を叩き始めた。さっきの音は、雷鳴の音だったようだ。勢いよく降ってくる雨粒が、俺の革の靴をじわじわと濡らしていく。
「だから言ったろう。…さあ、今日の茶菓子は何だ?」
「……クリームパン。参ったな、こりゃ今日の洗濯はお預けだ」
ため息をついて、満足げに俺を見る元の頭を撫でる。まったく、とんだ子供を拾ったもんだ。大口を開けてクリームパンにかぶりつく元を見て茶を啜り、俺は困ったような笑みを浮かべた。
夜になっても、雨は降り続いたまま。結局かごに積みあがった洗濯物はそのままに、俺達は布団の中に潜った。強い雨の音が、真っ暗の部屋に反響する。そういえばあの日も、今日のような酷い雨の日だった。
また、あの日の光景が亡霊のように俺に付きまとう。俺が、みんなの全てを奪ったんだ。緑の中に不自然に浮かぶ、空虚な村と血に塗れたひとつのヒト。その眼は深く虚ろで、周りの空気はゆらゆらと黒く歪んでいた。
耳にこびりついた悲鳴が再び俺の耳に響き、俺はがくがくと震えながら布団の中でうずくまる。頭の中に次々とあの時の映像が鮮明に流れ、俺はぎゅっと目を閉じて耐えていた。
「なんだ、騒々しい。真夏なのに、そんなに寒いか?」
「…ぁ、元っ………」
後ろで、眠そうな元の声が聞こえる。元の雨の夜に戻ってきた俺はまだ体の震えが治まらず、震える声で返事をした。
「…どうした。調子でも悪いのか」
「な…何でもねぇよ。ほら、さっさと寝ようぜ」
ぎこちない笑顔を元に向ける。薄暗く見える元は訝しげな顔をしていて、そしてすぐに少し笑みを浮かべた。
布が擦れる音が聞こえた後、肌に暖かい感触を感じた。目の前には元の顔があって、ようやく俺は元に抱きつかれたのだと気付く。
「恐れずともよい。カミサマであるこのワシが側に居るのだぞ?晶が危ういときは、何時でもワシが守ってやる」
「………ぷっ」
あはは、と俺は声をあげて笑う。元は顔を膨らませて、不機嫌そうに俺を睨みつけていた。
「な、何がそんなに可笑しいのだ!」
「はは…いや、ごめんごめん。そうだな、じゃあ危ないときは元に守ってもらおうか」
「勿論だ。ワシはカミサマだからな!」
いつも通りの満面の笑顔を浮かべる元に、俺は少し救われた気がした。そのまま元を抱きしめ返し、俺は眠りにつく。明日は、元の好きなクロワッサンを焼いてやることにしよう。
今晩は、よく眠れそうだ。すうすうと静かに息をたてて眠る元は、どんな夢を見ているのだろう。