「だから、何で駄目だって聞いてんだよ!」
「駄目なものは駄目だ!何度言ったら分かるんだこのバカ息子が!」
「馬鹿って言うんじゃねぇこの頑固親父ッ!」
「何だその口の利き方はッ!?」
寒さが和らいできた、晩冬の日曜日。ある家から響いてきたのは、狼の親子の争う大声だった。
「大体、お前にはまだ早いと言っているだろう!」
「何でだよ!俺だってもう二十だぞ!そろそろ俺だって…」
「駄目なものは駄目だ!」
早朝の食堂で、争う俺と親父。もう、このやり取りを何日続けただろうか。こちらに目も向けずに味噌汁を啜る親父を、これほど憎いと思ったことはない。今までも、十分腹の立つ親父だったけれど。
一緒に座っているお袋と弟はこの何日かのうちに俺達を止めるのを諦めていたようで、無言で朝食を口に運んでいた。時折二人の眉がぴくりと動くのが見えたけれど、気にしないふりをした。
「もう、こんな家出て行ってやるからなッ!」
「勝手にしろ!二度と戻ってくるな!」
食べかけの飯の入ったままの茶碗をがたんと置いて、俺は足早に食堂を後にする。食堂からばたばたと物音が聞こえたけれど、聞こえないふりをして家を出た。まだ寒い外の温度は薄着のままでは堪えて、指に白い息を吐きかける。ジーンズのポケットにそのまま手を突っ込んで、起き始める前の街の中を歩いた。
神の護る町と書いて、神護町。海と山に挟まれた小さな町に俺は住んでいる。都会のような華やかさはないけれど、生活するために必要なものはそろっているし、景色はいいし、空気も食い物もうまいし。特に足りないものはない。小さい頃からこの住みよい街で暮らしてきた俺にとっては、この町がすべてと言っていいようなもんだ。
だからこそ、譲りたくないものもある。でも、今回の場合はどうもそう簡単にはいかないようだ。
ほとんど人のいない通りを、ゆっくりと歩く。駅前の通りはたくさんの店が並んでいて、途中からはアーケード付きの商店街になっている。二丁にまたがって並ぶそれの中では、食料品や日用品から雑貨、服まで、生きていくために必要なものは大抵揃う。スーパーも遠く、コンビニも駅前にひとつしかないこの町にはなくてはならない存在だ。
そして俺はこの町にある大学に通いながら、この商店街の中にある喫茶店でバイトをしている。憎い父がシェフを務める、愛すべき店だ。
「さすがに、まだ誰も来てないか」
暗い店の電気を付け、暖房の効いていない店内で、ふう、とため息をついた。そのまま古くも味のある木目調のカウンター席に突っ伏し、だらりとうなだれた。朝から喧嘩をしたことで少し落ち込んでいたせいもあったが、頭の大半を占めていたのは後悔だった。俺はまだまだヒヨっ子なのは分かっている。だが、今日はどうも気持ちを抑えきれなかった。自分の未熟さが原因なだけに、余計頭が重い。
突然店の裏側の勝手口がからからと音を立てて開く。開店にはまだ時間があるので、客ではないはずだ。それでも一応顔をあげて入口を見ると、そこに居たのは見慣れた虎人だった。
「なんだ、今日は早ぇんだな。新メニューでも考えんのか?」
「………風月」
『日塚精肉店』と刺繍の入った前掛けを腰に巻き、白い調理服を着た風月。俺よりも少し背が高くて、大分体つきがいい。この店の隣で肉屋をやっている店主の息子で、俺とは幼馴染。小学から大学まで同じである俺達は、まるで家族のように育ってきた。お互い兄弟もいたし、親同士も小さい時から一緒だから、文字通り家族ぐるみの付き合いだ。
「どうした、ずいぶん元気がねえじゃねぇか」
「…なんでもねえよ。ちょっと、眠いだけだ」
「何だよ、つれねぇなー。教えてくれたっていいだろ?」
肩を組んできて、ぐいと体を引き寄せられる。俺は面倒臭そうに顔を背けるが、風月は俺の頭を掴んで無理やり自らの方へ向けさせた。
「隆星、お前またオヤジさんとケンカしただろ」
ぎくり、と思わず肩が反応してしまったのを、風月は見逃さなかった。だと思ったぜ、と俺を解放して肩をすくめる風月に対して、俺は少しむくれて見せた。
「こ、今回は結構本気なんだぞ!」
「その割には前と変わらず何にもしてねえみてぇだけどなあ?」
ぐ、と言葉に詰まる俺に、風月はにかりと笑う。昔から、風月は人の揚げ足を取るのが得意だ。俺は大きくため息をつくと、またがっくりとうなだれる。
「俺、やっぱまだ見習いなんだよなぁ…」
「そりゃあな。オレら、まだ働き出して二年目だぜ?しかも、まだお互いバイトなんだしよ」
一昨年の春にこの町の大学に入学してそれぞれ親の店で働きだしてから、大体二年半になる。しかし、所詮バイトはバイト。いくら親の店だからといって、わがままを言っていいということは絶対にない。そろそろ、しっかりと自覚を持つべき時なのだ。
「風月」
「ん」
「今日、泊めてくれ。帰ったら追い出されそうだ」
「おう。オヤジに言っとく」
俺と親父の間に何かあると、風月の家に泊まるのが恒例になっていた。わざとらしく大きなため息をつき、風月は肩をすくめて笑った。
「はあ…。とりあえず今日の分の肉、持ってくるな。店閉めた後、オレん家来いよ」
わがままをいう子供の保護者のような笑みを浮かべて、風月は俺の頭をぽんぽんと叩く。そのまま店の裏口を出る姿を、俺は少しむくれながら見つめた。
開いた戸から射す朝の日差しが眩しい。また、一日が始まる。