はやしらいす

はやしらいす-4

 親父に呼び出されたのは、それから三日後の夜だった。あらかた片付けの終わった閉店後の厨房で、親父はいつものように明日の仕込みをしている。

「お前、最近俺の料理を色々嗅ぎまわっているようだが」 「…なんだよ。悪いかよ」
「いや。…お前に、チャンスをやろうと思ってな」
「ほんとか、それッ」

 調理台に身を乗り出して驚いた俺の方を振り向き、ただし、と付け加える。

「お前に課題を出す。それに正しく応えられれば、お前に厨房を手伝わせてやろう。ただし、外したら今後一切厨房に入るな」
「なッ…何だよ、それ!」
「何だ、怖気づいたのか。そんなに自信がないのか?」

 見慣れた真っ白な調理服を着込んだ親父がふんと鼻を鳴らして笑った顔は、俺に反骨心とやる気を引き起こす最上のスパイスになった。




「息子に課題を与えるとはな。お前も偉くなったもんだ」

 隆星が勢いよく店を飛び出していったのと入れ替えに、仕事着を片付けながら篤が厨房に入ってきた。顔がいい具合に緩んでいるのを見ると、おそらく一部始終に聞き耳を立てていたのだろう。

「まったく…聞いていて面白いもんじゃなかったろう」
「面白かったさ。あの課題、お前の親父さんがお前に出したのと全く同じだったろう」

 俺が言い淀んだのを見て、篤はさらににまにまと笑みを浮かべている。いつの間にか用意してあったビール缶を手渡されたので、恥ずかしさを忘れるために一気に飲んだ。

「若いころのお前にそっくりじゃないか。日塚家に助けられてたところまでな」
「…悪かったな。俺の家系は、不器用なのが取り柄のようなもんだ」
「まさか。欠点の間違いじゃないのか」

少し恨めしそうに篤を睨んでやるが、篤は構わずに笑ってビールを飲み干した。

「…まあ、そこがお前の魅力でもあるがな。危なっかしくて、構ってやりたくなる」
「…昔、海にも言われた。俺は、そんなつもりでやってる訳じゃないんだが…」

 眉間にしわを寄せて悩む姿がおかしかったのか、篤は小さく声を漏らして笑っている。俺はため息をついて厨房を出、手早く服を着替え始めた。

「素直じゃないんだよな。お前も、隆星も」
「客を直接相手する職業じゃなくてつくづくよかったと思ってるよ」

 ソースの付いた調理服をたたみ、布の袋に入れる。少し汗染みが取れなくなってきたこの服は、いったい何着目だったろうか。

「心配は…要らんか。いつの間にか、あいつもあんなに大きくなっていたんだな」
「距離が近い分、たまには遠くから見直してやらないとな」

 誰もいない商店街に空いていた、最後のシャッターを閉める。アーケードの隙間から見える星は、蒼い氷に閉じ込められた泡のようだった。




「で。なんなんだ、その課題ってやつは」

 もごもごと口を動かしながら、風月が朝食として昨日作ったハヤシライスの残りをかき込む。俺は同じくハヤシライスをかき込みながら、六食くらい同じ食事をとらせていることを申し訳なく思った。
 親父に課題を出されてから、一日だけ店の厨房を使ってもいいことになった。だから、今日は朝から店に上がってハヤシライスを作っていたのだ。

「自分のできる限りで一番美味いハヤシライスを作ってみろ、だとよ。まったく、どうしたもんか」
「どうしたもんか…って、やるしかねえだろうよ。で、いつまでに作ればいいんだ」
「今日」
「今日!?」

 もともとなかなかに丸い瞳をさらに丸くさせ、風月はスプーンを落としかける。俺は予想通りの反応をちらりと見てから、大きく肩を落とした。

「時間、全然ないだろ。ったく、どうしたもんか…」
「むう…親父さんの作業を盗み見るのも限界あるしなあ」

 しばらく頭を抱えていた俺と風月だったが、しばらくして風月がにやりといやらしい表情を浮かべた。

「冷蔵庫、覗いてみようぜ。何か、隠し味とか見つかるかもしれねえだろ」
「…。さんざん考えてそれかよ」
「何だよ。お前だって何も思いつかねぇくせに」

 そこを突かれると痛い。結局他に何も思いつかなかったので、厨房の冷蔵庫を開けてみることにした。考えてみれば、この冷蔵庫を開けて中身をまじまじと見るというのは初めてだ。

「うお、やっぱり色々詰まってんなぁ」

 冷蔵庫の中には今朝日塚家から仕入れた肉の塊やら前日に下ごしらえを終えた野菜の付け合わせやらがぎっしりと詰まっていた。端の方には、デザートに使われるのであろう果物がずらりと並んでいる。

「にしても、凄い量だな。これじゃどれが何だか分かんねえよ」
「だな。これ、何だろう」
「ああ、それはケーキ用に仕込んでおいたカスタードクリームですよ」
「味見しちまおうか」
「ダメですっ。ちょっとしか作ってないんですから」
「ちぇっ……て、あれ」

 何か高い声がしたと思って振り向くと、二人より一回り小さな猫獣人がムスッとした顔でこちらを睨んでいた。

「唯。お前、もう来てたのか」
「今日は新作のタルトを作ってみようと思って、早めに来たんですよ。隆星さんの様子も見てみようと思って」

 物珍しそうに散らかっている辺りの様子を見てにやにやしている様子からみると、親父とのことはもう知っているらしい。冷蔵庫からいくつかの果物とカスタードクリーム、そして完成しているタルトを取り出すと、厨房の引き出しからフルーツナイフを取り出して果物の皮を剥きだした。

「気にしなくていいですよ、あたしのことは。一人でできますから」

 唯の剥く洋梨の香りが、早朝の厨房にふわりと広がる。みずみずしいその実はあっという間に薄くスライスされ、タルトの大きさに合うように切りそろえられた。

 どこかで、見覚えがあった。この光景は、いつのことだったか…?

「あ、隆星さん!つまみ食いはダメだって言ったじゃないですか!」
「隆星だけずりぃなぁ。オレももーらいっと」
「も、もう!…あたしも、食べちゃおっかな」

 半ば反射的に洋梨を口に含んだ俺は、その味を噛みしめながら必死に頭を巡らせた。おいしそうに洋梨を食べる風月と唯の横で、俺はとても険しい顔をしていたことだろう。

「…おーい、隆星。いったいどうしたよ」

 徐々に重ね合わされる、幼い日の記憶。それが映し出したのは、幼き日に見た父の姿だった。

「これだ!」
「これって、何が」

 風月が俺に質問しようとするのを遮って、俺は冷蔵庫に飛びつく。中からもうひとつ洋梨を取り出すと、急いで皮を剥いた。

「小さい頃に、親父が最後に何か入れてるのを見たんだ。それはきっと、洋梨だった」
「おう、そうか。カレーにも林檎入れるとうまいしな…その延長線上ってことか。…よくわかんねぇけど」

 皮を剥いた洋梨をすり下ろすと、今朝味見していたハヤシソースの鍋に放り込む。かき混ぜて少し様子を見ると、かすかに嗅ぎ慣れた爽やかなソースの匂いがした。
 少し皿にとって、味を見る。まだ到底及ばなかったが、そこにはオヤジの似姿が一瞬現れた気がした。

「唯。お前、まさか隆星のオヤジさんの差し金ってことはないよなぁ?」
「違いますってば!新作作るの、店長には内緒ですもん」
「…ま、万事解決ってとこか。きっと大丈夫だろ、あいつは」

 皿に盛った山盛りのハヤシライスを二皿持って駆けてきたあいつの顔は、朝霧を晴らす太陽のように眩しかった。






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