はやしらいす

はやしらいす-5

 圧倒的に、怖い。

 閉店後の厨房にに二人きり、俺と親父は向かい合って座っていた。親父の前には、俺が今朝作ったハヤシライスが置いてある。厨房の外にはきっと篤さんと唯が聞き耳を立てているのだろうが、さすがにこちらから見える場所にはいないようだ。

 いつもの二割増しで不機嫌そうな顔をして、親父が俺のハヤシライスを一口、口に運ぶ。よくよく噛みしめたあとでそれを飲み込み、もう一口分を放り込んだ。
 息をするのもはばかられるような空気の中で親父が口を開いたのは、嫌になるくらい永遠のような時間を味わった後だった。

「まず、玉ねぎの炒めが足りん。肉の臭みも飛ばしきれていないし、ワインのアルコールも抜け切れていない。まだまだ未熟だな」

 ぎり、と奥歯を噛んで、調理服の裾を握りしめる。店に出せるような完璧な料理でないことくらい、最初からわかっている。でも、今できるのはこの程度だ。すべてを出し切った、つもりだった。

「…だが」

 かたん、と親父がスプーンを置いた。眉間にしわを寄せていた顔が少し、ほころぶ。

「海が喜びそうな味だ。こういう濃い味付けはな」
「お、親父…」
「何日も家に帰って来なかっただろう。お前が行く場所はほとんどあそこだからな」

 そのままハヤシライスを食べ続けた親父は、俺がぽかんと口を開けている間に少なめに盛ったそれを平らげてしまっていた。

「隆星。店に料理を出すという事は、客に安心を買ってもらうということだ。半端な料理は出せないし、滅多な事がない限り休むこともできん。どんな時でも、同じ味を出せるようにならなければならんのだ。わかっているか?」
「…分かってるよ。でも、俺は…親父の料理を作れるようになりたいんだ」

 まっすぐ親父を見つめると、親父はため息をひとつついて立ち上がる。

「音をあげるなよ。俺は厳しいぞ」
「…あげねぇよ。もう、子供じゃねぇんだ」

 洗った皿を片づけて、親父はにやりと笑う。

「…隆星。隠し味に洋梨を入れたろう」
「ああ。親父、入れてたろ?」
「惜しいな。俺が入れているのは、和梨だ」

 口を開けたまま固まっている俺の表情を見た親父は、さぞ満足だったろう。

「お前はまだまだ子供だ。少なくとも、俺にとってはな」

 親父には、まだとても敵わないようだ。




「おいおい、ちょっと飲み過ぎじゃねぇか?」
「いいだろ別にぃ!今日くらいはよぉー」

 隆星のオヤジさんから手伝いの許しを得た記念に、オレの家で飲むことになった。晩飯はさすがにハヤシライスではなく、うちで売れ残った肉を使ったそれなりに豪華な料理が出された。
隆星のオヤジさんは洋食が得意だが、うちの家族は肉料理がうまい。それぞれのうちで扱っているものは、その家の人が一番分かっているのだ。
オレの前に座っているコイツは、もうその味も分かっていないと思うが。

「今日は朝まで飲むぜーい」
「お前、明日講義だろ。そろそろ寝ねぇときついぜ?」
「いーんだよそんなもん!飲むぞー!」

 だめだこいつ。完璧に酔ってる。

「ほら、もう寝るぞ。今日は泊まってけ」
「おーう、寝るー」

 あまり笑わない隆星も、今日はご機嫌だ。足のふらつく隆星を背負って、二階にある寝室へと向かった。

「んー、いいにおいだなー風月は」
「へいへい。ありがとうなー」

 首に顔をすりつけてくる隆星をたしなめながら、布団に寝かせる。隆星は妙ににこにこしながらごろごろ布団を転がり、掛け布団を体に巻きつけている。普段からこれくらい可愛げがあれば、少しは扱いやすいものなのだが。

「ほら、大人しく寝ろッ」
「んぐー」

 隆星から布団をはぎとって上にかぶせると、自分もその布団をかぶって隣に寝転ぶ。強い酒の匂いが、ほろ酔いで鋭くなった俺の嗅覚を突いた。
 隆星と反対側を剥いて眠ろうとすると、後ろから隆星が抱きついてきた。首に腕を絡め、耳をむにむにと触ってくる。

「おい、止めろって」
「風月ー、あったけぇなー」

 いつもより少し熱い体温が、オレを包む。鼓動の早い狼の心臓の音が、背中越しにオレの心臓を震わせた。
 くるりと体を回転させ、向かい合う体勢になる。目の前には、少し潤んだ瞳を震わせる隆星の姿があった。

「風月……あ、あの、さ」
「…ほんと素直じゃねぇよな、お前ってヤツは」

 隆星の口を口で塞ぐと、首に回されていた腕がぴくりと反応した。そのままシャツの中に手を入れ、胸にある突起を軽くつまんでやる。

「んぁぐ…風月ぃッ」
「今日は祝いついでに、少し激しくな」

 空いた手で尻尾の根元を扱きつつ、手早くズボンとパンツに手をかける。自分のにも一緒に手をかけて一気に引きずり下ろすと、二人のそれが熱を持って触れ合った。
 そのまま股間を擦りつけ、抱き締め合いながら刺激する。ぐちゅぐちゅと音がし始めるのに、時間はかからなかった。
 尻に手を回し、股と股の間にある粘液を付けた中指をねじ込む。中から刺激してやると、隆星はぴくりと体を震わせてさらに瞳を潤ませた。

「んッ…もっと、風月」
「へいへい。やってやるから、大きな声出すんじゃねぇぞ」

 入る指が三本まで増えた頃、隆星は酔いと快感のせいか呂律が回らなくなり、オレの肩を掴んでひたすら刺激に耐えていた。少し体をずらして体勢を整えると、隆星の耳を優しく噛んでやる。

「入れるぜ。力抜いとけ」
「くち、ふさいでくれ。…叫んじまう」
「…ったく、注文の多いことで」

 隆星の口の中で舌を絡めると、ゆっくりと挿入する。途端に隆星はくぐもった呻き声をあげてぎゅっと目を閉じると、腹に生暖かい感触が広がった。

「おいおい、まだ入れただけだぞ?」
「…し、仕方ねぇだろッ。飲み過ぎたんだよ、少し」

 少し意識がはっきりしてきたのか、キスを解いた隆星は顔を紅潮させてそっぽを向く。その姿に俺はにんまりと満足して、少しづつ腰を動かした。

「ちょッ…まだ、早」
「こっちだってもうはち切れそうなんだよ。…動くぜ」

 再び口をふさいで隆星の声を遮断してから、腰を打ちつける。布団の中が濃い獣の匂いと生暖かい蒸気でいっぱいになり、動くたびに鼻を襲う。嗅覚は、既に麻痺しかけていた。
 口と腹、それと股間から聞こえる水音が、さらに気持ちを高ぶらせる。永遠のように感じた時間にも、終わりが近づいていた。

「隆…星ッ、もうッ」
「出してくれよ…全部ッ」

 首筋に軽く噛みついて声を押し殺しながら、奥まで自身を突っ込む。全身の毛が逆立つ感覚と共に、俺は隆星の中に精を放った。
 隆星は叫ばないように自分で口を押さえながら、びくびくと体を震わせている。数十秒間の絶頂の後、襲ってきたのは強い虚無感と眠気だった。

「風月」
「……ん」
「………好きだ」
「…珍しいな、お前から言ってくるなんて」

 にやりと笑って返してやると、隆星は途端に顔を真っ赤にさせてオレを睨んできた。

「す、少しくらい驚けよ!せっかく言ったってのに…」
「驚いてほしかったってか?バーカ、ほんとにお前はガキだな」
「…うるせぇ。ほっとけ」

 耳をぱたぱたさせて、隆星はぎゅっと目を閉じる。にんまりしながらその様子を見ると、少し拗ねた様子の隆星の顔に口を寄せ、耳元で囁いた。

「…そういうとこが好きなんだよ。愛してるぜ、隆星」
「………ッ」

 たちまち囁いた方の耳を掻きむしって慌てる隆星を見られれば、それだけで十分だった。

「驚かせるなら、これくらいしてもらわねぇとな」
「覚えてろよ…うぅッ」

いつまでも幸せの中を漂うような心地のまま、オレはいつの間にか意識を手放していた。




 俺たちが通う大学は、この町にある山のてっぺんにある。途中にある坂道には小さな温泉旅館と神社があり、部の練習帰りに温泉に入って帰ることも多い。

「しっかし、こうも見事に寝坊とはなぁ。あー、だるいだるい」
「ぐだぐだ言ってないで走れよ!本気で間に合わないっての!」

 俺と風月は、きつめの坂道を全速力で駆けていた。昨夜の情事の後見事に寝過ごした上にべとべとになった粘液の処理にも手間取り、今の状況に至る。

「間に合わなかったら、一週間禁欲な」
「よし、走るぜ!」

 顔つきが変わった風月が、もの凄い勢いで俺を追い抜かす。慌ててその肩を掴むと、その腕を掴まれてにやりと笑いかけられた。

「置いて行きゃしねぇよ。ガキのお守りを放棄しちゃあかわいそうだからな」

照れる代わりに一発背中を殴ってやったあと、俺は急いで風月を追い抜かした。

 薄群青の空の色に、つぼみを抱えた桜の樹が重なる。春は、もうすぐだ。






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