<4>
一通りの謝罪の言葉を受けた後、俺は販売店の奥へと通された。黒服のおかげで散らばった髪飾りは無事だったが、
完全に潰れてしまった外箱はもう使うことはできなかった。髪飾りをチェックして新しい箱に詰め直す少し時間がかかるというので、
俺達はその間に奥の一角にある応接室で待たせて貰うことになった。
「凄い…。」
カイの案内で通された応接室に一歩踏み入れた途端マリーが呟いた。広間に並べられている椅子やテーブルは
一目でわかる高級品で、背後には財団のロゴが掘られていた。おそらく財団の系列で販売されている品物だろう。左手の窓辺には
ミニヤシやドラセナが並べられて、ツンとした甘い香りが漂よわせている。そして、その窓の向こうには白いテラスと室内と同じ観葉植物が
見え隠れしていた。
「本当に申し訳ありません。」
俺達が戸惑いながらも椅子に座るのを見届けると、カイは向かい側に座り、頭を深々と下げてきた。
「店員から一部始終のことは聞いております。ファイさん、今回の件はあなたからも謝罪をしないと…。」
「かしこまりました、これは私の責任です、申し訳ない。」
カイの言葉に促されるように、ファイと呼ばれた黒服も頭を下げた。頭の下げ方と物腰は丁寧だったが、
無表情で心が全くこもってなさそうだ。形だけは立派な謝り方だった。まぁ、この強面のおっさんらしいと言えばらしいのだが。
それにしてもここまで見るからにボディガードらしい姿をしている獣も珍しい。ドラマか別の世界からやって来たような雰囲気だ。
「もう頭を上げて下さい。もう今は怒っていないですよ。」
俺はそう言うと、カイは内心ホッとしたような表情を見せた。泥棒扱いされた時の憤りの気持ちが完全に消えたわけではないけれど、
この青年の話や丁寧な応対には不思議と好感が持てた。ライアが彼にに惚れたのが、何となく分かる気がする。
「ありがとうございます。寛容な方々で良かったですよ‥。」
「こっちも間違いと分かって良かったけれどね‥。でも、一体何でマリーをひったてようとしたんだ?」
「うんうん‥あ、でもどうしても聞きたいっ!そもそも何でマリー達を万引きだなんて疑ったのっ?」
何も言わなかったが もともとの特徴なのか表情はよく分からなかった。
「あ、それは…人違いで…。」
人違い‥?マリーのような青い髪に真っ白な毛のネコはそうそうはいない筈だ‥。
「それなら何故あんな疑ってかかったのです?幾ら何でもちょっとおかしいよっ。」
「そうだよっ、マリーもそう思う。ねぇ、どうしてどうしてっ?」
「あ…確かにそうですが…。」
やはり何かあるのだろう、答えるカイ達の歯切れが悪い。俺は頭に浮かんだ考えを、そのままぶつけてみることにした。
「もしや…と万引きは口実で、別に何か理由があるとか…じゃないでしょうね。」
カイが驚いたように耳の毛が逆立った。予想はあたっていたらしい。少しの間カイは俺達のことを何も言わず見つめていたが、
やがて背後に居たボディーガードの方を振り向いた。
「すまないけれどファイは席を外してもらってもいいかな?」
「なりません。護衛なしではいけないと厳しく言われています。」
「じゃあ無実の獣を疑っちゃいけませんということは厳しく言われてなかったの?」
マリーの言葉を皮肉と捉えたのかファイはむっとした表情を見せたが、無実のマリーを捕まえた汚点後ろめたさがあるのか
何も言わなかった。疑われたことに腹を立てていたのと、ファイを居づらくさせるために、マリーはわざと皮肉をこめたのだろう。
「いいんだ…。責任は僕が取るから…頼む。」
カイの言葉にファイは暫くの間身体を丸めて考え込んでいたが、やがて渋々と立ち上がり、何も言わずに外へと出て行った。
扉が閉まるのを見届けると、カイはふーっと大きく息をついた。
「随分と頭の固いボディーガードだなぁ…。」
「彼のことは許してやって下さい。あれでもボクのことを守ろうと、必死なのです。それにしてもさすがですね…。
やっぱり隠し事ってそう隠せるものじゃないか…。」
そう言うと、カイは再び俺達に頭を下げた。それにしても守るにしては、随分とピリピリしすぎている。見守っているというより
監視していると言った方が正しい位だ。
「あれじゃあ『何かを隠していますよっ』って宣伝しているみたいじゃないっ?その必死になっていた原因って一体何なのさっ?」
「やっぱり…、そう捉えますよね。別に何かを隠したくて隠している訳じゃないですよ。ただ、父の財団が街の経済に
深く関わってきています。それゆえに外部からの繋がりにデリケートになっているのですよ」。
パームの言葉に、カイは頷くと幾分声を潜める。
「外部との繋がり…、それってマリー達が知らないような悪い人達のことっ?」
「お嬢さんの言うとおりです。父は裏との繋がりを持ったことがありません。でも、力を持てばいずれは周囲に清濁問わず
集まってくる…とよく言っていました。もちろん、僕も父も裏との繋がりを今後も持つつもりは毛頭ありません。それで僕に
そういった連中が近寄らないようにしているのです。お嬢さんを捕まえたのも、窃盗というよりトラブルの元を全て断ち切る
ための筈です…結果的にそれが裏目に出てしましましたが。」
「それであの石頭の堅物を押しつけられ…。あ、すみませんっ。」
「いいんですよ。ファイはもともと両親から押しつけられるように送り込まれたのですから。どうしても僕に何かあったりするのが
嫌なのでしょう。正確には財団に…でしょうが。」
御曹司ならではの悩みだろう。どうやら金を力を持つと、色々と縛られることも増えていくらしい。
「あ、これ本当は口止めされている話ですから内緒にしてくださいね。」
「大丈夫、聞かれたって『クロウ君だけしか言っていません』と答えるから。」
「全然フォローになってないだろ。でも何故そんな秘密を見ず知らずのボク達に…僕らがそういった連中の下っ端かもしれないですよ?」
「どう見ても雰囲気が全然違いますよ。寧ろ身近な人の方が危ないのです、残念なことだけれど…。」
カイはそう言うと、寂しそうに笑った。
「意外と窮屈だなぁ‥お金持ちって…。」
口の中で呟いたつもりだったけれど聞こえたのだろう、カイは俺の顔を見ると困ったような笑顔を見せてきた。
「実際その通りですよ。僕はクロウさんみたいな生活に憧れてしまいますよ。」
「憧れのままで居た方がいいですよ。何事も理想と現実のギャップがとんでもなく大きいですから。」
「分かっていますよ。でも、ボクには自由で、愛する人と一緒に居られる生活が他の苦労に勝りますから…。」
「えっ!?」
パームやマリーはカイ君の何気ない一言を聞き逃さなかった。冷静を装っていたが、俺の言葉にマリーの尻尾が
興味ありげにクイクイッ…と揺らしている。
「じゃあ恋をしたいとも?」
「ええ、恋を出来れば…なんて思うけれど、今の環境だとなかなか…。」
カイのこの言葉を聞いて、天使二人が黙っている筈がない。カイの言葉が終わらないうちに、立ち上がると彼へと身を乗り出してきた。
「OK,きっとその願いならかなえてみせるよ♪地上に降り立った僕たちの使命なんだから」
「えっ!?」
カイが聞き返したその時、、どこからともなく室内に羽根が数枚、舞い上がった。ハッとして妻へと目を向ける。
「ぱ、パーム!?」
「大丈夫だよ。クロウ君?」
慌てて立ち上がろうとする俺にパームはストップ…と言わんばかりに手を広げると、屋外のテラスに通じる窓をめいっぱい
開け放った。途端に、柔らかい風が差し込み、パームとマリーの背中に天使の翼が部屋一杯に浮かび上がった。
「!!!」
さすがのカイもこれには驚いただろう。目を大きく見開いて、そのまま固くなっている。
「あ…あなた達は一体?」
「恋をかなえるキューピットのパームサンセットオーシャン♪貴方の恋をかなえにやって来ました♪」
「同じくマリー、センヌマリージャコット♪素敵な出会いがありますように♪」
パームとマリーは背中の翼を一度大きくはためかせると、白い羽根が一枚カイの手元へと滑り込んだ。
カイの手に乗せられた途端、羽根は青白く光り輝きだした。
「コレを持って一週間後の正午に 青い羽が指し示す場所にいらっしゃい。きっとその願いをかなえてあげるからっ。」
「‥!?」
「ふふっ。それじゃあ、クロウ君そろそろいこうっ♪」
「お邪魔しました♪アナタに素敵な恋が訪れますように♪」
驚くカイをよそに、パームとマリーは腕を俺の腕に絡めると、開いた窓から大空へと飛び上がった。
カイの驚いた顔が一瞬目に入ったが、あっという間に建物の影に隠れ見えなくなっていった。
「ふふふ、やったねぇ〜♪」
上空に舞い上がったパームは嬉しそうな表情で、先程まで居た建物を見下ろしていた。この高さからだと、
ベイシティの建物もまるでサイコロの欠片のように小さく見える。
「本当にやったねぇ♪大成功って言ってもいいんじゃないかなっ♪カイ君に会えたしライナさんへのアプローチの目処はついたし。
あとは二人が出会って恋のハートをズキューーンッって射止めれば似合いのカップルの誕生だねぇ♪」
「うんうんっ♪やっぱりパーム姉ちゃんにクロウ兄ちゃんのコンビって凄いやっ。なんだか二人が羨ましいなぁ♪」
マリーも嬉しさを隠しきれないみたいで、俺とパームの周囲をグルグルと飛び回っていた。けれど特に俺は何もしていない
…というか巻き込まれただけの気もするんだが…。
「それにしてもパーム、カイ君の前で君とマリーの正体バラしちゃって良かったのかい?彼の尻尾が直立して動いてなかった、
ありゃ相当驚いていたぞ。」
「平気平気、クロウ君の時だって最初から天使の姿でやってきたじゃないか。カイ君も大丈夫、絶対言いふらすことはしないはずだよ。」
「それもそうか…。それにしてもあれがカイ君だったのには驚いたなぁ…。パームはカッコイイと思ったかい?」
「うんっ、すっごくカッコイイと思うよっ…、素敵な獣だったなぁ。あっ、もしかしてクロウ君嫉妬しているのかなっ?」
「いいや、カイ君の性格のせいか嫉妬の気持ちなんて全くないよ。ただ、ちょっと頼りない所が気になったかなぁ‥。」
「ええっ、そうっ?」
「別に嫉妬でそんなこと言っている訳じゃないさ。寧ろいい奴だって思うから、オカネと関係なしに友人になりたい位だよ。
ただ、世代交代で将来親から組織を受け継いだ財団を動かすとなると、決断力や度胸だって必要になる。ましてや、外部からの
脅威をかわさなければならないならなおさらだね。今のところカイ君にそういうのが伴っていないのがチョットね…、優しすぎるんだろうな…。」
「う〜ん、マリーもクロウ兄ちゃんの言うとおりだと思うよ。組織側もカイ兄ちゃんの資質や手段にある程度適応していくだろうけれど、
ルイン財団のような大きな財団だとそれも限界があるもの。逸れ相応の力が必要になてくるだろうねぇ」
「そぉ…。」
パームそう呟くと、先程まで居た白い建物を見降ろした。テラスにはカイが飛び去った俺達を捜していたけれど、太陽と重なる所にいる
俺達はおそらく見えないだろう。
「まぁ、あとはカイ君次第だろうね。俺達が出来るのはそれに交錯する縁を結びつけることさ。それと、縁結びで思い出したけれど
マリーちゃん、カイ君にああ言ったのはいいけれど、返事を聞かないまま飛び去らなかったか?」
「あっいけないっ!これを渡さなくっちゃねぇ。」
慌てたように呟くと、マリーは胸から小さな封筒を一枚取り出した。
「アナタに素敵な愛が訪れますように…っと♪それっ、思い人のところに飛んでけえっ♪」
マリーは嬉しそうにそう言うと、片手で手紙をパチッと弾いてみせた。その瞬間、手紙は青白く輝くとマリーの手から空へと
フワリと浮き上がり、眼下に見える街へ吸い込まれるように飛んでいった。
「マリー?あの手紙ってもしかしてライナさんが書いた…?」
「うんっ。マリーの力でカイ兄ちゃんの居る部屋まで飛んでいくようにやってみたの。『一週間後にジュエリーショップ
の前でお待ちしています』って。ふふ、カイ兄ちゃんがあの手紙を呼んだらどんな顔するかなぁ♪」
「おいおい、一方的に日時を指定して大丈夫なのか?学生と仕事のかけもちじゃ、会いにいく時間を作るのも一苦労だぞ?」
「大丈夫 もし来れないみたいならマリー達が………。あっ、今分かったけれどその心配はないみたい。カイ君なら絶対来るから
安心してっ。」
「え?いきなりどうしたんだ?」
「ふふ、クロウ君、天使にはそういうことが分かるんだよっ。ちょっと手を差し出してくれるかなっ、握らないで力をぬいて…。」
パームに言われるまま、俺は手を差し出した。差し出した俺の手にパームが手を重ね合わせ軽く握りしめる。
「…あっ!」
暖かい感触が手から離れた瞬間、。俺は小さく声を上げた。頭の中に誰かの感情が直接流れ込んでくるのが分かったからだ。
初めはごちゃごちゃして分からなかったが、頭の中で形作られてイメージがハッキリと見て取れた。一つ一つをよく見ると、
白い翼が光る天使達、手のひらで舞う青い天使の羽、そして一番鮮明に浮かび上がったライナの顔。彼女の顔が脳裏を
よぎった瞬間、誰の感情かが俺には分かった。
「カイ君だ…。これカイ君の気持ちだね?」
「ふふ、もっと誉めてくれると尻尾の揺れが止まらないよ♪そういうこと。きっと今さっき部屋に滑り込んだ手紙を見つめて
読んだんじゃないかな。 葛藤せずにライナ姉ちゃんのイメージがここまでハッキリ見えているってことはカイ君躊躇わずに
行くって証拠だよ。こうなったらもう作戦は成功したようなものにゃっ。良かったあっ、マリーを捕まえてくれたおじちゃんに
有り難うってお礼言わなくっちゃ♪」
そう言うとマリーは嬉しそうに、羽を一度大きく羽ばたかせたが、不意に表情を曇らせた。
「?どうしたんだいマリー、手紙を見た反応が良くなかったとか?」
「ううん、それはないから安心して。なんだかみんなが羨ましく思えちゃって…。マリーも素敵なヒトからあの髪飾りをプレゼント
されたかったから…。」
「あはは、やっぱり欲しかったんだなあの髪飾り。そのプレゼントだけれど、俺じゃあ…ダメなのかな?」
俺はニコッと笑うと 鞄から直して貰ったプレゼントボックスを取り出した。そのとたん、マリーは目を大きく見開いた。
「クロウ兄ちゃん、これって!?」
「今マリーが言っていた髪飾りさ。先程パームだけじゃなくて、マリーにも…と思ってね。」
まさか貰えると思っていなかったのだろう。箱を受け取ったマリーは目を大きく見開いていた。背後の尻尾がピコピコと
嬉しそうに揺れている。
「これ、開けていいのっ!?」
「勿論っ。でも絶対に地上に落とすなよ。」
嬉しそうな表情で箱を開けるマリー。包みを開けると、太陽に照らされキラキラと一層輝いて見えた。
「わぁぁぁっ、コレ凄い綺麗だあっ♪クロウ兄ちゃん、ありがとう!」
「うわっ!」
(ギュウウウッッスリスリ)
マリーはそう言うと、嬉しそうに俺に飛びついてきた。胸に顔をゴロゴロとすりつけ、尻尾まで俺の腕に絡めてくる。
「こ、こら嬉しいのはわかったからパームが見ていてるからよせって。」
「にゃあっ!だって嬉しいから良いじゃないっ♪あ、ライア姉ちゃん発見!早く知らせなくっちゃ!!」
下を見ると、いつの間にか街を離れ、真下には宿泊をしていたホテルにまでたどり着いて
いた。マリーは喜びを隠さないままホテル隣のアパートへと降り立っていった。
「パーム…、本当にあれで良かったのか?」
「うん、愛し合うのが一番だものっ、それでクロウ君の愛が減るわけじゃないものっ、なんならお嫁さんにしちゃっても?」
「ぶっっ!!冗談か本気で言ってるか分からない返事はやめてくれっ!!」
「あははははは、それじゃあボクたちも降下するよ〜!」
笑いながらそう言うと、パームは翼を広げ、マリーの後を追うように降下していった。
ふと、手のひらの羽を仕舞おうとした時、手の中に収められていた羽はキラリと強く輝いていた。以前パームと初めて
出会った時に見たほのかな輝きとは違い、太陽に照らされてもその輝きはハッキリと分かる。コレは一体…?
「あ〜〜〜〜〜〜!!」
突然パームが大声で叫んだ。 俺の耳と尻尾がビクッと逆立ったまま固まった。
「ど、どうしたパーム?」
「パラダイスハウリュでハウピアのを食べ忘れちゃった!クロウ君、ヤッパリ戻ろうっ!アレを食べるまではホテルには戻れないからっ。」
「そこって、確かジュエリーショップの隣じゃないかっ。今日は無理だって。後日こっそり御馳走して上げるからっ
今日は引き下がってくれ!!それこそ3日分でも一週間分でもっ。」
「え〜、本当なのぉっ。」
ほんの少しむくれ気味のパームをなだめつつ、俺はもう一度手のひらにある羽を見た。先程の羽の輝きは消え、
いつもの純白な羽が太陽に照らされていた。