かきごおり

かきごおり-3

「うわっ!」

 硬くてひんやりした床にダイブした。暑かったからじゃない。つまずいたからだ。

「だ、大丈夫か?さっきからふらふらしてるが」
「はい!ちょっと、調子が悪いだけですから」

 気遣ってくれる武洋さんの声も、少しぼやけて聞こえる。立っているのが辛くて椅子に座ってみたけれど、あまりましになった感じがしない。結構、身体に来ているようだ。

「調子が悪いなら、今日は帰ってもいいんだぞ?どうせ、もうすぐ閉めるんだ」
「いえ…。あとちょっとなので、頑張りますっ」

 今日は、金曜日。もう少し頑張って、逢河さんのところでお刺身を買って帰りたい。今日は、食べられないかもしれないけれど。
 辛いからこそ、ひと目だけでも見たかった。

「いらっしゃいませー!…あれ、逢河さん?」
「よう、夕。頑張ってっか?」

 そんな時にからからと戸をあけて入ってきたのは、紛れもなく逢河さんだった。少し魚の匂いがするけれど、仕事着はもう脱いでいてジャージ姿だ。
普段お店に来ることはないのに、どうしたんだろう。

「魚がなくなったから、少し早く店を閉めてな。ほら、お前の分だ」

 逢河さんが僕に差し出したビニール袋の中には、いつもと同じように何種類かの刺身がパックの中に並んでいた。どうやら、わざわざ持ってきてくれたみたいだ。

「え、でも、お金とか…」
「いいって。たまにはサービスしてやらんとな」

 結局毎回サービスしてくれているのに、逢河さんはい嫌な顔一つせずに笑う。そういうところが、逢河さんらしくて好きだ。

「じゃあ、いただきまふ…う」

 袋を受け取ろうと身体を起こした瞬間、身体から力が抜ける。風邪のせいで、上手く身体が動かなくなっていた。
 そのまま倒れかけたところを、逢河さんに受け止められた。逢河さんの肌はつるつるひやひやしていて、とても気持ちいい。

「…熱、あるんじゃねえか。まったく、選手には偉そうなこと言っておいて」
「…ごめんなさい」

 今さら風邪を隠しても意味がない。でも、怒られながらも少しだけ嬉しかった。

「逢河君、悪いが夕を家まで送って行ってくれないか。今日はもう店を閉めてしまうことにするから」
「え、でも店長っ」
「病人はおとなしくしてろ。どうせ、今日はもう客は来ないさ」
「分かりました。なら、俺が送っていきます」

 ふわり、と足が浮く。びくりと身体をすくませていると、僕の身体は逢河さんの背の上にあった。

「夕。お前の家、どっちだ」
「え、ええと…あっちです」

慌てふためきながらも駅と逆の方向を指さすと、逢河さんはゆっくりと向きを変えて進む。背の上から見た景色は普段よりずっと高くて、ロボットの操縦席に座っているみたいだった。

「…僕、そんなに子供じゃないのに」
「十分子供じゃないか。無駄に意地っ張りな所とかな」
「う…うー」

 逢河さんが笑うと、背中がひくひくと揺れた。しがみついて視線を落とした先に、揺れているビニール袋が見える。
 服の洗剤と魚と、少しの汗の匂いのする逢河さんに揺られて、僕は坂道をのしのしと登って行った。






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