ペルセウス・ウルフ (前編)

 

「すまないねぇ、ここまで骨折ってくれる若いのは最近滅多に見ないから、なんだか申し訳ないくらいだよ。」

「構いませんよ、旅の途中ですから時間なら十分ありますし。それにしても道は本当にこっちであっていますか?
なんだか住宅地というより歓楽街に向かっているようですが‥?」

老婆の言葉に俺はそう答えると、道の左右にある建物を見渡した。
至る所でプラスティックのゴミや、破れた紙の切れ端が転がっているアスファルトの左右には、
新旧様々なコンクリート製の建物が立ち並んでいる。
壁には様々な看板が、塗装のはがれた物から異様に派手に光っている物まで、あちこちに設置されている。

「ああ、それでいいんだよ、わしの家はそこにあるからね‥。それより本当に悪いねぇ、こんなオババのせいで
色々と迷惑をかけちまって‥。」

オババと名乗る老婆はそう言うと、すまなそうな顔をしながら、杖を付いて再び歩き出した。
もう夜が近いのだろう、前方の夕焼けが徐々に闇に飲み込まれ、どぎつい看板が一層眩しいくらいに輝いて見えてきた。

 オオカミ族の俺がこの地方都市にたどりついたのは3日ほど前のことだ。
俺らオオカミ族は数が少なく辺境で生まれ育つ子が多いので、成長するとお金をかき集めて放浪の旅にでて
各地を点々とするようになっている。
そこで出会った仲間や恋人を見つけ、出会った土地に根付いたり、連れ合いを伴い帰郷するのが慣習となっていた。

都市で生まれ育った俺も、そんなオオカミ族の慣習に従って旅に出た。
放浪をして町についたら暫く滞在してお金や情報を稼ぎ、それから列車やバスで移動して別の町へ…
という生活を続けて2年になる。

 その旅の途中で、俺は今居る大きな街にたどり着いた。
ビル街すら見られる賑やかな街で、何か面白そうなものが見つかりそうだと期待を込めて酒場や広場に通いつめたが
無駄足に終わり、諦めて街を出ようと駅に向かおうとしたとき、駅の広場の陰でオババが倒れているのに気が付いた。

「脚が急に痙攣を起こして動けなくなったんじゃよ。あのときあんたが見つけてくれて助かったよ。
たまたま連れはいなかったし他の連中は誰も気が付かないしからね。それにしてもたいした薬を持ってたねぇ、
わしゃ薬にはそこそこ五月蠅いが、なかなかのものじゃよ、この薬は。」

オババは腰をかがめると、まだ塗り跡がうっすらと残るかかとを軽く撫でた。
倒れているオババを見つけたときに鞄に常備してあった鎮痛薬とコールドクリームを塗った跡だ。
痙攣した箇所軽く揉み込むと痙攣は治まったが、完全に直った訳ではないので荷物の一部を持って、
杖をついて歩くオババに同行して今に至っている。
但し、まさかこんなところを通るなんて思いもよらなかったけれど。
近道でここを通るだけかな‥と思ったがむしろ中心に向かっているのか道も建物も雰囲気がいよいよ怪しくなってくる。

 怪しい歓楽街に入り込んで約10分、そろそろ回れ右をして帰りたいと思うようになってきたその時、
オババは急に杖で身体を支えて立ち止まった。

「ここじゃよ‥ワシの家は。ここまで付き合わせてしまって悪かったのう。」

オババが向いている建物を見ると、3階建ての白い建物がそこに構えていた。
一面少しペンキが剥げかけた白い壁に小さな窓がいくつか。入り口の上と壁にでかでかと「白純館」と書かれた
看板がネオンで怪しい輝きを放っている。
入り口はスダレのようなモノで覆われて、中を覗こうにもよく見えなかった。

ここって娼館じゃないか…そう思って驚いてオババの方に振り返ったその時、 

(キィィィ!!)

「うわっ!」

丁度振り向いたときに大型の車がオババの店の入り口に横付けされるように現れ急停止した。
ここでは滅多に見かけない4WDの高級車だ。俺の目の前‥というか鼻先寸前で停止したので、
思わず一歩後ろに飛び下がるが。オババは涼しい顔をしている。

(バタンッ)

車の助手席のドアが開くと、中から強面のイヌ族らしきおっさんが駆け寄ってきた。
オオカミ族の俺にひけを取らない体格をしている。多分この館の用心棒か何かなのだろう。

「ババ様、ご無事でしたか。」

 様…か、やっぱりオババがここの娼頭か経営主なのだろうな。

「なに、心配はいらんよ。それより準備は出来ているのか?」

「ハッ、お前達出てこいっ。」

オババの問いにイヌのおっさんは答えると、後部座席のドアが開けた。中から体格がこれまた良さそうなトラ族男二人が
のっそりと出てきた。

その二人と挟まれるようにして小さな白い身体が立ちつくしているのが見て取れた。真っ白い毛に包まれた狐の少女だ。
かなり小柄で燃えるような赤い目をしている、純白の毛に包まれていることもあって凄い美獣の子だ。
落ち着かないようにおどおどした表情で周囲を伺っている。
彼女の視線が俺の目と交わったその瞬間、不意に彼女との間に運転席から出てきたおっさんが割り込んできた。

「ところでババ上、そちらの兄ぃは?」

強面のおっさんがギラリとした目で自分をにらむ。俺の身体もおっさん達に引けを取らないので睨まれても、
表情を変えず平静を装う。ただ、握っている手の内側はわずかに汗が滲んでいるのがわかった。
この女の子見ただけなのにそんなにいけないのか?

「なに、この兄ぃにちょっと世話になってね。わしが応対するから気にせんでおくれ。
その間、その子は奥の個室に置いておきなさい、いいな。」

それなりに権限をオババはもっているのだろう。おっさん二人はオババと俺に一礼すると、
そのまま女の子を連れて早足で屋敷へと入っていった。
それを見届けていた運転手のおっさんも再び車に乗り込み、どこかへと走り去っていった。

「さてと、わしらも行くかの…。なに、別にとって喰ったりしないから遠慮せず入りなされ。」

彼らが見えなくなるのを見届けると、オババは俺の手を引くと、そのまま小さな入り口を掻き分け中にへと入っていった。

 

 

娼館に入り、受付から奥の階段へと連れられ、階段を登って一番奥の部屋へと俺は通された。
ここはオババの私室なのだろう。それなりに店が儲かっているのか、部屋自体は狭かったけれど剥げたペンキの外壁とは違い
内装は綺麗に施され、あちこちに上等そうな家具が並んでいた。今俺が座っている椅子だけでも何十万という代物だ。

「驚かせてすまんかったのう。」

俺に向かうような形で椅子に腰掛けると、オババが静かな口調でそう言った。
こうやって話しているととてもそんなお婆さんに見えなかったけれど。

「ええ正直驚いたのは嘘ではないです。やっぱりこの館の経営主なのですね、オババさん…いや、様と呼ばないと失礼か。」

「「様」も「さん」もいらないよ、オババと呼んでおくれ。今は経営の実質は若いのに任せて専ら相談役に過ぎないよ。
ところで、お前さん名前は何だったかの?確かレがつく。」

「レイクスですよ。レイクス=ウ=ノースウルフです。」

「いい名前じゃな。ウ=ノースウルフ…西北地方の出身の旅オオカミの証だな。
助けてくれたお礼じゃ、…旅費としては少ないかもしれんがこんなのは如何かの。」

そう言ってオババが差し出してきた小切手を見て、俺は椅子から飛び上がった。
少ないなんてもんじゃない、自分の旅費のこれまでの倍の金額だ。

「いりません、こんなに貰ってしまってはバチ当たりますよ自分。」

「おや…、随分欲のない子だねぇ。お金に執着しない子ってここじゃ初めて見たよ。
それならば、うちの綺麗どころの女の子達と仲良くするかい?お金はいらないから好きなだけ可愛がっても構わんよ。」

「…!!い、いえ間に合ってます…。」

あわてて否定したその時、不意に脳裏に先ほどの白い毛皮の少女が浮かび上がってきた。
さっき連れてこられたときの物憂げな表情と赤い瞳が、今でも俺の目の奥に焼き付いて離れない。

「そうだ‥お相手して貰う所まではいかないけれど‥あの女の子はどうなんだろ‥。」

俺がそう呟くと、煙草に火を付けていたオババは、おや‥というように俺の顔をじっと見つめた。

「おや、誰か興味がある子がいるのかい?」

「ええ。ほら、さっき入荷するとか言っていて中に入っていったあの白い毛皮の女の子、あの子が気になったもので…。」

「ああ、あの子ねぇ…。あの子に目を付けるとは流石だね、あんたなかなか目が高いよ。でも残念ながらあの子はダメさ。
あの子は非売品だよ。」

「非売品…どうして?」

「知りたいようだね…普通だったら情報料2000ファリを取るところだが…って冗談よ。恩人からお金なんて取れないから、
ポケットから出した財布をしまいなされ。」

机の影で密かに財布の中身を見ようとした俺を見てオババは笑っていたが、急に真面目な表情になり自分をジッと見つめる。

「金はいらないよ。ただね、お前さんも想像付くだろうが、この商売の話となるとあまり楽しい話は聞けない。
お前さん優しいから聞いて心は痛むのも後悔するのもまず避けられないだろう。それでも聞きたいかね。」

ここまで言われると、余計に気にかかってしまう。俺がコクリと頷くとオババは吸っていたタバコの煙をフウッっと吐き出した。
浮き出た煙が消えるのを見届けると、オババは再び口を開く。

「あの子…名前はベルって言うんだけれどね…。あの子はココに娼婦をさせる為に連れてこられた訳じゃない。
とある金持ちかどこからか連れてきて、わしの娼館でいろいろ「教育」をするよう依頼されておる。
ただ、うちの娼婦をなった方がまだ幸せなのかもしれないねぇ…。」 

「どうしてですか?おまけに随分と回りくどいことを…。」

「ある程度ここで教育をしたら、その金持ちのお屋敷に引き渡される事になっている。
その教育にも条件があってね、汚れを全く知らせずに純潔を保ち、かつ汚すときには知らないうちに身体を求めてくるように
調教して連れてこいって頼まれている。
なんでも汚れを知らぬ子を思う存分汚していくのがたまらない…ってね。」

「なっ…!それじゃあたったそれだけのために彼女は…。」

「その通りじゃ…、それだけの為にまだ汚れの知らぬ子を捕まえて、大金と一緒に獣の手から手へと渡り…。」

そこまで言うとオババは黙り込み再びタバコを取り出して火を付けた。
ローブ越しなのでよく分からないが、何かを考え込んでいるような感じだ。

「重苦しい話はここまでじゃな。そうじゃ、その彼女のことでなんだが、おぬし一寸頼まれてくれないかの?何、悪事の片棒を
担いで貰う訳じゃないし、別に断っても構わんことだから。」

「頼み事…?構いませんが先ほど顔を合わせたばかりですし、ココのことについては全く…。」

「なに、寧ろシャバでまっとうな生き方をしてるお前さんだからこそ頼みたいよ。
その「教育」といっても実際に学もある程度持つように言われているが、わしらはそういうのはさっぱりでな。
お前さん旅に出る前も出た後も、色々と知識を得ているはずじゃろう。その持ってる学問の知識を、
彼女にちょこっと分け与えてくれんか?」

「それって家庭教師みたいなものですか。」

「家庭教師ねぇ…。ここだとその言葉を聞くとムズ痒くなる連中が多いから余り口にはしない方がいいねぇ。
でも、まぁやって欲しいことは大体そんなところかね。教えている期間の宿はわしらが確保しておくし、報酬も出そう。
どうする…って乗り気そうな顔をしているね。」

知らないうちに身を乗り出していたのだろう。
いつの間にか椅子から腰を浮いていることに気が付き慌てて体勢を元に戻して頷くと、オババは笑い出した。

「まったく…分かりやすい子じゃのう…。ちょっと待っておれ。」

そう言うと、オババは机にあったベルを手に取り、カラン、カラカランッ…っと不規則に3回鳴らした。
程なくして、扉を開ける音と共にペルシア猫の女性が現れた。全身が純白の長い毛に包まれた美獣だが、
目つきは鋭い。

「お呼びですか、オババ様。」

「うむ、ちょっとこの兄ぃを例の部屋まで案内する。来客と仲介人の応対はミヤ、お前に任せる。」

「オババ様が…?それならば私がその方をご案内してもよろしいですが…。」

「なに、ワシのちょっとした気まぐれでこの兄ぃを案内したくなってな。それより少しの間お客の相手と受付を頼むぞ。」

「はい。」

オババの言葉にミヤと呼ばれた女性はそう答えると部屋を出て行った。
相談役に退いたとはいえ、ここでのオババの権限は絶対のようだ。

「さっ、わしらも行こう。ついてきなされ。」

そう言うと、オババは杖を手にとり、再び立ち上がった。

 

 

  ベルのいる部屋は、一階の一番奥の部屋だった。
階段を下りて受付の脇を通り過ぎ、ベルの部屋にたどりつくまで、店の娼婦が客の相手をする部屋の前をいくつも通り過ぎた。

時折通り過ぎる部屋では多分コトの真っ最中なのだろう、茶色の扉の向こうからくぐもった声や激しい喘ぎ声が聞こえてきた。

(グチュッグチュッグチュッ!!!)

「はあ…あん…あっ…あんっ!!」

途中一つだけドアの隙間が見えている扉があった。
チラッと中を覗くと、薄暗い部屋に粗末な家具やベットが置かれ、その上でうす茶色の毛に包まれた小柄のウサギの女の子が
四つんばいになって、背後から男に貫かれているのが見えた。
雄の方は姿がよく見えないが体つきからしてイヌかキツネなのだろう。
身体もイチモツの大きさも、彼女の身体と秘部と比べて一回り、いや二回りは大きかった。

そんなモノで背後から激しく貫かれているのだから女の子のほうはたまったものじゃない。
接合部へと太い物が激しく押しつけられるたびに、部屋中に甘い声と淫らな音が響きわたり、
ウサギの女の子の長い耳が激しく揺れ、背中がこれ以上ないくらいに反り返る。

「く…くう…もうすぐ…。」

「あ…ひゃっ…いや…!!中で大きく…怖いよぉっ!!!」

男が一層腰の動きを早めると女の子の甘い声が悲鳴に近い叫び声へと変わり始めた。

顔を突っ伏し、ベットの端を思い切り握っているため、激しい腰の動きがベットに伝わり軋む音が部屋から外にいる
自分の耳にも響きわたってきた。

「いくぞ…一滴残さず中に…外に絶対出さん…!!」

「あ、だ、だめ!!…でもわたしも…いっちゃう…出して…きてえ!!!」

(ドクンドクッ…ポタポタ…トロリ…)

二人のほぼ同時の叫び声と共に、接合部から白い白濁液が接合部からこぼれ落ちた。
ウサギの女の子の太ももを伝って流れ落ちるのも見える。

「どうだ…このまま抜かずに…何発でもしてやる…。」

「凄いよぉ…いいわ…。あなたのこと好き…好きよぉ…。」

コトが最後まで終わり、背後から繋がったままの二人はそのまま身体全てをベットに沈ませ、うわごとのようにお互いに呟いていた。

 

 あまりの光景に俺はしばらくそのまま呆然としていたが、不意に、ぱたりという音とともに、視界から二人の姿が消えた。
オババが空いている扉に手をかけて、静かに扉の隙間を閉ざしたのだった。

「余りじっと見ない方が良い。お前さんはここの事をあまり深く知らない方が懸命じゃよ。」

まだ動揺を隠しきれないでいる俺を見て、オババがたしなめる。

「すみません、こんなところ今まで目の当たりにしたことなかったから。」

「だからこそ知らない方が良い。さ、彼女はこっちじゃよ…。」

オババに連れられて、間もなく部屋の密集地帯を通り抜け淫らな音が聞こえなくなった。
更に廊下を歩くと突き当たりで廊下が終わり、そこだけ他のところとは違う丈夫そうな扉が取り付けられている。
中を覗くと安物のベットや粗末の家具はなく、代わりに大きなダブルベットに高そうな家具が置かれ、
少し開きかけのクローゼットには雄の気を引きそうな派手な柄のワンピースが見えた。さながらVIP用の部屋みたいだ。

ただ、入り口の扉には丈夫なカギがぶら下がり、扉には40p四方の窓に、柵が取り付けられていた。
いわば、牢屋に豪華ホテルの部屋を持ち込んだような、そんな感じだった。
その部屋の中で、ダブルベットに腰掛け、先ほど入り口で見かけた白狐の少女は目を伏せ俯いていた


(イラスト:子狐てん様)

…間違いなくベルだ。

「ベル。ちょっとこっちにきなさい。」

オババに名前を呼ばれた彼女は、ビクッと伏せていた目を開き、恐る恐るこちらを振り向いた。
不安げな表情しており、赤い瞳でこちらを見つめている。こうやって見れば見るほど凄い綺麗な子だ…彼女って。

「な、なんでしょう…?」

少しふるえが混ざった声で、彼女が答えた。
どちらかというとオババより僕の方をチラチラ見ているところをみると、どうやら俺の姿に怯えているみたい。
俺はあんな強面のおっさんみたいな怖い顔してるつもりはないんだけれど…。

「そんなに怖がることはないだろう。この子は別にあんたをとって食ったりなんかしやしないよ。
ほれ、人食いがこんな顔のほほんとをしているのかの?」

オババはオババで自分のこと野獣のように言ってるような…。俺は人食いオオカミじゃないぞ。

「こんにちわ。」

気を取り直し頭をさげて挨拶をすると、真っ赤な目を更に大きく見開いたその瞳には驚きの色が浮かんでいた。

「こ、こんにちわ…。」

彼女はそう言うと、扉の鉄格子から顔を覗かせた。
彼女の背には鉄格子の窓は高すぎるようで、顔半分しかようやく見える程度。震えがまだ少し混ざっているけれど、
先ほどより彼女の話は落ち着いてきたみたいだった。
多分彼女がオババ達の世界に取り込まれてから、彼女の周りにそういった人が居なかったのだろう。

「安心しなさい、この兄ぃはシャバのカタギの狼じゃよ。わしや連中の支配は受けていないから、
お前さんにとって益にはなっても害にはならんよ。
今日これから3ヶ月、この子がお前さんの学問の先生になるよう頼んだ。
この子から色々教えて貰いなさい。多少なら、扉越しに話し相手位になって構わん。」 

オババはそう言うとクルリとこちらに向き直って。俺の目を見た。
オババの顔はようやく俺の胸の辺りまで行くかどうかの所だが、貫禄のせいかその鋭い目を見ると、
なんだかこっちが小さく見えるように見える。

「そういうわけで、宜しく頼むよ。金持ちの頼まれものの非売品だからこの鍵を開けることは出来んが
話しかける事なら構わんじゃろ。
何しろ暫くここに一人きりで軟禁せにゃならんからの…、その位の事は文句は言うまい。」

そう言うと、オババはポンッと俺の肩を軽く叩き、やってきた廊下を歩き始めた。

「さてと…。それじゃあベルの様子は分かったし、いろいろとやらなくちゃならんこともあるからの。
わしはそろそろ先に戻るよ。レイクス君も適当なところでワシの部屋まで戻りなさい。」

こちらを向いて静かにそう言い残すと、オババは廊下の奥へと立ち去っていった。
後には俺と彼女の二人きりがそこに居残り、お互いに扉の前に立ちつくしていた。

「適当に…って言われてもそんな適当なこと言えるような所じゃないだろうに…。」

俺は呟くと小さくため息をついた。実際金持ちに今も今後も弄ばれ、自由のない女の子にどう声をかけて良いか思いつかない。

「ごめんなさい…。」

彼女はそう呟くと目を伏せた。狐特有の大きな耳が少し垂れているのが見てとれる。小柄な身体が一層小さく見えるようだ。

「いや、ベルちゃんが謝る事じゃないよ。あ、それと踏み台になる物があればそれ持ってきて見てご覧。その方が話しやすいし。」

俺の言葉に彼女は一旦顔を窓から引っ込めると、部屋の脇にあって椅子を持って直ぐに再び顔を現した。
踏み台代わりの椅子のおかげで今度は鉄格子の窓から肩の所まで彼女の姿がよく見えた。
こうして近くで見れば見るほど美獣な娘に思えてくる。

「どう、少し話すの楽になったでしょ?」

「うん…、ここに来て初めてだわ…そんな口調で話す雄の人って…。本当にこの娼館の知り合いではないのね。」

彼女の問いに俺は大げさに首を振った。

「うん、俺はレイクスって名前だけれど今日知り合ったばかりだよ。
だからオババ…殆ど見ず知らずの俺を自分をココに平気で招き入れたのには一寸驚いたな。
多分人を見極める眼力には自信があるからなのだろうけれど。

「そうだったの、それじゃあどうしてここに?」

「旅をしていたんだ。君こそどうしてこんなところに…?」

そう言ったところで、しまった…と思った。ここに軟禁されて居る以上、楽しい過去を持っているはずがない。
現に、その質問を聞いたベルは、表情を見る見る曇らせ、答えないまま俯いてしまった。
美獣の子とお話が出来て、浮かれた気分で気が回らなかった。俺はそんな自分を悔やみ口の奥で歯を軋ませた。

「ごめん…辛いことを思い出される筈じゃなかったのに。」

耳と尻尾を垂らしたまま、俺はそう呟いた。

「いいのよ、コレばかりはもう仕方ないって諦めてる。」

明るい声だったが俺の耳は誤魔化されなかった。暗い気持ちを押し殺しているのはオオカミの鋭い耳には嫌でも分かる。
何とかしなくちゃ…そう思った俺は、ふとシャツに仕舞ってあったモノを取り出した。

「そうだ、ちょっと手を出して貰えるかな…。あげたいもの

「え…?いいけれど…特にわたしが欲しいモノなんて…?」

不思議そうに覗き込む彼女だったが、俺の取り出したモノをみて目を丸くした。

俺が手にしていたのは宝石だった。
ただの宝石とは違い、宝石自身青く発光する不思議な石で、旅先で見つけ、乏しい資金をギリギリまで叩いて手に入れたモノだ。

「レイクスさん、それって…宝石?」

「そうさ、でもタダの宝石とは違う。ペルセウス・リングと言う名前なんだけれど
滅多に見かけない森の精霊の種族が作ったって話さ。信じられないけれど魔法みたいな効力が備わってる。」

無論紛い物も多く出回っているが、長旅をしたオオカミの鋭い目は誤魔化されない。
ベルもこれがタダの宝石でない事に気が付いたのだろう。目を大きく開いたまま何も言わずに見つめていた。

「これをわたしに…、でもこれってあなたにとっても大事なモノじゃ…?
わたしだってこれが凄い高価なものだってことわかるわよ。本当にいいのっ?」

「ううん、俺にとっては大した物じゃないって。」

俺は笑ってそう答えた。本当はちょっと…いやかなり無理はしているけれど、彼女の喜びになるなら構うモノかっ。
俺は手を出すかどうか躊躇していた彼女の手を取るとその上に宝石を持つ手を上に重ね合わせた。
彼女のフワフワの白い毛の感触が、俺の手に伝わってくる。

「わたしなんかのために…ありがとう。優しい獣の手って暖かいって聞くけれど、本当みたいね。あなたの手、凄く暖かい…。」

そう言うと、彼女は俺が重ねた手を握りしめた。彼女の顔が少し赤い気がするけれど、向こうも多分そう見えてるだろうな。
一寸だけ彼女の心の一部を、僕に見せるようになってくれたみたいだ。

「これからも、よろしくね。」

「こちらこそ宜しく…、そしてありがとう…。」

俺の言葉に彼女はそう答えると、僅かに微笑んだ。
口がちょっとつり上がっただけの笑顔だったけれど、凄くほっとしたような…嬉しいような気持ちが混ざり合った。

 

 それからしばらくの間、俺はこの間彼女のいる娼館「白純館」に出入りすることになった。
昼間は娼館近くにあるオババが手がけている安ホテルにタダで休ませて貰い、夕方にやってきて旅や学校で覚えた知識を
彼女に伝えて東の空が白み始めた頃に帰る…そんな生活が続いていた。

勿論娼館の女の子達の商売の時間とかち合うので、受付を通る時に甘い声で誘われたり色目を使われた事が何度かある。
ベルと出会う前に部屋で見かけた茶色いウサギの女の子には俺の腕に胸の谷間をを押しつけてきて誘惑をしてきた位だ。
無論誘いは断っているけれど、ちょっと気を抜くとそのままお持ち帰りしたくなる。そうなったら後が怖いぞ…。

「この町って最初に来たときは何の変哲もない大きな街…という風にしか思ってなかったけれども、
雰囲気がやっぱり僕らが居た街や都市とは違うなぁ。そうだ、今日街に出たらラビットフルーツを見かけたっけ。
街を出てから久しく見てなかったから懐かしかったけれどベルは見たことはあるかい? 」

 ベルの家庭教師をしている間、時折街に出かけて色々見聞きしたことも良く話した。
大分うち解けて来たのだろう、笑顔も徐々に見せるようになり、時には今まで話すことがなかった
故郷のことや過去のことも話すようになってきた。

「ううん、ないわ。わたしの住んでいたところも北の方だったけれど、モノが沢山ある街も畑も近くになかったもの。
森に囲まれた小さな村だったわ…。住民の殆どがわたしのような白キツネだと言ったら信じるかしら?」

「信じるよ、旅をしているからそういった村は何度か見たもの。だけどベルを見てるとそんな白キツネだけの村なら住んでみたくなるな。」

「そう言ってくれるのは嬉しいけれど、もう村はないのよね…。」

ベルはそう言うと、視線を俺から床へと落とした。

「本当に小さな村だったから何もなかったのよね。生活が不便でみんなどんどん村の外へと出て行って、
それでも頑張って残った狐達もこの間の大規模な山火事で村の殆どが燃えちゃって…。
結局それでみんなバラバラに村を出て行っちゃった。わたしもそうやって村を出たら直ぐに、獣買いに捕まっちゃって…。」

「…それじゃあ例え自由になれたとしても、もう戻るところは…、ってゴメンベル…変なこと聞いちゃって。」

「いいの、わたしもレイクスに話した方が気が楽だから…。行くところがないから諦めている…というのもあるかもしれないわ。」

彼女がそう言って寂しそうな笑顔で話すのを、俺はただ黙って聞いているしかなかった。

 

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