舞い降りた天使2

 

<1>

 

 浜辺沿いに続くハイウェイを俺の愛車が高速で走り抜けていく。路面の外には海と白い砂浜が続く海岸線が
ずっと続いていた。時折別荘らしい小さな家が浜辺の脇の草原に建てられていたが、愛車の後ろへと過ぎ去り
あっという間に見えなくなっていった。上を見ると柔らかそうな綿雲混じりの青い空。
初夏のドライブには絶好の天気だ。

「わぁ…やっぱり晴れたときの海って最高だねっ♪」

隣の助手席から、パームが嬉しそうに声をかけてきた。フワフワの尻尾を揺らし運転している俺に身体をくっつけながら
後ろへと過ぎ去っていく景色を追いかけるように見回している。光都のデパートで出会いをきっかけに、俺の愛する
連れあいになってから数ヶ月、彼女の明るい性格は相変わらずだったが、着ているものは今は大胆な天使の服ではなく
シャツとショートパンツを身に纏っていた。

「随分と素敵な海岸だなぁ…。もうっ、目的地の海岸にいくよりもここで泳いだ方が面白いんじゃないかなクロウ君?」

外の景色を俺の顔を代わる代わる見ながらパームが聞いてきた。連れ合いになった今俺のことを「あなた」や「ダーリン」
とは言わずに「クロウ君」‥と呼んでいる。出会ってから全く変わってないが、彼女にとってこれば一番呼びやすいらいい。

「あっはは、退屈してきたのだろうけれどもうちょっと我慢してくれよ。遠くたってそれだけの価値はあるんだから、行くところって。」

「しょうがないなぁっ。ようし、折角だからここで愛する旦那様のために大サービスを…。」

「わわっ、やめてくれっ。こんなところで事故ったら折角の旅行が台無しだあっ。」

パームがギュッと抱きついてきた瞬間、ハンドルが左右に僅かにぶれた。慌ててブレーキを踏み込み、
身体が前のめりの体勢になった。

「ゴメンゴメン♪車って便利だけれどうんとくっついたり出来ないのが辛いよねぇ。一人で運転してくれる車って出てこないのかなぁ…。」

「まだ無理だなぁ…。とりあえずホテルに到着するまで待ってくれって。それからならいくらでも可愛がってあげるからっ。」

「はぁいっ。到着したらもう一晩中くっついて離さないんだからっ。」

残念そうにパームが席に座り直した。飛んでいこうかっ…ってパームは行く前に話していたけれど、目的のベイシティに到着するまでパームの翼でも4時間はかかるし、万が一獣に見つかったら大騒ぎだ。幾ら天使の子が丈夫でもそこまで無茶はさせたくない。

「あれぇ…砂浜はもう終わりかな?」

海沿いのハイウェイを走り1時間は経過しただろうか。海岸線の広い砂浜は姿を消し、ごつごつとした岩礁へと変わっていった。
ハイウェイの道も海岸から少し離れ、タブノキが生い茂る海岸地帯特有の森林を貫いていく。時折海岸が木々のの隙間から
顔を覗かせるが、あとは一面緑に覆われた景色が続いたままだ。

「景色が全然違ってきたみたいだねぇ。クロウ君、海に来たって言うけれど、まさか海から離れて行ってないよね?」

「大丈夫大丈夫、目的地にはちゃんと近づいているから。それにしてもパーム、海には行ったことってなかったのか?
街ではあちこちバイトしていたなら海辺の街でバイトしたことだってあったろう?」

「う〜ん、それがなかったんだよねえ。光都の臨海地区でバイトしたことはしたけれど、あそこの海はコンビナートで
固められてまるで池の水槽みたい。とても海を見た…って気分にはなれなかったねっ。」

「そういえばそうだろうな…。」

俺は頷いた。光都にも海があるけれど、ずっと住んでいる俺でもあそこが海だとは正直認めたくない。あの町から見える海は
コンクリートに反射されて灰色に見えるし、所によってはなにか真っ黒なものが浮いている。コンビナートから墨汁でも流して
いるんじゃないだろうか。

「よし、今回の目的地には期待してくれっ。おっ、このトンネルを抜ければ目的地はもうすぐだぞ。」

緩いカーブを左に曲がった所で、丘陵の麓に開いた半円状のトンネルが見えた。高速で走る俺の愛車はあっという間に
その中へと入っていく。数分の間、黄色い光が後ろへと過ぎ去っていく光景が続いたあと、やがて眩しく光る出口を通り抜けた。

「わぁぁぁ!!!」

トンネルを抜けた途端、パームは目を大きく見開くと、嬉しそうな歓声を上げた。

白く光る出口を過ぎた瞬間、眼下には今まで隠れていた海が再び現れた。海岸にはこれまで見てきた岩礁地帯は見あたらず、
白い砂浜がずっと先にまで続いていた。その砂浜に沿うようにいくつかの高層ビルを中心に建物が整然と建ち並ぶ街が
広がっており、周囲には森と草原が混在する住宅地が点在していた。海岸線近くに密集する高層ビルはおそらく
大型リゾートのホテルだろう。

「凄い凄い凄いっ♪色んな街を見てきたけれど、こんな素晴らしいところは天界でも見たことがないよっ。
クロウ君、あの街って一体何っ?」

「この地方の中心都市のベイ・シティさ。ここは昔から観光地で知られていた街だったけれど、気候も景色も良いところだから、
獣達が集まってこんな凄い綺麗な街が出来上がった。きっとその頃の街の設計に関わった人達にセンスがあったんだろうな。
どうだいっ、凄い良いところだろう?」

「うん、言うことなしっ!」

目の前に広がる光景が余程嬉しかったのだろう。パームは窓に身を乗り出すように顔をくっつけると、座席に隠れていた
フサフサの白い尻尾をパタパタと揺らしていた。

「あはは、そんな嬉しそうな笑顔が見れただけでも、ココに来た甲斐があったよ。前々からパームと一緒に行こうって決めて
いてたんだけれど、どう?わざわざここまでやって来た理由がわかったかな?」

「うんっ!この街は天界の仲間にも見せてあげたいくらいだなぁ。これで美味しい食べ物と素敵な旦那様が居たら、もうボク幸せだよっ♪」

「あはは、旦那様はともかく料理なら大丈夫。今日のホテル、料理はしっかりと作られていてね、そこいらの店にだって負けないんだから。」

「わーおっ♪クロウ君さすがあっ!なら期待して良いよねっ♪この旅行は。」

「勿論、天使に誓って保証するよ。」

パームと一緒に笑いながら、俺は街へと続くハイウェイの出口へと車を進めていった。

 

 

 ハイウェイを降りてヤシ並木が続く道路を走りぬけると、上から見えた街が姿を現した。左右にヤシの2,3階建ての
ショップが建ち並び、その間の庭や空き地にはパンノキが生い茂っていた。ハイウェイから見えた高いビルが目に付かない
ところを見ると、今居るところは多分街の中心から少し南に外れた観光街だろう。

「甘い香りが漂う、いい町だなぁ…♪あっ、ねぇねぇ、クロウ君っ?」

左右のショッピング街を走りしばらくしたところで、辺りを見回していたパームが話しかけてきた。

「どうしたんだパーム?」

「泊まるホテルは何処にあるのかな?ここら一帯はお店ばかりでホテルは全然見えないけれど。」

「あっはは、ホテルならもう見えてきているよ。ほら、信号を超えたずっと前の方に…。」

「えっ、前に見えるのは 白亜色の壁のでかい建物位だよっ…。」

パームの言葉に俺はニヤニヤと返事をせずに黙っていた。一瞬不思議そうな顔で俺を見ていたが、
直ぐに気が付いたのだろう、目を大きく見開いて俺に尋ねてきた。

「!!クロウ君、もしかしてあれがホテルなのっ!?」

「大当たりっ、前方に見えますのは…  ホテル、俺達の宿泊地だよ。」

答える時にニヤニヤしていたのは多分パームにも分かっただろう。ホテルを見たときの彼女の驚く顔が見たくて、
わざと黙っていたのだ。まさか30階近くある白亜色の建物とブーゲンビリアが咲き乱れる庭園をみて、
まずホテルだなんて思うまい。案の定、パームは耳をピンとたてると、身を乗り出すように話しかけてきた。

「わぁぁぁあっ!!凄い凄い、本当に凄いやっ。まるで天界にある神殿や宮殿みたいだよっ‥。」

「宮殿か…確かにそう言えるかも。でも驚くのはまだ早い、今の段階で宮殿なんて言おうものなら、ホテルの中はどう表現するか
言葉が見つからなくなるぞ。」

ホテル入り口から庭園の脇を通り、エントランスのロータリーにたどり着いた所で車を停車させる。車を降りると、
すぐにホテルボーイが現れて、車は隣接するパーキングへと預けられた。

 先ほどの外観から予想していたとはいえ、正面玄関をくぐり広々としたロビーに入ると、もの凄い豪華な空間が広がっていた。
ロビーには円柱が整然と建ち並び大理石の床は光る位に磨かれていた。窓際にはクッションが載せられたソファが並び、
その脇にはストレリチアやプルメリアといった南国特有の植物が、きちんと管理されて収まっている。光都ですらこんな建物は
そうそう見ない。ロビーでチェックインの手続き中にも、パームには目が輝かせて‥ってパーム、そこまであちこちキョロキョロするのは
やめてくれ‥。

「クロウくうううううううんんっ!!!」

宿泊の部屋までたどり着き、扉が閉められたとたん、パームはおおはしゃぎで子供のように俺に飛びついてきた。

「スゴイなぁ、スゴイなぁっ♪もうここって天界の宮殿よりもスゴイいんだからっ♪天界にいる大天使様が見たらうらやましがるだろうなぁ‥
ここ。」

パームはもう嬉しさを隠しきれないらしく、腕を絡めて俺に抱きついてくる。背後の真っ白な尻尾は、もう町に入ったときからずっと
左右に振りっぱなしだ。でもその気持ちは俺だって同じだった。

 それにしても、広い部屋だ。ここはいつもの旅行のとき泊まるホテルの倍以上ある広さの上に、豪華な家具だらけの部屋は初めて見る。

「随分と元気だな…。はしゃぐのは良いけれど、長旅で疲れていないのかい、パーム?」

「あ、それなら大丈夫だよっ♪むしろクロウ君のほうが疲れてないかボクは心配だよ、光都から4時間は車を走らせっぱなし
じゃなかったかな?」

「途中休憩を挟んだから5時間ちょいだね。俺なら平気さ。狼なんだから体力だけは有り余っているからね」

俺はそう言うと、鞄をクローゼットの下へとしまい込んだ。全てのカバンを入れても、収納スペースはまだまだ有り余ってる。

「良かった。あ‥、ここなら翼を出したって大丈夫かな。」

フワリ…と俺の耳にいう柔らかい風の感触が伝わってきた。パームが隠していた真っ白な天使の翼を広げてみせたのだ。
翼が背中で僅かにはばたくと、羽根がヒラヒラと宙を舞うと床へと落ちて透き通るように消えていった。

「いつ見ても綺麗な翼だなぁ…パームのって。」

「あはははは、お世辞を言ってもボクの身体しかあげられないよクロウ君♪」

笑いながらパームはそう言うと、バルコニーに通じる扉を開けて外に出ていった。後に続いて外に出ると、涼しい海風が
俺の毛皮越しに伝わってくる。
バルコニーの右手にはベイシティの街並み、左手には海と砂浜が一望できた。と、不意に身体から重力が抜ける感触が
伝わってきた。パームと空を飛ぶときに伝わるあの感触だ。

「おやっ?パーム、どうしたんだ…。」

「うん、なんだかここから飛んで町を見に行きたくなっちゃった♪ねねっ、ここから飛んで町を一回りして見に行こうよっ、クロウ君?」

「まてっ、このホテルの上下の人に見られたらどうするんだ?そりゃ俺だって空を飛びたいのはやまやまだけれどさ…。」

「平気平気、ぜーーーったい見つからないように飛ぶことだってボクにとっては簡単なことだもの。ほらほら、
その心配なら大丈夫だから。さっ、それじゃあスタンバイOK、いっくよぉっ!」

俺の返事を待たず、パームはベランダの手すり付近へと身体を寄せると、大きく横へと広げて見せた。太陽に照らされた
パームの羽根がキラリと白銀色に光って見える。

「さぁっ、南の国の青空へ出発っ♪」

パームはそう言うと、ポンッと軽くベランダを蹴ってふわりと浮き上がった。あっという間に俺達の身体はベランダの
手すりを乗り越ると、ホテルの建物を離れ南国の上空へと飛び立っていった。

「おお〜〜〜っ!」

四方の景色が見渡せるようになった時、今度歓声を上げたのは俺の方だった。

 上空から見える海は、海岸では薄い水色だったのが沖へ行くにつれて濃い青色が変わっているのがハッキリと見えていた。
砂浜ではハイウェイで見たときよりも白く輝いていて、所々に人の姿も見えている。この高さではよく分からないが、
ここでも居るのはカップルばかり。海で泳いでいる人はまばらで、寧ろ砂浜で寄り添って寝そべっている姿が目立っていた。

そんな光景を、パームが目を大きく見開いて嬉しそうな表情で眺めていた。

「もうこの街に来てから驚きっぱなしだなぁ、ボク。ほんっとうにあま〜い恋の香りだらけ。天使の血がうずうずとしてきちゃうねぇ。
いっそのことキューピットの矢でここのみんなを片っ端から‥。」

「いやそれはいいからっ!ここの面々はもう恋愛は多分成就済みだから!っと、それと俺の手を離すのやめてくれ。」

あわててパームの腕に俺はギュッと捕まえるように絡めた。さすがにまた落とされるのだけは勘弁してくれ。

「あはは、ゴメンゴメン。おや、一層恋の香りが強くなってきたけれどこれはどこからだろ‥。あ、ミツケタっ♪」

パームが指さす方向には、ビーチの内側にあった海岸沿いの公園があった。その中程には、ヤシに囲まれた小さな草地で
一人のケモノの姿が見えた。茶色の毛並みにピンと尖った耳に蒔かれた尻尾。特徴からするとシバイヌの女の子のようだな。

「あんなところに女の子が一人でいるなんて…。恋人との逢い引きをしているのかな?」

「違うんじゃないかなぁ。二人きりになる場所って雰囲気でもないみたいだし。何かを探しているみたいだけれど…。」

パームの言うとおり、女の子は大きな樹をうろうろ回っては地面にしゃがみ込んでいた。時折上を見上げると、
幹に手を掛けて、樹を揺さぶろうとしているのが見える。

「あ、何を探しているか分かっちゃった♪レインツリーの花を探しているんだ。」

「レインツリーの花?」

「うん。あの子何度上を見ているでしょっ?ほら、今も上を向いているよねっ。あれって間違いなくその花を取ろうとして居るんだ。
レインツリーの花って片思いの子に一緒になれるおまじないがあるってこと、天界で聞いたことあったよ。」

言われてみれば木には紫色の花が咲いているのが分かったが、大木の下のほうにあったはずの花は
みんななくなっていた。他の女の子達が全て持ち去ってしまったのだろう。

「う〜ん、あれじゃあの子が取れそうなモノはここからじゃ見えないな…。俺たちで何かできないかな…?」

「出来ないって何を言うっ♪ふっふっふっ。ボクが天使だってことを忘れていないかな、クロウ君?」

隣で手を繋いでいるパームが俺に笑いかけてきた。をい、何を企んで居るんだ…にやけていて牙が見えるぞ。

「パーム…一体何をする気なんだ…?」

「うん、とりあえず風になるんだっ。」

パームはそう言うが早いか、今の体勢のままその場でぴたりと静止した。辺り一面静かだったが、海からの涼しい風が、
相変わらず俺の頬を撫であげてくる。
それにしても風になるって一体…。どういうことか聞こうとしたその時、パームは突然白い身体を下に向けると、
ほぼ自由落下に近い状態で一気に急降下をし始めていった。下に見えていたレインツリーやヤシの木々が目の前にぐんぐん迫ってくる。

ちょっとまて、このまま突っ込んだらぶつかるぞこれ!?おいっ、パーム!?

「「うわあああああああああ!!♪」」

俺の叫び声とパームの歓声が重なって聞こえてきた。パームは木々にぶつかる直前で翼を広げて進路を変え、
そのまま水平に飛行した。少しの間森の木々すれすれの所を突き抜けたところで、再び上空へと舞い戻った。通り過ぎた後には
突風が起こり、左右の樹からは枝をしならせてながらざわめいた。

「ふいいいいいっ。」

上空に戻ったとき、俺はふうっとため息を付いた。絡めあっていた腕に力が入っている事に気が付き、慌てて力を緩める。
背中は見えなかったが多分尻尾の毛もビックリしたまま戻らずに逆立ったままだろう。今のは本当にぶつかるかと思ったぞ。

「パーム、あんまり無茶はやらないでくれっ。飛んでいて久々にヒヤっとしたぞ…もう。」

「ゴメンゴメン。でも羽根で飛んでいる訳じゃないから滅多なことではぶつからないから安心して。それに、どうやら作戦は
成功したみたいだし。ほら…。」

パームの言葉に下を見ると、パームが生み出した突風で、咲いていた花や花びらが風で宙を舞いゆっくりと地面に
舞い降りているのがわかった。これだけでおまじないが何百回も出来そうな位だ。

「これでもう大丈夫かな…。あとは素敵な獣へ告白ガンバッテネ♪」

レインツリーの花に囲まれ驚いた表情で周りを見回す女の子の姿を見届けると、パームはクスクス笑いながらその場から離れていった。

 

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