ラビット&ドラゴン

 

 大都市から少し離れた内陸地帯、その北端に僕が住む小さな街、グリーンヘイゼルシティがある。
街の南には大都市圏へと続く街道沿いに集落や街が連なり、東西には草原、田園、林が混在する モザイク地帯、
そして北には広大な樹海が広がっている。
そのためこの町は各地から色々なモノと 獣が集まっていつも賑わい、
小さいながらも州政府の総合機関にデパート、映画館すらあるくらいだ。

そんな街と北の樹海の間にある小さな丘にシバイヌ族である僕の家があった。
もし、 この丘から樹海を見渡すことが出来なかったら、彼女とは一生会えないままだったと今でも思う…。 

 何気なく寝付けなかった昨日の晩のことだ。眠くなるまで…と本を読み、
中ほどまで読んだ所で ふと窓の外を見ると、雲一つ無い星空に混ざって樹海へと落ちていく白い筋が目に入った。

「何だろう…あれ。」

読んでいた本を閉じ窓に顔を近づけると、白い筋は樹海へと流れ、
落ちた辺りが白い光のドームに 包まれるのが見て取れた。
光は直ぐに消えて、樹海は再び静かになったけれど、僕のまぶたの奥には その白い光がずっと焼き付いた。
おかげでその日は脳裏にその白い光が頭に残り、 結局僕は空が白くなるまで眠れず過ごす羽目になった。

 次の日の朝、眠い目をこすって押入に仕舞われていたアウトドア道具をデイバックに詰め込むと、
僕は寝不足になった犯人を探そうと丘を下って樹海の方へと脚を進めた。
樹海へと続く道は白く 舗装された道路がしばらくの間続いていたが、道は徐々に狭まってゆき、
やがて樹海入口のゲートで 舗装された道路は消えていた。
わだちが辛うじて残る林道が続いていたが、この林道も直ぐに行き止まりになり、
そこからは獣一人がやっと通れる小径が樹海の奥へと伸びていた。
 上を見上げると、カシやクスノキといった高木に光が遮られ、朝と言えども森の中は薄暗い。
それなりに整備がされている 小径ではあったものの、
時折シバイヌ特有の巻き尻尾に雑木や下草が引っかかるので油断はできない。

「確かにこっちのほうに落ちてきたはずだけれど…。」

ペットボトルに詰めたドリンクを口に含みつつ前方を見ると、
茶色い小径が樹海の下草を貫いてずっと 前方へと続いている。
初夏とはいえ早朝でまだ涼しく、全般的に傾斜の緩い地形なのが救いだ。
それでもそれなりの距離を歩いているので汗が毛皮から徐々ににじみ出てくる。
いけないと思いつつも、 身体の火照りを冷やすためにドリンクをついつい飲んでしまい、また一層汗が吹き出てくる。

 出発してから1時間程経過した頃だろうか、前方が日の光に照らされ明るくなっている事に気が付いた。
明るくなっている先を見ると、青いモノがキラキラと反射しているのが見て取れる。間もなくこれまで上を
遮っていたの木々が途切れ、目の前に青々とした水をたたえた小さな湖が姿を現した。小さいといっても
向こう岸が結構遠くに見えるので、歩けばそれなりに時間がかかりそうな気配だ。そういえば、
樹海に良く遊びに行くキタリスのメルから湖があるって話を聞いたことあったっけ。

「もしかして、ここがその湖だったのか…、意外と近いところにあったんだな。あ、だけれどこの辺に
光が落ちたってことはもしかして‥。」

そう言うと、僕は湖に目を向けると考え込んだ。もしここに何かが落ちてたら潜水具を使って
湖の底総ざらいしないと見つからないぞ…。どうしたものか暫く答えの出ないまま考えこんでいたが、
そのうちに、身体が疲れに包まれて足下がふらついてくる。寝不足のまま歩き通しだった疲労が
今になって出てきたみたいだ。とりあえず休んだ方がいいな…。

辺りを見回すと、湖畔の一角に大岩があり、その脇に座るのに丁度よさそうな丸い石がいくつか 置かれているのが見て取れた。
その石に腰掛けると僕はそのまま大岩に持たれかかってホッと息をついた。
丁度よい陽気が眠気を更に誘いこみ、うつらうつらとした居眠り…そして完全に眠ってしまうまでさほど時間はかからなかった。

 どのくらい眠っていただろうか、眠っている僕の耳に、ピチャッ…という水音が届き、僕は目を覚ました。
水面に目を向けると、波紋が二つ三つと目の前の湖岸に打ち寄せている。
大岩の陰から顔を出し 波紋の先を辿っていくと、白い小さな身体が水に手を入れているのが目に入った。

長い耳をした白ウサギ族の女の子で雪のように白い身体がハッキリと水面に映っている。
白いフワゲが見える 首の直ぐ下のフワ毛には藍色の宝石が入ったブローチを付け、
丈がやや短い薄い緑色の 淡いワンピースを身にまとっていた。
美獣の子だけれど街で見かけたことがない、ハイキングに来た観光客かな…?

「こんにちわ…。」

何気なしに僕は声をかけてみた。森で獣と出会った時の最低限の礼儀だ。
けれど、女の子はビクッと振り返って こっちを見つめると、そのまま背を向けてかけだした。
僕が二言目の声をかけようとしたときには既に樹林帯に 姿を消し、湖畔には僕一人がぽつんと空しく立ちつくしていた。

「驚かせるつもりはなかったんだけれどなぁ。」

女の子一人の所に声をかけたのがまずかったのかな…。
僕はため息をついてジュースを飲もうと 鞄から取り出したが、取り出した容器に重みがないことに気がついた。
よく見ると、中身のジュースは 殆どなくなっていて、一口いくか行かないかで空っぽになりそうだ。

「あれ‥もうこんなに飲んじゃったのかな‥。」

もう少し残ってないかと中身を振ってみたが底の方でぴちゃぴちゃ‥と音が鳴るだけだ。
途中の森を 横切ったときに予想以上に飲んでしまったのだろう。
こんなことならもう一本くらい鞄に入れておけば良かったな…。

 とりあえず嘆いていたって喉の渇きは治まらない、
ペットボトルの底に僅かに残っていた分を 名残惜しそうに飲み干すと、滴り落ちる水滴もなめ取った。
残された容器をしまいつつ僕は 目の前の水をたたえた湖畔に目をむけてみる。

「ここの水、飲んだって大丈夫だよね‥。」

湖の際に近づき何気なしに湖畔で水を手ですくうと、冷たさが僕の茶色い毛を伝って中にまで染みこんできた。
何か色がおかしいような気がするが、ちょっとくらいなら…。

「飲んじゃダメ、危ないっ!!」

「うわっ!」

水をすくった手を口元にまで持ってきたとき、甲高い声で叫ばれ俺は飛び上がった。
その弾みで手ですくった 水が飛散し、湖畔の地面へと吸い込まれる。
立ち耳をぴくっと動かし声のする方を見ると、 先ほど見失ったウサギの女の子がこちらへと駆け寄ってきている。

「君は‥さっきの?」

「大丈夫、まだ飲んでないわよね‥?」

女の子はそう言うとまだあっけにとられている僕の口をこじ開けた。
彼女の濃い緑色の瞳が目に 映ったがそんなこと考えてる余裕はない。

「あがががが‥ないない、飲もうと思ったけれどまだ一口も飲んでないよっ!」

「良かった‥。ココの水はだめっ、上流の鉱物が流れ込んでここに溜まっているから
飲んだら 丸一日お腹壊して寝込んじゃうわよ。」

 可愛いけれど説得力のあるしっかりした声だ。その声に僕は反論できず唸ることしかできない。

「でも一口くらいは飲みたい‥。こんなに水があるのに一口も飲めないなんてかなり辛いよ。」

僕はそうぼやくと、脚を君でその場に座り込んだ。
日がだいぶ高く登り徐々に暑くなってきたせいだろうか、 汗が更に噴き出し喉の渇きが一層強くなってきた。
そんな僕の様子を見かねたのか彼女は少し考えて 少しの間だ辺りを見回すと、
長く白い耳をピクッと立てて再び話しかけてきた。

「ジュースはないけれど、お水なら飲めるわよ。喉が渇いてるから飲むことが出来る水があればいいのよね?
それならわたしの後に付いてこれるかしら?」

そう言うと彼女はニコッと笑い、手を差し出してきた。
可愛いけれど見ず知らずの女の子からさしのべられた 手にどうするか一瞬迷ったが
彼女の笑顔に魅了されて思わずつられて手を差し出した。
正直女の子とはこうやって手を握ったことはないので、僕に彼女の手の柔らかさと温もりが伝わると同時に、
全身から汗が滲んでくる。

 そんな自分をよそに、女の子は僕の手を引いたまま湖を少し歩くと
やがてヤマブドウが絡みつく 森の藪へと入っていった。
僕も後から入ったが、踏み跡すらない所を歩くので脚や尻尾に雑木が
絡みつかないように身体をくねくねさせながら彼女の後をついていくのが精一杯だ。
しばらくの間雑木と 下草が繁茂する樹林帯をすすみ、心に不安がよぎる。この辺り水の流れは無いみたいだけれど‥。

「大丈夫、私を信じてくれる‥?」

怪訝そうな表情が出てしまったのだろう。慌てて頷くと、再び後を追った。
時折彼女の綿毛のような尻尾が 腕に当たり、当たるたびにドキっとしてしまう。

 森の奥へと入って100メートル程経過しただろうか。進む先に突然下草が無くなり、 前方に木と岩で囲まれた窪地が現れた。
下の方に幅一メートルほどの水のたまり場が出来ていて、
よく見ると水たまりの何カ所かで砂が舞い上がり、水面に波紋を作っている。
間違いない、ここから湧き水が溢れ出している。

「ここの水なら大丈夫よ。でもそっと飲まないと沈んでいる泥が混ざっちゃうから気をつけて‥。」

「ありがとう‥。」

驚きでやっとそれだけ言うと、僕は水面すれすれの所を両手でそっとすくい、そのまま口へと水を流し込んでみる。

「美味しい‥。」

本当に美味しい‥。無論味があるわけじゃないけれど、冷たくて疲れが吹き飛ぶような気持ちがする。
僕は夢中になって何度も手で水をすくっては喉を潤わせた。本当は直接水面に口を付けてごくごくと
飲みたい所だけれど、さすがに女の子が居る手前そんなはしたないことはするわけにいかない。

「あなたって本当に美味しそうな顔をして飲むのね、 悪い獣じゃないみたい‥よかった。」

「だって本当に美味しいんだもの、本当にありがとう。でもよくこんな所に泉が湧いている知っていたね、凄いや‥。」

何度も水を飲み干してようやく一息つくと僕はその小さな泉の流れる先を見た。
湧き出た泉は湖のある方向へと、 小川とも言えない水の筋を作っている。
けれどもそこから先は、水は地面に吸い込まれ、 水の流れは無くなっていた。
多分地面の下を通って湖へ流れ込んでいるのだろう。
普通の獣だったら こんな泉を見つけるのはかなり厳しい。

「あ‥わたしはこの森に住んでいるから。だからこの森の事は知っているの。」

「ええ、‥森っていってもどの辺りに‥?」

「え?う…うん、あっちの方だけれど」

彼女は一瞬辺りを見回すとまっすぐ北に向けて指をさした。今僕らが居る所は樹海の南の方。
その北ってことは街から最も離れた樹海の奥の方に住んでいるということになる。

「そんな凄いところに?大丈夫、‥不便じゃないのかな?」

「う…うん、そんなことはないわ…。あ、もう大丈夫なら水筒か何かに水をくんで戻るわよ。」

彼女はそう言うと泉を離れ湖へと戻り始めた。慌てて空のペットボトルを水で満たすと僕も彼女の尻尾を追う。
今度は彼女の尻尾に腕が当たることは無かったけれど、フリフリと揺れ動く綿のような尻尾に 目がどうしてもいってしまう。
触ったら凄く気持ちよさそう‥、って何言ってるんだ自分は。
慌てて脇へと視線を逸らす。

「それじゃあ‥わたしは行かなくっちゃ、あとはもう大丈夫ね‥?」

湖畔に戻ると、彼女は北へと続く小径へと脚を進め、こちらを振り向いて尋ねてきた。

「うん、本当にありがとう、あ、只一つだけ質問しても良い‥?質問というかお願いになっちゃうけれど‥。」

「…?どんなお願いなの。」

「また遊びに来てもいい‥その‥色々と楽しいし‥?」

僕の言葉に彼女は一瞬不思議そうな顔をしたが、自分の顔を見るとクスリと笑いかけた。
悟られないように言葉を選んだつもりだったけれど、顔が赤くなっているのは隠せなかったのだろう。
彼女に一目惚れしたこと多分気が付かれたな‥、むしろ全く気が付かれないよりはその方が嬉しいけれど。

「本当に正直な獣ね‥。あ、そういえばまだ聞いてなかったわね。あなたの名前。」

「ヨシって言います。シバイヌ系のイヌ族のヨシ。」

「わたしはスノウ…。いいわ、また来たらよろしくね。」

彼女は再びニコッと笑うと、湖岸から北へと続く道へと歩いていった。
少しの間彼女の背中が見え隠れしていたが、 やがて木々に阻まれて消えていった。
空をを見たら太陽が完全に南の高いところまで上りきり、 徐々に西へと傾いてきている。
ペットボトルにくんだ水を少し飲み干すと、彼女の消えた道をチラッと見つめ、
僕は街へと続く小径を歩き始めた。

当初の目的の白い光の犯人捜し、そんなことすっかり忘れてしまっていた。

 

 

 あれから何度か湖の周りを回ってみたものの、湖畔に何かが落ちた形跡は全く見あたらなかった。
本当はそれ自体を探しに来ていると言うよりも、時折湖にやってくるスノウに会いたくて来ているのが本音だ。
今日はまだ来ていないみたいだけれどどうしているのかな…。

「ふう、やっとできあがった。」

僕はそう言うと、やっと膨らまし終えたゴムボートの上に寝転がった。
残るは湖の中‥そう考えた僕は 今日は畳んだゴムボートを鞄に詰め込んできた。
ただ、小さいとはいえ膨らますだけで体力の殆どを 使い切ってしまって、へとへとだ。
気を緩めるとハァハァ…と舌を出して息継ぎをしそうになる。

「変わった船ね?」

ふと、ボートで横になっている僕の上に聞き覚えのある声がかかってきた。
ちょっと上を向くと この前を同じ薄手のワンピースを着たスノウが顔を覗き込んでいる。
寝転がっている自分の目から スカートの中が危うく見えそうになり、僕は慌てて起きあがった。
舌がもつれて話しかける声が僅かにどもる。

「ご、ゴムボートだよこれっ。凄い透明な湖だから、何か落ちていればすぐに分かると思って、
隕石とか落下物ならクレーターが見えると思うし。」

「そぉ…?それにしてもこのボートで大丈夫、ずいぶんと小さいみたいだけれど‥。」

スノウはそう言うと、腰を屈めてボートをジッと見つめた。
持ってきたボートは幅がやっと1
mあるかないか、 一人乗るのがやっとの大きさだ。
けれども鞄に畳んで森の中を通ってココまで持ってくるのにはこの大きさが限界だ。 こればっかりは仕方ない。

「一応小さくても丈夫に出来ているから大丈夫さ。あ、そうだ‥、そういえばスノウに聞きたい事があったっけ…。」

「…?」

「うん、街からうんと離れた所に住んでいるなら、何か不便だったら街から持ってきて上げようと思ったんだ。
あ、お代はイラナイよ。高いモノだったら流石に買えないけれど…。」

「特に欲しいモノなんて…。あ、それならコームやコサージュとかがあれば欲しい…。」

「髪飾りのことか…。そんなの街に行けば幾らでも売っているけれど…?」

「ここに居るとなかなか手に入らなくって…。お願いしてもいいのかしら…?」

彼女の言葉に僕は頷いた。それくらいならどうってことはない。そんなものだけでいいのかな…って思うくらいだ。

「いいよ、それならおやすいご用、街で買ってきてあげるさ。」

「ありがとう‥。」

本当に嬉しそうな声を出すと、彼女が僕の目をジッと見つめた。
濃い緑色の目で間近に見つめられて、僕は真っ赤になった。

「いや、いいの。スノウの笑顔見てると嬉しいからっ、じゃあ、ちょっとここから探しに行ってくるっ。」

口から勝手に言葉が飛び出てきてもう顔から火が出そうだ。僕はドギマギしたままゴムボートへと駆け寄ると、
沖へと押し出しそのままピョンッと飛び乗った。水の上を滑り出したゴムボートは左右に振れ、
揺れが自分の身体にまで伝わってきた。

「凄いや…、話には聞いていたけれど本当に綺麗な湖なんだなぁ…。」

ボートから水面を覗き込んだ僕はそう呟くとため息を漏らした。
太陽の光が差し込む湖底は水草で緑色に輝き、 積み重なった倒木の陰からは小魚の群れが見え隠れしていた。
まるで水の中にある楽園のようで、 ついつい顔を水面に近づけたくなる。

「ヨシーーーーーィ、そんなに身を乗り出したら危ないわよぉ。」

「平気平気、別にこの船から落ちるようなまねは‥うわっ!!」

(ばっしゃーーーーん!!)

僕は見事に頭から水の中に放り込まれた。
彼女に見つめられてから慌てていた俺は身を大きく乗り出して いたことに気が付かなかったのだ。
水の中に放り込まれたと同時に身体中にビリビリッと電気が走り出した。
いや、電気の方がまだましだ…冷たいっ!

「うひゃあっ、身体が凍るっ!!」

すぐさま浮かび上がりボートの縁をひっつかむと、そのままバチャバチャと半ばもがきながら湖畔へと転がり込んだ。
氷までとは言わないけれど準備運動もなしに水に放りこまれたからたまったもんじゃない。
泳ぎには自信はあったけれど これじゃ溺れる前に心臓がショックを起こしそうだ。

「大丈夫、凄い寒そうにしてるけれど…。」

「だ…大丈夫…意外と薄着でいて…、寒さには慣れてる…。」

そう言うと僕は笑って見せた。無論強がりだ、体中が震え、歯がガチガチ鳴るのは治まらない。
シャツを脱いで手ぬぐいを身体中に擦りつけ水を拭き取ったものの、
耳から尻尾の先までベットリ くっついた毛の水気を完全には拭いきれなかった。

「うう…コレは困ったな…。」

まさかこんなに冷たかったなんて…、僕は自分の迂闊さを悔やんだがもう遅かった。
もう身体の芯まで凍り付きそうだ。

その時、僕の背中に柔らかい毛皮が押しつけられ背中に身体の熱が身体へと暖かいものが伝わってきた。

「スノウ…!?」

「じっとしてて‥まだ毛皮が濡れちゃってるわよ。」

驚く僕に、スノウは後ろから腕をお腹に絡めてきた。柔らかい胸の感触まで伝わってくる。
布の感触がない、直接毛皮で暖めてくれているんだ。

「ありがとう…。」

それだけ言うと、僕はもう何も言わずまっすぐ湖を見つめていた。
寒気は完全に吹っ飛んだが、 しばらくの間僕はもう身動き一つ出来ずカチカチに固まっていた。

「もう、大丈夫ね…。」

暫くして自分の身体が暖かくなり、震えが治まった頃、スノウはそう言うと僕の身体からようやく離れた。
ゴソゴソとワンピースを着ている音が背後から聞こえてくる。幾分ホッとしたけれど、まだ心臓がドキドキしたまま治まらない。

「ありがとう‥もういいわよ。」

着ている音がやみ、スノウに声をかけられるが、身体は離れたけれど未だに彼女の毛皮と触れあっている気がして、
身体を動かそうにもカチカチに固まって動けない。

「心配しないで、直接毛皮が触れあって抱きしめるの、私は嫌じゃなかったから…。」

僕の様子に気が付いたのか、スノウが声をかけてきた。

「ぼ、僕だって嫌じゃなかったし…嬉しかった…。でも、なんだって僕にここまで‥?」

「わたしも嬉しかったからよ。こうしていると…嬉しい。」 

その言葉にようやく僕は彼女へと振り向いた、うっすらと赤く染まっているのが分かった。
顔を赤くしていたのは僕だけじゃなかったんだ。

「スノウ…。知っていたんだ…。」

やっぱり僕の気持ちは見透かされていたんだろう、けれどももう今更「好きだ」って言う必要もなかった。

「あなたって嘘が付けないみたいだからね…。でも嬉しかった…。もしわたしが、り……」

そこまで言いかけたときスノウは急に押し黙りそのまま俯いてしまった。

「どうしたの…。」

不思議に思って聞いてみたが、スノウは只首を横に振るだけで何も言わない。
そんな彼女に 僕もそれ以上は何も聞くことは出来なかった。
聞いても答えられないだろうし、根掘り葉掘り聞かれたくないのだろう。

「そうだ、良かったらいっそのこと麓の街にまで降りてきたらどう?街からここまで来るのなら、
さほど時間だってかからないし…。」

「ありがとう、でもわたしは今はここに居たい…。でも‥。」

「でも‥?」

「あなたとは‥また会いたい‥。嬉しいのなら、また抱きしめてあげるから‥。」

そう言って彼女は僕の隣にくると、肩に頭を乗せてきた。
彼女の頭を僕の肩に乗せたまま 彼女の腰に手を回すと、嬉しそうに寄り添ってきた。


僕もスノウも何も言わなかったが、心の中は暖かさと幸せに包まれていた…。

 

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