冬眠な彼氏殿とぽかぽかな彼女さん



 彼氏殿はトカゲである。正確にはドラゴンとか龍とかそこらへんのファンタジーなアニマルらしいのだが、火も吹かんし空も飛ばんのでトカゲでよかろうという奴である。
 トカゲと言っても四足歩行なそのまんまのトカゲではない。人間の体にまんべんなく鱗をはっつけて、頭をトカゲのそれに挿げ替えて、尻にぶっとい尻尾を生やした、トカゲ人間だ。正式名称、ミシューフシ。直立歩行の恐竜と言うのがわかりやすいかもしれない。
 なんで人間の私がそんなんとつきあってるのと言われると大変困るのだが、まあ、勢いと言うしかない。人生そんなものである。ましてや華の高校生。十代なんて勢いがすべてだ。


「おはよー」
 私が手を振ると、彼氏殿は片手を軽く上げてそれに応えた。冬も半ばの通学路にはまばらに雪が降り積もっている。寒いと動きが鈍くなってほっとくとお亡くなりになってしまう彼氏殿は待ち合わせ場所のコンビニからのそのそ出てきた。鮮やかな新緑の鱗。鋭い赤褐色の瞳。人間の声帯では名前が発音できなくて、あっちも発音が難しくて片言な、私の自慢の彼氏殿。
「行こか」
「ハイ」
 ただでさえでかい図体をしてるのに着膨れして更に大きくなった彼氏殿は頷くなり最大速度で歩き出した。当然、私では追いつけない。
「彼氏殿早いっすよ」
「サムイ。シヌ」
「彼女置いてくんですか」
「シヌッテ」
「愛の為に命捧げないんすか」
「ハナシベツデス」
 めんどくさくなったのか、彼氏殿は私をひょいと片手で抱きあげると脇に抱えた。そのままわしわし歩いていく。歩幅だけで私の身長くらいあるんじゃないだろうか。
「彼氏殿彼氏殿」
「ナンデショウ」
「大変申し訳ないんですがこれだと後ろにぱんてぃー大公開なので別の持ち方がいいです」
 さすがにストッキングとペティパンツくらいは履いてますけどね。あったかいし。フシュ、と息を吐いた彼氏殿は、しばし思案の後にお姫様だっこしてくれた。いぇーい世間の皆さま見てますか私今彼氏にお姫様だっこされてますよー、とちょっと叫んでみたくなる。そんなことしたら照れた彼氏殿にぶん投げられそうだから、しない。恥ずかしいし。
 押し付けられた彼氏殿の鞄は重い。中には貼るほっかいろが大量に詰まっていた。待ち合わせ場所のコンビニは彼氏殿の為に毎日大量のほっかいろを準備してくれているらしい。ありがたいことだ。そういえば、と私は下を見る。小学生くらいはころんと入りそうな巨大なクーラーバッグ。
「そういえば今日のお弁当なあに?」
「ブタ」
「また?」
「マタ」
 クーラーバッグの中身はごろんとまるごとブタ、らしい。全力で爬虫類の彼氏殿は寒くてかつ栄養が足りなかったりすると冬眠の後に永眠してしまうそうな。だからこうして冬になるとクーラーバッグに丸焼きにした動物の肉を詰めて持ってくる。そうして昼休みになるとストーブの横を陣取ってバリバリグシャグシャバキバキゴクンと豪快に食う。あーんとかしてみたいなあ、と思わないでもないけれど、うっかり手を喰われでもしたら責任取って結婚してもらうしかない。それはそれで、とは思うけれど、人肉の味を覚えさせるのはちょっとなーとも思う。
「ね」
「ハイ」
「冬眠、しないでね」
「キヲツケテマス。キョウリョクシテクダサイ」
「してますよ」
 彼氏殿の目がきろりと私を睨む。何か言いたげだったので、ぎゅっと抱きついてやった。
「湯たんぽ」
「ハア」
「あったかい?」
「トクニ」
 こういう機微がわからんのが彼氏殿の欠点である。がぶりと鼻面に噛みついてやると彼氏殿はフシュッと鳴いた。
「ぎゅっとしてると歩きにくい?」
「ダイジョウブ」
「よかった」
 白い雪の上に彼氏殿の足跡が続いていく。


 そして、放課後。
 今日は生徒をいたぶることに人生をかけている感がある数学教師がフルパワーな宿題を出してきた。教科書を読んで出来るような内容じゃないから、真面目にやってくる奴なんてごく一部だ。妹の彼氏だとかいう軟体生物はすらすら解けるらしい。漬物にでもされてしまえ。翻って、彼氏殿は数学が致命的に苦手である。正直他の科目も私と接戦を繰り広げているくらいだが、数学だけは常に最低ラインをのたのた這いまわっている。そんなわけで、彼氏殿はどんよりした目つきで黒板を眺めていた。放課後の教室で私と彼氏殿二人きり。私たちの他には時折べこんと音を立てるストーブがあるきりだ。
「そんな、面倒な課題だからってそんな落ちこまなくても」
「ハア。イヤダナア」
「ほら、脱いで脱いで」
 どんよりしている尻尾をまたいで、彼氏殿の服を剥いでいく。八枚重ね。後四枚重ねていれば十二単になったのにな、と思いながら脱がせていく。
「あ」
 また溜息をついた彼氏殿の歯に昼間の豚肉がひっかかっていた。骨ごとばりばり食える彼氏殿の牙は尖っていて大変恐ろしい。人間だってばりばり行けてしまうだろう。
「彼氏殿」
「ハイ」
「ちょっと口あけててね。肉取るから」
 素直に口をぱかんと開ける彼氏殿。毒々しい赤色をした口の中に、細い舌がちょろんと乗っかっている。ちなみにこれ、引っ張ると大変伸びる。面白いくらい伸びる。引っこ抜きたくなるくらい伸びる。加えて、この舌は私にぽかぽか殴られようが車に撥ねられようが平気の平左衛門な彼氏殿にダメージを与えられる数少ないポイントなので重宝している。牛タンならぬトカゲ舌。いつもお世話になってます、と口の中で呟いて、あたしは牙の隙間に挟まった肉を取った。ちなみにこれはミシューフシの間でかなり親しい間柄だけに許される親愛表現、らしい。
「んふふ」
 見せつけるように食べてやる。フシュシュシュと彼氏殿の鼻が鳴った。興奮しておられるようである。目つきがけだものですぞ彼氏殿。
 いちゃいちゃムードだった教室のドアが引き開けられたのは、そんなときだった。
「お前ら、何やっとる!」
 山口。世界史担当の、暑苦しいおっさんの見本みたいな教師だ。年中ジャージのなんだかいちいちめんどくさい人で、彼氏殿も私も素行不良で目をつけられている感がある。
「なにって……」
 私が口ごもると、山口はむふーっと鼻の穴を広げた。
「どうして服を脱がしとるんだ」
「ああいや、ほっかいろ貼らないと帰る途中で冬眠しちゃうんです」
 ねー、と彼氏殿に言う。彼氏殿はこくこく頷いた。動きが変に子供じみていて、なんかかわいい。
「本当にか? いかがわしいことしとらんだろうな」
「誰が来るかもわからんのに教室でそんなことしませんよ」
「校外でもか?」
 じろりと睨まれる。鬱陶しいおっさんだが、すぐセクハラだーとか言われてしまうような今の時代、そこまで踏み込んでくる山口は頑張っている先生だと思う。だから少しだけ敬意は払っているつもりだ。
「不純異種交友など許さんからな!」
 山口今ちょっとうまいこと言った。しかし屈するわけにはいかんのだ。
「違います先生。私たちはあくまでも青春の一ページとして、お互いを高めあうために初々しく交流しているのであります」
「嘘こけ」
 あっさり一蹴されたので、彼氏殿にバトンタッチ。
「カノジョトハキヨイオツキアイヲサセテイタダイテマス。セケンニハジルヨウナコトハイッサイシテオリマセン」
「う、ううん……」
 ぎらんと彼氏殿の縦長瞳孔が闖入者を睨む。肉食動物の気迫に圧されたか、山口は黙り込んだ。
 それにしても彼氏殿、トカゲ面に胡坐をかいていけしゃあしゃあと嘘をつく奴である。なんだかんだ言って若い男女なのでやりまくりです。この間一月分のバイト代をまるごと使って県内ラブホ制覇ツアーとかしました。性春の一ページ。私今ちょっとうまいこと言った。後で彼氏殿に言おう。
「……あんまり悪い影響を与えるなよ」
 なぜか私に念押しして山口は出て行った。失敬な。確かになんも考えてない彼氏殿を堕落させたのは認めないでもないが、私に酒の嗜みを教えたのは彼氏殿である。

 なんとなく、白けた。ストーブがべこんと鳴った。ぺたぺたと彼氏殿の鱗にほっかいろを張り付けていく。それにしても大きな背中だ。
「ね」
「ハイ」
「冬眠しないでね」
「ドウシタンデス? サイキンソレバカリ」
「……そうかな」
「ハイ」
 脇にぺたぺた。
「だってね」
 首にぺたぺた。
「冬眠しちゃったらさ」
 尻尾にぺたぺた。
「さみしいじゃん」
 おしまい。
 彼氏殿はきょとんとしていた。
「サミシイ」
「……」
「サミシイ」
「……」
「サミシイ」
「繰り返さなくていいです!」
 彼氏殿はフシュシュシュフシュシュと大笑いしていた。殴っても、びくともしない。
「サミシ、サミシイッテ」
「やかましい! かば焼きにしてしまうよ!」
 ばたばたしている尻尾を踏みつける。あーもう顔真っ赤。よほど面白かったのか、彼氏殿はまだ笑っている。
 蹴っ飛ばそうとしたところで、がしっと抱き締められた。
「ユタンポアルカラダイジョウブデス」
 彼氏殿の体はぽかぽかしている。ほっかいろだけじゃないぽかぽか。だから私も、ぎゅってした。




アトガキ:
前作と関連性があるようなないような。両方かわいく書けたので満足。