かっこいい触手君と可愛い彼女さん



 私のクラスには触手がいる。口がないから喋れないし、そもそも触手なんてそういるわけでもないので、みんなして「触手君」と呼ぶことにしている。最初に呼んだのは私。
 触手君はとても誠実だ。なんでもかんでも真面目に取り組むし、触手であるというハンデを乗り越えようとそれはそれは頑張って高校生活を送っている。その頑張りっぷりは軟体動物なんか認めないと発狂していたヒステリマダムな教頭先生も廊下ですれ違うたびににっこり微笑んでくださるくらいである。まったく努力というのは恐ろしい。だから私は、バランスを取ってあげるためにときたま触手君を意味もなく蹴っ飛ばすことにしている。世の中なんでも正しくてはいけないのだ。
 触手君とそういうことになって以来、私はずっと触手君の隣席になっている。長時間空気に晒されると萎びてしまう触手君のために毎朝水槽の水を換える重要なお役目のためだ。重いし手が濡れるしでめんどくさくはあるのだけど、新鮮な水の中でゆらゆら気持ち良さそうに揺れている触手君を眺めているとこれでもいいなあと思う。触手君、爆発的に感謝感激してくれるし。


「くう」
 いつものように、私は授業中に寝ていた。厳密に言えば眠っているわけではないけれど、腕を組んで顔を伏せて授業を聞いていなければ寝ているのと同じだ。
 今日も触手君は真面目に真面目に授業を受けている。かったるくてしょうもない数学の斎藤の授業だって、水面から細い触手をかわるがわる出していちいちノートに細かい字を書きこんでいく。ところどころ、独自の細かい注釈までつけて。触手君のノートはファンタジーの世界から落ちてきたとしか思えない代物だ。触手だけにミミズみたいにぐにゃぐにゃしているなんてことはなくて、とてもきれいで見やすい字で、分かりやすく簡潔で。教科書はいつまでも新品で授業を一度たりとも聞いたことがない私が読むだけで理解できるのだから恐ろしい。
  そんなわけで、テスト前になると触手君のノートを巻き上げるのが私の楽しみの一つである。ノートをきっちり読んで理解すればほとんどは事足りるし、触手君の几帳面な性格が見られるのは楽しい。搾取に打ち震える触手君を踏みながらだと、もっと。
 本当に御苦労であるなあ、と感心して見ていたら、視線に気づいた触手君はぐにゃっと水槽から触手を何本か伸ばして私に向けた。どうやら私を非難しているらしい。あかんべーをしてやると触手君はなんとも憤慨した様子で水槽の縁をぺたぺたと叩いた。しーらない。私は寝るのだー。
「この問題、解ける奴」
 斎藤が声を張り上げると、教室内にしらけた空気が漂う。黒板には斜体で読みづらい数式が積み重ねられて、しかもそれらは教科書では解けないような意地の悪い問題ばかり。誰も解けないのを知っていて質問してくる斎藤は教師の暗黒面を体現したような奴だ。生徒に答えられない質問をすることに無上の喜びを感じる男。
「いないか、そうか、そうか。先生の話をちゃんと聞いていれば、解ける問題なんだけどな。聞いてないのか。そうか」
 勝手にやってろ。私がいったん顔を上げ、痺れてきた腕を組み替えようとしたところで。
「うひゃ」
 右手を冷たいものにさらわれた。触手君だ。触手君がその触手を伸ばして、私の右腕を高々と上に吊りあげている。
「お前、解けるのか? さっきまで寝てただろう。先生はそれくらいちゃんと見てるからな」
 はあ、知ったこっちゃありません。私がそう言う前に、触手君の触手がどわっと襲いかかってきた。
「ひええ」
 ひんやりでぬるぬるで爽快だけど気持ち悪くもある。あわあわしていると、狼藉者の触手君はすごい早さで私の全身を絡め取り動きを封じてしまった。襟。袖。スカート。靴下。ありとあらゆる隙間から侵入して足から胸から肌の上をくまなく触手がうごうごと這いまわっている。
「きゃあなにをする」
 声を無視して触手君はけっこうな力で私の体を操縦する。席を立ち、黒板の方へ、黒板の方へ。触手君がどうしてこんな凶行に及んだのか考えている間に、私は斎藤の隣に立たされてしまった。
「お前……」
 何か言いたそうに目を剥いた斎藤を無視して、触手君のお人形になってしまった私はチョークを手に取る。指の一本一本にまで細い触手が絡みついて支配しているから、今の私はただ立っているだけだ。私の体を自在に操縦して触手君がちょっと得意になっているのが、細かい律動からなんとなく感じられる。
 さらさらと、ノートとそっくり同じきれいな字で触手君は数式を書き始めた。誰にでも見やすい、きれいな字。書き進むたびに斎藤の顔から色が失せ、かわりにクラスのみんなの顔に驚きの色が浮かぶ。
 かつん、と触手君は数字をひときわ大きな音を立てて記し、最後に斜線を二本きゅっきゅっと刻んだ。ノートでよく見る「終了」の合図。私が斎藤に終わりましたーと告げると悪教師はふらふらと床にへたりこんでしまった。ざまあみろー、と思いながら私は全身の触手を振り払って自分で席に戻る。誰からともなく、教室中からぱらぱらと拍手が湧き上がった。触手君はそれに答えているつもりなのかぷるぷる触手を振っている。ふんだーと私はそっぽを向いてまた机に突っ伏した。


「さいてー」
 ぶるぶる。
「いくらつきあっていると言っても、女の子の体をいじくり回して自由にしてはいけません。マナーというものがあります」
 びくびく。
「触手君そういうのよくないと思うなー。なー。なー」
 ぴちぴち。
「寝てた? そうだけどー。私すっごく恥ずかしかったんだけどー」
 ふるふる。
「そうだなー。テスト前になったらノート、貸してね。それと帰りにマゾドナルドでハンバーガーセットをおごること」
 ぴしぴし。
「厳しい? よかろうポテトで免除してあげるからありがたく思いなさい」
 ばしばし。
「冗談だよ。まったく触手君は柔らかいのに頭堅いんだから。かっこよかったよ。うん。今日の君はかっこよかった」
 ……びちびちびち。
「何? キスだと? ふふん、下心満点ですな触手君。いいよ」
 びちびちびちびち。
「……ね。優しく、してね」
 びちびちびちびちびち!




アトガキ:つまらなすぎて死にそう。触手AVを見ながら書きました。