雨乞い祭り〜少女〜冬風 狐作
 沙耶は静かに一歩一歩足取りを確かめるように石段を登った。登りきるまでは何とも真に短いもので、登り切って石段の上より只今登ってきた石段とその先の淵、対岸の本殿を見た彼女には登っていた時の気持ちとは逆に非常に呆気なく感じられたのだった。一先ずその場で沙耶は大きく息を吐き深呼吸をして気持ちを整える、今自分の背後にある社の中にはよりしろが、昨年自分と同じ様にこの階段を上って行った少女であった者がいるのだから。
 あった者と言うのは意識してではない、沙耶はこの一ヶ月もの間繰り返し繰り返し聞かされてきた。島の社にて水神様の御宿りになられた少女は人ではないのだと、少なくとも御宿りになられる一年の間その者は即ち水神様のこの世における姿であり、社に仕える神官であっても容易に見る事はおろか触れる事は困難なのであると教え込まれてきた。
 それまでその様な事は何も知らない沙耶は、彼女を白い和紙とするならその上に黒い墨汁が染みて広がって行く様に意識の深い所にその事を刻み、いまや自分が行くまでよりしろとしての任を務めている少女の事を思う度に自然とそう思われ、気持ちの平静さを失ってしまうのだった。
 今一度息を吐いた沙耶は後ろへと振り返ると、再び足を前へと出し今度は石段ではなく石畳の細い道を静かに進む。あれほどまでに大切な存在とされている水神様がお下りになられ、その現世での姿たるよりしろの住む社の前だというのに石畳は石段と同じく苔生し磨耗して欠け、その周りには玉砂利はおろか綺麗に砂で整地等されては無く草が好き放題に生え伸びて、場所によっては水溜りが元となったと思われる小さな沼が姿を見せていた。常緑樹が鬱蒼と針葉樹と共に茂って薄暗く、夕暮れ時である事も相まって周囲の陰鬱さはより一層かき立てられている始末であった。
"何だか出てきそうで怖いわね・・・急がないと・・・。"
 と彼女は思わず足早になってそう長くは無い筈の社までの道を進んだ。そして後数歩で社の階段と言う時、彼女は腰を抜かしかけた。悲鳴も上げたくなったがそれだけは何とか回避して、数歩後退りするとそれを彼女は静かに見詰めてみた。
"へ・・・蛇・・・蛇だわ・・・何でこんな肝心な所にいるのよ・・・。"
 そう彼女の目の前には一匹の白蛇、いや大蛇であろう。純白の鱗をわずかに漏れる夕暮れの木漏れ日に輝かせた、小学生の手首の太さ位はある白の大蛇が舌をチロチロと見せて、その黄色い瞳を輝かせながら彼女を見詰めていたのだ。幸い蛇が鎌首を持ち上げる様な事はなかったが、しばし数分もの間白蛇と次第に落ち着いていまや冷静そのものの沙耶はその場で対峙し、それは白蛇が首を別の方向へと向けて忽然と姿を消した事で終わりを迎えた。蛇が草叢の中へと消えて行くのをしっかりと確認した沙耶は、ようやく緊張を解き解し再び深呼吸を一度すると今度は慎重に階段まで進んで一気に駆け上がり、一心だけ背後の光景を目にすると静かに社の入口の扉を開いた。
「失礼致します・・・。」
 その言葉と共に。

「はぁい、どなた?」
 薄暗いこのような時間だと言うのに灯り1つ見当たらない社の中から、唐突なまでに明るく場違いな声が返ってきたのは数秒ほど間を置いた時の事であった。しかしながら全く気配が感じられなかったので、思わず何処に居るのかと視線を巡らせているとまるで煙の様に、目の前の部屋の中央に人影が現れた。自分と同じく白い襦袢を見に着け、髪は長く伸びた女、いや少女。少し大人びた雰囲気を漂わす先代のよりしろの姿が現れたのであった、この村の者であると言うが沙耶の知らぬ顔だった。
「あの私は・・・。」
「あぁ引継ぎね、もうそんな季節になったのね・・・ちょっと名残惜しいけど、であなたが私の後を継ぐよりしろさんね?」
「はっはい、そうです。よろしくおねがいします。」
 先代のよりしろは快活だった。どこからそれほどの勢いを出しているのか、この周囲の環境を見て思いつつも沙耶が挨拶を続けようとすると彼女はそれを遮り自分を招き入れるので、素直に沙耶はその要求に応じ一礼して中へと入った。
「本当、真面目な子ね・・・またあの巫女に教えられてきたのでしょ?いいのよいいのよ、気にする事はないわ・・・さて、まずはお茶にしましょうか。緑茶でいいわね?」
「よっよろしいのですか・・・ありがとうございます・・・あの、私が。」
「大丈夫、私がやるわ。お客様にやらせる訳には行かないでしょう?・・・さぁ出来たわよ。用意しておいて正解だったわ、さぁ好きなだけ飲んで頂戴。」
と目の前にお猪口の様に小さな土瓶が置かれ、その中には満杯とまでは行かないにしてもぎりぎりの線まで緑茶が注ぎ入れられていた。
 遠慮無しに飲んでいく先代を見つつ、釣られて沙耶もそれを口にした。緑茶にしては爽やかな甘さが口の中へ広がる、何とも美味しいのでその通りに感想を言うと喜んだ先代は次から次へと飲み干す度に緑茶を足していく。その内に勢いに乗って数十杯も飲んでしまった頃、それだけ飲んだせいなのか体が熱くなり、どこか浮ついた気分に捕らわれつつあった。そして気分のままに先代のよりしろ、つまり地上における水神様の姿の前にて着物の右前を団扇代わりにして扇いでしまったのだった。
「あら・・・扇ぐなんてどうしたの?」
 先代は少し不思議そうな声でそう尋ねた。その声でようやく我に帰った沙耶は、すっかり青褪めて手を離し脂汗をかいて頭を垂れて平謝りをする。
「もっ申し訳ありません。ついうっかり・・・あの体が熱かったもので・・・。」
「いいのよ、謝る必要なんて無いわ・・・それよりもどう体の熱さは?まだ熱いの?正直に言って御覧なさい。」
「・・・まだ熱いです・・・何だか芯からと言うのでしょうか・・・根を張っていると言う感じです・・・。」
「ふーん、じゃあ冷やすのを手伝ってあげましょう。ちょっとこちらへ首を・・・。」
「こうですね?」
 言われた通りに沙耶は首を座ったまま先代の方へと伸ばした。すると先代も同じ様にして、彼女の肩へと手を置いて顔をギリギリまで向き合わせた。
「えぇそうよ、じゃあちょっとだけ目を瞑って・・・すぐに気持ちよくなるわよ、うふふ・・・。」
 先代が静かに笑う中、沙耶は目を閉じて次に何が起こるのかと期待して待った。すると間髪置かずに何か摺る様な音が聞こえ、そこからはやや間を置いて気持ちも萎え掛けた頃に冷たい感触が首筋へと走った。何だか水で濡れた刷毛で摺られた、その様な感触であった。少しざらついたその感触に思わず背筋が震えるのも未知の感覚であった。
「あら・・・気持ち良さそうね、良かった。じゃあもう少し強くしてあげるわ。」
 沙耶の微妙な表情の変化から読み取ったのかそう呟いた先代は、更なる冷たさを持った棒の様な物・・・恐らくは腕を首に巻きつけた、しかし腕にしては何処か硬く無機質ではあったが気持ちは良かった。常に一定のその冷たさに惹かれた沙耶は思わず自らそれを握り締め、顔を擦り寄らせてまでいた。
「大分お気に入りのようね・・・なんか言って御覧なさい・・・。」
「あの・・・とても気持ちがいいです・・・何だか、いつも味わっていたい位に思います・・・。」
 沙耶は言われるがまま、丁寧かつ素直に自分の気持ちを吐露した。実際にこの冷たさは今の、どういうわけだか体中に熱を持ってしまっている彼女にとっては砂漠の中での氷の塊、ならぬクーラー付き休憩所の様にありがたいものでそう思えてしまうのも無理は無かった。その気持ちが伝わったのか先代は腕を巻き付けるだけに止めず体を密着させ始めた。流石に互いに据わったままでは姿勢に無理がある為に、自然と沙耶が下となる格好で2人は床の上へ寝転ぶ形となっていた。

 一体どれ程の時間が経ったのだろうか、目を閉じて以来すっかりその自らとは対照的な冷たさに夢中になっていた沙耶はふと思った。
"流石に1時間や2時間は経っていないだろうけど・・・30分くらいかしら?でもそれでは短い様な気もするし・・・。"
 その急に浮かび上がった疑問にすっかり捕らわれた沙耶はそれを強く意識しつつあると、こちらも不意に彼女を襲ってきた。全身を締め上げられる様な感触、何か太い紐が巻き付けられた様な感触・・・咄嗟に彼女の脳裏にはどう言う訳か以前テレビで見たアナコンダに締め上げられる人の姿が浮かび上がってきた。今のその感触がそれに近いと判断したせいなのだろう、だが実際の所私自身にその様な経験は無い、ただそう言った画像を見た事があるだけの話である。確かに今の彼女は先代の体の下にありそれに似ているとは言えなくも無いものの、あくまでも先代は水神様のよりしろとは言え体は人間。だからそれ以上考えを飛躍させる事は出来なかった。
 だが締め付けはますます強まりどこか息苦しい、ようやく不審感を本格的に覚えた私はそっと口を開いて問い掛けて見る事にした。
「あの・・・。」
「何?どうかしたの沙耶ちゃん?」
 疑問含みの言葉が返ってくる、だが言葉以外には何の変化も現れはしなかった。私は内心、あのような思いを抱いたのは間違いだったかなと思いつつ、言葉を続けた。
「あの・・・先程からの体が締め付けられる様な・・・感覚は何なのですか・・・?気持ちは良いのですが・・・。」
「あぁ、この事ね。うーん、そうねぇまぁ口で言うよりも見た方が早いし・・・目を開けて良いわよ。」
 先代は呆気らかんとした口調で予期していなかった事を口にした。予期していなかった事であっても言われたからには素直に、目上の存在である先代の言葉に従って目を開けたその瞬間、私の表情は凍りそして口からは驚きの余りの絶叫が吐き出された。

「もう、そんなに驚く事は無いじゃないの・・・まぁそれは初めて見たからだとは思うけど・・・。」
 数分後ようやく落ち着いたとは言え、今だ信じられないと言った顔をしている私に先代は苦笑しながら言った。それに対して私は何も答えられなかった、目を見開いてただじつと見つめている以外には。先代の姿はつい先程の色白の姿ではなかった、確かに体は人だ。しかしその表面の皮膚はと言うと、微細な鱗に覆われ白く輝いている姿は蛇そのもの、特に顔が完全に蛇へと変化し着物の裾から尻尾がはみ出して伸びているのがその印象をより強くさせていた。
「もう、そんなに見詰て・・・私に惚れたのかしらね・・・。」
 じっと伺うように見詰めていると先代はそう言って小さく笑った。私にはとても出来ない事だったが、不興を買っては困ると思い何とか笑いを取り繕ってやり過ごしていると小さく呟かれた。
「大丈夫よ・・・あなたもこれから一年間、この姿になるのだから・・・。」
「それはどういう・・・!?」
 その言葉はとても聞き捨てならない物であった。彼女には信じられなかった、どうやれば普通の人間がその様な姿となるのかが、そして仮になったとしても戻れるのかが。だがそう言った肝心な事を言う前に彼女は言葉を詰らせた、正確に言えば呼吸が出来なくなってしまったのだ。息苦しさは刻々と増してくる、その為に微かに震えながら涙目の目でまるで懇願するかのように先代を見詰めた。
「全く・・・あなたって人は、そう言う余計な事は気にする必要が無いのよ。よりしろとして選ばれた以上は素直に従って受け入れ使命を全うする・・・それだけよ。求められるのは、いい?わかった?」
 沙耶は必死で頷いた、すると口元を小さく歪ませて微笑んだ。すると不意にまるで憑物が落ちたかのごとく息苦しさは無くなり、再び喉を空気が流れ始めた。先程言い掛けた言葉の一部が完全にタイミングを逸して流れるが最早何の意味を成さない、とにかくその場で沙耶は肩を大きく上下させてひたすらに呼吸をし続けた。まるで過換気症候群にでもなるのではないかと思われるほどの勢いだったが、今の沙耶にはそれだけでも足らなかった、それだけあの数十秒間の窒息とプレッシャーに打ちのめされたのであろう。そしてそれは彼女が先代の下に完全に屈服したと言う証でもあった。


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