その先にあるもの。

Story24 離れないように 前編

 

星霜館。
こんな…どこかの高級旅館みたいなところが…僕の家だったんだ。
そう、−−−だった。
今の僕の記憶に、この場所で暮らしていたなんて事柄は一切残されていない。
何故だろう、病院の先生が言うには対人関係の記憶だけだって言ってたのに…。
ここに来て…学校のこと…忘れてしまっていたことに気が付いた。
一切質問されなかったし、受けた授業のこととか…何となく覚えてるような気がしたから…。
問題ないかな、って思ってた。
実際には問題ばかりだったんだ…。
ジョアン君…あー、ジョアンとノール君。
…いや、ジョアンとノールにここまで連れてきてもらったけれど、
僕が本当に帰るべき場所はここなのか分からなくなってしまった。
そんなことを考えていた僕の顔は、相当間抜けな顔だったのだろう。
ジョアンとノールがとても不思議そうに僕の顔を覗き込んでいた。

 

「お前…大丈夫か?
 どこだろここ、って顔してるんだけど。」

「うわぁ〜、さすがジョアンく…ジョアン。
 よく分かったね〜。」

「お前の顔見りゃそれくらい分かるっての…。」

「え?
 ミック、ここのことも覚えてないのか…?!」

「う〜ん…そうみたい。
 何でだろう。
 覚えてると思ったんだけどなぁ…。」

「覚えてると思ったって…。
 お前はいつからそんな天然ボケキャラになったんだよ…。」

「ボケじゃないよ!
 かなり本気だよ!!!」

「そういうのを天然って言うんだよ、全く。
 レナのがうつってきたかー?」

「えー、何でー?」

「お前ら、付き合ってもう何ヶ月になるんだよ?
 今が12月下旬だろー?
 確かお前の話では付き合い始めたのが7月終わり。
 ってことは…5ヶ月かぁ、早いもんだなぁ。」

「5ヶ月…?
 付き合ってる…?
 え、それってどういうこと…?」

 

そういえば、いつも思っていたことがある。
それは…。
入院中、毎日毎日レナが僕のために面会に来てくれるのは何故なのかってことだった。
僕はその理由を知らなかった。
いや、正確には思い出せなかった、と言った方が正しいのかもしれない。
でも今のジョアンの発言で納得できる気がしなくも無い。
仮に僕がレナと付き合っているってことになっているとすれば、
一応彼女が毎日僕に会いに来てくれたことも筋が通る。
でも………。
レナは……一度もそんなことを言っていなかった。
何で教えてくれなかったんだろう…。
…?
あ…。
何で……レナだけ名前と顔を覚えていたのかが…分かった気がする。
以前の僕にとって、レナはとても大事な人だったんだろう。
それほど大事な人だったってことなのに…。
付き合っていたという事実も思い出せない自分が、とても情けなく思えた。
そんな存在だったレナに何もしてあげられない自分が、とても不甲斐なく思った。

 

「そっか…それも忘れちゃったのか…。」

「じゃ、じゃあ、実はミックはオレのことが好きだっt」

「それはない。」

 

あっさりと否定する僕。
いくら何でもそれはあり得ない。
何故なら、そんな記憶は一切無いから。
記憶を無くす前にあったかも、なんてのさえ一切考えない。
ノールは明らかに何かを企んでいるような顔だもん。
レナのことは…覚えてない、気がする。
でも、どこかで何か覚えてる気がする。
何だろう、感覚的なものなんだけど…。
こう…暖かくて、切なくて、それでも満たされる感じ。
これは何て感情だったんだっけ。
…そうだ、これを恋心と僕は認識していたような…。
そこで、僕の思考は強制的に停止させられてしまった。
激しい頭痛が僕の脳内を走り抜けたからだ。

 

「…あぁっ…!」

「ちょっ!
 ミック、大丈夫か?!」

「…ぅぅ…。
 …ふぅ、もう大丈夫。
 何かを思い出してる最中で…頭痛がして。」

「じゃあどうなんだ…?
 何か思い出したか?」

「うん…自分の気持ちを、思い出した気がする。」

 

頭の中の記憶なのに、心の中の気持ちを思い出すなんて何とも不思議な感覚だ。
でも確かに思うんだ。
そう、僕は…レナが好きなんだ。
病院にいる間はよく覚えてなかった。
この気持ち自体も記憶から無くなってた。
でも、今はもうここにある。
だから好きだった言える。
けれど、一体僕がレナと何をしたか、なんてのは未だに覚えが無い。
まるで空っぽの箱でも渡されたような感じだ。

ジョアンとノールに僕の部屋まで連れてきてもらうと、
何となく僕はここに住んでいたような気がした。
見慣れた玄関。
見慣れた家具。
見慣れた部屋の構図。
乱れたベッドの布団。
…乱れた布団?
おかしいなぁ、何で乱れてるんだろう。
多分この部屋には、僕が事故に遭ってから誰も入っていないはず。
そして僕は、いつも出て行く前に布団を綺麗に敷き直してから出て行く…はず。
少なくとも実家ではやってたという記憶がある。
だがこれはどうだ。
まさか…誰かが僕の代わりに寝てた?

 

「うーん…。」

「お、どうした?
 何か思い出せそうか?」

「あ、いや、布団が乱れてるから、何か違和感を感じて…。
 何でだろうね?」

 

そう言うと、一瞬ジョアンとノールがアイコンタクトのようなものをしているような気がした。
…何かあったのかな?

 

「何?
 何か知ってるの?」

「あ、いや、別に何でもないよ。
 …あとは面倒見るから、ノールは自分の部屋に戻ってろよ。」

「わ、分かった。
 じゃあ何かあったらすぐ知らせるんだぞ?!」

「はいはい。」

 

ずっとこちらを見ながらエレベーターに乗るノールの姿は、
あまりに不自然で滑稽だった。
何だか不思議な人だな…ノールって。
いつも僕に絡んでくるのは、ずっと前からだったのかな?
よく分からないけど、そんなような気がする。
記憶が戻るきっかけが、ここにはたくさんありそうだ。
僕、全部思い出せそう。
全部思い出したら…レナに謝らなくちゃいけないな、うん。
…何で?
あれ、何で謝らなくちゃいけないって思ったんだろう。

 

「…ーい。
 おーい!」

「ん、え?」

「なーにボーっとしてるんだよ。
 ほら、お前の部屋なんだから座れば良いじゃんか。」

「あ、あぁそうか。
 いやー、僕の部屋って感じがしなくてさー。
 考えがあんまりまとまらないところなの。
 何か…よく分かんないや。」

「ま、しょうがないさー。
 とりあえずここで生活してるうちに分かってくるだろうさ。
 それじゃ、オレも自分の部屋戻るよ。
 この隣の部屋だから、何かあったらこっち来いよ?」

「うん、ありがとう。
 またね、ジョアン。」

 

バタン。という無機質な音と同時に、僕は僕の部屋だった場所に放たれた。
落ち着かないけれど、何となく自分が住んでいたような名残もあって…。
とても不思議な気分になる。
病院ではほとんどレナが付いていてくれて、
時々いなくなる代わりに看護師の方が世話をしてくれていた。
だから独りの時間なんて無かった。
でも今は独り。
隣の部屋にはジョアンがいる。
だけれど、それはこの厚い壁を通した向こう側。
そんなことを考えていたら、急に強い孤独感が僕を襲ってきた。
独り…淋しい…怖い…。
自分が使っていたと思われるベッドに入り込み、
ただ意識を深く暗いところに落とすことだけに努めていた自分に気が付いたのは、
次の日に朝日が僕の目を差した時だった。

朝。
窓から漏れるいっぱいの光を受けて起きた僕は、第一に思った。
ここが…病院ではないことを。
何故かそれに安堵する。
そのお蔭かは分からないけれど、
昨日の激しい孤独感は消え失せていて、すっきりとした気分になっていた。

 

「う〜…ん。
 うん、頑張れそう!」

 

誰に言うワケでもなく、しかし自分に言うためだけに発声する。
ちょうどその時だった。
聞き覚えがありそうな、なさそうな音が部屋に響いた。

ピンポ〜ン♪

…?
誰か来たのかな?
とりあえず玄関まで出て、ゆっくりとドアを開ける。

 

「は〜い、どちらさまで」

「やっほー、ミーちゃん♪」

「あ……レナ……。」

 

レナの顔を見て、先ほどのジョアンの言葉が脳裏に浮かぶ。
「お前ら、付き合ってもう何ヶ月になるんだよ?」
レナとは恋仲だったという事実。
でも僕の記憶には存在しない事実。
頭の中がぐちゃぐちゃになる。
それでも今分かっていることが一つだけ…。
僕は、今レナの顔を見て、自分の顔が赤くなっているということだ。

 

「あ…その…えっと…。」

 

言葉がうまく出てこない。
意識すればするほど、意識しないようにしようとすればするほど、
僕は何も見えなくなっていく。

 

「???
 ミーちゃん、大丈夫?
 風邪でも引いた?」

 

心配そうな顔で、レナは僕の額にそっと手を当てる。
それがまた恥ずかしくて、益々顔に熱気が宿った。

 

「風邪ってワケでもなさそうだけど、何だか熱いなぁ…。
 体調不良かなぁ?」

「な、ななななな、何でもないっ!」

「そうー?
 なら良いけど。」

 

どうしたんだ、僕。
よく分からないけど、何かを意識してる。
何故かドキドキする。
この感情自体もよく分からないけれど、この感覚は…。
昨日も何となく感じていた、恋心。
何の確信も無いけど、僕はそう理解した。

 

「あはっ♪
 変なの〜。
 ミーちゃん、最初に戻っちゃったみたい♪」

「さ、最初…?」

「うん、最初。
 私がキスしちゃった時とか、そんな感じの表情してた♪」

「そ、そうなんだ…?
 あ、あのっ!
 立ち話も何だから、中に入らない…?」

「あ、今日はそのつもりで来たワケじゃないんだ〜。
 ミーちゃん、今日空いてる?
 何か予定とか無い?」

「うーん…。
 予定があったとしても、記憶が飛んでるから分からないなぁ…。」

「じゃあそれは空いてるってことだね♪」

 

そんな解釈で良いのだろうか…。
と疑問に思ったけれど、覚えてない本人がそんなこと聞くのもどうかなと思ったからやめた。

 

「え?あ、うん…。」

「じゃあ今日は、久しぶりにお買い物に行こう♪
 今日はミーちゃんのお洋服を買いに行きますっ♪」

「えぇっ?!
 そんないきなり…。
 お金、あったかなぁ…。」

「大丈夫♪
 ちょこっとは出してあげるしね!
 退院祝いってことで〜。」

「そ、そんな…良いの…?」

「気にしなくても良いよ♪
 さ、行こっ!」

「う、うん。」

 

よく分からないけれど、レナが連れてってくれるならどこでも良いかな、
なんて思った。
でもこの感じ…前に一度…あった気がする。
何だろう。
…考えても分からないので、もう考えるのはやめよう。

レナに連れられて、隣町の繁華街までやってきた。
ここはいつ来ても賑やかで、いるだけで楽しくなってくる。
久しぶりの街を見回りながら歩いていると、急にレナが僕の手を繋いでくるもんだから…。
ものすごく焦って、

「ひゃうっ!」

と街中で言ってしまったのはさすがに恥ずかしかった。
…はて、いつの間に僕は驚くときにこんな声をあげるようになったんだろう。
そんな僕を、いつもと同じようにニッコリと笑って、

「ほら、さぁ行こうよ、ミーちゃん♪」

なんて言ってくれた。
それだけのことなのに、何故かとても嬉しい気分になった。
そして…何だかまた暖かさを感じた。
でも…僕からは何も言えなかった。
恥ずかしくて、まともに声が出せなかった。
気持ちがいっぱいになって、声が出なかった。
きっと以前の僕も、今の僕と同じような気持ちになっていたんだろう。
確証はないけれど、何故か自信はあった。

店を見かけるたびに入店して、服を物色して回っていく。
しかし、僕の好みに合う服はなかなか出てこなかった。
まぁ…それはそうだろう。
だって、エマと買い物に来た時だって…あのお店でしか買わなかったんだから。
…エマ?
エマとって何?
あれれ、エマと買い物に来たことなんかあったっけ?
うーん、とりあえず、僕の好みの服はあの店にしかないワケで。
そう…あのお店。
ちょっと裏通りに入っていくと見える、知る日とぞ知る白色基調の服屋さん。
そのお店の名前は…。

 

「え…?」

「ほら、着いたよ♪」

「え?…えぇっ?!」

「ん?どうかした?」

「ど、どうして…このお店を知ってるの…?
 レナ…地元の人じゃないよね…?」

「えー?
 だって……まぁ良いじゃん♪
 ほら、ここじゃなきゃダメなんでしょ?
 行きましょ♪」

「そ、そうだけど…。」

「ほーら、つべこべ言わずにさっさと入るのー!」

 

レナに促されて、しぶしぶと店内に入っていく。
相変わらず中は、内装から何まで全てが白色系統で埋め尽くされている。
ちらほらと見える青色が、この店内の清潔感をよりいっそう強めていた。
今は冬だから、上品な緑や赤も見事に空間に溶け込んでいる。
そして…ふわりと香る、優しくて甘い匂い。
決してイヤな甘さではない。
とてもリラックスできる、何とも不思議な香りだ。
…まぁこれだけのお店なんだから、
売ってる服も当然安いものから高いものまで幅広く揃っている。
高いのなんてのは、ホントに目が飛び出てしまう。
入り口で店の雰囲気を確認した僕は、自然と足が動いていつものコーナーへと向かう。
ふと手を伸ばし、その服を確認。
漸く僕は服の物色を始めることができた。

 

「おー、やっぱり良い感じだ♪
 このパーカー、好きだなぁ。」

「こっちの方が可愛らしくて、ミーちゃんにはピッタリだと思う♪」

「う…。
 またそうやって可愛らしいって…。
 …ん?」

「「また?」」

 

声をそろえて同じことを聞き直す。
そういえばさっきから、僕はとても不思議なことばかり言っている気がする…。
何だろう。
これが…前の記憶なのかな…?
今日の朝レナが迎えに来るところから始まり、
僕は既に数え切れないくらい不思議な言葉を、時々ふと言い放っている。
虫食いだらけの記憶のはずなのに…。
断片的に覚えている僕の好きだったもの。
好きだったことは殆ど覚えてる。
だから…覚えてるんだと思う。
唯一覚えていた少女、レナ。
僕がたった一人だけ名前と顔を覚えていた…。
きっと僕が愛していたであろう少女だ。
そんなことを思いながらレナの顔をじっと見ていた。
それがとても不思議な光景だったのだろう。
突拍子も無く、僕に顔を近づけて覗き込み、

「どうかしたー?」

と聞いてきた。
その姿があまりにも可愛くて、僕は凝視できなくなってしまった。

 

「うん、いつものミーちゃんね♪」

 

そんな風にからかわれる僕も、きっといつも通りなんだろうなと思った。
この状況が何故か滑稽に思えて、ふと笑みがこぼれる。
何だろう、とても満たされている感じがする。
こうしてレナと以前と同じように僕と話をしたり、買い物したりすることが嬉しい。
きっとそれはレナも同じだと思う。
何故かって?
そんな確証のない確信があるから。
どこかで、僕とレナはつながってるんだろうな、なんて思ったりもした。
そう…遠い昔から…。
その時だった。

 

「うぅっ!
 ぁ…ぁぁ…っ!」

「ミーちゃん?!
 どうしたの?!」

「あ、…頭…がぁ…っ!」

 

頭に激痛が走った。
まるで頭を鋭利なもので何度も刺されているような感覚。
それでいて、重い痛みが何度も脳内を駆け巡る。
急速な記憶の追走。
あれは…お城。
そびえる古城に、紅い瞳をした…レナ…みたいな…少女…が…。

 

 

 

「…ん…。」

「ミーちゃん、大丈夫?」

「ぁ…う、うん。」

「良かった…。
 急に頭を抑えて倒れこんだからビックリしちゃった。
 でもすぐ目が覚めたし、特に問題なさそうね♪」

「…え?
 すぐ?」

「うん。
 ミーちゃんがパタリって倒れて、10秒くらいしかまだ経ってないよ。」

 

おかしいな…。
僕、自分の感覚では軽く5時間くらい気を失ってるのかと思ってた。
…まぁそれは、気絶した人がよくなる現象とか何とか聞いたことがある気がする。
逆もあるみたいだけどね。
ゆっくり体を動かしてみると、案外すんなりと動いた。
うん、大丈夫みたいだ。
それにしても、さっき見えたアレは何だったんだろう。
僕の記憶の一部かなぁ?
でも何だか、僕って感覚がしなかったのは何でだろう。

 

「本当に大丈夫ー?
 無理そうならおぶってってあげようか?」

「な、何言ってるの!
 こんな人前でそんなことしてもらったら恥ずかしいよ!」

「えー♪
 だって遊園地ではおぶってあげたじゃん♪」

「…そうでした。」

「「…あれ?」」

 

二人の声が同時に響く。
何であたかも経験したかのように反応したのだろう、と僕。
何で記憶が無いのにそれを覚えているのだろう、とレナ。
何だろう、さっきの件でちょっとずつ戻ってきている何かがある。
さっきまでは真っ白だったけど、今は何だか霧がかっているって感じだ。
もやもやして、ちょっと苛立つ。

 

「ま、いいや♪
 んじゃ気に入った服は買って、そろそろご飯食べに行こっか♪」

「あ、うん。
 じゃあこれ、買おうかな。
 …で、ご飯は何食べるの?」

「ん?
 …あ、何食べたいと思う?」

「えぇっ?!
 うーん…。」

 

レナが食べたいもの…?
…不思議と、思い当たるものが一つだけ頭の中に浮かんでいる。
理由もないし、確証も無い。
でもそれしか無かった。

 

「えっと…カレーライス?」

「そう、その通り♪
 うん、やっぱりミーちゃんだ♪」

 

よく分からないけれど、さっきの頭痛が原因らしい。
あの後から、記憶と呼べるほど確かなものではないけれど、
心当たりのようなものは浮かんでくるようになった。
自分の記憶なのかは少し疑わしいけど…。
とりあえずそんなことは置いておいて、
適当にチョイスした服を数着買って僕たちはカレーライス屋さんに向かった。
レナに案内されたんだけど…。
やっぱり僕のイチオシのカレーライス屋さんだった。
うーん、ってことはやっぱりレナとここに来たってことなのかなぁ…。
何となく覚えてるような、そうでもないような…。
まぁ分かることは、考えても分からないってことだけだ。

お店に入って、(多分)いつものようにカレーライスを食べる。
…うん、相変わらずおいしい。
一番最初にみんなで来た時も、ここのカレーのおいしさにビックリしてたっけ。
…うん、相変わらず自分も時々記憶があやふやだ。
あれ、いつ来たっけ…?
すっごく頑張って思い出そうとすると、何となくここ1年よりは前な気がする。
気がするだけ。
でも…さっきよりは思い出しやすくなったのかもしれない。
白紙だった記憶だったけれど、今は霧がかってるだけだし。
頑張れば…何となく覚えはあるとは認識できる。
…本当にあったかどうかは分かんないけど。
そしてまた考え込んでいる僕を見て、レナはとても不思議そうだった。
次の瞬間には、僕の予想だにしない行動までしてきた。

 

「…あ、ほらぁ!
 まーた頬っぺたにご飯粒ついてるし♪
 はい、取れたよ♪」

 

僕の頬っぺたに付いてたご飯粒を取って自分の口に入れて、
レナはニコっとして僕を見つめていた。
当の僕は、恥ずかしくてそれどころではなかったけど。
…あれ…?

 

「あ、あのさぁ…。
 こんなこと聞くのって変だけど、前にもこんなこと無かったっけ…?」

 

何故か僕の脳裏に、今と全く同じ状況が思い起こされた。
それを過去と認識できる程までに、それは鮮明だった。

 

「ふふっ♪
 うん、前にあったよ♪
 結構効果はあるみたいね〜。」

「効果?
 効果って何?」

「ん?
 何でもないよっ♪」

  

うーん、謎だ。
でもまぁ…やっぱり過去にあったことなんだな。
少しずつ鮮明になってきてるけど、やっぱりイマイチ確証がないって感じだ。
何か…逆にイライラするなぁ。

カレーライス屋さんを出た僕らは、てきとーにぶらつくことにした。
確かに見慣れているといえば見慣れている風景。
けれど、いつ来たのかはあんまり覚えていない。
誰かと一緒に来たのは事実のはずだ。
だって、最初の時も「エマと来た」という確信に似た何かを感じたんだし。
多分それが記憶というものなのだろうけど、正直自信はなかった。
いや、確信があるのに自信がないっていうと変だけどね。
本当に僕の記憶なのか、ってのは自信がないの。
何て言えばいいのかなぁ…。
まるで、今の自分と過去の自分が切り離されてる感覚、なんだけどね。
過去の自分の記憶みたいなのが湧いてきても、ただ他人の体験を直に見ているようにしか思えない。
そんな感じだと思う。
でも何となく覚えがあるような気もするから、はっきりとは言い切れない。
はぁ…、複雑。

 

いつの間にか、辺りは夕暮れに包まれていた。
そりゃそうだ、冬だもの。
日照時間があの頃とは大分短くなってきているんだから。
あの頃、ふと出てきたけどいつのことだかは分からない。
でも今の季節でないことは確かなはずだ。
じゃないとこんな風に思わない。

 

「どう?
 気分転換してみて、少しは何か思い出した?」

「うーん、どうだろう。
 思い出したって言うか、心当たりがあるって感じかなぁ?
 はっきりしてないの。」

「そっかぁ…。
 でもまぁ、それだけ進歩したってことよね♪
 ゆっくり思い出していこうよ♪
 私も一緒に頑張るから!」

「あ、ありがと。」

 

電車の中で、そっぽを向くように窓の外を見る。
レナの言葉があまりにも嬉しくて、自然と顔が緩んでしまうから。
それを見られないようにしたいから。
でも、それはあっという間にレナに察されてしまう。

 

「はは、照れなくても良いのに♪」

 

電車は走り、僕たちの街に着いた。
駅から少しだけの道を、僕はもう何も考えず、
ただレナとの会話を楽しみながら歩いた。
不思議と話題は後からついてくる。
そして、あっという間にレナが帰る麗月楼という名の学生寮にたどり着いてしまった。

 

「うん、ありがとう。
 ここまでで良いよ♪
 今日はとっても楽しかった!」

「僕も。
 わざわざありがとね。
 それと…思い出してあげられなくて…ごめんね。」

「何言ってるの〜。
 気にしなくていいから♪
 …ちぇー、あっちは都合よく合わせてくれないかぁ。」

「???」

 

レナが空を仰いで何か不思議なことを言っていた。
都合よく合わせる?
何を?

 

「ま、良いや。
 じゃあ、今日はここでお別れ。」

「うん、…そうだね。」

「…うーん。
 やっぱり私からか。
 …ねぇ、ミーちゃん?」

 

僕にそっと顔を近づける。
何だろう、と思っている間もなく、僕は柔らかな感触を唇に感じていた。
頭が…真っ白になっていく…。
その時間は…長いようで…短い。
体感時間は数分だった。
でも実際には数秒だったのだろう。
僕の唇からゆっくりと離れると、レナはまた優しく微笑んだ。

 

「じゃあ、またね。」

 

僕にキスの余韻を残して、レナは寮へと足を進めた。
でも、それを阻んでいる僕がいることに気が付いた。
レナを後ろから抱きしめて。

 

「何でだろう…。
 僕は…今、止めなくちゃいけないような気がして…。」

 

まるで子供の言い訳。
ただ僕は…キスをして、離れたくないって思っただけだ。
止めなくちゃいけない、なんて思ってない。
止めておきたい、って思った。
そして気が付いた。
何故か、僕の頬には涙が伝っていた。
もう全てがワケ分からない。
たった一つの衝動で、こんなにも変になってしまう自分がおかしすぎる。

 

「ミーちゃん…。」

 

抱きしめていた僕の手を取って、それをぎゅっと握り返してくれた。
それだけだったのに、僕の涙は「伝う」のレベルから「流れ落ちる」へと変わっていった。

 

「うぅ…ぅ…。」

「んー?
 どうして泣いてるのー?
 泣かなくても良いから…ね?
 私はここにいるから。」

「うん…うん…。」

 

もう全てを見透かされているかのようだった。
レナは今僕がどう思っているのか、悟っているんだ。
それ程、僕とレナの間には何かで強く結び付けられていたんだ。
でも僕はそれさえも覚えてなかったワケで…。
それがものすごく不甲斐なく思えた。

 

「レナ…。」

「ん?」

 

レナをこちらに振り返らせた瞬間に、僕はもう自分の行動さえ抑制できなかった。
前と同じように、僕は一方的にキスをした。
そこで、僕は何かがフラッシュバックした。
断片的によみがえる何か。
全てがつながった時間。
曖昧なパズルは、今完成を迎えようとしていた。

 

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