百合短編詰め合わせ
降るのだろうか、降らないのだろうか
めんどうだな、と思う。
昼を過ぎてから、空気はじっとりと湿り気を帯びた。降るのだろうか。降らないのだろうか。空はもったりと曇っているが、まだ上の青空が透けて見える。窓ガラスは気持ち濡れているが、粒になって流れ落ちるほどではない。降るのだろうか。降らないのだろうか。傘は持ってきていないから、降らないほうがうれしいけれど。それはそれとして、こういうはっきりしないものはきらいだ。いらいらする。
いらいらするといえば、春日さんだ。私の二つ前の席で春日さんはせこせこと黒板を写している。春日さんと知り合ったのは高校に入ってからで、まだ付き合いも浅いが、なんとなくどんな人かというのはわかっているつもりだ。竹を割ったよう、という言葉がとても似合う人。陸上部で放課後は校庭をたったかたったか飽きもせず走っている。牛乳が好き。りんごが嫌い。歌が好き。はさみが嫌い。私が好き。女だけど、という注釈が入る種類の好き。であるのに何も言ってこない。そうである、というのは見ているだけでわかるし、感じるのに、いつもはっきりきっぱりさっぱりしている彼女はいつまでもあいまいなままに私の友達のままでいる。その席を立って、恋人、という隣の席に移ろうとはしない。はっきりしなくて、そういうのはいらいらする。
春日さんはふいと顔を上げて窓の外を見た。空は変わらず曇りのままだ。なにかを確かめるかのように外をじっと見た後、春日さんはおもむろに携帯電話を取り出して、机の下でかちかちとキーを触りはじめた。多分メールだろう。文面は決まっていたらしく、その指先に戸惑いはない。なのに、送信する段になったところで、ぴたりと止まった。この一歩を踏み出していいのかどうかわからないといった様子で、親指がふらふらと宙をさまよう。私がいらいらしてきたところで、遂に決心がついたのか、えい、と送信ボタンが押された。そのまま首筋を赤くして机に突っ伏す。ポケットから私の携帯電話を取り出すと思ったとおりメールが届いていた。春日さんからのメール。
「今日一緒に帰りませんか。ひとつしかないけど傘あります」
素っ気ない文面を三回読んでから、春日さんの方を見る。机に突っ伏したままの彼女は耳まで赤くなっていた。そういえば、朝に傘を持ってきていないと話したような気がする。相合傘、か。はっきりしない春日さんのことだから口で言うのは恥ずかしかったのだろう。
外を見る。空はもったりと曇っているが、まだ上の青空が透けて見える。窓ガラスは気持ち濡れているが、粒になって流れ落ちるほどではない。降るのだろうか。降らないのだろうか。傘は持ってきていないから、降るほうがうれしいけれど。
お題:昼の霧雨 必須要素:高校 制限時間:30分
夜の国へ
勉強机なるものはわたしの心の一角にでんとふんぞりかえっている。デパートの家具売り場だっただろうか、四月になるとそこにはたくさんの勉強机が並べられて。幼稚園に通っていた頃のわたしは、デパートに来るたびにその間を歩いた。画用紙を置いても窮屈じゃなさそうな机。絵本がいっぱい並べられそうな本棚。ビー玉がいっぱい入れられそうな引き出し。多種多様な、それでいてそっくりな勉強机の森を歩き、ときにはその幹に触れて木の手触りを味わいながら、わたしは彼らが姉と共用で使っている部屋に来るところを思い浮かべていた。もう三歳になる姉の勉強机は陽だまりに寝転んだ白猫のような色合いにくすんでいた。姉は優しくないから勉強机はそれを補うためにあんなやさしい色になったに違いない、とその頃のわたしは考えていて、だからぼんやりしてばかりだと怒られるわたしの机はきつい黒色になるに違いない、とも考えていた。わたしにとって勉強机とは言わば兄弟のような、自分と一緒に育ってくれるような、そういうものだと思っていた。
だから、買ってもらえないと知ったときは、泣き喚いた。部屋が狭いから。お金がもったいないから。お絵かきに使っている小さな机で十分だから。両親の理由はいろいろとあったが、わたしの理由は自分の傍にも勉強机がいて欲しいと、ただそれだけだった。姉はそんなわたしたちを淡々と横目に観察しながらけいさんドリルに鉛筆を走らせていた。
泣き疲れて夕食も食べずに寝込んでしまったその日のわたしは、夜中に目が覚めた。姉はしずかに眠っている。真夜中の部屋は窓から差し込む月光で青く色づけされていて、どこか遠くの、夜の国に連れてこられたような気持ちがした。ここなら、とわたしは思ったような気がする。ここなら、あの勉強机はおねえちゃんのじゃなくて、わたしのなんだ。いつもはやさしい色の勉強机もこの国では冴え冴えと黒くわたしを睨みつけていた。なかば泣きそうになりながら、それでもわたしは座らずにはいられなかった。自分の勉強机に触らないわけにはいかなかった。やや高くて座り辛い椅子に座り、手を机の上に置いてみる。短いわたしの手では奥にある電灯のスイッチにすら届かなかった。これでは色鉛筆を握ることもできそうにない。そもそも、机の上にはわたしのための物がない。机も、本棚も、引き出しも、みんなみんな、みんな。そこではっきりと、たとえ夜の国に行っても、この勉強机は姉の勉強机であって、わたしの勉強机ではないのだと理解した。わたしの勉強机はたぶんどこにもいないのだと理解した。わたしは目からぼろぼろ溢れる涙をパジャマの袖で拭いながらベッドに向かって、そこで眠る姉を覗きこんだ。酷薄な笑みを浮かべ、しろい肌に月光を添わせて、姉はしずかに眠っていた。なにか、とても大切な、とても重いなにかを見せられたようで、わたしは涙も忘れて姉を見つめた。勉強机も忘れて、ずっとずっと、ずっとずっと見つめていた。
それからわたしはたびたび夜の国に行くようになった。夜更かしは辛かったけれど、勉強机も、姉も、夜の国の住人達は変わらずに出迎えてくれた。わたしは姉にくちづける。夜の国を乱さぬよう、そっと。
お題:辛そうで辛くない少し辛い机 制限時間:30分
知っていたかい、君
別にそういうんじゃないんだ、と彼女は言った。
「別にそういうんじゃないんだ」
雨は降り続ける。ときおり悪戯な雨粒が彼女の白い頬に触れて、滑り落ちていった。
「そういうんじゃなくてね、そうじゃないんだよ」
頭に頂く王冠も、床を打つ王笏も、赤黒いマントも、なにもかもを放り捨てて、彼女は墓地でひとり、むきだしの身体で雨に濡れる。
書類にサインをする細い指先が、墓石を滑った。墓碑はない。想われなければただの石と見分けがつかないそれを、彼女はやさしく撫でさする。
「こんなことをしたかったわけじゃない。こんなものになりたかったんじゃない。でもね、許してはおけなかったんだ。反逆者を、王は生かしておくわけにはいかなかったんだよ」
深々と降り積もる沈黙の中で、彼女の吐く白い息だけが。
「君によく似ていた。従妹だからね、当然かな。それが偽の王冠をかぶらされて、こう言うのさ。女王よ、玉座をお譲りください――後ろに居並ぶ後援者たちの下衆な思惑に気づきもせず、それが正しいと信じ込まされてね。ああ、そうさ。連中は知っていたのさ。私が君をどう想っていたか。君にそっくりな彼女を私の前に出したら、どうなることか。知っていたのさ……なにも知らずに……」
彼女の言葉をいくら受けても、彼女の愛撫をいくら受けても、墓石は返事をしない。ただ黙っているだけだ。
「即座に斬り捨てたさ。しょうがないだろう。君とおんなじことを言ったんだから。君とおんなじことをやったんだから。ねえ君、君、私が君を愛していたってこと、知っていたかい? 知っていて簒奪しようとしたのかい? 私がこの手で君を殺さなくちゃならなくなるってこと、考えていたかい?」
答えはない。答えはない。
傘を差し出した私に、女王は小さく、ちょっぴり恥ずかしそうに、ありがとう、と言った。
お題:孤独な王 必須要素:傘 制限時間:15分
花なき地
「殺されるらしいね、あの二人」
午後のお茶会、二人きり。ひとしきり南国から仕入れた花について語ってから、彼女はなんでもないことのようにそう言った。
「そうらしいな」
王室付きの庭師だけあって、彼女の温室には色とりどりの花が咲き乱れている。彼女曰く花々にはそれぞれ人間のような個性があるらしいのだが私にはさっぱり区別がつかない。彼女の仕事をわかってやれないのは申し訳なく思うが、こればかりは、どうも。
「それでね、やっぱりこの土地では枯れてしまうみたいなの」
しばらく何の話かわからなかった。先程の花の話かと思い至った頃には彼女はもう話を先に進めている。
「土がいけないのか、水がいけないのか。寒いのかもしれないわね」
「南はそんなに暑いのか」
「さあ、どうかしら」
どうしてかはぐらかして、彼女は私の腰を見る。女の身でも扱えるようやや細身に誂えた長剣。女の騎士。彼女の碧の瞳は、静かに私の剣を見据えている。
「……彼らの処刑は明日だ。うちに回ってくるかもしれない。いや、たぶんそうなる」
その眼差しに責められているような気がして。私は言わないでおこうと思っていたことを口にしてしまった。
「どうして?」
「男を愛する男なら、女の手で死ね、だそうだ」
「悪趣味ねえ」
彼女は私の分まで思い切り顔を顰めてくれた。こちらが笑ってしまうくらい嫌そうな顔で、私にそんなことを言ってげらげら笑っていた騎士団長の顔を思い出した。確か、処刑される片方は貴方が名付け親になったのではなかったか。目をかけて剣を教え込んではいなかったか。喉から這い上ってくるそんないろいろな疑問を押さえつけていたせいで、今日の私の口は重い。頭ではわかっているのだ。男同士で愛し合った彼らは、その瞬間から自分たちと寝食を共にした仲間ではなく排除するべき異人になってしまったのだと。私にやらせるのはせめて仲間の血で自分の手を汚したくないからだろうか。迷惑な話だがそう考えた方がまだ救いがあると思えたので、そうすることにした。
「騎士様は考え事が多くて大変ね」
「……すまない」
ぼんやりしていたらしい。気がつくと彼女の顔がほんの鼻先まで近づいていた。慌てて顔を離そうとしたのに、彼女の細い手が私の頭を抱きかかえる。
「……おい、外だぞ」
「なにがいけないの?」
悪戯のように言うが、彼女の顔は真剣だ。碧の瞳が太陽のように私を見下ろしている。ぴったりくる言葉が見つからなくて、それでもなにか言わなければならないのはわかっていて、それでもつい、私はその唇に吸い寄せられた。
「馬鹿ねえ」
途端にぽんと手は放されて、彼女はテーブルの向こう。憮然とする私を微笑み一つであしらって、彼女は優雅に自作の香草茶を口にする。
「ことの始まりは、彼らがキスしているところを見つかったのが発端らしいわね。誰にも見られていないと思って、庭の隅で、こっそり」
「やけに詳しいじゃないか」
「下働きの人たちから聞いたのよ。見たのは多分、彼らの一人」
「そっちも相応に悪趣味だと思うぞ」
「そうね」
カップをテーブルに置いて、彼女はぼんやりと庭を眺めた。温室の外にも庭は広がり、そこにも花は咲いている。この美しさのすべては彼女の技だ。
「ちなみに純粋な関係だったそうよ」
足元の草を撫でながら、彼女はそんなことも言う。まだ胸をどきどきさせたままの私は、彼女だけが冷静なようで、ちょっぴり気に入らない。
「純粋?」
「肉体の繋がりはなく、心だけ」
「また下世話な話だな……でも第一、男同士でどうするんだ」
首を傾げると、彼女はくすくす笑った。
「あなたがそれを言うの? 私に?」
「わあっ! 馬鹿!」
危うくテーブルをひっくり返しそうになって、慌てて戻した。彼女は平気な顔をしてカップを抑えている。
「驚きすぎよ」
「お前が破廉恥なことを言うからだ」
テーブルの端から零れた香草茶が地面に流れ落ちていく。そういえばこの温室で事に及んだときも、終わった後は地面があんなふうに濡れていたな、とかそんな益体もないことを考えてしまって。
「ああ、もう……恥ずかしい。こんな恥をかかされるのはお前相手くらいだ」
「そんな顔、他の人に見せては駄目よ」
「誰が見せるものか」
騎士の私が、この年若い庭師にいいようにあしらわれて、誑かされて。花のようね、と彼女は笑う。きっと私は花と同じように彼女の思い通りにされてしまっているのだろう。それは嫌ではない。そう仕向けられているのかもしれないが、私は彼女の花でいいと思っている。
テーブルを片づけている途中で、昼の鐘が鳴った。剣を持って私が立ち上がったところで、彼女は薄く笑う。
「今夜、来られる?」
「……なんだ、いきなり」
「だって、花が枯れてしまうから」
さみしそうに彼女は言って、私も、そう思って、だから黙った。
お題:男同士の死刑囚 制限時間:1時間
血の道を辿りて
1人の人間が産まれるためには、父と母と、2人の人間が必要になる。私たちのご先祖様が有性生殖なんて面倒な方法を選んだ瞬間から、それは絶対に覆すことのできない摂理だ。その父と母を産むためには4人の人間が必要になる。その4人を産むためには8人の人間が必要で、16人で、32人で、64人で、128人で、256人で、512人で、1024人で……ひとりの人間はそれだけたくさんの人が歩いてきた血の道の一番先を歩いている。自分の命は間違いなく自分のものではあるが、それを産んだのは天文学的な数の人間だ。この命は歳月の荒野を進み、果てしない道程を歩き抜いたものであるのだと、私はそう考えている。
そんなことを、話した。別になにか言いたいことがあったわけではない。ただ、そう考えるのがいいなあ、と思っただけだ。千賀子をどうにかしたいわけじゃなかった。ただ、私の考えたことを聞いてほしかった。私のことをわかってほしかった。
「それは、とっても悲しいよ」
言葉だけは単調に、千賀子は言った。
「それじゃあ、その考えの元じゃあ、あたしたち、死んでるのと一緒じゃない」
そういうつもりでは、なかった。ただ、私は、自分はひとりではないのだと、人間はみんなご先祖様がいっぱいいるんだよと、そういうことを言いたかっただけで。自分しか見ていなかった。自分の血の道は自分で終わるのだと、そういうことを考えもしなかった。
その次の日か、またその次の日くらいに、千賀子は死んだ。彼女が昔好きだった男の人と家族であるのをやめたのは不妊治療がうまくいかなかったからだと葬式で聞いた。柔らかな下腹のあたり、ちょうど子宮があるところに刻まれたあのぎざぎざな傷跡は、自分でやったのだろうなと、そのとき思った。
すべての傷跡を忘れて、千賀子はきれいな顔で眠っている。血の道を自分のところで諦めて、きれいな顔で眠っている。
血の道は長くて広くて、たくさんの人がいる。それだけたくさんの人がいれば、私と千賀子の血の道もどこかで交わっているに違いなかった。私と千賀子もどこかで血が繋がっているに違いなかった。別になんの慰めにもならないけれど、今はそれだけで十分だった。千賀子を押し潰してしまった狂おしくも大きなかなしみに耐えるには、それだけで十分だった。
お題:メジャーな悲しみ 制限時間:30分
悪魔のような
なんだか、駄目だった。鉛筆を持つ手が震えているのが自分でもわかる。アルコール中毒の人もお酒が切れると手が震えて震えて止まらなくなるのだと言う。じゃあ私は綾ちゃん中毒なのかなあ、と馬鹿なことを考えていた。キャンパスは始めたときのままに、まっしろだ。
「ちょっとー、絵描きさーん? 手が止まってますよー」
寒くないように、とつけたエアコンがごうごう鳴っている。私の耳もごうごう鳴っている。それを知ってか知らずでか、綾ちゃんは不機嫌そうな大声を出した。
「あ、ご、ごめんね、その、えへへ」
「えへへってなにそれ。こうやって動かないでいるの、疲れるんですけど」
「はい」
「それに……やっぱり、いくら咲さんが相手でも、恥ずかしいから、こういうの」
「ぐふぅ、はい」
「なに今の声」
「いやちょっと、うん。なんでもない」
醜い獣のような私の呟きを、綾ちゃんはあっさり流してくれた。一糸纏わぬ、というやつだ。今の綾ちゃんは。私は美大で絵をやっていて、綾ちゃんはそのお隣に住んでいる女子高生。私の片思い相手。もちろんそういうのはよくないから、仲のいいお隣さんとしてお話するだけで我慢していたのだけれど。アルコールでゆるゆるになった私の脳味噌に悪魔が囁いたのだ。
「ヌードデッサンの練習するんじゃなかったんですか? そりゃバイト代もらってるからあれなんだけど」
ばかばかばかばか私の馬鹿。一週間前の私の馬鹿。なにも知らない綾ちゃんにそんな話をもちかけて、無防備なところにつけこんで。綾ちゃんは悪魔だ。本人は何も知らないのに、こうも私を堕落させる。
この日のために部屋を綺麗にして。私のベッドの上で綾ちゃんは、いや、やめよう。これは私の眼に焼きつけておかねばならない。言葉にしてはいけない大切なものだ。
手は動かない。
「咲さーん?」
「あ、はい、すいません……」
お題:鈍い絵画 制限時間:15分
薄汚い
「この薄汚いテロリストめ!」
椅子に縛られてきゃんきゃん鳴く彼女。私はその権力の犬とは思えないふわふわな頭を撫でてやる。おーよしよしよしよしかわいいねえ。
「おーよしよしよしよし」
「なんのつもりだ!」
「拷問」
「どこが!」
「おーよしよしよしよし」
頭蕩けてそうな声を出しつつ、手をゆっくりと下におろしていく。首筋をなぞり、鎖骨を軽くつまんで、背中に手を滑り込ませたところで彼女はやっと不穏な空気に気がついたようだった。
「な、なにをする!」
「えー? なんか危険なもの持ってないかなーと思って、身体検査」
「うそだー!」
ほんとですよ。ほんとほんと。ほーんと。頭の中で誰でもない誰かに謝りながら、彼女の背骨をつつーっとなぞる。とても痛いところを触られたみたいで、彼女はひくん、と震えた。
「なーんだ。ここが危ないんじゃないですか捜査官殿」
「やっ……そこ、そこ駄目だから、やめ、やめえっ」
すすすすすーっ。すーっ。すすーっ。強弱をつけて背中を触りると、彼女は頬を真っ赤にして身をよじる。そんなに敏感肌でいったいどうしようというのだ。
「やれやれ……仕方がないですなあ」
ひもで縛られているとはいえ、私の手が滑りこむ隙間は十分にある。さーて次はどうしてやろうか、というところで目を涙でうるうるさせている彼女と目があった。
「お、お願いだから、もう、やめてよぅ……」
馬鹿だなあ。こんなことする人にやめてよなんて言ったって、やめてくれるはずがないのに。そのぷにぷにした唇にキスをしようとして――
――がらりと部室のドアが開いた。
入ってきた演劇部の後輩は舌打ち一つして乱暴に机に座る。
「なにやってんですか」
「薄汚いテロリストとそれに捕らえられた捜査官ごっこ」
「やめてください。やめろ。それテロですよこのレズカップル」
「へへへ」
「へへへ」
お題:薄汚いテロリスト 制限時間:15分
まるでうみのそこにしずんでいくような
ヴァルタの眠りは深い。多くのマシナリー――栗鼠の心臓で動く、絡繰の人魚――がそうであるように、静かに眠る。言葉も声も表情も、ぜんぶなくして静かに眠る。
「夢って、見る?」
戦闘を終えて帰ってきたヴァルタのメンテナンスをしながら、ふと私は聞いてみた。水中での高速機動を得意とする彼女の身体はメンテナンスを怠るとすぐに使い物にならなくなってしまう。その上、うちが担当しているマシナリーの中でもヴァルタはいっとう壊す部分が多いから、私はもうヴァルタの専属みたいなものだった。
「どうだろね」
調整溶液の中で尾鰭を揺らしながら、ヴァルタは興味なさげに返事をした。
「あたしって戦闘のプロだからさ。他のことはあんまり考えたことないや」
「そういうものかな」
「そういうものじゃない? マシナリーって」
自分のことになると、ヴァルタはどこか突き放した物言いをする。諦めでもなく、嫌味でもなく、ただそういうものなんだとこちらに教えたいみたいに。
「夢、夢、夢」
歌うようにヴァルタは繰り返すと、その翡翠の瞳で私を睨んだ。つい、どぎまぎしてしまう。
「人間のあんたは見るの? 夢」
「見てると……思うんだけど。思い出せないことの方が多いかな。朝目が覚めると、こういう夢だったっていう気分だけが残ってる」
「なんだそりゃ」
「だって……しょうがないじゃない。覚えていることなんてできないのよ。それに内的イメージを言語化したところで共有なんてできないし」
ついむきになってみれば、ヴァルタはくすりと笑って左手を上に伸ばす。回避運動の途中で岩礁にひっかけたという右腕は肩から先がなくなって、そこから何本かのケーブルが垂れ下がっている。そこを応急処置しながらデータケーブルを首筋に差し込もうとしたところで、ヴァルタがぽんと水面を叩いた。
「じゃあ、夢はどうやって共有するの?」
「どうって……共有なんてできないわよ。人間は並列化なんてできないもの」
「どうにかならないの?」
「どうしたいの?」
「見たくなった」
「夢?」
「あんたの夢」
えっ、と私が思わず顔を上げると、ヴァルタは真剣なままで私を見ていた。真剣なまま、その人間のような指先で私の頬を撫でて、調整溶液の後を残す。
「あたしってこれから寝るんでしょ」
「うん……」
「一緒に寝たら、一緒な夢が見られたりしないかな。あんたがこの水槽の横で寝て、あたしもその隣で寝たら、この右腕に空いた穴からあんたの夢が入ってきて、とか」
「うん」
「そうしたらさ」
「うん」
「……ね」
「……うん」
ヴァルタの眠りは深い。多くのマシナリー――栗鼠の心臓で動く、絡繰の人魚――がそうであるように、静かに眠る。言葉も声も表情も、ぜんぶなくして静かに眠る。約束通り水槽の壁に右腕の残骸を押しつけて、ヴァルタは人形のように眠っていた。夢なんて絶対に見たくないと言いたげな顔をして、あんたなんか大嫌いだと言いたげな顔をして。
水槽のガラスはひたりと肌に吸いつくような冷たさだった。服をはだけて、ヴァルタと同じ右腕を水槽に押し付ける。ちょっとこわいような気持ちで私は瞼を閉じた。息を静かにして、自分の脈打つ心臓の音に耳を澄ましていた。
そうして私はヴァルタに手を引かれて海の底に沈んでいく夢を見た。冷たく澄んだ水が身体の芯まで沁み透っていくような夢だった。
お題:プロの眠り 必須要素:右肩 制限時間:1時間
戻
アトガキ:
・降るのだろうか、降らないのだろうか
正統派。進みそうで進まないクラスメートとの仲。自分から進む気はない主人公。同じ文章をコピペすることで文字数を稼ぐいつもの手。BGM:rebirth/橘朔也
・夜の国へ
小さい頃のあるある話を目指したつもり。前半だけ。夜中のきれいな姉は好きだけど昼間の起きて動いてる姉はあんまり好きではない妹。BGM:仮面ライダーAGITO/石原慎一
・知っていたかい、君
政治っぽいなにか。彼女→女王と呼称を変化させたかっただけ。BGM:take it a try/相川始
・花なき地
これもファンタジーっぽい。失敗作。花を同性愛になぞらえて「男同士が駄目なら女同士も……」という感じ。時間切れだったがこうして直してみてもやはりつまらなかった。もっと長編にするといいかもしれない。でもどうでもいい。彼女のキャラが曖昧で私が受け切れずにいる。のろけ要素は不要? BGM:これ
・血の道をたどりて
人って簡単に死んじゃうよねという話。当初は長さを測るメジャーにしようかと思ったがmajorと解釈した方が面白かろうと思ったのでこちらにした。生物としてのかなしみ。遺伝子を引き継がなければならないような気がする性。これ
・悪魔のような
へたれ妄想美大生×純粋女子高生。ふひひ。ふひひひ。限りなくどうでもいい。BGM:SUPERNOVA/TETRA-FANG
・薄汚い
「まるでうみのそこにしずんでいくような」がエラーで消えたと思って自棄になって書いた物。凄く書きやすいがそれに比例してどうしようもない話。本当にどうしようもない。BGM:Silent Shout/TETRA-FANG
・まるでうみのそこにしずんでいくような
SFっぽい。一度完成したところでエラーで消えた。幸いにも途中までのバックアップが残っていたので書き直したが霊感が消えたのかどうもしっくりこない。もったいないがこれ以上手を入れてもよくならないのでやめる。BGM:Fight for justice/名護啓介