staIrway to heaven
天国に生きたい。
それが口癖だった。死んで天国に行くのではなく、この世で生きたまま天国にいるように過ごしたい。この世界を根本から創り変えて私の天国にしたい。紙に書いてまで説明する私をロマンチストだと笑ったみんなはもういない。天から降りそそぐ光と炎に焼かれてしまった。
西暦が終了し、地球歴に移行した頃、彼らは空からやってきた。星間侵略者、エイリアン。正式な呼び名は何度教えてもらっても発音できない。人類を遥かに超えた科学力を持った彼らは大昔のB級SF映画とそっくり同じことをした。大地を焼き払い、武装ロボットで人間を虐殺し、空間転送装置で自在に飛びまわる。人類の支配領域は瞬く間に異星の色に塗り替えられた。刃向かわない地球生物はそれなりに生かされ、そうでないものは彼らに収集された後、抹殺される。冷たい宇宙を渡ってきた彼らはこの星の全生物を平等に扱ったのだ。後になって国家の指導者たちが服従か否の打診を受けていたこと、それをきっぱりと撥ねのけていたことが明らかになった。誇りとか利権とか、それを守るための彼らの決断は人間としては合格だったが、生物としては不合格だった。弱肉強食は宇宙の掟。食われることこそないものの、人間はとりあえず殺され、人口の桁数を半分くらいにカットされた。端数は切り捨て。残された人間たちは眼の届きにくい山奥に隠れ住んだり地下のシェルターに潜んだりして細々と暮らしている。
私もその一人だ。シェルター数の多い日本で、最も大きいシェルターの一角を住みかとしている。生活環境としてはまずまずといったところだ。ここに限らず、日本にある避難所はたいてい準備がよくなされていて住み心地がいい。世界中が攻撃される中、日本列島はかなり最後の方まで宇宙人の被害を免れていた。彼の話によるとでこぼこしている上に形がややこしいのでレーザーで焼きにくかったかららしい。私が生き残った理由のひとつがあまりにもくだらなすぎて、聞いた時には思わず笑ってしまった。
とにかく、そんなわけで、私は生きている。
早く天国に生きたい。
このシェルターで民間人に割り当てられた生活区域は意外と狭くない。OLとして生活していた頃のアパートより広いくらいだ。たくさん死ぬだろうからちょっとくらい広くても大丈夫という思想が見え隠れしていて好きだった。
「暇だわ……天国に生きたい」
備え付けのベッドの上に寝転んで私はそう呟いた。シェルター内の人間にできることはそう多くない。耕す畑もなく、漁る海もなく、分け入る山もない。食料の生産は全てプラントによって行われているし、水や空気などもまたしかり。その上電力も安定して供給されているから不便なこともなし。日々の生活を維持するためになすべきことが何一つない。古代ギリシャの怠惰な賢人たちと同じ。それでいて文化が発達しないのは生きる意味を考える必要がないからだ。こうして暮らしている間にも頭の上では同胞を焼いた異星人たちが闊歩し、自分たちの命を脅かさんとしているのだ。死のあぎとに咥えられて作る詩は悲鳴となんら変わらない。
そんなわけで、一般市民の皆さんはこうしてごろごろしたり半ば義務的に運動したりと実り少ない余生を謳歌している。子育てでもできればまた別なのかもしれないが、容量が限られたシェルターの中、産児制限が敷かれた今では出産の権利は抽選制だ。
鋭い電子音が私を叩き起こした。見ればシェルターの住民全員に支給されたコミュニケーターがテレビ電話の着信を伝えている。相手は確かめるまでもない。
「……あー、天国に生きたい」
口癖に溜息の代役を任せる。応答すると壁のモニターにしかめ面をした若い男の顔が浮かび上がった。
「やあ。元気そうだな」
「あらごきげんよう。わざわざ私のご機嫌伺いなんて、今日も暇なのね」
「それは君も同じだろう」
「そうでもないわ」
私が嘯くと液晶の中で男は苦虫を噛み潰した。こうも毎日同じ顔を映していると液晶が焼けついてしまわないだろうか、とふと考えてしまう。地球がまだ西暦で回っていたころは同じ家に住んで毎日のように見ていたのに。おかしなものだ。
「僕の記憶にある限り君はいつもそうやってベッドの上で寝ていたように思うが?」
「あなたがいつも同じ時間にアクセスしてくるからよ」
「覚えていてもらえるとは光栄だね」
肩をすくめるその仕草が鼻につくことをこの男は気付いているのだろうか。考えるまでもなかったので私はコミニュケーターに手を伸ばした。
「もし私が暇だったとしても、あなたとは話したくないわ」
「相変わらず事実を認めたがらないな、君は」
「昔の男の面目は保たれたようね。切るわよ」
「待ってくれ。今日は大事な話がある」
「もうあなたが電話してこないってこと?」
「端的に言えば、そうだ」
虚を突かれた私を見て、男は会心の笑みを浮かべた。
「驚いてもらえたようで嬉しいよ。これで駄目だったらどうしようと思った」
「新しい女でもできたのかしら?」
そうであってほしい。小さく呟いたそれはマイクに届かなかったらしい。男は苦笑すると蝶々を想わせる動きで手をひらひらと振る。
「実は、出産許可の抽選に当選したんだ」
「……あら」
「それで、君に頼みがある」
「……」
男は一度深呼吸をして、誠実な顔だと自分で思っているらしい表情を作った。
「分かっている。宇宙からエイリアンが攻めてきたとき、僕は伴侶たる君に何もしてあげられなかった。そのことで君が僕を怨んでいるのは知っている。許してくれと言うつもりはない。ただ、もう一度チャンスを貰えないだろうか。君と、僕と、僕たちの子供と。一緒に三人で暮らそう。今度こそ、君を守ってみせる。僕に君を幸せにさせてほしい。だから、君に僕の子供を産んでほしいんだ」
演者はともかく、見ている方にとっては非常に寒々しい一人芝居だった。頬を紅潮させ、腕を振りまわし、画面の向こうから必死に語りかけてくる男。西暦の私だったら涙を流して喜んだかもしれないそれを、地球暦の私は冷めきった眼で観賞することしかできなかった。
沈黙を押し通す私を彼はじっと見つめる。その瞳が小学校で飼っていた兎に似ているのに気がついて、笑みが零れてしまった。なんて惨め。
「……ありがとう。君が受け入れてくれて、嬉しいよ」
独りよがりな勘違いは幕間の終了を告げるベル。たいした休憩時間も挟まずにまた独演劇が始まってしまった。
「確かに今は劣勢だ。あの卑劣な侵略者どもに僕たちは殺戮されてしまった。しかし、こうやって地下に逃げのびたり山奥に忍んで生きている人間がいる限り、僕たちは負けない。いずれは僕と君の子供がこの不当な支配を打ち破って、再び地球をあるべき者の手へ奪い返すだろう。大丈夫、なんてったって僕と君の子供だ。必ずやりとげてくれる。だから――」
「悪いけど」
私の横槍で彼は一時停止でもかけられたみたいに止まってしまった。
「私、あなたの子供を産む気はないわ。一緒になることもない。絶対に、ね」
顔の筋肉は硬直したまま、眼球だけが私と共有されるはずだった幻想を求めて彷徨う。
「君は、何を……」
「あなたの子供を産む気はない、と言ったの。聞こえたかしら?」
「……!」
怒りでどす黒く染まった顔で喚き散らそうとする彼を押しとどめ、私は更に言葉を繋ぐ。
「私の夢、覚えてるかしら」
「……天国に、行きたい」
彼の口から出た私の夢は私のものではなかった。
「そうよ。あなたは昔、私の願いを叶えてくれると約束してくれた。それが無理なことぐらい分かっていたでしょうにね」
「……君は! 僕と、子供と、三人で暮らすのが幸せじゃないとでも言うのか! 子供だぞ! 今の時代、子供を産めるのがどれだけ貴重なことか君は分かってない!」
「従順な妻と、珍奇な子供と、この狭苦しいシェルターの中で暮らす。それがあなたの天国だと言うのね?」
「それ以上、何を望むって言うんだ! 地上はあのクソ忌々しい悪魔どもに汚染されているんだぞ! あの忌まわしい強盗どもめ! 奴らを皆殺しにしろとでも言うつもりか君は! ふざけるな!」
モニターの向こうでみっともなく泣き喚く彼は普段の気取ったポーズをかなぐり捨て、実に人間らしい姿だった。こちらの方が鼻につかなくていい。ただ、あまりにうるさいので音量を調節しなければならないのは面倒だ。
放っておくといつまでも喚き続けそうな彼も私がコミュニケーターに手を伸ばすとぴたりと黙った。今度は情けない声で哀願を始める彼を遮り、私は今度こそ、彼に引導を渡すために話しかける。よく聞こえるよう、努めて優しい声すら出した。
「ごめんなさい。私には今、好きな男がいるの。彼は私が望む通りの天国を創れるの。間違いなく、ね。だから私は彼についていく。あなたと一緒にはなれない。あなたの子供なんか、絶対に産めない」
「な……何を……何を言って……」
「そういうことなのよ。だから、諦めて」
「嘘だ……嘘だ! 君は騙されている! この星はあの邪悪な魔物どもに牛耳られているんだぞ! 今更どうこうしたってかなうわけないだろ! 人間にそんなことできるわけがない!」
「そうね。じゃあね。もう電話しないって約束、覚えておいてね」
通信を切断した後もモニターには未練がましく彼の顔が焼きついていた。網膜に転写されない内に眼を閉じて息を吐く。愚かな人間の男。私の内面にはどこまでも鈍いくせに、どうでもいいところには勘が働くものだ。
私の夢を叶える。この世界を、この星を私の望むままに創り変える。そう、その通り。人間にそんなことできるわけがない。
『話は終わったかな?』
遠慮がちな声が部屋に響いた瞬間、私はベッドから飛び起きた。
それは異形。薄青い毛に覆われた筋骨隆々の上半身の上には禍々しい角を掲げた山羊頭が乗っている。剛毛に覆われた黒山羊の下半身から伸びているのは鋭い棘を鎧った肉太の尻尾。呼吸に合わせて背中に生えた黒い蝙蝠の羽がひくひくと痙攣する。そこに立っているのは、悪魔。中世のヨーロッパで畏怖され、崇拝された悪魔そのものだった。天井にかろうじてつっかえないほどの高みにある頭からぎょろりと横に細長い瞳孔が私を捉える。
そんな彼に私は抱きついた。こうして見ると背伸びしても胸までしか届かない。キスはできそうにないと私が腕を緩めると、彼は控えめに、でも素早く屈んで私に目線を合わせ、唇を触れ合わせてくれた。
『情熱的だね』
「あなたもね」
まいっちゃうな、と角に右手をやって苦笑する彼は、人間にとって二重の意味で悪魔である。外見はもちろんのこと、宇宙から地球にやってきて、大地を焼き払い、人間を殺戮した。
私の肩に置かれた手の持ち主は、エイリアン、侵略者だ。
出会いは衝撃だった。研究員として地球に降り、乗っていた調査船が突然故障して不時着した彼は、そこで誰の助けも得られずに瓦礫に足を挟まれて泣き叫んでいる私に出会った。本人が言うには「尻尾の先が爆発したみたい」な衝撃を受けたらしい。要するに一目惚れだ。それから後は簡単だった。彼はその腕力で私を助け、通訳機をどうにかして使用可能にし、私に想いを告白した。私も最初こそ怯えていたものの、話している内に彼が本気らしいことを知って安心はした。彼に心底惚れこんだのは、約束してくれたからだ。こうして彼がシェルターの中に忍んで来るたびに確認してくれる約束。
『だいぶ怒っていたようだけど、何の話だったか聞いてもいいかな?』
「いいわよ。珍しいじゃない、こんな時間に来るなんて」
『今日は研究の目途がついて、空間転送装置が空いてたから、つい会いたくなってね』
彼の微笑みはにたりという効果音が似合いそうな笑い方なのにどこか爽やかでもある。並んでベッドに腰かけると彼の体重でベッドが沈み、私は彼に身体を預ける格好になった。擦り寄ると優しく腕をまわして抱いてくれる。
「さっきの電話はね」
『うん』
「交尾のお誘い」
『ゲフッ!』
彼がむせた。ごめんごめんと翼の下から背中をさすってやると心拍数が上がったのがわかって楽しくなる。
『そ……それで?』
通訳機ごしですら声がちょっぴり震えているのが分かる。どこに向かっているのかはっきりしない視線もよく観察すればうろうろと落ち着きがない。
「断ったわよ。私が浮気するとでも思ったわけ?」
『だ、だよね……びっくりした。地球ではそんなことが普通なの?』
「全然。相手が変だっただけよ」
この話題はおしまい、と私は彼の膝に頭を預けて膝枕の体勢になる。彼にもしてあげたいのだが、頭が重いわ角が当たるわで未だに方法が見つからない。しばらく硬質な毛皮の感触を楽しんでいたら、困り顔の彼と目があった。
「なあに?」
『いや……その……』
口ごもる彼の胸を軽く殴って先を促す。私が殴ろうが蹴ろうが彼はびくともしないから、これぐらいはコミュニケーションの内だ。
「言いなさいよ。気になるでしょ」
『……うん』
彼は照れたときによくやるように右の角に手をやり、ちょこちょこと弄りながら重い口を開いた。
『その……交尾、っていうかさ。君と……そういうことをするようになってから、どうも、同族にあんまり魅力を感じなくなったというか、興奮しなくなったというか……これって変態なんじゃないかって最近思って』
「ちょっと」
今度は腹を本気で殴った。効いていない様子の彼の顎を捕まえてそのよく分からない、よく通じる瞳を覗き込む。
「私たちは愛し合っているからいいの」
『……はあ』
「はあ、じゃないわよ。全くもう……それだと浮気したいと言ってるように聞こえるわ」
『そ、そんなわけじゃないよ!』
「ならいいわ」
再び膝枕の体勢に戻る。さっき殴ったお詫びということで腹の毛を撫でてやると小さな唸り声が聞こえた。そんなにくすぐったいのか、ともっと撫でてやる。
『……君は、僕をいじめるのが好きだね』
「撫でたくさせるあなたの毛皮が悪いのよ」
「ねぇ」と同意を求めると「めぇ」と返ってきた。不意に愛おしさがこみ上げてきて、起き上がりその唇を不意打ち気味に奪う。私は軽く触れただけなのに、彼は私を捕まえると舌を入れてきた。肉厚で、独特の甘みがあるそれがのったりと口の中を満たす。私がそれに吸いつくと彼は鼻息を荒げて私を抱き締めた。大きな手で体をまさぐられるのは心地よい。そろそろ息が苦しくなったので舌を噛んで離してもらう。
「するの?」
『……その前に、大事な話がある』
私はひょいとぬいぐるみのように持ち上げられて彼の膝に座らされる。彼の生臭い息が耳にかかってこそばゆい。
『君に手術を受けて欲しい』
「……え?」
今日二度目の不意打ち。ぽかんと口を開けた私へ彼は真摯に話を続ける。
『今日、人間の脳を僕らの体に移植する技術が確立できたんだ。君にそれを受けて欲しい。ちょっとくらい不具合が起こるかもしれないけど、それも最初だけだよ。そして、僕の……子供を、産んでもらえないだろうか』
私は振りかえって目の前の山羊頭をまじまじと見た。手術云々はともかく、彼まで子供を産んでほしいとは。男同士、何か通じ合うものでもあったのか。考えたら不愉快になったからやめた。
『駄目……かな』
不安げな彼の鼻先をちょんとつついてやる。それでもまだ自身が持てない様子だったので、とっておきの微笑みをプレゼントしてあげた。
「あなたが約束を守ってくれるなら、喜んで」
初めて会ったときにした約束。それは今まで誰も私に与えてくれなかった最高のものだった。
『忘れてないよ。君の為に、僕がこの星を創り変える。もう少しで調査が終わるから、後は自由にしていいんだ。君の望むままにできる』
「他の人に干渉されたりしない?」
『僕らは星々を渡って生きているんだ。今のところ、この星に残るのは僕だけだよ』
「嬉しいわ。でも、そのときまではこの身体でいさせて。お願い」
『……うん、分かった』
納得はしていなくても頷く彼が愛おしくて、私は何度も何度も彼の顔にキスをする。それを許可と受け取ってか、彼は私を押し倒した。
『……いただきます』
「変なの」
私の口から零れた苦笑はすぐに悲鳴に変わり、嬌声になった。
異星人の身体になるのに抵抗はないけれど。せっかく悪魔に手を引かれて天国の階段を昇るのだから、人間のままでいてみたい。
なにしろ人間を殺し尽くさないことには私の願いは叶わない。天国への代償は果てしなく大きいのだ。なんて素敵な話だろう。犠牲者たちが天国に行けますように。
私は天国に生きたい。
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