もうてをはなさない
きれいな手だった。
色の薄い、滑らかな皮膚。触るだけでふつりと千切れてしまいそうな、細い指。その端にあえかな桃色の爪がちょんと乗っている。幾許かの和毛が日光を捉えて美しく煌めいていた。
きれいな手だった。
その手が、ぱちんと僕の頬を張った。
「彼氏、できたから。もう近付かないで」
姉さんは言う。釣り上がった眉。媚びることのない口元。凛とした背筋。うつくしい人だ。
「話したいことがあるからって屋上に呼び出しといて、これはひどいよ、姉さん」
僕がへらっと笑っても姉さんの表情は硬いままだ。
「気付かないとでも思ってるの? あたしの下着勝手に持ち出して汚してさ。風呂だって覗こうとしてたでしょう。頭おかしいのよあんた。弟なのよ? 血繋がってんのよ? 気持ち悪いのよ、そういうの」
「なんのことだか……」
「……そういうところ、大っきらい。ごまかしてればなんでもうまくいくと思って。気持ち悪い。あんたと一緒に暮らしてるってだけで吐き気がするわ。近親相姦だなんて、冗談じゃない」
姉さんは腹立たしげにだんと足を踏み鳴らし、踵を返した。話は終わり、ということらしい。全く勝手にもほどがある。姉さんときたら、いつもこうだ。
「姉さん。大事な話がまだ終わってないよ」
「何?」
呼びとめても、振り向こうともしない。一刻も早く僕の視界から消えてしまいたいようだ。
「僕が姉さんを愛してるってこと、知ってたんだね?」
「……死ね。実際に聞くとさいっこーに気持ち悪いわ、それ」
涼やかな後ろ姿が打ちすえられたようにぶるりと震える。気付かれないように一歩だけ近づいた。
「姉さんはさ、僕のこと、愛してくれないの?」
また、一歩。姉さんは僕に背中を向けたままだ。
「当然でしょ。弟ってことを抜きにしてもね、生理的に気持ち悪いのよあんた。顔がいいわけでもなし、お断りだわ」
また、一歩。あと一歩で姉さんに手が届く。最後の質問を口にしながら、一歩踏み出した。
「ねえ、姉さん。姉さんはまだ――処女なのかな?」
姉さんが振り向く。その頬は冬の林檎の赤だ。予想外に近づいていた僕を認め、姉さんの瞳に脅えの色が走る。逃げられないよう首と腕を掴んだ。
「放してッ! 放しなさいよ、この変態! キチガイ! 放してッ!」
姉さんが暴れる力は妄想の中で試したときよりずっと強かった。髪を振り乱し、唾やら何やら撒き散らして暴れている。普段の取りすました振る舞いはどこへやら。僕は女って怖いもんだなあと思いながら強く引き寄せた。腕の中の姉さんは罠にかかった動物のようにじたばたと抵抗する。困ったな。いつも妄想の中でレイプしているときはここらへんで観念して命乞いをしてくれるんだけど。どうすれば合わせてくれるだろう。
「姉さん、大人しくしてってば」
「うるさい! 変態! クズ! 死ね! 死んじまえ! 孝之に言ってやる! パパとママにも言ってやるんだから! 放しなさいよ!」
孝之って誰だろう。さっき言ってた彼氏だろうか。きっとそうだろう。予想外に姉さんの抵抗は強く、男の僕が押さえつけているというのに全く止まらない。そろそろ殴るべきだろうか。そんなことを考えていたら、右手に激しい痛みが走った。噛まれた。手を放してしまった。僕から解放された姉さんはほうほうの体で後ずさる。あれだけ暴れていたくせに、腰が抜けて立てないようだ。僕には噛まれた個所をさすりながら近づく余裕さえあった。傷はそう深くない。手がぬるりと滑った。思わず、舐め取ってしまった。姉さんの唾液だ。
「や……やっ……やうっ……」
獣のように喘ぎながら姉さんは僕から逃げる。馬鹿だなあと思いながら僕は追いかける。僕にレイプされて僕の愛を受け入れてくれればそんな怖い思いをしなくて済むのに。年上だからって姉さんはこういう類の助言を絶対に聞き入れようとしないのだ。
「姉さん、彼氏できたんでしょ? 殺してよ。大丈夫、最高二十年くらいで出てこられるし、場合によってはもっと短くて済むんだ。僕はちゃんと姉さんのことを待っているよ。会いに行ってもあげる」
僕としては最低条件を提示したつもりだったのだけど、姉さんにとってはそうでなかったらしい。首を振ってきっぱりと拒絶して、ふらふらと、立ちあがった。
「……姉さん、大丈夫? 危ないよ?」
もはや喋る気力もないようだ。早く楽にしてあげないと。僕はまだ童貞だけど、ちゃんと挿入できるだろうか。中に淹れてさえしまえばどうにかなるだろう。可愛く喘いでくれるといいな。
不意に、僕らの間に風が吹き抜けた。それに煽られて姉さんの身体がふらりと揺らぐ。
「姉さん!」
熱中していた僕らは気付かなかったけれど、いつの間にか屋上の端まで来ていたようだ。映画なんかでよく見るように、スローモーションで姉さんの体が消えていく。駆け寄った僕はどうにか手を掴むことに成功した。がくんと引っ張られ、コンクリートに叩きつけられる。それでもどうにか姉さんを捕まえた手は放さずに済んだ。
指の一本一本がまるで花弁のように艶かしく僕の指に絡みついている。精をねだるかのように震え、もがいている。こうして握っていると、こんなにきれいで脆いものが人一人の体を支えられるとはとても信じられなかった。
姉さんの手を、僕は掴んでいる。
ここから地上まで四十メートルはあるだろうか、地上を歩く人間はもう見分けがつかない。こうして屋上で腹這いになっていると、日光で温められたコンクリートが生き物のように感じられる。スカートが風に煽られてはためいている。いつも風呂上がりに念入りに乾かしている長い黒髪が風に弄ばれ、千千に乱れて姉さんの顔を覆い隠す。なによりも顔が見たかったのに。僕は風を恨めしく思った。姉さんは必死に何事か僕に叫んでいる。しばらく耳を澄ましてみても、そこに僕が欲しい言葉は含まれていないようだった。
僕は姉さんを愛している。姉さんは僕を愛していない。姉さんは今四十メートルの高さから落ちようとしている。
きれいな手だった。
色の薄い、滑らかな皮膚。触るだけでふつりと千切れてしまいそうな、細い指。その端にあえかな桃色の爪がちょんと乗っている。幾許かの和毛が日光を捉えて美しく煌めいていた。
僕は手を離した。
「ただいま」
「あうーっ。うあーっ」
玄関の鍵を開けると姉さんが転がっていた。箪笥の上に置いておいたのに、僕の帰りが待ち切れなかったのだろう。落ちた際についたのであろう痛々しいあざが脇腹を覆っていた。
「ごめんね姉さん……でも言ったよね。強盗が来て、もし姉さんが盗まれでもしたら大変だからさ、ね」
「おあああーっ。あおあーっ」
うるさいので耳を引っ張る。ぎいいいぎぎっとゼンマイを巻いた玩具のような声を出して姉さんは静かになった。
「今日は姉さんが好きなカレーにしようか。おいしいよ」
僕は姉さんを拾い上げて、空いた手で買い物袋を持つ。両方一緒にテーブルの上に乗せた。
三年前はまだもうちょっと姉さんはまともだった。両足と右腕を支払うことで奇跡的に生還した、その直後。まともに会話もできたし、暴れようとしたし、彼氏の名前を呼んでもいた。そんな男に会わせるわけにもいかず、両親にこんな姿を見せるわけにもいかず、事故の原因は僕にあるようなものなので、ずっと世話をしていた。途中でちょっと失敗したりして、右目とか、左腕とか、耳とか、おっぱいの半分とか、まあちょっといろいろ取っちゃったこともあったけど、でも僕はとても頑張ったしうまくやっていると思う。なんたって歯がまだ八本も残っているのだ。顔だってしばらく殴らなければそこそこ見られるくらいを維持している。
「うあーっ」
姉さんはまるで赤ん坊のようだ。失われた手足をばたつかせ、声を張り上げて僕を呼ぶ。
「どうしたんだい、姉さん」
「ういーっ。いぎーっ」
基本的に姉さんに服は着せていない。こんな手も足もないようなのに服を着せてもしょうがないし、排泄物で汚れるとめんどくさいのだ。姉さんは腰を突き出してきた。股だった部分の黒い茂み。その奥がじっとりと濡れている。
「ああ……仕方ないなあ、もう」
僕はズボンをおろすと、萎え切ったものを何度かしごいて大きくし、ぐっと押しつけた。むにゅりと中に入っていく。いくら手足がなくてもまんこを締め付ける力くらいはまだ残っているようで、姉さんは顔を真っ赤にして頑張っている。
「うん。じゃあ、動くよ」
触ってもいないそこは十分に濡れている。最初のうちは何をしようが濡れないので泣き叫んでいるところに無理矢理突っ込むしかなかったのに。確かその途中で邪魔になって右腕を切ってしまったのだったかな? 忘れてしまった。しばらく無心に腰を動かしていると、一つしかない瞳が僕を求めてくる。そういえば、といつもの言葉を言っていなかったことを思い出す。
「大丈夫だよ、姉さん。僕が姉さんを妊娠させてあげるからね。子供を産ませてあげる。そうすれば姉さんだって今よりもっといいことになるさ。自分の赤ちゃんを産めるんだから。ね? 素敵だろ? 僕も頑張るよ」
口にしすぎて擦り切れた言葉をおざなりに告げて、僕は腰を動かした。姉さんの一つしかない瞳から透明な雫が溢れだす。こんなもの、涎と何が違うのか。何も違わない。
単純なもので、腰を動かしていれば男は射精できるのだ。腰の動きを速め、奥の方に精液をぶちまける。姉さんはうあーっと鳴いた。
死なれても困るのでこうして生きがいを与えているのだけど、もし妊娠してしまったらどうしよう。確か水銀とかマッチの頭とかを飲ませれば流産できるんだったっけ。まあ、膨らんできたら叩けばいい。潰れるかどうにかするだろう。最近はこの心配もあるし、世話も大変だしで、飽きてきた。奇跡とか医者が助けてくれてとかで姉さんに手足とかいろいろなくしたものが戻って、手間がかからないようにならないだろうか。そうしたら妊娠しちゃってもどうにかなるし。
萎えたペニスを中から引きぬくと、おうっと鳴いた。ぐったりしているその耳元に口を寄せて、囁きかける。
「もう、手を放さないよ」
こういうとき、脅えるところを見ると、まだ世話してもいいかなとは思うのだけど。
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アトガキ:
pixivの企画【AAA】にて書いた物。お題は「三年間経過させる」。えぐい。