そうして大人になっていく




 カヤマさんに会えなくなった。

 カヤマさんは義体だ。義体というのは、数年前から使われるようになった技術で、人間の脳を機械に繋げて、人間に似せたロボットを自分の体として動かす。理屈はよくわからないけれど、電車の中でたまに広告が出ているのを見かけたりもするし、病気で体が動かない人が義体を使って生活しているという話を聞いたりもする。そして実際に義体を使っているカヤマさんに会う。
 カヤマさんは素敵な人だ。
 ぱしん、ぱしん。
 私と会っていないときのカヤマさんのことは知ることもできないから、いつもそうしているのかはわからないけれど、私がぼんやりしているときは、カヤマさんの指が鳴っている。親指と中指を重ね合わせて、ぱしん。癖なのだ。いつもそうやってばかりいるからそこの指ばかりすぐ痛んでしまうのではないかと心配しているのだけど、カヤマさんのことだからきっとどうにかできるんだろうなと思う。交換するというのが一般的であるだろうけれど、きっとなにか、まだ中学生の私には想像もつかないような方法でカヤマさんはなんとかしてしまう。そんな気がするし、そういう人だと思う。カヤマさんの使っている義体はとても綺麗な女のひとだ。なよやか、だったろうか。カヤマさんは自分でそう言っていた。辞書で引いてみても、その言葉の意味はよくわからなかったけど、なよやか、という四文字のひらがなの響きがいかにもカヤマさんの姿そのものといった風で素敵だった。カヤマさん、カヤマさん。カヤマさんは、女のひとだと思う。自分でもそう言っていたし、私もきっとそうだと思っている。でも、カヤマさんが自分で自分について言うことは、たいていが、なんていうか、ちょっとおおげさだったりはぐらかしていたりだから、もしかしたら男のひとなのかもしれない。男か女。たったふたつの、二択でさえ、私は正しいカヤマさんを見つけることができない。

 声をかけてきたのはカヤマさんからだった。日曜日に街に出かけたら、一緒に映画を見に行こうと約束した友達が来れなくなってしまって、一人で別の、一人で見たいような映画を見た。人気の映画だったから、いつもあまり人がいない映画館の中にも人がいっぱい座っていて、だけど私の隣にだけ人が座っていなくて、なんだかいやだった。ぬるいオレンジジュースを飲んでいたら、す、と音もなく女の人が隣に座ってきた。綺麗な人だな、と思いながら、私はぼんやりと映画を見ていた。たいして内容もない映画だった。それでも、ひとしきりある話ではあったので、私がほうとため息をつくと、エンドロールが流れている、隣に座った人は来たときと同じようにす、と立ち上がって、あなた、可愛いわね、といった。それがカヤマさんだった。卑怯だと思う。あんなふうに微笑みかけられて、あんなふうな言い方をされたら、誰だって、誰だって。まだ男の人とも付き合ったことがない私が、たぶん、年上の、たぶん、女の人と、義体で、付き合っているというのはなんだか、とてもいけないことをしている気がして、少し嬉しくて、こわい。そんなことはカヤマさんには言わない。言わないけれど、いけないことをしているわけじゃないわよ、とたまに言われる。見透かされているのがちょっと悔しくて、とても心地よい。
 私はまだ幼い。若いのではなく、幼い。中学生だ。ときどき、将来とか、未来とか、明日とか、そういう、用意されてはいても、どう触れればいいのか、そういうものが私の前にずんと迫ってきて押しつぶされそうになる。そんなとき、カヤマさんは私を言葉と手で慰めてくれる。カヤマさんのえっちは静かで早い。三十分とか、一時間とか、魔法の時間、そんなふうにすばやく早く終わる。とはいっても、ただ一方的に私の身体をカヤマさんが暴いていくだけなのだけれど。カヤマさんはさせてくれない。その身体だからかと何度も聴いてみたけれど、そういうことではない、と言っていた。生の身体でも、きっと、って。義体では気持ちよくないのかもしれない、と思う。でも私だって、これだけカヤマさんに色々してもらっているのだから、カヤマさんにもなにかしてあげたくて、だから少しくらいやらせてくれてもいいのにな、と思いながら触られる。カヤマさんは、うまい。こういうところも、卑怯だ。果物の皮を剥くように、身体を覆っている薄皮をはがされて、私は裸にされてしまう。季節が変わるごとに、カヤマさんが皮をむいて手ずから食べさせてくれる果物のように。林檎。桃。葡萄。苺。そうやって私の身体をひとしきり、まるで真新しい瀬戸物にでもするみたいに撫でさすったあと、カヤマさんの指は私の中に沈みこんでくる。私の熱を吸った指はひやりとしていて、気持ち悪くもあるけれど、く、と奥のほうを押されると、つらい。私の身体はあっというまにカヤマさんの波にさらわれてしまう。もうちょっとこらえ性があったらいいのになと悔しく思いつつも、流されてしまうのは心地よい。
 どうしてもというときは、カヤマさんの指をしゃぶることだけ許されている。カヤマさんの口、手。そういうところは、許されない。貴女の舌は、ぬめらかね。カヤマさんはそういう、たまに、ものすごく見下したもの言いをするけれど、別に私のことを見下しているわけではなくて、でも、怖くて、その言い方が好きだ。好き。好きだ。そんなことをさせてもらえるのは、大抵、カヤマさんが私の身体で十分遊んだあとだから、カヤマさんの指からは私の汗と生臭い潮の味がする。それが終わると、カヤマさんが剥いてくれた果物の味がする。梨。柿。蜜柑。西瓜。カヤマさんはいつもどこからかおいしい果物を見つけてきては、私に食べさせてくれる。どれも、これも、おいしいのだ。カヤマさんの指をちゅうと吸うと、カヤマさんはけらけらと笑う。赤ん坊みたい。確かにそうかなと思う。赤ん坊、私は幼い。まだ赤ん坊なんだ。きっと。

 カヤマさんに会えなくなった。
 ある日、ふつんと、いなくなってしまった。そうすると、今までどうやって会っていたかすらも思い出せなくなっていた。美しい顔も、私を優しく呼ぶあの声も。なにもかも、思い出せない。結局、と思う。結局、私はカヤマさんの本当をなにひとつ見つけられなかったのだろう。だからきっと、こんなふうに、簡単に記憶から消えてしまったのだろうと思う。
 カヤマさんという船を失って、人生の海に投げ出されてしまった私は、あっぷあっぷしながら、それでもどうにか泳いでいた。なくしてしまったあの面影を探して、あっちこっち、ふらふらとはしているけれど。会いたいと思う。カヤマさんに会いたい。義体でも生身でもいい。カヤマさんに、会いたい。
 でも、と思う。カヤマさんとは、もう会えない。そんな、理由もなく絶望的な、けれど空の青よりも確かな確信だけがあった。カヤマさんとは、もう会えない。
 中学校はもう終わり、もうすぐ高校生になる。私は、果物の皮をむく練習を始めた。洋梨。無花果。甜瓜。なかなかうまくできない。指はすぐに傷だらけになって、舐めると血の味がするようになった。それが終わると、もうなんの味もしない。
 そうして、大人になっていく。





アトガキ:うわあ……