僕はおっぱいが揉みたい
屋上に繋がるドアを開けると、空はいつものように青く、先輩はいつものようにそこにいた。僕が来たのに気づいているくせに、先輩は黙ってタバコをふかしている。
「こんにちは、先輩」
「こんにちは」
先輩がもたれかかっているフェンスはところどころ錆びていてだいぶ脆くなっている。先輩もそれを分かっていてその体重を預けているのだ。
「いい天気ですね」
「そうじゃなかったら屋上にいないわ」
「そうですね」
先輩は半分になったタバコを口から離すと白い煙を吐き出した。細く長く伸びた煙は僕の吐息と混ざり合って空の青に溶けていく。
「先輩」
「なあに」
「おっぱいを揉ませてくれませんか」
「嫌よ」
にべもない拒絶。きまりきったいつものやりとり。先輩は黙ってもう一本タバコを取り出して火をつける。
「あなたもこりないわね」
「そうですね」
タバコは最初の一口が一番旨いのだという。それなのに先輩はひどく嫌な顔でそれを吸った。
「どうしてそんなことがしたくなるの?」
「さあ、どうしてでしょう。生まれつきって奴ですかね」
「だったら」
と、先輩はまだ半分も吸っていないタバコをフェンスの外に放り投げてしまった。まだ吸えたそれは小さな風に翻弄されてくるくると落ちていく。ぽつんと一つ、細い白がグランドの赤土の上に置かれた。
「こんなふうに、一度落ちてやり直してみるっていうのも悪くないんじゃないかしら」
「そうですかね」
僕も先輩の隣に並んでフェンスに体を預けた。二人も支えていられるかとフェンスが甲高い声で抗議する。
「先輩」
「なあに」
「飛び降り自殺って、メジャーな割に成功率が低いらしいですよ」
「そうなの。死ねなかったらどうなるのかしら」
僕はフェンスから離れて、先程落とされたタバコを見た。細い煙が一筋だけ立ち昇っている。
「やっぱり、一生寝たきりで入院生活でしょうか」
「ぞっとしないわね」
「そうですか」
先輩は空っぽになったタバコの箱を胸ポケットにしまって、紫色の百円ライターだけを持っている。細く長い指に玩ばれてちゃちな安物はきらきらと日光を弾いた。
「先輩」
「なあに」
「もし先輩がそんなことになったら、毎日病院に行きます。行って、毎日おっぱいを揉みます」
「痴的ね」
「嫌ですか」
「そうね……そんな状況になったら考えてあげてもいいわ」
「そうですか」
「希望が見えてきたわね」
先輩はタバコの箱を取り出して、ライターで火をつけた。半分ほど燃えたところで手を離す。コンクリートの地面に落ちたそれは爆ぜて火花を撒き散らした。
「きれいね」
「そうですか?」
ちろちろと蠢く火の舌を舞台に、焼け焦げた紙がひらひらと舞い踊る。水を求めて苦しむ人にそっくりだな、と思った。
「先輩」
「なあに」
「やっぱり、やめてください」
「どうして?」
先輩の足先が最後の残り火をきゅ、と踏み潰す。箱は跡形もなくなり、そこには黒い灰だけが残った。
「飛び降りたときにおっぱいがぐしゃぐしゃに潰れてしまうかもしれませんから」
「大した理由ね」
「いけませんか」
「合理的ではあるわ」
先輩はライターをしまうと、開いた両手でフェンスをぎゅっと掴んだ。
「あなたって嫌な男ね」
「そうですか」
「そうよ」
先輩にゆすられて、フェンスはもうお前らにはつきあっていられないとキシキシ文句を言う。
そして、予鈴が鳴った。
「先輩」
「なあに」
「明日も、また会えますか」
「さてね。明日を確実にしたかったら死ねばいいわ」
「どうしてですか」
「そうすれば絶対に何もないわよ」
ふふ、と先輩は小さく笑った。
「そんなことをしなくても、確かなことはちゃんとありますよ」
「なにかしら」
「僕が明日も明後日も先輩のおっぱいを揉みたいと思ってる、ってことです」
先輩は一瞬何かを言いかけたが、すぐに破顔した。その笑顔は、僕をとてもほっとさせた。
「そうね。そうかもしれない」
「先輩」
「なあに」
「明日も、また会えますか?」
「天気予報に聞きなさい」
「そうします」
僕は肩をすくめると、学校へ続く扉へ向かって歩き出した。振り返ると、先輩はフェンスから手を離してじっと空を見上げている。倣って僕もそうしてみた。
見上げる空はどこまでも、どこまでも。手が届かないほど青かった。
ああ、先輩のおっぱいが揉みたいな。
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アトガキ