本を読んだら書く

時雨沢恵一『学園キノ 4』(電撃文庫、2010)

 まるまる「けいおん!」のインスパイア、と云ってしまえばそれまでで、学園モノ+文化祭+バンドという構図を持った物語すべてを「けいおん!」のインスパイアだと切り捨ててしまうのはあまりにも軽率だと思うのです。むしろ、作者である時雨沢があとがきにて、この作品がとある作品のインスパイアである、と暗に語っていることのほうが物珍しい、と考えています。
 バンド色のあまり濃くないキャラクターがバンドに挑戦するという小話について、けいおんが出てくる前はハルヒのインスパイアだとみなされていたのかな、とも考えましたが、どちらかというとハルヒはあの小話そのものが学園モノ+文化祭+バンド+ゲストボーカルという構図のパロディであり換骨奪胎だと認識しています。

沖田雅『オオカミさんと亮士くんとたくさんの仲間たち』(電撃文庫、2011)

 作者あとがきを読むと、猫さんの出ている確率が高そうだったので、後ろの2話だけ読みました。出てました。
 オオカミさんシリーズが私に占める価値は、けっきょく『オオカミさんと長ブーツを履いたアニキな猫』(2008)の猫話だけであり、もう少しはっきりさせるのならば『オオカミさんと長ブーツを履いたアニキな猫』のパケイラだけだという結論に至りました。ぃぇーぃ。

中村陽(監修)『稲荷大神 お稲荷さんの起源と信仰のすべて』(叢書:イチから知りたい日本の神さま 2、戎光祥出版、2009)

 恥ずかしながら、稲荷の狐は白狐ということをいまさら知った。

パメラ・ボール(著)、加藤晴美(訳)、佐藤志緒(訳)、原若菜(訳)『夢の本 本当のあなたがわかる夢占い』(ネコ・パブリッシング、2003)

 私の夢の中に悪魔っ仔が出てきたら、それは葛藤とかトラウマとか越えるべき障害とかではなくて、「悪魔っ仔たんハァハァ」なだけなのだろうなぁ。
 そもそもフロイトの夢判断の事例の多くは、患者とのカウンセリングによって引き出された情報からの判断だったはず。夢の中に登場するモノが何を象徴しているかなんて、大半は個人記憶と照応して何に相当するか判別するしかなくて、集合的無意識に落とし込んで解釈できるのはホントに少数か汎用レベルかなんだろうなぁと思う。

東浩紀(著・編)、濱野智史(編)『ised 情報社会の倫理と設計 設計篇』(河出書房新社、2010)

 座談会の書き起こしなんですが、論客がみんな頭良すぎでついてけない。なんなのそれ、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の『精神』』(マックス・ヴェーバー、1904-1905)が一般常識レベルっていう前提で話進んでくのどうなの。

東浩紀(著・編)、濱野智史(編)『ised 情報社会の倫理と設計 倫理篇』(河出書房新社、2010)

学際的なことをやるんだったら、懇親会を組織しないと絶対にうまくいかない。 東;東浩紀(著・編)、濱野智史(編)『ised 情報社会の倫理と設計 倫理篇』(河出書房新社、2010)、P.459/L.上19-上20

って言われても、じゃあコミュ障はどうすればいいのさ。

 設計篇か倫理篇か忘れましたが、Google検索結果のトップ3くらいまでが調べものの範疇、っていう考えで生きていくことは、興味深い世界認識だと思います。事実その通りだし、クロールされないサイトは存在しないのと同一。

著:パスカル・ボイヤー、訳:鈴木光太郎、中村潔『神はなぜいるのか?』(NTT出版、叢書コムニス(6)、2008)

 この本には、学生時代に出会っておきたかった。そうすれば、もっと違ったアプローチで宗教を学ぶことができたかもしれないし、そもそも宗教学には進まなかったかもしれない。あ、逆か。宗教を専攻した結果、この本に出会ったのか。

 生き物は生存競争に打ち勝つため、捕食者や攻撃者の情報を、周りの環境から過度に読み取ろうとする。獰猛な肉食獣の足跡や引っ掻き傷、匂いなど。それを検知し、適切なアクションを起こすことで、死を回避することができる。またその情報を見誤り、「いない」のに「いる」と判断した場合にも、デメリットはそれほど発生しない。逃走のための時間や、貯蓄した資産が無駄になったということはあるだろうが、それらには命を守れたことに優るだけの価値はない。
 この情報が、いわゆる神や精霊、絶対者、“何か”の存在の裏付けとして認識されたとき、宗教が始まる。

 訳者あとがきに、この著作が「宗教や神をヒトの心の進化の観点から考察する著作」(P.431/Ll.15-16)であると述べられており、またこの流れに続くものとしてドーキンス『神は妄想である』が挙げられています。この本はサイト内コンテンツ、自選100冊の1に取り上げております。

宮下恵茉『真夜中のカカシデイズ』(学研、ティーンズ文学館、2011)

「『全日本学生クイズ王選手権』ってテレビ番組、あるじゃん。高等部の部員は、毎年それに出てるらしい。」
「マジで? すっごいじゃん! あの番組、超レベル高いのに? 毎年見てるけど、知らなかった。」 宮下恵茉『真夜中のカカシデイズ』(学研、ティーンズ文学館、2011)、P.70/L.12-P.71/L.3

 あー、この反応なのか。ここで登場している「全日本学生クイズ王選手権」とは、NTV「全国高等学校クイズ選手権」のダミーだと思われますが、2011年の小学生がこれをテレビで見たときの反応は、2007年以前のバラエティクイズに対する「なんだかよくわからないけど面白そう」ではなくて、2008年以後の知力偏重スタイルを前提とした「超レベル高い」なのですね。
 もっともこの会話主たちは、偏差値が高く、また電車の中でクイズ本を読むくらいなので、ふつうの小学生とは異なるリアクションなのだろうけど。ていうかふつうの小学生は高校生クイズ見ないよなぁ。

 「ティーンズ文学館」は、裏表紙によると「小学校中学年から」とのこと。

苫米地英人『なぜ、脳は神を創ったのか?』(フォレスト2545新書、2010)

 最終章「神・宗教から自由になる方法」に書かれていることは、たいていが突拍子もないことだと思いましたが、

オリンピック委員会はその利権の頂点に立ち、人間に順番をつけることはいいことだと、世界中の人々が唯一のモノサシを使うよう洗脳しています。 苫米地英人『なぜ、脳は神を創ったのか?』(フォレスト2545新書、2010)、P.214/Ll.7-8

というのは、私がアンチプロスポーツ思想持ちとして10代のころにひたすら考えていたことと一致するので、備忘録しておきます。

著:ニール・フォーサイス、監訳:野呂有子『古代悪魔学 サタンと闘争神話』(叢書・ウニベルシタス 725、法政大学出版局、2001)

 やー、長かった長かった! そもそもこのコンテンツは2012年07-09月期間限定で、読んだ本を書き連ねていく予定だったのですが、最後のコレが長くて長くて、12月頭までかかってしまいました。
 とはいえ学生時代に一度読破しています。ので、じゃっかん流し読みになってしまった感は否めない。あの頃みたいに情熱をかけて読みこむのは、しんどい。
 監訳者あとがきにもあるように、フレイザー『金枝篇』に比肩する作品として評価されています。論述方法もそれに近いですが、金枝篇のような神話伝承片っ端から羅列、ではなく、プロップの物語論を絡めて独自に表を作ったり、聖書解釈が入ったりと多種多様。読み物としても凝っているのでさくさく読み進められます。
 ただ脚注の引用資料や副読書まで網羅した理解となると、タブンもう今後の人生では手を出せない可能性が高いなぁ。