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4月
経緯はあまり覚えてない

 コトの経緯は明瞭に覚えていないほうが幸福なのかもしれない。纏綿繊維はそう思った。
 「代替品が想定できない客体なのに、巡り合わせがそれを齎してくれたのならば、生徒会長としてはその恩恵を最大限に活かし生徒たちの幸福に寄与するのが使命だと思うよ!」と熱く語ってはいたけど本音は状況を面白がってただけなんじゃないのかと見受けられた生徒会長を総指揮に、自らの下半身にジャストフィットする無限軌道を作成したときの技術者を紹介してくれた馬獣人、木乃伊に祖国の神像のことを根掘り葉掘り聞き出して石材の種類を割り出した自称探偵鷹鳥人、さらにその石材とほぼ同等の硬さ・色調・質感を持ちながら比重は十分の一、舐めても入れても無害という恐ろしい化学物質を提供してくれた漫画物理学研究会所属のサーバル獣人。クラスメイト3人通しただけであっという間に、纏綿繊維をまるごと像に模る準備ができてしまった。
 そしてここ、美術準備室では最後の仕上げ、恥部の型取りが行われようとしていた。
「こないだ録った立体データだけじゃダメなのか?」
 無限軌道な馬獣人の紹介で、どこぞの秘密組織みたいな研究所を訪れ、全身くまなく走査された思い出が蘇る。
「だってあのとき纏綿さん、勃起してなかったじゃん」
「うぐ」
 正論だが、全身を機械に提供したとき、立たせろと要求された記憶はない。もっとも、命じられていたとしてもあの場で昂奮できた自信はないが。
「それに、ダイジなトコはやっぱ直取りしないとねー」
 白衣を着たサーバル獣人、春巻春雨が、中身の詰まった筒型の容器を2匹に見せながら説明する。
「やり方は簡単。蓋を取ると中にパテが入ってるから、そこに肉棒を埋没させる。完全に固まるまでは5分くらい。最初の30秒はなるべく動かずにいてね。そのあとは少しくらい震えててもだいじょぶ」
 目線を纏綿と木乃伊に交互に向ける。
「硬度に自信があるならセルフで構わないけど、もし中折れの心配があるんなら根元を縛っとくとかしといて」
「縛る、って言われても、何で」
「ナニって、ここにあるものなら何でも使って構わないらしいよ。会長様々だねぃ」
 口の端を引き上げてにぃっと笑い、稲荷会長を賛美する。見回せば、ラフの乗ったカンバスと、各種画材にデッサン用の石像。幾百の透明な引き出しにはカラフルな画材が揃っているが、いきり立つ肉棒に負担をかけずに保たせるような都合のよいものはあるだろうか。輪ゴムの箱が目に入ったが、見なかったことにする。
「それじゃ、しばらく席外すよー」
 フリフリと手と尻尾を振って、サーバルが退出。残された黒山羊と包帯人の、息遣いだけが室内に響く。
「本当に、良かったのか。我のワガママで、爾の陰部の形を永劫に残すなど」
「あー、ワガママなのは会長だね、凝り始めると止まらないし。永劫ってのも酷かもなぁ。でも、まあ、ここまでお膳立てされちゃ、引き返せないから、いいさ。それに、木乃伊の頼みだし」
「我は、罪深い」
「ん?」
「すまないと思いながら、その実、すこぶる喜んでいる。その体は、極めて美しい」
「そんな、大仰だって。木乃伊が喜んでくれるんなら、俺も嬉しいさ。ただ、頼むから外には出さないでくれな?」
 纏綿型神像は、完成後すぐに木乃伊の下宿に届けられ、以後、けっして屋外には持ち出されない。仮に廃棄するときは、会長を通して指定の業者に依頼することが義務付けられている、そういう契約だ。根回しがいいというか、そのあたりは会長の徹底ぶりに感服する。気にかかるのは、ごく1匹、とても恥ずかしい経験をさせられている自分が不憫だということだ。
「御意」
 ぎこちなく頷いた。あまり強く首を動かすと外れてしまうのかもしれない。
「それでは、儀を始める」
「本格的だね」
 真面目すぎる木乃伊の挙動に、苦笑する。
「勃起は、我が促したほうが好ましいか?」
「あー、いや、それはどうかと」
 今日は「勃起」と耳にする機会が多い。
「では、この容器を預かり持たせてもらう」
 そう言って、椅子に座った繊維の手から型取り容器を受け取ると、跪いてスタンバイ。どうやら、準備ができたところで嵌めてくれるつもりらしい。
 さて、ズボンと下着を足首まで下げて、椅子に座り直した繊維の股間には、萎えた肉棒と袋が垂れている。これをなんとか硬くして、輪郭を保つ状態にしなくては。
 再度まじまじと視線を向けられた。
「やはり、よく似ている」
「恥ずかしいよ、やっぱり」
「すまない」
 目線が合う。幾重にも巻かれた顔の包帯の奥で、眼窩に嵌めこまれた宝石みたいに光っている。木乃伊の瞳に淫猥さはなく、あるとしたら物欲の輝きだろう。彼が纏綿に対し欲しているのは、肉体と情愛ではなく、形骸と信仰なのだ。
「向こう、向いててね」
「意のままに」
 物欲にしろ何にしろ、見据えられていては羞恥に気圧されてしまう。顔を伏せた木乃伊がそこにいることをなるべく意識しないようにして、纏綿は指を性器に這わせ、往復させた。学内での手淫という背徳感のせいか、嗅ぎなれない画材の匂いに反応したのか、比較的容易に立ち上がる。
「木乃伊、もういいよ、……あ、忘れてた、縛るもの」
「ん」
 とっさに、首からしゅるる、と包帯を外したかと思うと、手慣れた様子で纏綿の根元に巻き付け、固定した。それから型取り容器の蓋を外し、ずぷ、と先端から押しこんでいく。
「んっく」
 ゼリーか何かに潜り込む感触が、根元まですっぽり嵌めこまれるまで続く。陰嚢の表面に容器の口が辿りつくと、動きが止まった。冷たくて柔らかい、けして心地よいとはいえない接触面は、じょじょにゴムのような張りを持ち始めた。纏綿がペニスの律動を耐えて30秒。あとはしっかり固まってしまうのを待つだけだ。
「ありがと、包帯」
「我も、忘却していた。すまない」
 股間部に据えられた筒型の容器。嵌まったところから伸びた包帯は、木乃伊の首とつながっている。少なくとも、内部の肌が見えるところまでは巻き取られていないようだ。
 「そういえばさ」
 固まるまでの余り時間で、前から気になっていたことを繊維が尋ねた。
「木乃伊の祖国の神像って、えーと、勃起してたの?」
 今日は自分も口にしてしまった。
「両方。勃起しているものと、萎えているものとある」
「そ、そうか」
「祭りの日には、漲っているほうを祀る」
 5分後。
「呼んでくる」
と言って立ち上がった木乃伊の首が、がくんと曲がった。纏綿のペニスと結ばれた白色の帯に、動きを阻まれたせいだ。
 
 型取った外枠に別のパテを詰めて、また5分後。神像の一部分となる予定のブツを試作する春巻。傍目にはディルドにしか見えない。
「きれいに型取れたね、先端も根元も。ここは周りの表面を参考に補填するからだいじょぶ」
 くっきりと残った包帯の跡を指して、サーバルが説明する。ちなみに、巻かれていた包帯は、そのまま首に戻そうとした木乃伊を制し、少し切って捨てさせた。
「感謝する」
 首の座りが悪くなったのか、軽く左右に曲げてみたり回してみたり、落ち着かない様子で、木乃伊が2匹に感謝の意を告げる。

 数日後。木乃伊の部屋に運び込まれた2柱の神像は、祖国の暦に従って、押し入れからローテーションされているそうだ。

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