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Orange Liqueur Devil 00
悪魔っ仔たんがやってきた!

 脳が蕩けるような休日の朝。飯を喰らってから洗濯物を吊るしていると、悪魔っ仔たんがいた。
 もに。胴に押しつけてくる柔いほっぺたの感触。ジブンの胸のあたりにきている頭上にはちっこいツノが生えていてラブリーである。尖り耳はぴんと水平に伸び、細い腕がジブンの背に回されている。
 真っ黒い体。日差しの中、裸の上半身のほどよい冷たさが心地良い。見ればゆるゆると細いシッポが揺れている。その先は三角形とスペード型で派閥が分かれることが予想され、さらに三角系では正三角形派と二等辺三角形派で抗争が続いているかもしれない重要な部位であるが、どうやら円錐形のようだ。三次元の誘惑に蹌踉めく。
 下腹部を覆うボロキレの隙間から覗くシッポ。うーん、この布地の酷使具合からすると、前のほうも透けて見えてしまうかもしれない。今はジブンに密着していてわからない、鼠蹊部に期待を馳せる。
 踝のところにかろうじて届く靴下。黄色の色合いが黒の生足に映える。というか、その靴下はジブンがさっき干したヤツだ。
 「……」
 「あ、あのー……」
 「我に名を与えてほしい」
 「洗濯物干してからでいい?」
 こくり。頷いた悪魔っ仔たんに部屋の中に入る許可を求められたので、ちらかってるけど、と断ってから招き入れた。一歩踏み入れてしばらく固まっていたが――ちらかり具合に愕然としていたのではなくて、座る場所を探していたのだろう――、しばらくして冷蔵庫の陰にひっそりと膝を抱えて座った。
 整然と混乱した休日の朝の頭で、午後までのスケジュールを練る。目の前の籃に入った洗濯物を干しきる。悪魔っ仔たんの名を考える。尖り耳と尖り尻尾をむにむにする。あとのことはあとで考えよう。
 「洗濯物終わったよー」
 「……ん」
 それにしても。こんな可愛らしい悪魔っ仔たんがウチにやってくるなんて、日頃の行いの賜物だろうか。何らかの犯罪抑止効果が期待されているのか。どちらにせよ夜が待ち遠しい。
 「悪魔っ仔たん……と、とりあえず、悪魔っ仔たん、って呼ぶね」
 「それが我の名か」
 「ううん、これは愛称」
 黒い塊に手招きすると、ちゃぶ台のところにやってきて正座する。ジブンの向かい側で膝の上に握り手をついて、まっすぐこちらを見つめてくる。
 「お茶でいい?」
 「いい、と思う」
 日頃あまり使わない来客用の湯呑みを戸棚から出し、いつも使ってるのと並べてお茶を注ぐ。悪魔っ仔たんの前にそっと置き、ジブンも一口啜る。
 「んーと、とりあえず説明がほしいのだけど、ジブンが先のほうがいい? それとも悪魔っ仔たんからのほうがいい?」
 「おそらく、主からしたほうがいい、と思う」
 ぬし。いい響きである。一人称は「われ」で二人称が「ぬし」と。メモメモ。
 「うん、それじゃジブンから。ジブンは、悪魔っていうのはこの世界とは別の世界のかわいいいきもので、魔方陣書いて呪文唱えて喚び出して、魂と引き換えにあんなことやこんなことをしたりされたりしてくれるかわいいいきものだよね」
 こくり。
 「……ゴメン、ほかに説明ないや」
 「そうか」
 「それじゃ、悪魔っ仔たんの説明、聞かせて」
 「……悪魔、という呼称を用いる。我々悪魔は別世界の生命体の欲望を糧として存在している」
 一人称複数は「われわれ」と。メモメモ。悪魔っ仔たんはほかにもいっぱいいるのか。
 「そしてこの体は欲望の写し身として顕在する。この姿が悪魔というかわいいいきものの貌をしているのも、ベランダで濡れた服を乾かしているところに現れたのも、お互いにこうして説明に時間を費やしているのも、すべて主の望み、欲望に依存する顕在化、と思う」
 「わわわ、それって悪魔っ仔たんはジブンの欲望を詰め込んでできてるってことなの?」
 こくり。
 「その欲望を昇華すると、大悪魔様がお喜びになる」
 「だ、大悪魔様?」
 「我をここに遣わしたのは大悪魔様のはからいだ」
 「なるほど! その上には特大悪魔様がいらっしゃって、さらにその上には極大悪魔様がおわしますのな!」
 「我は大悪魔様しか知らない、お茶をいただく」
 そういうと、湯飲みに手を掛けたまま固まる悪魔っ仔たん。
 「どうしたの? 熱いの苦手?」
 「これはどうやって摂取するのか、教えてほしい」
 「あ、うん。ふーふー、ってして冷ましてから、ちょこっとずつ口に含むんだよ、こうして陶器のフチから」
 ふーふー。素直に従う悪魔っ仔たん。かわいいなぁ。こくんと飲み干してから、またジブンを見つめる。
 「なので、ここに置いてほしい。迷惑はかけたくないから、いなくなってほしいときはいなくなる。いてほしいときだけここに現れるようにするから、主のしたいこと、やりたいことを我に対して行使してほしい」
 「んーとね、ずーっといてほしい!」
 「……わかった。いてほしくなくなるまでここにいる」
 そして固まる悪魔っ仔たん。
 「? 悪魔っ仔たん?」
 「いてほしくなくなったのか」
 「ち、違うけど、どうして動かなくなっちゃうの?」
 「悪魔は欲望の化身。主が望んだことは、我がここにいること」
 「わわわわわ、なるほど、それ以外のことはまだ望んでいないからか」
 「……この体は主の欲望の写し身。しかし、我は主が何を望んでいるのかはわからない。ただ、主が望んでいるように息衝き、悦び、昂奮し、発情するようにできている、と思う」
 「は、発情……!?」
 「少し、ぎこちないかもしれないが、許してほしい」
 そんなこんなで、今朝はジブンがほしいままのカッコの悪魔っ仔たんが現れた。
 しかしながら今夜は添い寝だけだった。ほんのり冷たい肢体を抱きしめてうつらうつらしていると、悪魔っ仔たんの小さな呟き声が聞こえてくる。不思議な響きを持っていて、内容はよくわからなかったけど。

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