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4月
ネームエントリー

 四月兎はまだ眠い。
 始業式を終え、クラス分けに従って各教室に向かう学庵生たち。禅裸と繊維も、硬くなった体の筋を伸ばしながら、2年ら組に足を運んだ。昨年と同じメンバーもあり、初めての顔ぶれもあり。そして、
「おはよ、枕」
「んー、おはよ、繊くん、禅くん」
 ふかふかの枕に俯せて、机で眠りこけていた垂れ耳兎獣人に、纏綿が声をかけた。ふわあ、とあくびをひとつ、上体を起こす。
「今年もいっしょだぜー、よろしく枕ぁ」
 きゅー、と抱きついて頬ずりする高峰。
「うん、よろしくね」
「ほら、口元拭いて」
 纏綿に促され、ハンカチを取り出してマズルを拭う。さっきまで頭に敷いていた寝具と同じ名の、この眠たがりの黄色い兎は、日中長く起きていることができない体質なのだ。そのため、長時間の講義や式典には出なくてもいいことになっている。

 「2年ら組の担任となりました、ギア・ホーデンです。よろしくお願いします」
 ぱちぱちぱち。と拍手が湧き立ち、頬を赤らめる新任センセ。
「それじゃ、センセもみんなのこと知りたいから、自己紹介してもらおうかなー」
「はーい! はーい!」
 元気に手を挙げる赤銅色竜人。手元の座席表と照らし合わせて、名前を見つける。
「はい、高峰君」
「オレもセンセのこともっとよく知りたいので、質問しますっ! 惚れてる相手はいますか?」
「え、んと」
 色恋沙汰系。予測は、していた。なのに、好奇心でいっぱいの瞳で見つめられると、せっかくシミュレートしておいた潔い返答も、出てこなくなる。
「あ、あの、まだ、そういうのは」
「禅裸。はしたないぞ」
 諫めるのは纏綿。
「うー。だって恋のコト、センセにいろいろ教わりたいんだもん」
「誤解しそうな表現は控えるコト。すみませんギアセンセ」
「いえ、こちらこそ、すみません」
 ギアはだいぶ慌てている。反射的に謝ってしまった。
 学徒に主導権を渡すのは教育の場としてふさわしくない。思い直して襟を正し、とびきりの笑顔でクラスを見渡す。
 「惚れてる相手がいるかどうかは言わなくていいからね。それじゃ、番号順に……アーウィンくん!」
 返事がない。向かって右前は空席だ。
「ギアセンセ、アーウィンはタブン大修部に行ってます。研究の手伝いで」
 誰かの声がかかる。
「不在がちなのはいつものことだから」
「そ、そうなの?」
 なんだかペースが掴めない。
「それじゃ、次」
 コンコン。
「ギアセンセ、ちょっと」
 ノックに続いて声がした。ドアが開き、ラフなカッコの桜飯センセが顔を出す。いつ着替えたのだろうか。
「何でしょう、桜飯センセ」
 ちょいちょい、と指先で呼ばれたので、ひとまず廊下に出る。その隣には、今朝正門で見たあのコがいた。
「転入生だ」
「え」
 ぺこり、と会釈する、蒼い狼。
「よろしくお願いします。ギアセンセ」
「えええええ!?」

 驚愕の声、しばし。センセについて教室に入ってきた蒼狼に、クラスのみんなは興味津津だ。ギアは予想外の事態にカチカチで、高峰と纏綿は顔を見合わせた。
「て、転入生の、蒼場酩酊くん、です。今朝、入学届が」
「纏綿さん! 高峰さん!」
 見知った姿を見つけた蒼場が、破顔する。
「おー! 蒼場っていうのか」
「ワタクシの名前はそういう意味だそうです」
 高峰の関心は、そういえば聞いてなかった名前に向けられた。纏綿としては、始業式前のひと悶着のあと、短時間で話をつけたのが消化不良で。
「放課後にまた会おうって話、してたのに」
「門のところで待とうと思いましたら、桜飯センセがお声をかけてくださったんです。いっそのこと入学してはどうか、って。迷惑でしたか?」
「そんなことは、ないけど」
 あんぐりと。
 「えーと、席は……あとで順番に座り直すとして、ひとまず向こう、ね」
「くちっ」
「御魂に安息を。だいじょうぶ?」
「ありがとうございます。あなたにも天帝の御加護を。なんだか鼻がむずむずします」
 クシャミをした蒼場を、心配そうに見つめるギア。環境の変化のせいだろう、この国の空気に体が反応しているらしい。
「それじゃ、次は」
 名簿に記された「*」。なんだろう。順番からして「あ」で始まることは間違いない。
「えっと、アスタリスク君……」
 続けて「with Ice Rice」と書いてある。「* with Ice Rice」。
「センセ、オレ後回しでいいです。先にコイツを」
「なんスか」
「蒼場さん診てやれよ。自己紹介なんだからさ」
「見世物じゃないんスよ」
 出席番号2番と3番がひそひそ話をしている。「あおばめいてい」が入ると、3番と4番になるけど。
「異国の地からはるばるここまで来たのに、鼻が苦しいなんてかわいそうだろ」
「うー」
 新3番にせきたてられて、しぶしぶ立ち上がる。
「センセ、ワスが先でもいいッスか?」
「は、はい」
 話の流れの主導権がちっともギアに回ってこない。
 新4番、目線はきりりと対角線を刺し、蒼場のところにすたすた向かう。
「タブン、花粉なんスよ」
 バニラクリーム色の髪に、ミルククリーム色の肌。尖った耳がチャームポイントな精霊が、椅子に腰かけた蒼場と対面する。
「ちょいと診せてもらえるッスか」
 戸惑いの表情を見せる蒼場。纏綿に顔を向けると、「だいじょうぶ」といわんばかりに強く頷かれた。
 青色の額に、クリーム色の額が寄せられる。
「そッスね。花粉みたいッス」
 悟ったように、間近でそう呟く。しばらくその格好をキープして。
「どうスか?」
「……なんだか、すっとしたようです」
「良かったッス」
 またすたすたと席に戻る。
「名前、名前」
 役割を終えてほっとしたためか、名乗るのを忘れていた尖り耳を、アスタリスクが肘で小突く。
「甘酢漬ヘルス。健康の精霊ッス」
「通称“ら組の薬箱”。今年もよろしくー」
「茶化さないでほしいッス。具合が悪ければ保健室に行ったほうがいいッスよ」
 治癒能力を司っているにもかかわらず、ヘルスはあまり誰かを治すのが好きではないらしい。

 「ギアセンセ」
 自己紹介が終わり、いったん職員室に戻ろうと廊下に出たギアの背中に、声がかかる。
 「わるすらっしゅれいたろうくん」
 追いついたリカオン獣人、割/零タ郎は、少し笑って肩を竦めた。
 「レータ、でいいよ。皆そう呼んでる」
「それじゃ、レータ君。さっき、アーウィン君がいないのを教えてくれたのは君だね。ありがとう」
 言い忘れていたお礼の言葉を伝える。
「んーん。この学庵にいれば皆知ってるよ。アーウィン大人気だから」
「そ、そうなんだ」
 学庵中に知れ渡っているアーウィンの評判。何のことだかわからないが、きっとすぐに知ることができるだろう。担任なのだし、とギアは思った。
「これ、アーウィンの写真。センセにあげる。顔、覚えといたほうがいいでしょ?」
「貰っていいの?」
「うん。俺、同じの持ってるから」
「ありがとう!」
 再度の礼。四角く折りたたんだ紙を手渡して、去っていくレータ。
 さっそく開いて中から取り出してみる。角が丸くなっていて、カードのようだ。
 「『八獣学庵ときめきカード No.01』?」
 出席番号と同じ数、それと簡単なプロフィールが書かれた裏面を眺め、訝しげに裏返す。
 素っ裸だった。

 あっというまに一日が終わる。自室に帰ってきたギア・ホーデンは、まず熱いシャワーを浴びた。それから、ぐったりとテーブルにもたれかかり、自身がずっと緊張していたことを知る。そういえば冷蔵庫でカルパッチョを冷やしておいたっけ、と夕ご飯を気にかけつつ、ノートパソコンに手を伸ばした。
 チャットにログインすると、さっそく向こうから声がかかってくる。

つくね:
ほーい♪
ギア:
こんばんは
つくね:
やー、スゴいね。もう。おにーさんびっくりだよ。
ギア:
ちょっと喋る?
つくね:
ほいほい

 軽い。あいかわらず軽いのだが、今日はこの軽さが心地よい。音声チャットのボタンを押す。
「つくね、元気だね。僕ちょっとダウン気味だよー」
「あら。ギアセンセ初日からはしゃぎすぎ?」
「そういうんじゃなくて、んーと。学庵生たちに流されちゃった、っていうか。センセみたいなこと、あんまりできなかったよ」
「だろうねえ。ギア、引っ張ってくタイプじゃないから」
 言われ放題だ。
「もう、ヒドいなあ。そっちはどう?」
「よくぞ聞いてくれました! もー、スゴいね。セーラー服尽くし」
 鶏鳥人・手羽先つくねは、今春から海軍士官学校の逓信部門で勤務している。
「ホントかわいいよねー」
「そうだね、ダイジな教え子たちだもん、親身になってあげたいって思う」
「手取り足取り、いろいろ教えてあげたいよねー」
「うん。責任重大だよね」
 どうも、手羽先はギアとは別の教育者像を目指しているらしい。
「あ、それから、正午も元気だったよ」
「そ」
「……そっけないね、つくね」
 手羽先と桜飯は、あんまり仲が宜しくない。センセになる勉強を3匹でいっしょにしていたころから、反りが合っていなかった。
「して、ギアセンセ?」
「え?」
「そのカッコ、ちょっと扇情的すぎなぁい?」
 薄桃色のバスローブ。緩めの帯で前が肌蹴てしまっている。ウェブカメラが媚態をつぶさに伝えていた。
「そおお?」
「自覚しなさいよもっと。学庵でもそんななの?」
「違うよ、ちゃんと礼服着てた」
「着こなせているか疑問だわ。ていうか無防備すぎるのよアンタ。教え子たちや正午に喰われて回されて搾り取られても知らないわよ」
「そ、そんなこと正午はしないよ」
「どうだか」
 本気なのか冗談なのかわからない手羽先の口車。しばらく話して、おやすみ、と回線を切る。明日はちゃんとセンセするんだ、と心に決めて、寝台に潜り込んだ。

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