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4月
春は出会いの季節。ギア・ホーデン新年度。

 温かな風に綻ぶ花も、この季節を讃えているのだろう。

 小柄な体躯に、クッキーアンドクリームな毛皮。
 アイスクリームの容器に収まっていたら、まるでぺろりと食べてしまえそうな色合いの牛獣人、ギア・ホーデン。礼服に身を包み、シッポを振りつつ向かう先は、八獣学庵。新学期始業式当日、彼は高修部2年ら組を受け持つために赴任してきた。
 教え子たちに囲まれる夢の学庵生活が、今日から始まる。不安もあるけど、それ以上に期待に満ち満ちて、頬は緩むばかりだ。
 「おはよ」
「おはようございます、桜飯センセ」
「正午、でいいよ、まだ始業前だ。堅苦しい」
 窮屈そうに首元のネクタイを引っ張りながら、正門で迎えてくれたのは桜飯正午。醤油で炊いた米の色をした馬獣人である。ギアとは見習いセンセのころから旧知の仲。数年前に一足早く教鞭を執った桜飯が、駆け出しであるギアの顔を覗き込む。
「嬉しそうだな」
「そりゃそうだよ、だって今日からセンセなんだよ?」
 言葉と物腰を崩して、同じ釜の飯を平らげた仲間に、満面の笑み。つられて桜飯も微笑する。
「俺の初日とは大違いだ、ギアらしいな」
「正午、あのときすっごく緊張してたもんね。あ、ぼ……私だって、緊張してるよ」
 使い慣れた一人称を改めて、ギアが続ける。
「だけど、やっぱり。この学庵は憧れだもん」
 小修部から大修部まで、さらにその下とその上を適宜おおまかにカバーする。巨大教育施設である八獣学庵は、生徒たちの自由意思に任せたのびのびとした教育で知られる。
「ここでみんなと青春、するんだ」
 横棒の多い熟語を口にして、頬を赤らめる。ずっと志してきた理念だけれども、いざ言葉にするのは照れるらしい。

 ふいに、桜飯の尾がふわりと揺れた。その視線の先をギアが追うと、正門のところに誰かが立っている。中に踏み込むのを躊躇しているようだ。
 すたすたと歩み寄っていく桜飯。警戒して身を固くした相手に、無防備であることを示すため両手をひらひらと頭上で振りながら。
 それから何やら話をし、互いに礼をしてから、狼獣人らしき姿は門を抜け建物に入ってゆく。桜飯も戻ってきた。
「新入生?」
「いや、旅行者」
「え?」
「西のほうから来たらしい。ここが学庵だと言ったら、見てみたいってさ」
 そういえば、さっきまで桜飯が持っていた「入学式兼始業式兼新任式のしおり」がない。
「冊子、渡しちゃったの?」
「地図がないと不便だろうからさ」
「正午、変わったね」
 以前はそういうの、手放そうとしなかったのに。不思議そうに瞳をまんまるくして、さらに訊く。
「学庵生でないのに、中、入れちゃっていいの?」
「ああ。そのうちそうなるかもしれないし」
「え?」
「生きることは学ぶこと。誰もが生という通学路をゆく一学徒なのだよ」
 ぱあっと、ギアの表情が明るくなる。
「正午、かっこいい」
「そうか? まぁ、良くも悪くも、八獣学庵ってのはそういうところさ。おおらかで、てきとうだ」

 優しい音色のチャイムが鳴る。まだ式には早い時間だ。
「今朝は纏綿か」
「え?」
「纏綿繊維。いま喋ってる放送研のメンバー。2年ら組、ギアのクラスだ」

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