NEWMAN&NOMAN〜後編〜
「──早いもので、もう三ヶ月か」
「……何がだ?」
研究棟の広い廊下を歩く道満が呟き、背後に付いていた斗美が首を傾げた。
「ほら、彼──いや、彼女がウチの屋敷に来てからさ」
「んー? ……彼……彼女……ゴメン、誰?」
斗美が本気で聞き返しているのに気付いた道満は立ち止まって振り向いた。
惚けている風ではない。本当に覚えてないようだ。
「まさか……完璧に忘却の彼方なのかい?」
「いやぁ、今月はドンパチやら刃傷沙汰が多かったからな。楽しみすぎてすっかり忘れたらしい。んで、誰が此処に来てもう三ヶ月なんだって?」
斗美は誇らしげに胸を張って笑っている。
──身体能力が天才的な反面、脳味噌は単純にできている。それは知っていた。
しかし、こうもあっさり忘れてくれるとは予想外である。実験の現場にも立ち会わせたというのにだ。道満は疲れた溜息を吐いて教えてやる。
「ほら、牧場薫くんだよ。君が運転手のダインくんを連れて諸外国で遊んでいる間、彼女もすっかり我が屋敷の一員さ。そろそろある部門を任せようかと思っている」
「ああ、思い出した。アイツか」
斗美は手を打って思い出し、それから道満の最後の言葉を復唱した。
「ある部門を任す? 男から女に改造した小僧に何を任せるっていうんだ?」
「だから違うって……あ、噂をすれば影。当人を眼にすればわかるさ」
研究棟の廊下、向かいから歩いてくる人影を指差した。
「──やあ、道満博士」
かつて牧場薫という人物だったモノは、穏やかな笑顔で手を上げた。
斗美はそれを初見で『牛女』と理解した。
小柄だった体躯は成長して190センチにまで届いている。全体的なフォルムはグラマーな女性だが、瑞々しい艶で張りつめる乳房は以前にも増して大きくなっている。
バスローブのような衣を羽織るだけで、ほとんど全裸の姿だった。
乳房や腹部や顔面等を覗いた肌の大半が獣毛で覆われており、それは白と黒のマダラ模様である。手の指は五指あるが、爪は蹄の形が整っていた。幅広い腰、重そうな臀部、それを支える頑丈な太股、床を踏み締める足は大きな蹄で二足歩行をしていた。
ヒップの奥では揺れ動く牛の尻尾が覗いている。
足許まで届く長い長い黒髪は緩やかなウェーブを描き、頭部の左右からは髪をかきわけて一対の角が出ている。薫は角にまとわりつく髪を蹄の生えた指で整えている。
変わり果てたその姿よりも、薫の表情に斗美は驚かされた。
朗らかで心地よさそうな微笑、心に安寧を抱く者が自然にとる表情なのだ。以前の不安や脅えに戸惑っている様子は微塵もない。道満は薫を見上げながら近寄っていく。
「身体に不調はないようですね。調子はいかかですか?」
道満の問いに薫は色気のある微笑みで応じた。
「はい、おかげさまで好調です。健康すぎなのが悩みですよ。なにせ……んんっ!」
薫は右の乳房に二の腕をグイッと押し付けた。
すると人間の物とは形の違う、吸い付きやすそうな乳頭から白い液体を噴出させた。道満は示し合わせたかのように手を上げてそれを掌で受け止めた
「ね? 搾乳で痛いくらいに搾り出しても、すぐにオッパイが張るんですから。これって健康の証拠ですよね。本当、一日中搾ってても全然追い着かないんですよ」
恥じらいながらも嬉しそうな薫に以前の憂いは見当たらない。
道満は掌の液体を舐めて味を確認する。
「ふむ……栄養成分も申し分ない。やっぱり健康な証ですね」
「──ですよね。ああ、良かった」
そう言って二人は息を合わせて笑っている。
「この様子ですと乳腺炎なんかは問題なさそうですね。胎内の物もしっかり活動しているようですし……君自身にはもう何ら心配する必要はなさそうですね」
「ええ、ボクはもう大丈夫ですよ。でも、他の子達は……」
自然と朱に染まっている唇に手を当て、少し心配そうな顔をする薫。
「今日はあの子達の様子も見に来たんですよ。どれ、早速向かいましょうか」
道満が促すと薫が先導して、彼女が任されるはずの部屋へと向かう。
──そこは完全に牛舎だった。
研究棟とは渡り廊下で繋がったその牛舎には、十体以上の牛女が繋がれていた。
牛のようにそれぞれの柵に入り、そこに藁を敷いた床に寝そべったり座ったりと思い思いの格好で寛いでいる。いいや、ただ寛いでいる訳ではない。
──全員、搾乳されていた。
道満が乳牛用の搾乳器を彼女達専用に改良した代物である。
搾乳用のシリンダーは2本に変更、シリンダーの材質も透明な強化プラスチックに変えており、柔らかく変化した乳首から噴き出す母乳の様が見て取れる。そして、シリンダーを支える器具を取り付け、彼女達がどう動いても安定するようにしてある。
他は乳牛用とほぼ同等。吸入力は人間の母乳搾乳器とは比較にならない強力さだ。
搾乳機のコンプレッサーをあちこちで唸りを上げている。
チューブが真空になり、シリンダー内の乳房が乳輪ごと吸い上げられ、引き伸ばされていくと乳首から幾つもの乳白色の母乳が滲み出す。
シリンダー内で母乳が炸裂。プラスチック面一杯が母乳に染まる。それはチューブを介してドクンドクンと吸い上げられ、搾乳機へと飲み込まれていく。
そして、吸い上げられる度に彼女達の嬌声と喘ぎが牛舎一杯に響き渡る。
どうやら搾乳されるのが凄まじい快感らしい。
たわわに育った乳房の肉に蹄の伸びた五指を食い込ませて揉む者、人間の物ではなく牛の男根を受け入れるのに適した女陰に蹄を突っ込む者、快感の選び方はそれぞれだ。
その誰もが皆、現在の薫と似た姿だった。
だが、薫と彼女等では相違点がある。どの牛女も薫より体格的に小柄だ。薫が二メートル近い牛のような長身にして巨体なのに対して、彼女等の体格は普通の人間と大差ない。髪もそれほど長くなく、個人差があるのかショートヘア程度の個体もいる。
無論、乳房の大きさも薫が最大。頭に掲げる角の立派さも──。
「みんなボクより小さいから、発育不良なんじゃいかと心配で心配で……」
薫は不安そうに尋ねるが、道満は仕方ないですよ、と返した。
「あの子達は君のように一ヶ月もの変化期間を与えておらず、君のデータを元に改良したウイルスで一週間という短期間で変身してます。恐らくそれが原因でしょう。なに、報告された搾乳量は想定値を遙かに超えていますから問題はありませんよ」
「そうなんですか? 良かったぁ……いらぬ心配しましたよ」
薫は胸元に手を当てて、豊かな胸を撫で下ろした。
その時の拍子なのか、乳房が揺れ動いたと同時に乳首の先から自然とミルクが零れだした。薫が慌てて手を乳首を押さえたが、逆に刺激したのか噴き出してくる。
「あんっ! もう、さっき搾り尽くしたばっかりなのに……」
不満そうに言いながらも顔は嫌がっておらず、両手で乳首を弄り始めている。
「来たついでに搾っていったらどうです?」
ミルクにまみれた乳房を持ち上げる薫に道満はそう勧めた。
「折角だから君も含めて、全員の身体検査もしていきますよ。別に搾乳したままでもいいですから、検査されてる間の暇潰しのつもりで──そうしなさい」
「そ、そうですか……じゃ、じゃあお言葉に甘えて……」
牛舎の中央、一番大きな柵の中へと入る薫。
搾乳機のシリンダーを招く手ももどかしい。乳を搾り出したくてしょうがないらしい。慌てるように大きな乳首へとシリンダーを装着すると、スイッチを入れる。
既に滲み出ていた母乳は、堰を切ったかのように噴き出した。
「ああっ! はぁ……痛くて千切れちゃいそう……でも、それが……あはぁっ!」
甘い悲鳴を上げて薫は乳房の裾野へと手を這わせる。
「あっ……はぁん……もっと出さないと……もっともっと搾らないとぉ……んんっ!」
胸の肉、その根本を押してやるだけで噴出するミルクの量が増える。
もうシリンダーでは吸入できないくらいの量が吹き出ており、余ったミルクは微かな隙間から滴り落ちている。それがこぼれ落ちて足許の藁へと落ちる音がした。
いや、それだけではない。薫の股間からも愛液の滴が落ちていた。
「うっん、あっ……お願いです……そんな……見ないで……くださ……いぃ……」
羞恥心からなのか薫はそう訴えるが、説得力があまりない。
見られる事で興奮するのか、道満や斗美が眺めている方が激しく感じている。アソコを弄る指の動きも早くなり、乳房をこねる指にも力が入っていく。
そうして快感が高まれば高まる程、生産されるミルクの量も莫大になるようだ。
「あっ、あっ、あああああっ! おっ、オッパイが熱い……熱いっんんっ!」
湯気が出そうな勢いで紅潮する薫の肌。
玉のような汗、喘ぐ口から零れる涎や唾、女陰をしとどに濡らす愛液……そして、柔らかい形へと変化した乳首から止め処なく溢れる暖かいミルク。
様々な体液にまみれて身悶える薫──そこにかつての青年の姿は片鱗も残っていない。
自身の成果を満足げに見つめる道満は、眼を細くして笑っていた。
「いいですよ、その調子で励んで下さい──」
もう道満の声も届いていない。薫の心は快感という無我の境地の果てだ。
「──それがアナタ方のお仕事なのですから」
全員の身体検査を終えて、道満達は牛舎を後にした。
「……結局、奴等にはどういう細工をしたんだ?」
研究棟の廊下を行く斗美は、先を進む道満の背に訊いてみた。
「まず、例のウイルスで人間の形態をなるべく現存させたまま、牛のホルスタイン種、それも雌牛としての機能を定着。外観は人間型だが内臓諸器官、子宮や卵巣も牛の物。当然、乳腺細胞も牛だから、搾乳した結果得られるのは牛乳だ。お乳を出すには妊娠してないといけないから、胎内に疑似妊娠の為の処置を施して、なるべく早く泌乳するようにプロラクチンのような催乳ホルモンを投与。変化が完了したと同時にお仕事が始められるようにしといた。まあ、見た目での細工はそんなところかな?」
「あれ? 牛って雌ならいつでも牛乳出せるんじゃないのか?」
「違うよ、人間のお母さんだって妊娠しないとオッパイ出ないじゃん。牛だって同じさ。だから酪農で飼われている乳牛なんかはみんな妊娠前後なんだよ」
「へえ、そういうモンなのか」
意外な事実に感心する斗美に、道満は引き続き解説する。
「んで、見えないところでの細工は外観が整った時点で完成してる。牛にしろ人にしろ、母乳を出すのにストレスは大敵だ。だからリラックスするように彼女達の食事や部屋には色々と仕掛けてある。変化する最中に苦痛は一切与えなかったのもその為さ。寧ろ早く変化したい、と自分から願うように快感中枢を刺激するようにもしたしね」
「あの尋常じゃないよがり具合の原因はそれか……」
「そういう事さ。んで、雌牛としての能力が完成したら、乳腺細胞を刺激されると凄まじく感じるように神経配列も調整してある。だから彼女達は率先的に搾乳されたがる。それに、精神とは肉体に左右されるものだ。肉体が変われば、精神も変化を余儀なくされる。彼女達にはそれを最大限に強要したまでの事……七割くらいは彼等、だけどね」
薫での実験成功の後、道満は三十人近くの被験者を取り寄せた。
なるべく『スポンサー達』に支払う経費を低くする為、女性よりも格安な男性ばかりを選んだ。どうせウイルスで性転換させるのだから構わない。
「彼等の大半は無職の若者さ。どうせだから楽して働かせてやろうと思ってね」
「身体を張った肉体労働で第一次産業……確かに、その通りだな」
斗美は道満が言っていた意味をしみじみと理解した。
「座ったり寝転がってるだけでいい仕事、しかも食っちゃ寝でもできるしね」
悪戯に笑って道満は話を締め括った。
胸の下で腕を組んだ斗美は、自分の頭なりに考えをまとめた。
「奴等はもう人間じゃない、半ば人の姿を模しただけの獣。謂わば人畜だ。それで人間は減らした。単純に殺すのではなく、効果的にな。そんでもってあの牛女共を使って酪農をする……そうすりゃ人間で人間の食い物も賄える、って寸法か」
「『スポンサー達』の意向に沿ってるだろう?」
おまけに彼女達は喜んで搾乳してくれる──苦痛を味わう者はいない。
「なかなかに上手くいった。彼女達のミルクはそこいらの物とは栄養の質が段違いだ。健康にいいだけじゃない、回春に若返り、精力増強の効果まで確認されている。いまや『スポンサー達』を介して、一部のお偉いさん達に高額で引き取られている」
「……てか、そういう風になるよう仕組んだろ?」
ニィと微笑む道満、その笑みだけで答えには充分だった。
「そうか……あの薫って小僧に任せるのは、奴等の面倒を任せるって事か?」
「御名答、彼──いや、彼女ならあの子達の母役には適任だろう。なにせ彼女はあの種族の始祖だからね。名前を付けるとしたら牛女……う〜ん、和名なら人偏に牛で件(くだん)かな? 正式名称だと『カウ・サピエンス(雌牛人間)』ってところだね」
「また、適当に新種を創って適当に名付けやがって……」
呆れる斗美を更に呆れさせるような案を道満は語り出す。
「本当だったら薫くんが来た時点で、男性器を変化させて腹部に乳牛そのままの乳房ができるようにする案もあったんだ。そうすれば胸の乳房と腹の乳房で倍のミルクが産出できるからね。でも、なんかミルクの成分が変わりそうなんでやめた。それと彼女達には繁殖能力がない。遺伝的には人間のも牛のも受け付けないようにしてある」
一種一代限り。即ち、これ以上繁殖する恐れはない。
──ウイルスを使えば増えるが、その分、人間の数を減らす事ができる。
「……てか、えらいタンパクな牛乳になりそうだな、それ」
想像すると牛乳をがぶ飲みする気がなくなる。
「まあ、人間の乳房から発達させたあの二つのおっぱいでも、ホルスタイン並の産出量が獲得できるようにしてあるから問題ないよ。希望があれば付けるけど……」
「……あの中には手を挙げそうなのがいて恐いな」
「その時はその時さ──さて、そろそろ晩御飯の時間だ。屋敷に戻ろう」
研究棟の出口、差し込む夕日の光と共に道満は振り返った。
「そういや、今日の晩飯はなんだ?」
「さて、料子ちゃんはクリームシチューだとか言ってたような気が──」
「……タイムリーって言うより狙ってるだろ、それ」