NEWMAN&NOMAN〜終編〜
広大な八ツ橋家の庭──そこには二足歩行する鰐が待ち受けていた。
正確に言えば鰐ではない。鰐と人間を合成したような生物だ。
屈曲な巨人の体躯を鰐の鱗で覆い、強靱な尾を振り回す。研ぎ澄まされた刃のような歯が整列する大顎。それを限界以上に開けて道満へと飛び掛かる。
怒濤の突進に猛然とした噛み付き。その巨大な顎から繰り出される凄まじい破壊力は道満どころか研究棟の玄関まで呑み込んでいた。コンクリの砕ける音が響く。
何度も顎を動かして口の中の物を破壊する鰐。
しかし、その顔を人間のようにしかめると、噛み付いて破壊した物を吐き出した。そこには血の一滴もない。そもそも口に含んだ時点でコンクリの味しかしなかった。
「あっ……ぶねえなぁ< なんなんだあの鰐のバケモノはっ?」
背後からの斗美の声に、鰐は巨体を振り向かせた。
そこには道満の首根っこを掴んで引き摺る斗美の姿があった。そのまま引き上げて道満を立たせると、押し退けるように背後へと突き飛ばした。
「これも『スポンサー達』に言われて創った代物か?」
「いや、コレは違うよ。コレは……僕の知人が創ってしまった失敗作、か?」
掴まれていた首周りをさすりながら道満は自信なさげに言った。
「人間の脳に秘められた能力を極限まで高める研究をしていた施設があるんだが、そこで改良された元軍人さんなんだ。筋肉の大きな運動を調整、及び爬虫類的な本能行動を司る大脳規定核──通称『ワニの脳』を弄くられたんだが……失敗してこうなった」
鰐は道満と斗美を交互に見ている。
そして、どうやら目標を道満から斗美へと移したらしい。
「だからって鰐のバケモノってのは失敗にもしても巫山戯すぎだろっ?」
拳を打ち下ろしてくる鰐、それを斗美は喚きながら避けた。
「いや、一応そこも『スポンサー達』と繋がっているから、何らかの要望があってこうしたんだろうが、細かい意図までは僕も知らないんだ。と言うより、凶暴になりすぎて手が付けられないから、なんとかしてくれって要望が来てたのは知ってたけど……」
「なんで此処にいるんだよっ? 直接歩いてきたとか吐かすなよっ?」
「いや、僕ん所もそうだけど、基本的にこういうのは世間沙汰にできないトップシークレットだからね。下手を打つとモスマンやチュパカブラみたいな変な噂になるし」
「あれも『スポンサー達』の差し金だったのかよっ?」
「まあ、他にもあげれば数限りないけどね……でも、コレはどうしたんだろう?」
悩んでいる道満の背後、音もなく二つの影が現れた。
「──申し訳ありません道満様。到着した途端、麻酔が切れて暴れ出した次第です」
「──傷物にして良いか私達では判断できず、此処までの侵入を許してしまいました」
執事姿とメイド姿の女性、それぞれ顔を上げずに報告する。
「蘭丸くんに完奈ちゃん……ああ、って事はあの施設が有無を言わさず送りつけてきたって事か。僕が面倒臭がってのらりくらりと逃げてたから業を煮やしたのかな」
「「どうやらそのようで──」」
執事とメイドは異口同音に口を揃えて頷いた。
「なるほどそれなら納得できる。そう言う事だってさー! 斗美ちゃーん!」
既に安全圏にまで退いていた道満は大声で斗美に伝えた。
すると斗美は動くのを止めた。
それを好機と見た鰐は巨大な拳を斗美に目掛けて振り下ろした。
だが──あっさり止められた。
斗美の細い女の腕が、巨人の如き鰐の剛腕を押し止めたのだ。
微かに人間らしい驚愕の相を浮かべる鰐、俯いた斗美の顔は見えない。
「へえ、そうかい。だが……もう知ったこっちゃねえ」
ボソリ、と斗美は呟いた。口調もさることながら声音も低い。
「コイツは俺に喧嘩を売ったんだ、道満がどうする気かは知らねえが、コイツは俺に牙を剥いたんだ! 刃向かったんだっ! 楯突いたんだ< 逆らいやがったんだっ<」
顔を上げた斗美、その表情に鰐は露骨に怯んだ。
男らしいとか雄々しいとか勇ましいどころではない──禍々しかった。
「道満! コイツ殺してもイイよな? つうかバラすぞっ<」
問うて確認するのではなく、決定事項を再確認しているような言い方だった。
斗美がこうなると道満でもお手上げだ。やれやれと溜息を吐いた。
「……せめて綺麗に腑分けしてね。資料にするからさ」
「──承知っ<」
斗美は鰐の大きな拳を力で押し返すと、驚いた鰐の体勢が崩れた。
それでもほんの一瞬である。鈍重な図体と低く構えていた足腰、加えて人間にはない雄大な尻尾が第三の足となり、鰐の姿勢はすぐに立て直された。
しかし、その一瞬ですら斗美には余分だった。
左右の手が腰に帯びた4本の大刀を一本ずつ掴み、それを引き抜いて左右に振り払い、返す刀を同時に交差させるが如く軌跡が十字を描くと、弧と円をなぞるように切っ先が宙を泳ぎ、それでは足らずと中心目掛けて螺旋を進み…………。
刃の煌めきが旭光の如く飛び散った一瞬の後、斗美は鰐の背後に回っていた。
両手に構えていた2本の大刀は、半ばまで鞘の内である。
それがゆっくりと鞘へ収まり、鯉口がパチリと軽快な金属音を響かせた瞬間。
──鰐の巨体は壊れた解体標本の如く爆ぜ散った。
飛び散る血飛沫と肉片を一つとて浴びぬ斗美は凄絶な笑顔である。
「あー! スカッとした!」
晴れ晴れとした笑顔で言い切る斗美、道満はあまりいい顔はしなていない。
「あ〜あっ、こんなにバラバラにしちゃって……でも、自業自得ですかね。高々ケモノの能力を得た程度で身の程知らずに暴れようとするから、あんなバケモノの餌食になっちゃうんですよ……これも食物連鎖の一環です。運がなかったと諦めなさい」
道満は足許に転がる鰐の目玉に向けてそう言った。
「後は野となれ山となれ、土から産まれたのだから土に還るのもいいでしょう」
道満が指を鳴らした途端、鰐の残骸は瞬時に土塊と化した。
一陣の風が吹けば、そこに鰐が存在した痕跡は塵の一つとて残らなかった。
「さて、屋敷に戻ろうか──」
道満の言葉に斗美や他の者達も従った。
そう、まるで何事もなかったかのように、日常の一風景のように──。
──普通ではないとはわかっていた。
薫は一連の光景を、壊れた玄関の物陰から見てしまった。
あの後、屋敷に戻る道満を見送ろうと追って来たら、今の光景に出会したのだ。
普通の人種ではない事は重々承知していた。
謎の薬で自分を雌牛のような姿に変え、たった三ヶ月で大勢の人々を秘密裏にこの屋敷へと幽閉し、牛女の群れを創り出して、いつしか自分を含めて全員を懐柔している。
気付けば此処の暮らしに馴染むように仕向けられていた。
快楽による催眠、快感による洗脳、それで麻痺させられていた頭が冷えてくる。
──恐かった、途轍もなく恐くなった。
あんな鰐のバケモノを一瞬で屠ってしまった斗美、影も形もない所から突然現れた執事とメイド、そしてバケモノの残骸を不可思議な力で消してしまった道満。
人間じゃない──その考えが頭から離れない。
恐い物見たさからなのか、薫はソッと物陰から顔を出して彼等を見送った。
──その時、背筋が凍った。
背を向けて歩く面々。その中で道満だけが僅かに首を振り返らせていた。その口元が釣り上がると加虐的に微笑むのを見て、薫はその場に腰を抜かした。
そして、唐突に理解する。
今の出来事はパフォーマンスに過ぎない。薫に自分達の本性を垣間見せる為のつまらない寸劇だったのだ。何故だか知らないが薫はそう確信させられていた。
と同時に、道満に対しての絶対服従を心に誓わされた。
彼に逆らえば最後、死すら乞うような無惨な生を与えられかねない。
道満からは逃げられない──道満は逃がさない。
だから、この命が尽きるまで彼の意に服従するしかないのだ。道満は自分に従う者には惜しみない擁護をしてくれる。それは今までの接し方でわかっている。
逆らえば、あの鰐より惨たらしい目に合わされる。
薫は遠ざかる道満の背に向けて、跪いて頭を垂れるしかなかった。
「──そう、それでいいんだよ」
鼓膜の奥からはっきりとした幻聴が響く。薫はそれを疑いはしなかった。
完
小説一覧へ
感想は掲示板までお願いします。