NEWMAN&NOMAN〜前編〜
 
 
 ──無数のモニターで覆われた大きな部屋。
 一人は部屋の中央に据えた豪華な椅子に座り、組んだ手の上に顎を載せて幾つものモニターをのんびりと眺めていた。もう一人はその背後で付き添うように控えている。
 椅子に座る人物──八ツ橋道満は投げ遣りな態度で呟いた。
「『スポンサー達』の意見はこうなんだ。『人間が多すぎる』……だとさ」
 華奢で優雅な面持ちの青年だ。気品はあるが気さくな雰囲気もある。
 特別縫製のベストとストレートパンツはどう見てもオートクチュール。なのに、その上から羽織るのは得体の知れない汚れにまみれた白衣だ。高価に違いないベストやズボンもシミだらけ。しかし、気にしている様子はない。
「それに対処する方策を研究しろ……ってのはアバウトだと思わないか?」
 振り返る顔はいつでもポーカーフェイスの涼しい微笑みだった。
 背後に控える人物──腕斗美は適当に返した。
「愚痴のように聞こえるけどよ……お前さん、やる気満々じゃないか」
 長身の物凄い美女だ。なのに、見た目はがさつで男らしい。
 完全な八頭身に美脚としなやかな腕、目立つ巨乳とふくよかな臀部。腰回りは鍛えているのか頑丈に引き締まっている。美しい小顔には切れ長な瞳と整った柳眉に洗練された小鼻、なのに表情はどうしてか男前なのだ。
「どうせ連中から上手いこと資金を引き出す算段で頭が一杯なんだろ?」
 腰まで届く長い黒髪は無造作に伸ばし放題。ボサボサのそれを彼女は掻き毟った。その仕草すら男らしい。服装も白のタンクトップにだぶついたワークパンツとラフな格好だ。
「いや、それはいつもの事だから、思考回路の一割もさいてないよ」
 それよりも──と、道満は嬉しそうに笑った。
「彼等の公認で世界中の僕みたいな奴等が無茶を始めるんだ。ましてや、それが採用されれば、世界の常識は秘密裏に変えられていく。それが楽しみでしょうがない」
 道満の語る『スポンサー達』──斗美は会った事はない。
 全容は途方もない規模を誇り、通常の社会観念では推し量れず、闇よりも暗い深淵から全世界の礎に蔓延る、名も無き虚無の如き者達。異なる権力の枢密に座る者。
 ──それが道満の宣う『スポンサー達』だ。
「具体的に言えば『これ以上、人間が生態系を食い潰さない策を考案せよ』だとさ。その為の手段は不問、寧ろ『人間を積極的に減らす方向で思案せよ』、ともある」
「……つまり、間引きしろって事か? だったら……」
 斗美は腰に帯びた何かに触れ、物々しい金属音を響かせた。
「三十分もあれば悪党の百人も撫で斬りにしてくるぞ?」
 彼女は腰に太い革ベルトで左右に二本ずつ、大振りの日本刀を帯びている。
 鯉口を切って弄ぶ彼女を、道満は顔色一つ変えずに宥めた。
「いや、単純に殺せって話じゃないんだ。人間を間引くにしても、それを『世界の為に効果的に活用する手段を採用しろ』って言うんだよ。殺してバラした程度じゃあ肉塊ができて終わりでしょ? それでは駄目なんだよ。後始末が面倒なだけさ」
「どんなクズでも犬の餌くらいにはなるが……それじゃあ駄目なのか?」
 斗美の乱暴な案に、道満は首を横へと振った。
「駄目なんだよ。間引きをするならするで、その人間は彼等が目指す新たな世界へ貢献、あるいは還元する形を取れ、というお達しだ。単純に人間の個体総数を減らしたいんなら第三次世界大戦でも始めるだろうさ。でも、あれは世界も傷付けるから効率が悪い」
「それじゃあ……人肉の詰め合わせでも売れってことか?」
「ああ、極論すればそうらしいね」
「マジかよっ? カニバリズム推奨なのかよっ?
 冗談半分の発言が素直に肯定され、斗美は驚いてしまった。
「それは違うよ。カニバリズムとは食人風習。自分の属する集団全体に関わる社会的、宗教的な儀式としての行為。原始民族などでは葬儀の際に執り行われる神聖な儀式なんだ。しかし、君の言うように食肉として売るとなれば話が違う。精神的欲求を満たす為だけに食う人肉嗜食、アントロポフォジーとも違うし……と言うより、もう人間社会が成り立つ上での常識を根底から覆す必要があるね」
 道満の知的なツッコミにも辟易せず、斗美は自分なりの感想で返した。
「もっとも、人間は人間を食い物にして生きる生物だがな」
 まあ、それはさておき──道満は話題を戻した。
「彼等としては最終的にはそのような事態も想定しているらしい。このまま無秩序に人間がのさばれば、遅かれ早かれ人間が人間を物理的に食べ始める、そんな展開を迎えるだろうとね。どんな対策をしても間に合わない、もう何も彼もが遅すぎるんだ。なにせ人類は既に数百種の生物を食い潰している……現在進行形でね」
 道満の意思に応えるが如く、複数のモニターが様々な参考画像を映し出す。
「そもそも生物が食物連鎖の美しいピラミッドを構成するのが、生態系として最も望ましい形態だ。例え異常気象や一種族の大発生が起きても、それは時を経て修復される。また、何らかの要因が重なって、生態系ピラミッドの一角が脱けたとしても、その部分を埋めるべく新しい種が繁栄する。そして、生態系は常に美しい三角形を維持しようと働く。これぞ正しく自然の叡智、僕等の技術なんぞ子供騙しに過ぎない」
 道満は自嘲しながら話を続けた。
「しかし、人間はこの生態系のピラミッドには属さない。普通の考えだと人間は生態系の頂点、食物連鎖の頂上にいると思うだろうけど、これは大きな間違いだ」
「んでだよ? 生態系の頂点にありながら、無駄に増えたのが問題じゃないのか?」
 普遍的に通じる考え方に道満は異を唱えた。
「それが間違いなんだ、肉食獣は肉を食べ、草食獣は草を食べる。多少の雑食もあるが、大半の生物はその生涯で食すべき対象を決定されている。それ以外の食物を摂る事はまずありえない。草食獣が肉を好んで食べ、肉食獣が草で腹を満たすなんて事はありえない。だから生態系は綺麗なピラミッドを形成するんだ──では、改めて問おう」
 
 
 ──人間は何を食べている?
 
 
「……そういう事か、合点がいったぜ」
 斗美は道満が言わんとしている事実を漸く悟った。
「そうさ。人間は生態系の上から下まで、分け隔て無く食べられる生物なんだよ。そりゃあ好き嫌いや美味い不味いは多々あるけれど、海の幸も山の幸も分け隔てなく食べられる。生態系の外側から全てを搾取できる、唯一の生物なんだ」
 その貪欲な食生活の問題点は数多い。人類はあまりにも無頓着に生態系から搾取し過ぎたのだ。それでも尚、人類は自らの生きる糧しか心配しない。
「だから彼等はこんな結論も下している。『新たなる世界の為、人間は数を減らすべきだ。もしくは人間の食料は増えすぎた人間で賄うがいい』、とね」
「また、えらい横暴な考え方だな。何様のつもりだ」
 彼等──『スポンサー達』は尋常ではない。皆、バケモノの類だ。
「まあ、彼等は色んな意味で人間離れした方が多い。高等的な存在だと讃えてあげても大して喜ばないけどね。みんな漫画の悪役を張れるレベルだ。一般人なんて紙屑と同列にしか見てないよ。いや、もうちょいマシか、虫ケラなんかと同じかな」
「……一応、生物の範疇に捉えられてるのか」
「まあね。だからと言う訳ではないけど、彼等は人間本意ではなく、生態系本意や世界視点で物事を捉える。そういう方々の発案だもん。しょうがないよ。それでもまあ、穏健派な方もいるから、妥協案としてこうなったんだろうね。僕らのような事情に精通した者へ秘密裏にこっそりと活動させて、その結果を報告せよ、とね」
 決して表立たずに裏から世界に暗躍、徐々に世界の成り立ちを変えようとするのが彼等の姿勢である。時として起こる大衆の力を蔑ろにしていない証拠でもあろう。
「で……どうする。素直に従うのか?」
 意味深な斗美の問いに、道満は朗らかな笑顔で答えた。
「まさか──僕は人間が大好きだもの。悪戯に間引いたり殺したり減らしたりするなんて以ての外さ。斗美ちゃんも知ってるでしょうに、僕が好きな事を」
「ああ……この身にイヤと言うほど教え込まれたよ」
 斗美は自分の重たい乳房を持ち上げる。その顔はウンザリしていた。
「そう、僕の好きな事……改造! 変身! 合体! 進化! パワーアップ! 留まる事を知らない新人類への可能性! 人間から人間でない物への変化の過程! それこそ僕が求める絶頂の瞬間! 特にありきたりな物をありえない美しさに造詣する一瞬なぞ陶酔も恍惚も及ばない、窮極のエクスタシーを感じるっ<
「──駄目だ、ビョーキだ」
 熱弁を振るう道満に、斗美は抑えた頭を振った。
「まあ、それはさておき……折角だから組織の命令には応じる事にしよう」
 道満は椅子から立ち上がり、斗美に着いてくるように促した。
「──僕が望む形でね」
 
 
 広大な八ツ橋家の敷地。その一角にある巨大な研究棟。
 その内部にある被験者や実験協力者の為の個人室──その一室に二人は訪れた。
 なんとも表現し難い部屋である。
 二十畳ほどの部屋には敷き詰められた絨毯。まるで藁でも敷き詰めたかのような形状なので、一見すれば牛小屋である。部屋に窓はないが、あちこちにテレビやパソコン、書籍を詰め込んだ棚があり、テーブルも据え付けてある。
 ベッドはないが、この絨毯ならばそのまま寝ても支障はなさそうだ。
「えと……此処は牛小屋か? それとも人間の部屋か?」
 困惑気味で訊いてくる斗美の反応を、道満は待っていたかのようだった。
「そのどちらとも受け取れるようならコンセプトは成功だね」
 部屋の奥には一人の青年が蹲っていた。
 十代後半──見るからに線が細く、自己主張ができなさそうな優男。
 見た目が多少良いのが取り柄くらいのものである。
 青年は部屋に来訪した道満達を、警戒の眼差しで見つめている。
「彼が今回の被験者さ。組織に打診した要望と違うんだけど、まあ良しとしよう」
「一体どんな希望をしたんだ?」
「ん? 閉鎖的空間に長期間閉じ込められても、そりなりに環境が整っていればストレスをあまり感じない──つまり、長年引き籠もり経験のある若者。出来れば可愛い子をお願いしますって頼んだんだけど……何故か女の子じゃなく男の子が寄越された」
「ああ、要望と違うってソコか。まあ、野郎にしては可愛らしいけどな」
 斗美は顎をさすりながら青年を見定めた。
「この際だから男の子でもいいけどね。いや、男の子で成功すればタナボタか……本来、僕のプランだと女性限定だったんだけど、男性でもイケるなら女性限定って枠に囚われずに済む。それに女性より男性の方が『スポンサー達』も格安で卸してくれるし」
 道満はサラリと言ってるが、要は人身売買である。
「てか、何をやるつもりなんだよ、お前は」
 ──生態系を荒らす人間を減らす事、人間の糧は人間で補完する事。
 斗美にはあまり生易しい考えが浮かばない。
「大丈夫、そんな酷い真似はしないよ。そもそも共食いなんて餓死寸前の生物が取る最終手段だ。摂取栄養としては内臓が不慣れだから効率が悪い。それに僕は気持ちいいのは大好きだけど痛いのは大嫌いだからね。他人も痛い目にあわせるのは好きじゃない」
 彼の発言は本音だ──しかし、やる事はえげつない。
 近付く道満に青年は尻込みするが、背後はもう壁なので後退れない。
「どうも初めまして、牧場薫くん──僕はこの屋敷の当主で八ツ橋道満と申します。以後、よろしく。こちらは僕の友人で腕斗美さん。どうぞよろしく」
 道満は慇懃無礼に挨拶をし、斗美は腕を組んだまま軽く頷いた。
「あ、あの……俺、新薬試験の被験者公募って聞いた……だけなんです、が……」
 薫が知っているのはそれだけである。
 薫は両親とは疎遠であった。仕送りも限界と通告され、そろそろ真面目に職を探すつもりでいた。しかし、半ば引き籠もりのような生活を続けてきたので、バイトすらも満足に勤まらない。そんな時、あるネットでこの仕事の存在を知った。
 噂話によくある試薬のバイト、薬を飲むだけで楽チン、そんなイメージだった。
 酷い副作用やアレルギー反応による苦しみ。なんて恐い話も聞くが、死者が出た話は聞いた事がないし、それほど凶悪な薬を試されるとも思っていなかった。
 だが、此処は予想したイメージとギャップがありすぎる。
 まるで犯罪者を運搬するような外が見えない特殊車両に乗せられ、ご丁寧に目隠し付きで連行されてきた。目隠しを取られて初めて見たのが、この牢獄みたいな部屋だ。
 不安と後悔に蝕まれる薫に、道満は笑顔で語りかけた。
「そうですか。それだけ知っていて下されば充分ですよ。なにせその通りの内容ですからね。なに、一日一度、投薬を受けて頂くだけです。ご安心下さい」
 道満は笑顔を崩さぬまま、透明のアンプルを取り出すと用意を始めた。
 注射器をアンプルで満たすと、手際よく薫の寝間着の袖を捲り、腕をアルコールで消毒する。斗美に目配せをすると薫の身体を押さえ付けさせた。
「あ、あの……なにを……?」
 外見とは裏腹に凄い力で抑える斗美に、薫は不信感を募らせた。
「いえね、この薬液は体内に入った途端に作用するんですが、最初の投与は激痛を起こすのでね。暴れられると困るんですよ。これはその対処です」
 注射器の針を薫の腕に刺すと道満は宣告する。
「ああ、それと契約書に書かれた文章をもう一回復唱しておきますが、この薬を投与されたら最後、二度と此処から出られません──生涯、この屋敷で生活して頂きます」
 薫はその言葉に耳を疑った。だが、すぐに全身を見舞った激痛に意識を吹き飛ばされ、暴れる暇も抵抗する間もなく卒倒してしまった。
「よく読みましたか? 契約書を……」
 そう呟く道満の声を、薫は眠りの極地で聞いたような気がした。

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