カーテン越しに窓の外が明るくなり始める時間。一日の中で唯一目覚まし時計が働く時間。それはけたたましい音を部屋中に鳴り響かせながら、ずっと部屋の主が自らのボタンを押しとめるのを待っている。その主もその音には気づいていた、がしかし中々感覚が目覚めない。身体も気分もものすごく重く感じ、いっこうに目を覚ましたいと言う欲求が湧いてこなかった。
それでも目を覚まさないわけにはいかないから、彼は渋々とだるそうに自らの身体を起こす。そして彼の周りだけ時間の進みが遅くなったのではないかと思うほどゆっくりとしたスピードで手を動かし、ようやく目覚まし時計のボタンを押し、その音を止めた。
「ぁー・・・クソッ、何だ・・・?頭いてぇ・・・」
男は目覚まし時計を止めたその手で頭を押さえて呟いた。後頭部から側頭部に、何かどんと重いものがのっかり、皿に締め付けられているような痛みを感じる。彼はその痛みの原因を思い出そうとするが、どうにも記憶が曖昧だった。ズキズキ痛むその頭を何とか左右に回しながら部屋の様子を確認する。するとベッド下に転がった無数の空き缶。 8割がビールで1割がチューハイとカクテル、残り1割がアルコールの無いジュースだった。そして今まで自分が寝ていて、そして今座っているベッドは酷く乱れ・・・そして汚れていた。
「・・・またやっちまったの・・・か・・・?」
曖昧な記憶の中で、またいつもの過ちを犯してしまったことをようやく、何となくではあるが思い出した。男は深くため息をつくと、頭に当てていた手をベッドに下ろし身体を支えようとした・・・その時、その手がベッドではなく別の何かに当たったことに気が付いた。触った感触は・・・蛇やトカゲのような鱗に触れた感じだった。男はゆっくりとその感触を感じた方を見た。
彼の手の先にいたそれは・・・蛇やトカゲではなかった。中型犬程度の大きさで全身が淡く薄い緑色の鱗で覆われ、長い尻尾と鋭い爪を生やした四肢、背中には大きな翼を持ち、頭には立派な1対の角を持ち、その角の間からは金色の鬣を生やしたそれは、小さいながらも紛れも無く伝説に出てくるようなドラゴンだった。それは何処か幸せそうな表情で瞳を閉じ、小さな寝息を立てていた。
しかし、男はドラゴンを見ても表情一つ変えず、驚く素振りは無かった。それどころか、その美しい鱗がかすかにカーテンから漏れる光を浴びて輝く様子に少し見とれ、その数秒後には何の心変わりか一転して表情も重くなり深いため息をつく。そしてかすかに触れていたその手でそのドラゴンを揺さぶりながら、痛む頭に響くのを耐え声をかける。
「ぉら・・・起きろ宮島。朝だぞ・・・起きろって宮島!」
男の声が部屋に、そして彼の頭に響き渡る。男は何度か同じセリフを繰り返し、ドラゴンを宮島と呼び起こし続けた。2分程度経過した時、ようやくドラゴンは面倒臭そうにその瞳をゆっくりと開き始める。そして四肢に力を込めぐっと伸びをしながらその大きな口を豪快に広げあくびをした。眠たそうな目で辺りをキョロキョロし始め、ようやく横にいる男の存在に気づく。
「・・・あ、崎谷くんおはよー」
「おはよー・・・じゃねぇよ・・・」
ドラゴンに崎谷と呼ばれた男はまた手で頭を抱えてうずくまった。実際にも比喩にも頭が痛かった。
「クソッ、もうゼッテェしねぇぞ・・・マジでもうやめだ・・・!」
「崎谷くん、この間だってそう言ってたよ」
「るせぇ!・・・痛ッ・・・!・・・あぁクソッ・・・」
「だからさぁ、僕は止めたよ、飲み過ぎだって。未成年なんだから、無茶しちゃいけないよ」
「・・・だからもうしねぇって言ってるだろ・・・」
男はそう言いながらゆっくりと重くだるい身体を起こし立ち上がる。その姿は一糸纏わぬ姿のため彼の鍛えられた肉体がドラゴンの目に入る。
「・・・やっぱ崎谷くんの身体って凄くカッコイイ」
「・・・馬鹿言ってねぇで、テメェもさっさと戻れよ。・・・学校遅れるぞ」
男はそう言いながら、ベッドの上に脱ぎ捨てられてしわくちゃになっていた自分の下着やシャツ、ズボンを順にそのまま身につけていく。しかし、彼が全て自分の衣服を身につけても、ベッドの上にはもう1人分の服が脱ぎ捨てられてあった。男のよりも少しだけサイズの小さいため、彼のものではない。
「じゃ、学校遅れるわけにも行かないし・・・僕も支度するかな」
ドラゴンはそう言いながら首を左右に動かし、関節の動きを確かめるようにした。そして全身に力を込めて、小さな四肢で体を支え踏ん張る。
「んっ・・・!」
するとドラゴンの体は突然変化を始める。全身の鱗が変質し、体に吸い込まれるように消えて行き健康的な色の皮膚が姿を現す。手足、そして指は徐々に細く長く伸びていき、体のバランスが二足歩行に適したものになる。尻尾と翼、頭の角も吸い込まれるように短くなって、やがて体の中へと消えていった。変化が終わったあと、そこにいたのは一人の若い男だった。ドラゴンがさっき崎谷と呼んだ男と同い年ぐらい、しかし体は一回り小さく、顔つきも何処か幼さが残る可愛らしい表情をしている。変化した直後で衣服を纏わないその姿も、崎谷と比べるとハッキリするほど華奢だった。
・・・しかし、その胸元には一見するとよく分からないものの目を凝らしてようやく確認できる小さく浅い傷が新しいものや古いものなど無数についていた。
「ふぅ・・・やっぱ人間に戻る時ってつまんないなぁ。ドキドキ感がないもん」
さっきまでドラゴンだった彼は、男のほうを振り返りそう言った・・・つもりだったが、既に男の姿は部屋に無かった。彼の声に対しての返事も返ってこず、彼の声がむなしく部屋に響いた。
「・・・置いてかれた・・・?・・・なんだよ〜折角のサービスタイムなのにぃ」
彼はふてくされた表情を浮かべたが、しばらくして小さなため息をつくと、ゆっくりと周りを見渡し小さく呟く。
「やっぱ・・・崎谷くんの部屋・・・落ち着くな・・・崎谷くんの匂いが満ちてるから・・・」
彼は少し穏やかながらもにやけた表情を浮かべるが、見渡していく中でベッドの上にあった目覚まし時計の針がさす数字を見た瞬間、慌てて飛び上がる。
「あぁもう!折角崎谷くんの部屋に一人っきりであんな事こんなことしようと思ったのにぃ!」
急いで自分の下着や衣服を身につけていく。格好のチャンスであっても、学校を遅刻するリスクと比較すれば、どちらを優先すべきかは火を見るより明らかだった。そして崎谷が出ていったドアを急いで飛び出すと、下の階へ向かうために階段を駆け下りていった。
崎谷は既に朝食を食べるために既に食堂のテーブルについていた。しかし・・・。
「・・・おい、朝飯は?」
「あぁ?そこに出てるだろう?」
「・・・焼いてもいない、バターもジャムも塗っていない1枚の食パンを・・・朝食と言い切るのかババァ!」
「ババァとはなんだい!寮母に向かってその口の聞き方は!」
「知ってるかババァ、寮母ってぇのは寮生に食パンを朝飯だと言い張ったりなどしねぇ!飯ぐらい焚け!」
「そんなに飯喰いたいってんなら、自分で焚きゃあいいじゃないかい!」
「だぁら、それが寮母の仕事ッつってんだろがババァ!」
崎谷にババァと呼ばれた中年太りの女は目立ち始めたしわを、気にするでなく更に際立たせて激しく吼えたてた。崎谷と寮母のいい争いが激化するなか、食堂に他の寮生が集まり始める。
「何ね?崎谷とおかぁちゃん何吼えてはるん?」
「ババァが今日の朝食、食パンしかださねぇんだよ!無加工で!」
「そうですか、それはよかったですね。無修正が好きな崎谷氏にはぴったりではないですか」
「ォイコラ!誰がエロビ好きだってんだよ!?」
「そや、近松。崎谷にその気は無いぎゃ。目に見えちょるんは宮島のみってこっさね」
「重田!テメェも誤解招く言い方すんじゃねぇ!」
崎谷は入ってきた2人の寮生に思わず立ち上がり声を大にして反論する。
「誤解?崎谷氏は宮島氏のことをどうとも思ってなかったのですか?」
「・・・それはッ・・・!」
「・・・返せんぐらいなら、初めっから突っかかるんじゃなかよ。宮島んことどう思っちょるか、自分に素直になればいいきに」
「だから、俺は宮島のことは・・・!」
「えぇー!崎谷くん、僕のこと嫌いなのー!?」
「み、宮島!?」
崎谷たちが食堂の入り口を振り返ると、走りながら着替えてきたのか、まだシャツのボタンがとまっていない、はだけた状態で宮島が少し息を切らして立っていた。そして狭い食堂を走っていき、そのまま勢いを落とさず崎谷の眼前で思い切り踏み切って彼に飛びついた。崎谷は多少バランスを崩したが、彼のがっちりした体は宮島の軽い体程度なら十分に受け止める事が出来た。その宮島は崎谷の腕の中で目に涙をためながら寂しそうな表情で崎谷のほうを見上げた。
「僕は崎谷くんのこと、こんなに思ってるのにぃ!」
「あ、いや、宮島・・・俺は別にお前を嫌いだなんて一言も・・・」
「じゃ、好き?」
「え?」
「僕のこと、好き?」
「いや、だから、それはだな・・・」
「・・・やっぱり好きじゃないってことは嫌いってことなんじゃないかぁ!」
「いや、待てって・・・俺は別に嫌いじゃないぞ、マジで。じゃなきゃあんなこと・・・」
と、そこまで言いかけた瞬間、崎谷は自分が自らの墓穴を丁寧に掘り始めてしまった事に気づいた。それを何とか穴埋めしようとした時には既にとき遅く、彼の後ろにいた重田と近松は、冷静な表情ながらも、明らかに何かを得た満足感を空気中に漂わせていた。
「・・・あんなこととはどんなことなのですか?崎谷氏」
「いや、それは、あれだ、その」
「・・・海道中の牙として恐れられた最強の不良も、色恋沙汰には勝てんぎゃ?」
「んだとぉ!?俺だって今でも喧嘩すりゃあ・・・!」
「で?あんなこととはどんなことなのですか?」
「あ、だからだな、それは」
「まぁ、そんなんは後に部屋を見りゃ分かるきに、それ以上からかうんはよしや、近松」
「それもそうですね・・・ふふ・・・あとで崎谷氏の部屋を訪ねるのが楽しみです」
近松はそういいながら不気味に笑みを浮かべ食堂を後にしようとする。その時寮母が彼のことを呼び止めようとする。
「ちょっと!近松、今日も朝食を食べないつもりかい!?」
「寮母氏、申し訳ありませんが、食パンのみと言うのは崎谷氏の主張どおり、朝食としては足りないと考えられます。あ、私のことはお気になさらず。プロテインとビタミン剤と摂取いたしますので、折角の食パンも自分には不要ですから」
「プロイセンだか何だか知らないけど、そんなんじゃ栄養バランスなんて取れやしないよ!」
「・・・」
その一瞬、誰もが「プロイセンじゃないし、そもそも食パン1きれでもバランスなんて取れるわけないだろ!」と突っ込みたかったが、最早収集付かなくなるのを抑えてグッと堪えていた。
「・・・まぁ、あれや。残った3人で食パン食っちゃるきに、安心しぃよ、おかあちゃん」
重田は寮母にそう言いながら席に着き、食パンをかじり始めた。
「仕方ない・・・俺らも食うぞ、宮島」
「・・・」
「・・・何時までそうやってふて腐れているつもりだ?」
崎谷はいまだ自分の腕の中にいた宮島に声をかけたがその幼さを残した顔をぷすっと膨らませて不機嫌そうに振舞っていた。
「・・・遅刻するぞ?」
「崎谷くんが僕を好きじゃないなら、学校なんて行っても意味無いもん」
「あのなぁ!学校はそんなことが通用する場所じゃないだろ!」
「じゃあ、好きって言って」
「・・・言えるわけ無いだろ・・・周りに・・・こいつらいちゃ」
「じゃあ!何時言ってくれるのさ!」
「・・・あーーーーもう!分かったよ、今晩だ!」
「本当に?」
「本当だ。もう一晩だけ付き合ってやる。アルコールなしで」
「崎谷、やっぱお前ら昨日の夜はやっちょったんか」
「ルセェ!ほっとけ!」
重田の追求をかわすように崎谷が彼をにらみつけた。
「ぉー怖」
「ぉら、食パンがパサパサする前に食っちまうぞ」
「うん!」
崎谷に好きって言ってもらう約束をした宮島は既に元気を取り戻しており、飛び跳ねるようにして崎谷の腕の中から椅子へとかけて行き座った。崎谷は再び深いため息をつきながら、椅子へと戻り、渋々その食パンを口に運び始めた。
続
Sweet Scar・中編
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