「わぁ…」
眠りに就こうとしていたわたしが部屋の明かりを消した時、それが始まりでした。
外の様子が気になってふとカーテンを開けた時、その向こうに見えたのは一面の霧でした。見慣れた窓の外の風景が夜の闇と霧の中に隠れ、まるで別の世界の様に感じられる風景。
もしうかつに外に出たら間違いなく道に迷い、最悪二度と戻れなくなるかもしれない。それ位あの霧の中では誰も見えないし、誰からも見えません…。
ドクン。
不意にわたしの胸が高鳴りました。
確かに今外には誰もいませんし、誰も通りかかる人はいません。でも、だからと言って今あそこに行くなんて、ましてそんな事をするなんて…。
わたしはそう思って不意に湧き上がった感情をふるい落とそうとしました。しかし…。
キュンッ!
「あ…」
不意にわたしの中で何かが熱く、それでいて切なく震えました。
今ならあそこに行ける、そしてやりたかった事をできる。それを遮るものは何もない。そう思いながらわたしの目は夜の闇をも覆い尽くす霧の先へと向いていました…。
夜の闇の中…いいえ、深い霧の中をわたしは導かれるように歩いていました。
普段見慣れた町の景色も夜の風景も全てが覆い尽くされた霧の中。いつもは道しるべであるはずの街灯の明かりも今は全てを惑わす存在でしかないかの様に霧の中で乱反射しています。
そんな中でわたしはただ一人、静かに歩いていました。
思った通りこの霧の中では人はもちろん、車さえも通りません。人も獣も、誰もいない空間にわたしはただ一人。
いつも歩き慣れた道がまるで無限の迷宮に思える白い闇の中でわたしは目を凝らし、時に手をかざしながらまるで霧をかき分ける様に進みます。
もちろん霧の湿気と冷たさがわたしの体を包み、そして駆け抜けます。
「あっ…あん…」
その度にわたしはつい声を上げてしまいますが、冷たく濡れた空気が体を駆け抜け、体温を奪おうとするほどわたしの体はより熱くなり、冷たさは体を引き締めます。
今のわたしの体は表面は凍えそうですけど、中は激しく熱くなっていました。
「はぁ…ああ…はぁんっ」
ふいに足をよろめかせたわたしは近くの壁に背をもたれかけさせました。
「ふぅ…はぁ…」
全身で大きく息をしながら高鳴る気持ちを鎮めていたわたしはふと静かに胸に手を置きます。
ドクン、ドクン、ドクン…。
掌から直接届いてくる鼓動とぬくもり…それを感じながらわたしはもう片方の手で自分を抱きしめる様に身をすくめ、素肌をぐっとつかみます。
胸に当てた掌の中で胸の先にあるもの…乳首が固くなっているのを感じられました…そうです。今わたしは胸を―乳房をあらわにしているのです。
女性として生まれた以上その証としてあるもの。でも、普段はそれを衣服の下に隠しているものをわたしは今こうして自分の掌だけで隠しているのです。
「あ…」
ふと甘い息をもらしながらわたしは肩と乳房から両手を離し、そのまま静かに、なめらかに手を肌に沿わせて降ろします。
肩から背中、腰、そしてお尻…霧に濡れ、冷たくなった場所をぬぐう様に、温める様に手を添わせ続け、お尻のあたりで軽く回した後、わたしは手を前に置きます。
掌の中の感触はとても温かく、そして霧とはまた違う湿りを帯びています。
それをぬぐおうとした時、わたしはまた声を上げてしまいました…言うまでもありません。今のわたしは腰から下にも何も身につけていません。
生まれたままの姿、何も着ていないまったくの裸のままわたしはこの暗く、白い闇の中に踏み出しているのです。
そもそも夜中とは言え裸で外に出るなんて普段のわたしなら恥ずかしくて絶対、絶対やらない、やれない事。
しかもこんな文字通り一寸先は何も見えない様な世界では今のわたしはあまりにも無力、それ以前の存在です。
でも、それでもわたしはこうして今ここにいます。普段は絶対ならないはずの姿で、絶対行かないはずの場所にこうして。
そう、この白い闇はわたしの視界を遮る代わりにわたしの中の何かを解き放ち、そして導こうとしています。
「はぁ…はぁ…」
闇と冷たさの中で乏しくなりかけていたわたし自身の感覚を取り戻しながら、なんとか呼吸を整えてわたしは身を起こしました。
このままここで自分の温もりを確かめたい気持ちもありましたが、それをクッとこらえてわたしは歩きだします。
わたしはときどき声を出し、自分の体に触れながら歩き続けました。距離も空間もつかめない今、いつ何に当たり、足を取られるかわからない危険な道のり。
生まれたままの姿さえかき消される様な白い闇の中、それでも「わたし」がそこにたどりつく為に。