朧霧の夜に・アナザー・後編 カギヤッコ作
 どれだけ歩いたのか、わたしの目の前にあるものが見えました。
 最初は目を凝らしながらでもうまく見えませんでしたけど、近づくうちにそれははっきりとした形を取るようになります。
 わたしの目の前に見えたもの、それは1匹の獣でした。
 四肢をしっかりと地面に着き、雄々しい体を震わせながら今にも天に向かって吠えようとしている様な獣の姿。この闇の中でその存在は恐ろしく、おびえを感じさせるはずなのでしょうけど、今のわたしにはそういう感情は少しもわきません。それどころか…。
ドクンッ!
キュンッ!
「あ…あん…」
 わたしの胸が高鳴り、体の中で何かが震えました。
 そう、ここがわたしの目指した場所です。ここはわたしの家の近くにある公園。狭くはない広場に遊具やベンチ、そして簡易な林もある憩いの場所で、ふだんわたしも何度か足を運んでいる所です。
 その一角にその獣はいつもいました。誰が作ったかはわからないけど、公園の一角に凛とした姿をたたずませるその獣―獣の像にわたしは心を寄せていました。
 そのたくましい姿、意志の強そうな瞳、いわゆる肉食男子と言われる人達ともまた違う何かにわたしは心を貫かれ、毎日のようにここに来ては獣の姿を見つめ脳裏に刻むのが日課になっていたのです。
 そんな中でいつの間にかその獣と結ばれる事を思いながら夜な夜な自分の気持ちを鎮める行為に走っていたはしたない自分を戒めながらも愛おしく思う様になった時、この夜が来たのです。
 例えどんなに思おうと相手は獣、しかも冷たく動かない彫像。生身の人間であるわたしがその思いを遂げるのはたとえ夜の闇の中でもかなわない事です。でも霧の立ちこめた闇の中でわたしは人と獣との境があいまいになっているのを感じます。
 もちろん今でも自分は二本の両足で大地を踏みしめていますし、手を伸ばせば産毛も少ない柔らかくも温かい肌の感触と人間の女性である感触が伝わります。でも、気持ちの中ではそれがただ「名残」にすぎないのではと言う気持ちも強く感じるのです。自分の体はこの霧の中に溶け込んでしまい、ただ記憶だけが人の形を残しているのだと思えるほどに。
 それを確かめる様にわたしは静かに膝を下ろすと、そのまま両手を地面について四つん這いの姿勢になります。
 しばし見つめ合った後わたしは静かに獣の前に近づくと、そっとその口元に自分の口を添わせます。その途端、不意にわたしの眼から涙がこぼれました。愛しい者への口付け、これがこんなに喜ばしいものだなんて。感慨に浸る間もなくわたしは獣の口をそっと舌で舐めます。
 彫像特有の味がしますが、わたしには至福の舌触りです。
「ああ…はぁ…」
 そのままわたしは四つん這いの姿勢で獣の周りをゆっくりと回り、そして肌をすりよせます。
 彫像の冷たく硬い肌にわたしの柔らかく温かい肌がこすりつけられ、わたしの熱と匂いが獣に移ります。そして一回、また一回獣の体を優しく舐めます。ほんのりわたしの味がしたのは気のせいでしょうか。
 例えどんなに「知識」を持っていたとしても普段暗がりの中で自分を鎮めるのがやっとのわたしがこんなにも大胆になれるのはこの霧のせいか、それとも獣への思いのせいなのか。
 そんな事を気にする間もなくわたしは獣のそこ―その像自体にはないのですけど、ある辺りに―を軽く口付けした後回り込んで少したちあがると自分の…その…そこを獣の口にそっと噛ませる様に添わせました。
「あ…」
 獣の口がわたしのそこに触れた時、ほんのり声が口から、別のものが「別の口」から漏れました。
「…」
 夜の闇はまだ深く、霧はさらに深くわたし達の秘め事を隠します。
 でも、わたしの体はもう霧の冷たさでも冷ませないほど火照っています。
「…いき…ますね…」
 そう言いながらわたしは「最後の段階」に入るべく体を獣の下、両足で浮き上がった体と地面の間にくぐらせます。
 ちょうどわたしの体が入る位の空間なので少しきついですけど、それでも四つん這いになった状態で体が入ります。
「…」
 やっとここまで来ました。いよいよです。火照る体とはやる気持ちを抑え、わたしはそっとお尻を獣のそこがある辺りに沿わせます。
「うっ…」
 少し冷たい金属の感触がお尻を押さえつける感覚に声が上がります。これが本当に「つながる」時の感触と声ならどれだけ嬉しいでしょうか。
 でも、それでもわたしは改めて「前足」を地面につけ、「後足」を上げます。確かにわたしと獣はつながってはいませんが、少なくとも「前足」の助けがなくてもわたしは獣と結ばれる事が出来る位に高まっています。
「あっ、あっ、あんっ、あんっ」
 わたしは必死に後ろ足を何度も屈伸させ、お尻をすり合わせます。
 頭の中でわたしは獣の…それをわたしのそこ、いいえ、全身で受け止めています。人と獣、生物と非生物の垣根はありません。ただ交わっているふりをしているだけとかそんな指摘も聞こえません。
 わたしはただそれを愛する一つの存在として獣の愛を受け止め、獣に愛をそそいでいるのですから。霧の中で幻の…いいえ、確かな交わりはわたしの中に最初の大きな波を注ぎ込もうとしています。
「あぁっ、あぁっ、あぁっ…あぁ〜んっ!」
 …それは確かに達した声でした。自分自身でした時とは違う、本当に結ばれた時に来るであろう波。わたしはただ喜びの声を上げるだけでした。
「あぁ…できた…やっと…」
 泣いていました。ついに愛しい存在と結ばれた。この闇と霧の中、人とも獣ともつかない姿で愛しい存在と結ばれる事が出来た。
 その喜びにただ泣いていました。
ジュン…。
「…あぁ…」
 またです…達したばかりのわたしの体がまた獣を求めています。
 欲しい、獣が欲しい。わたしの中いっぱいに獣が欲しい。あるいはわたしの匂いや温度だけではなくわたしの全てを獣の中いっぱいに注ぎたい。そんな激しい気持ちがわたしの中いっぱいに満ちてきました。
 あとはただ、その思いのままにお尻をもう一度押しつけるだけです。
「ああっ、はぁっ、んあっ、あんっ」
 わたしはひたすらお尻をすり合わせます。ひたすらすり合わせます。
 わたしの肌と獣の肌がすりあう感覚がぬくもりと気持ちよさでいっぱいになる中、わたしは二回目の声を上げました。そして、わたしは何度もそうしては達し続けます。まるで本当に獣になった様に。獣と愛し合う様に。
 もし霧が晴れて、誰かがこの姿を見てしまおうと構わないと心から思いながら。

 異変に気付いたのは既に十回以上は達した時でしょうか。
「え…?これって…?」
 つながっている―そう、わたしのお尻と獣のそこがつながっている感覚がするのです。
 繋がっていると言うよりも文字通り一つとなっている様な感じで。少し動かしてみましたけど、ぴったりくっついて離れません。それどころか…。
「あっ!」
 激しい振動が体中に走りました。そう、「つながっている感覚」です。
 金属の様に冷たい感覚と素肌の様に温かい感覚が混じり合いながらわたしのお尻と獣のそこがつながっている感覚。そこからわたしのあそこ、さらには…その…お尻の…一杯に満ちたものがわたしをふるわせます。
「あはぁ…あははは…」
 うれし涙です。もしわたしが理性ある人間のままならこれが異常だと気づくでしょう。夜と霧にまぎれているとは言え、ここが公園でありわたしは生まれたままでここに来て獣を模した像と交わっている真似をしていると言う認識と羞恥を発するはずです。
 でも、そんな気持ちは外に出た時点で服と一緒に脱ぎ捨て、ここに来るまでに溶け去っていました。
「うれしい…これで…一つに…一杯に…ああぁっ!」
 悦ぶ間もなく、わたしはお尻を動かします。
 前後の足、背中、頭、全てを動かして獣と交わります。
「もっと、もっと一つに、あなたをわたしの中に、わたしをあなたの中にぃ…ひあっ」
 そう言いながらわたしはひたすら声を上げ、体を震わせます。
 そうしている間に少しずつ金属と素肌の感触はあいまいになり、ひとつになっていきます。繋がれば繋がるほど、繋がられるなら繋がられるならほど、快感とぬくもりがいっぱいになり、その感覚だけが全てになっていきます。
   少しずつ足が丈夫になり、たくましくなっていく中でわたしと獣は一つになった様に後足と腰を動かします。
 そして今度は少しずつ引き締まってきたおなかと背中を震わせながら繋がり合っているわたしと獣のそこに力を注ぎます。
「あぁぁっ、ひゃうぅぅ…」
 繋がり合う中でわたしは獣と一つになる感覚をおぼろげに感じています。それを示すかのようにわたしの声はどんどん理性を崩し、獣のそれに近くなっていました。
「あうっ、ううっ、うぉっ、うあぉーっ!」
 何度目かの波でしょうか。達した時わたしの口から獣の雄たけびの様な声が上がりました。
 でも、不安はありません。わたしは今、愛する獣と一つになっているのです。獣と愛し合うのならその声も獣になっていってもおかしくはないですから。
 この霧と闇の中、全ての感覚が混じり合う中でわたしと獣は愛し合い、混じり合っているのです。
「あうううっ!おうううっ!うあぁぁうっ!」
 感覚は既に首から下いっぱいに満ちています。
 前足もさらに力強い伸縮を繰り返し、わたしは獣のように、獣はわたしの様に体を上下させながらまさに一体となって交わっています。
 ああ…ひとつになるのがこんなにいいものなんて。しかも誰よりも愛しい存在と…。
 いよいよ最後の波…いえ、爆発が来ます。今のわたしならもしかすると背中を当てているはずの獣を押し上げてしまうかもしれません。
 それ位の力が体中にみなぎっているのです。すでにわたしの体は人間の女性の様にしなやかで柔らかく、獣の様にたくましく精気に満ち溢れています。
「あんっ!あううっ!うおっ!おおっ!」
“グルル…ウウゥ…ウォッ…ウオォォ…”
 いつの頃からかわたしの声とは別に獣の声も聞こえてきています。それは獣の口からでもあり、わたしの口から洩れている様な気がします。
 でも、それを確かめている余裕はありません。全てが溶けあった中、最後の衝撃が来るのですから…!
“ああっ、いいっ、もっと、もっとぉぉぉぉっ!”
「ウアッ、ウゥッ、ギャオッ、ウギャオォォォッ!」
 獣の声とわたしの声が入れ替わるように混じり合い、ひとつになろうとしています。
 怖さも恥ずかしさも何もありません。只すべてをゆだねるまま、わたし達は最後の時を迎えます。
「うぉぉぉぉぉぉーっ!」
「グォォォォォォーッ!」
 体中が弾ける爆発の中、「わたし達」は同じ様に顔を震わせ、そして吠えました。

 そして、わたしは静かに「遮るものもなく」静かに前足と後ろ足を伸ばし、大きく背中を震わせると静かに立ち上がりました。
「ウフゥ…」
 そして、そのまま体中を見回しますが、何の変化もありません。
 ただたくましく引き締まった前足―人間の手の様になっていますが―と硬くもしなやかな全身を覆う体毛と筋肉に覆われた体。
 胸を触れば乳房の様に柔らかく大きいながらも「弾力のある固さ」をもつ胸板と腹筋。
 お尻を触ればしなやかに揺れる尻尾、そしてこの夜と霧の中でもたくましくそそり立つのを感じるたくましいもの、そしてその下でひっそりと咲く小さな花がある。
 そして顔に手をやれば…そう、いつものわたしの顔。ピンと立った耳にマズル。
 間違いなく人間と獣・オスとメスの混じり合った様な姿のわたしがいました。いつもの姿、それなのにどうしてこんなに喜ばしく感じるのか。満ち満ちた激しい力がこんなにも愛おしく思えるのか。
 ああ…この喜びをどう伝えたらいいのでしょうか。
 わたしはそそり立つものとひっそりと咲くものの両方に力を込め、そしてそこから胸板を震わせながら大きく歓喜の声を上げると、そのまま時に二本足、時に四本足で駆けながらいずこへとなく走り去っていきました。
 わたしが向かうべき世界に…。

「ウウッ、ウオッ、オオッ!」
 どれだけ走ったあとだろうか。わたしは四本足で大地を踏みしめ、再び大きく体を震わせていました。
 全身を大きく震わせ、体中にみなぎる激しい高ぶりをこらえています。
 その高ぶりはわたしの体中を荒れ狂いながら後足の間に満ちてゆきます。
「ウウ・・・ウウ・・・ウウウ・・・」
 まるでメスと交わる様な、オスと交わるような感覚が襲う中、わたしの意識は高ぶりながら薄れ始める。
 自分が消える怖さもあるが、それ以上にこの高ぶりがわたしを酔わせ、高めてゆきます。体中が震え、その震えに押されて高ぶりとわたしの意識がどんどん引き絞られました。
 そして…そして…
「グォァァァァァーッ!」
“うぉあああああーっ!”
 2つの声を上げた様なおぼろげな記憶とともに達したわたしははじけ飛ぶように消えていったのです…。視界と体の感覚が戻った時、回りは少しずつ明るさを増していく頃でした。
「…ここは…?」
 少しだるそうに体を起こし、静かに目元をぬぐいました。
「…?」
 そこで柔らかく、産毛も薄い指が視界に入ります。それだけではなく顔全体が縮んでおり、耳も顔の両脇まで下がっているのを手で触れて感じました。
「え?ええ?」
 体をなで回すが柔らかく細いだけで体毛の薄く筋肉も薄い肌。
 胸に手を当てると…
「あっ」
 柔らかい弾力のある膨らみ、そしてお尻は文字通りのつるつるで…。
「あっ、あん…」
 なぜか湿り気を帯びた感覚の中に潜むものだけがそこにあります。
 髪を少しかきあげながらわたしは今の自分が人間の女性だと言う事に気付いた、正確には思い出したと言う所でしょうか。
 裸のままこの公園で獣の像と愛し合った結果ひとつになったわたし達はそのまま…それはおぼろげですけど覚えていますが、それも本当は夢だったのでしょうか。
 既に回りが夜霧から朝もやに移りつつありますけど、あの夜と霧の中で感覚がおぼろげになる中で見た一瞬の幻だったのでしょうか。
 何か悲しいものを感じていたわたしですが、その目にふと求めていたものがありました。わたしと愛し合い、混じり合った獣の姿が。
 獣は今までと変わりなくわたしを見つめていました。その瞳に表情はありませんが、わたしには深い安心感をもたらすのに十分すぎるものを感じました。
 そう、わたし達が本当に愛し合い、ひとつになったとしても、そんな夢を見ていただけとしてもわたし達があの時愛し合っていた事は本当の話。
 そう思うとわたしの心の中に深いものが満ちてきました。
 そして、わたしはあの時と同じように獣にそっと口付けをしました。いつ果てる事無く熱い口付けを。
 そのあと、わたしは静かに朝もやの中、人としてのわたしが作り直されるのを感じながら人としてのわたしの生きる世界へと帰っていきました。

   …そのあと、わたしはあの時の余韻に浸りながら丸一日自分を鎮め続けたみたいです。
 残念ながらあの霧は今の所二度と起きず、わたしの中の高ぶりも今は静かに収まっています。ただ、あの霧の晩不気味な獣の雄たけびが続いた後、獣の像がなぜか獣人の像に代わっていたと言う不思議な現象が話題になりましたが、それはわたしだけが知る秘密です。


 終わり
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