「わぁ…すごい霧ね」
ある一室で女性がそう言った。
「そうだな…白い暗闇って言うのも本当だな」
その隣にいた男も使い古されたフレーズをあえて使って答える。
窓の外から見える見なれた夜の風景が街灯でさえ飲み込む一面の霧に覆われている。この中ではおそらく間近にいるであろう相手さえ見えないだろう。
もしうかつに外に出たら間違いなく道に迷い、見当違いの方向に歩きだしてしまい、最悪二度と戻れなくなる危険性もある。そう、この霧の中ではたがいに見えないし、見られないのだ…。
「…」
男はふと喉を鳴らし、そして自分の下腹部で何かがせり上がる感触を覚える。
女もまた胸の高鳴りと熱、そして同じくらいに熱を帯び、鼓動する足の間の感覚を覚えていた。
「…行って…みる?」
「…行って…みようか?」
どちらともなく言った声が奇しくも響き合い、2人は顔を赤くしながらもうなずき合った。
まさに一寸先は白い闇の中、2つの影がその闇の中に飛び出す。
「わぁ…」
改めて外に出、直接その目と肌で感じる夜と霧の風景に女は歓声を上げる。
その光景だけで心と体が高ぶってしまった時、
「大丈夫か?」
その横から男の声がかかる。
「え、ええ…」
思わず女は伸ばしかけた手を止める。
「…それに、ここでするのは早いだろ?」
ふいに男にそう言われ、顔を赤くした女の表情も男には見えなかった。いつも歩き慣れた道がまるで無限の迷宮に思える白い闇の中、2人は時に離れ、時に並びながら、そして時に手をつなぎながら歩く。いつもと同じように2人で歩く道がまるで異世界のように思える。
2人は声を掛け合い、ときどき互いの顔を白い闇越しに見ながら歩き続ける。それでも今の2人にとってこの空間はある意味危険な空間でもあった。距離も空間もつかめない今、いつ何にあたり、足を取られるかわからない。
「きゃっ!」
そうする間もなく女は足をもつれさせて転びかける。
その体を男の腕が辛くも抱きとめ、その胸板に引き寄せる。
「ケガは…ないか?」
辛くも助けだした女のぬくもりを感じながら男はつぶやく。
「え、ええ…」
女も転びかけたショックとそれを上回る男の感触に戸惑いながら答える。
不意に男の腕が女の胸に伸びる。その温かくも柔らかい感触が少し冷えた男の腕に心地よい。
「あっ…」
甘い声を上げながらも女の手はひそかに後ろに伸び、男の股間に伸びる。入れ替わりに男の手も女の手に優しく添えられる。
「あ…」
「う…」
男のそそり立つものの感触と女の熱く濡れた感触が互いを静かに温める。
そう、今、2人は一糸まとわぬ姿でこの霧の中にいる。いや、部屋を出る時からすでに2人は何も身につけてはいなかった。既に肌を重ねる関係になって久しい2人だが、それはあくまでも人目を忍び、暗がりの中で秘めやかに行う行為。
それにどこか物足りなさを感じていた2人にとってこの夜と霧の世界は新しい何かを見出すための格好の機会だった。決して外に出てまで行為に走りたいという願望がなかったわけではないが、2人が暮らす場所は例え夜の闇の中と言えどそれを容易にはさせない環境にあった。
それを可能にできる瞬間、それが今だった。
今なら誰にも見られる事無く思いを遂げられる。そんな思いだけを身にまとい、2人は今ここにいるのだ。
互いの証を手にしながらしばし肌をそわせる2人だったが、名残惜しそうにそっと手を離す。 そう、まだ2人にとって道のりは半ばなのだ。互いのぬくもりの残る手を名残惜しそうにぬぐいながら、2人は静かに歩きだす。夜と霧の闇の中、二人が求める場所に…。
「着いたな…」
「ええ…」
2人がついた場所、そこはとある公園だった。
せまくはない広場に遊具やベンチ、そして簡易な林もある憩いの場所。昼日中、普通の人間としてなら2人も何度か足を運んでいるのだが、こうして霧の立ちこめた夜中、人とも獣とも付かない姿で訪れるなどと言う事は言うまでもなく初めてである。
「…何か緊張するわね…ここ公園だし、もしかするとここに来るたびにどきどきしそうで…」
女が少し戸惑うような声で言う。
「気にするなって。今は夜中、霧の中。だからおれ達はこうして…。」
男はそう言いながら不安げな女の唇に自分の口をそわせて不安もろとも唇を吸う。
「んっ…。」
女も突然の事に驚きながらも男に唇をしばし託す。
自分達以外何も見えず、何も聞こえず、ただ互いの肌のぬくもりと唇の感触だけが2人の全てだった。そして、名残惜しそうに距離を取った女は静かに身をかがめ、どこかに手足をついて静かに腰を上げる。
「…わかる?わたしのいる所、あなたが行く所…」
一瞬とはいえ、互いが見えず、感じられなくなる。
不安を押し殺すようにか細く、それでいて男を誘うように甘く声をかける。
「ああ、わかる、わかるぞ…」
男も女の不安を取り除くように力強く、女に誘われる様に怪しく近づく。
「あっ…」
男の両手が女の腰をつかむ感覚に声を上げる。
「…いいか…いくぞ…?」
「ええ…来て…」
互いが声を交え終わると同時に、霧の流れが何かを貫くように動いた。
「あんっ…」
「うっ…」
まるで初めてそうした時のような感覚が2人を貫く。
「はは…しちゃったね…夜の中で…外で…」
「そうだな…これでおれ達人間じゃないかもな?」
少し顔を赤くしている女と照れ笑いする男。顔は見えないけど、互いの気持ちは見え隠れする。そして、女は再び顔を上げ次に備え、男は意を決したように自分の体を押し込む。
「あぁっ、あっ、あっ!」
ぐいぐいと何度も押し込まれる感覚に声を上げる。
男も声にこそ出ないが突きぬく感覚、そしてしめ上げる感覚とぬくもりの中にいる。
自分達以外…いや、互いの顔も姿も見えない。聞こえるのは互いの声と肌のすり合う音のみ。そして感じられるのは地についた足と手、そして互いの肌と胎内の交錯のぬくもりのみ。
ただそれだけを頼りに2人は行為を重ねている。誰にも見えない、見られない、誰も聞いてはいない。その認識が2人をさらに駆り立て、普段部屋の中で行う時以上に2人を激しく、熱くさせている。
「ああっ、はぁっ、うあっ!」
「うっ、ううっ、うおっ!」
貫けば貫くほど、貫かれれば貫かれるほど、快感とぬくもりがいっぱいになる。互いに見えない、聞こえないが故にその感覚だけが全てとなる。
残っている理性が夜と霧にまぎれているとはいえ、ここが公園であり自分達は生まれたままでここに来て男女の交わりをしていると言う認識と羞恥を発しているが、それさえも押し寄せる快感とそれ以外の認識の低下の前では無意味になりつつあった。
自分達は人か?獣か?そもそも何なのか?
ここは公園か?どこか?どこなのか?
そんな事はどうでもよく、2人はただ自分達の中に芽生えた獣のごとき衝動と熱を高ぶらせ、発散する事に全てをかけていた。
「…はぁっ、あぁっ、聞こえる、感じる…何か、熱いっ、声…」
「うっ、ううっ、おれ達以外に…おれ達か…高ぶる…叫び…」
不意に感じる―目や耳のみならず全身で−自分達とは違う、それとも自分達の声が共鳴しているのか。それが2人の行為をさらに高ぶらせ、それ以外の感覚―それこそ互いの肌の感触さえ―も鈍らせる。
厚い霧のベールの中で、ただ一対の器官となった様に2人は交わり、獣のように高ぶる。
そして、2人は一つの頂点を迎える。
「あっ、あうっ、うぉっ…うあぉ〜っ!」
「うっ、うおっ、おおっ、おぉ〜っ!」
互いの熱い高ぶりが放たれ、それ以上の雄叫びが上がる。その高ぶりと余韻の中で2人は自分達とは違う−もしくは自分達の共鳴の様な雄叫びを感じていた。
どれだけの時間がたったであろう。
あの1回で果てたのか、それとも幾度となく交わったのか。横たわっていた2人が静かに身を起こす。
「…大丈夫か…?」
「え、ええ…まだちょっとだるいけど平気…」
そう言いあいながら2人を唯一つないでいたその場所を名残惜しそうに切り離し、2人は立ちあがる。
やはり霧の中で姿は見えないが、激しい行為の果ての心地よいけだるさと互いの股間に残る「互いの証」の名残は確かに残っていた。
「…どうする?もう少しここでくつろぐ?」
「…そうしたいけど、一度帰ろうか。」
少し名残惜しそうな女の問いかけに男は静かに帰還を促す。
そして、男の後を追うように女もあとを追う。迷うことなく、静かに。
しばしの時間の後、2人は部屋の近くまで戻ってくる。
「…でも、これからどうする?もう寝ちゃう?」
「おいおい、さっきあんなにすごい事したのにまたか…ま、それもいいかな。」
そう言いながら霧の中から姿を現す2人。
「そうね…一度シャワー浴びて、落ち着いてからもう一度、かな?」
女はそう言って「耳」を震わせて「尻尾」を揺らす。
「ああ言うのをすると部屋でするのがさびしく思えるかもな…でも、逆にいいかもしれないな。」
男もそう言って「マズル」を鳴らすし、「尻尾」を立てる。そして2人は互いの「毛並み」をすり合わせながら隠していた鍵を取って静かに部屋の中に入っていった…。
…それは全てを覆い隠し、惑わし、かき消す真夜中の霧が織りなした変異か、それとも転移か。全てはただ一夜の霧のみが知る話である…。