周回遅れのプレゼント・第1話 冬風 狐作
 「メリークリスマス」、そんな物は「メリークルシミマス」の誤訳だと僕は思っていた。そして所詮は子供と一部の大人が熱心になる日だとずっと思っていた。そう僕がまた、小さい頃の様にその日が来るのを待ち遠しく思う事なんて、絶対に無いと信じていた。
 だけどそれは単なる思い過ごしであった様だった。何故なら今、僕はクリスマスが来るのを指折り数えて待っている。こう、寒風の吹く中、しっかりと着込んでいる隙間に見える腕時計を見ては、今か今かと辺りを見回してしまう・・・そんなクリスマスの夜を今、過ごしているのだから。
「うーんまだかなって、しばらく時間あるから・・・座ってるよう」
 そこは公園だった、今時、公園で待ち合わせと言うのも何となく変な気がする。しかしここが僕にとって、何より待ち合わせている相手にとっても都合が良かった。お互いの通勤経路、それを少し逸れればここがちょうど交わる地点であったからで、落ち合った後は共に食事に、そして一晩を共にすると言う段取りなのだから。
 大体書いてしまった様なものだがクリスマスを共に過ごす相手、恋人が僕にも出来たと言う事である。つまり前述した一部の大人にとうとう仲間入りをしてしまった、と出来るだろう。しかしまだ始まってそれは間もなかった、知り合って数ヶ月であるし、互いに忙しくて中々時間が取れない。それでも幸いなのはそう言う関係になる以前から、互いをある程度は知っていた、と言う事だろう。それは名前とか一部の事に限らず互いのしている仕事の内容、つまり何時が忙しいとか、どう言う苦労があるとか、その辺りを含めて知っている仲であったからこそ、関係が壊れなかったと出来る。
 もしこれがそう言う縁のない普通のカップルであれば、どちらかが中々会えない事に痺れを切らしたであろうし、関係が続いていたとしても軽く冷めた関係になっていたに違いない。だがそう言う了解の上で交際を始めたからこそ、僕達はこうして僕達なりに今日を迎える事が出来た、と僕は考えている。そして彼女もきっとそうだろうと思いつつ、ひんやりと伝わってくる冷え切ったベンチの形をお尻に感じながら、改めて腕時計へと目を落としてしまうのだった。
 彼女が来るまであと20分、早く来てしまったが故に感じるこの寒さすら、彼女とのこれからをより存分に楽しむ為の演出としか感じられない心地だった。

「あぁ・・・また汚しちゃった」
 そんな日から1年が経過した、場所あの公園の近くのビルの中。そうそこは僕の勤務先の、一番人気のないトイレの個室の中で僕はふっとその一言を今日も漏らしていた。
 個室の中で僕はすっかり服を脱いでいた、背広とシャツはドアの衣紋掛けに掛けて、ズボンはタンクの蓋の上に置いてそれこそ全裸になっていた。正直、こんな所でこの様な姿になる時点でどこかで常軌を逸している。少なくとも幾らトイレの個室の中とは言えこれは普通しない、ある程度人の目から遮られているとは言え、ただ薄い板で遮られているに過ぎない。
 例えば上の空いている空間から覗き込もうとする事だって考えられるし、大人であれば容易であろう。しかし幸いな事にここは、例えば小学校とかそう言う若気の至りが炸裂する場所ではない。子供だから許される行為は大人であればより容易に出来る、と言うのはこの世の中には無数にある。同時に大人がするには理由なくては許されない行為も現れてくる、その一例として個室の中を上から覗き込むとはその最たる物であろう。
 何よりここは会社である、そんな暇を飽かす人間などいないと言う現実があるのも僕にとっては頼りになる心の柱だった。僕にしてもこれはイレギュラーな事なのだ、少なくともつい先ほどまでは自分の机に向かって書類を処理していたと言うもの。あくまでもこれは、そう生理現象故にトイレにこもっているに過ぎない。
 更に言うならば我慢しきれなくなったから、でもある。とにかく机に向かって処理すべき物を終えるなり、急いで、あくまでも自然な様を装いつつ内心ではかなり焦ってこの個室に駆け込んだ。そして僕はすっと服を脱いで確かめたのだった。
「うう、ここんところ毎日で弱ったな・・・これかすかにだけど匂うし」
 僕はそう呟きながら脱いだばかりのシャツ、ほんのりとした体温の残るそれを顔の近くに持って来ての一言だった。見たところそれは特に汚れている様には見えない、白く、ややくたびれた感じがする以外は全くおかしなところは見当たらない。しかし僕は顔を軽くしかめる、やや浮かない顔とも言えるだろう。そして空いている片手で幾らか撫で回すと指先に明確に伝わってくる湿り気にふとため息を吐く。
 その湿り気は汗だとかそれで説明出来る限りではなかった、はっきりと、ぐっしょりと濡れていると言える程度で重さもある。しかし冷たい水ではない、何故ならそれは濡れていない他のシャツの場所よりもずっと暖かく、そしてふとした香りを放っているのだから。それは顔に近いとは言え10センチ余り離れている位置でも嗅ぎ取れるほどだから次の瞬間、数センチの近さまで鼻を近づけるなり、もうはっきりとした強い香りが鼻腔に突き刺さる。
 それは僕の頭をくらっとさせて瞳を反射的に閉じさせるほどの強くて、癖になる甘さを併せ持ったものだった。甘美と言うべきだろうか、だが頭の中ではどこかで嗅いではいけないと警報を出す己がいる。しかし一度嗅いでしまったら止められない事は分かっていた、そしてそれが己の体から分泌された物である事を意識してしまうと尚更で・・・ふと再生される記憶の中に身を委ねるのは避けられなかった。
 続


周回遅れのクリスマス・第2話
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