偏愛の代物・第2話冬風 狐作
「ねぇ・・・高彦」
 半分、リビングと台所の境目にある仕切りとも言える扉の陰から身を乗り出す様にして私は声をかけた。
「ん・・・姉ちゃんどうしたの、そんな姿勢して」
 何か読み耽っていた弟はワンテンポ遅れて首をこちらに向けるなり、そう口にした。それはそうだろう、想像するだけで滑稽な姿であろうから。扉の陰から斜めに首を突き出して、わずかに露出した肩の一部がその下から見えた姿で、すっかり成人した、もう男である弟に話しかける実の姉など、まずいる筈がないからだ。
 そう浮かべるほど、いや意識してしまうほど私は内心で凄くイラッとしてしまえたのは否定出来ない。何よりも焦りも同時に沸き起こった、とにかくこの状態から早く抜け出したいと言う思いが募ってやや早口気味に、言葉を吐く。
「パジャマ・・・どこにやったの?」
「パジャマ?」
「そうパジャマよ、私が着る・・・」
 私は半ばと言わずかなりの割合で強い確信を以って、いやもうそれしか無いと言う前提で口にしたからこそ、弟のその生半可とも取れる適当な言葉の返し方には、その内心で強くムッとした不快感を浮かべたのは事実だった。しかしそれでも可能な限り気持ちを押さえて問い返す、少しばかり内容を深めさせて、私が、と言う要素を入れて投げかけたのだった。
「パジャマって・・・さっき持って行ったじゃない、ぼけた?」
「ボケてなんて無いわよ、とにかく・・・どこに隠したのよっ」
 だが弟は更に適当振りを増した言葉を返すのみ、流石にそれには私も幾分腹を立てて角が立つ言葉遣いになっていったが、それでも何とか抑えは利いていた。少なくとも咄嗟の怒りの余り、扉を押し退けて全身を弟の目の前に晒すと言う行動に出なかったのは、まだ私は冷静に対処出来ていたと言う証左なのだろう。
 しかしその分だけ、その方向の苛立ちを押さえる為に脳のリソースと言うのは余計に割かれていたのも想像に難くない。故に本来であれば使われるべき分野、そう例えば予測する、そういった働きの機能が低下、あるいは阻害されていたのも結果としてみれば致し方無い事、としか言えない。
 それはその場においては文字通りの致命的な展開だった、そして大概、そう思えた時と言うのはもう結果となった後、つまり手遅れとなった時と言うのが多いと言うのもある意味の真理である。わずか数分後に、まさかその様な事態へと発展していくとは、今、正にその最中にある私の想定の範囲外、いやもう考え得る範疇外であったと、その程度がどうであれ完全にそうと言えてしまえよう。

「ボケたんじゃないの、姉ちゃんはさ・・・パジャマ着ながら、パジャマどこにやったなんて・・・困るよねぇ」
 ブツブツと紡がれる声、それは弟、高彦の口から漏れていた。
「いきなり来てさ、泊めてくれ、掃除してやる、飯作ってやるってさぁ・・・人の迷惑考えろって話だよね、助かった時もあるけどさ」
 まるで念仏の様に口にしながら高彦は黙々と何かに向かっていた、それはベッドの上。掛け布団が剥がされて脇に寄せられ敷布団の全面が現れた状態、その四隅にある柱には何かが巻きつけられていた。それは先ほどまであった物ではなく、今しがた付けられたばかりの物で、そしてそこから伸びた鎖が更に、その反対側の先端に同様の輪を持っている。
 その鎖がピンと張って、時折振れているのを見ると力が両端からかかり、そして常に一定の力が加わり続けているのではないのは明らかだった。そう片方は頑丈なベットの四足、とても揺れる等の余裕がある様には見えない。ならば可能性があるのは、そう柱と同様に丈夫そうではあるもののある程度の柔らかさ、何よりもそれ自体が動く物に括りつけられているもう片方でしかなかった。
「はい・・・出来たよ、姉ちゃん。これでもう動けないねぇ・・・ずっと帰らなくていいんだよ?」
「ウ・・・ウウウッ!」
 そうその片方とは私の足と手、両手首と両足だったのだ。つまりそれは枷、何よりもご丁寧な事に口にまで枷はされている。手械足枷、そして口枷。その3つの枷を、私が一瞬、視線をそらしている間にいきなり飛び掛って来て組み伏せた弟は、どこで覚えたのか、と言う様な鮮やかな動きと力を以って私をベットまで運んでいくと、手際良くそれらの道具を持って私から自由を奪った。それが私の想定の範囲外の出来事なのだった。
 そもそも想定外なのはそれに留まらない、こんな道具をどうして弟が持っているのかと。女である私から見ても、そんな素振りや気配は全く見出せなかったからこそ、それが一番の衝撃であったのは違いなかった。だから名前こそ知っていたが、これまで触れた事も無かった口枷、ギャグボールをはめられた私はそれに対する違和感以上に、自分の中に渦巻く衝撃を解消させるであろうその理由、答えを求めて口を盛んに動かす。
 それこそ呻く様に、必死になるから涎もだらっと漏れて口周りはそれこそ酷い事になっていたに違いない。そんな私を弟はベッドの上に立ち、無言で見下ろすのみ。その顔は正直言って悪くはない、ハンサムと言うには語弊があるだろうけど一般的に見ては良く、好感を持たれる目鼻立ちのすっきりとした顔。
「何だよ・・・興奮してるの、姉ちゃん?」
「ンウウウ・・・ッ」
 だがそんな口から漏れてくるのはその顔とは対極に位置する様な言葉、キモイ言葉だった。口元がニヒニヒと笑っているのが余計にそれを際立たせている様にしか見えないし、顔が台無しで余りにも勿体無い。そして悲しかった、そんな弟にこんな事をされているのが。
 何よりもその言葉の後、弟は膝を付いて四つん這いになって私を覆う様にして顔を接近させたり、脇や股間を撫でてきはじめたのだ。そして同時に感じている訳でもないのに、私が何か喋ろうとしてまた呼吸をしようとした際に出る呻きや大きな音に、また少しでも逃れようとして体を仰け反らしたりする度に、感じているのか?気持ち良いんだろ?と勝手な解釈をしてくるからますます性質が悪い。
 その挙句は正直なんだね、と言う言葉である。何が正直な、と言う思いで私は思わず胸が一杯になってしまう。だからこそ反動で呻きと涙がより多くなってしまうのだが、今の弟にその真意が届く訳も無く、ますますその笑みを濃くして、息までわざとかと言うほど荒くして・・・見るに聞くに堪えない、そんな状況は正に生き地獄と言う言葉が相応しかった。
 残酷にも、既にもうその一端は書き表している様に、その弟の解釈はますます加速して行った。そう私が感じているのだ、求めているのだ快感を、と言う都合の良すぎるそれらが。終いには自らの気持ちを堪えきれなくなったのだろう。その頃には服を脱いで全裸となった弟は、私に抱きつき生地越しに体を密着させながら頬を舐めたり、その興奮させた物を単体で擦り付けて至極満悦な顔をすると言う行為の果てに出てきたのが、それだった。そして、その言葉だった。
「姉ちゃんは僕の物・・・僕の・・・」
 荒い息はもう常時続く、そんな勢いの中だから声ももう自己陶酔の中に浸りきって腐っていると言うのが相応しい。
「だから・・・だから・・・ねぇ見て分かるでしょ?これ?」
 そんな弟が一旦離れて、そして手にして来た物。それは細長い筒だった、細長いと言っても棒の様な具合ではなくて筆箱程度のサイズはあるのだが、片手の中に納まってしまうそんな代物だった。それをかざして弟は更に続ける。
「これさぁ・・・姉ちゃんみたいな女の人からもらったんだ」
「ウウッ!?」
(私みたいな!?)
 流石にそれには驚嘆するのみだった、女の人から、と言うのもあったが私みたいな、と言う形容がされていた事により強く。思わず涙も止まってしまうほど、私の視線が明らかにその箱に注目したのを見てから、今度は無言で、ただ口元だけは相変わらず歪ませたまま、弟はその箱に手をかけ蓋が開く。
 中にあったのは円筒系の筒、それもただの筒ではない形・・・シリンダー、そしてピストン。それを見せ付けられた事で私の注目がすっかりそれに集まったのを見て、私の目線の高さよりも下にあるちゃぶ台の上に弟はそれを置く。全く以って上手い物だった、だが私はそれに上手く乗せられてしまったのだった。そして弟は静かに持ち上げ改めて注射器を抓み、軽く振って見せ付ける。そうしてから先端を覆っていた覆いを取ると、如何にも鋭意そうな注射針がきらっと輝いて姿を現す。
「これねぇ、もうシリンダーの中は用意してあるんだよね」
 親指の先で示すその中には確かに液体が入っている。
「本当はこれ、僕に注射される筈だったんだけど・・・姉ちゃんにしてあげるよ」
 その一言もまた衝撃であったのは言うまでもない、だがそれ以上、私が幾ら呻いても弟は言葉を続けなかった。無言で、微笑みすらも消して、じっとその瞳で私の全身を撫で回す様に見回して・・・数分が経過するまでそのままだった。



偏愛の代物・第3話
小説一覧へ戻る
ご感想・ご感想・投票は各種掲示板・投票一覧よりお願いします。
Copyright (C) fuyukaze kitune 2005-2013 All Rights Leserved.