そんな具合だったからかは知らないが、私は特に事前に連絡を取るでもなく弟の家に押しかけた。家に至るまでの道は前回に行った時とそう変わる訳でもなく、ただ幾らか舗装が新しくされてくらいの変化で玄関をノックするまで困難は無かった。
「あ・・・姉ちゃん、どうしたのさ、いきなり」
ボーっとした感じで顔を突き出した弟は、私を見た途端に目を丸くして開口一番そう口にした。
「ちょっと数日、泊めさせてくれない・・・?」
どうしたの、と言われていきなりそう言った私も私だろう。弟は口元を窄ませて、腑に落ちない様な顔をしつつまぁ良いよ、と言って私を招き入れる。そして鍵を閉めて密室となったその部屋は、矢張り予想通りの雑然振りで獣道と思しき道がある以外はダンボールやら、ビニール袋やらが積み重なっている埃っぽい空間だった。
「でもいきなり、本当どうしたのさ、泊めてって?」
それでもリビングの空間に入るとそれは幾分落ち着いていた。それでも雑多としてるのだがまぁ悪くはないところにホッとしつつ、一方で予想よりも落ち着いた具合に、想定したほど時間はかからないのではと思えてしまってふと迷いが生じてしまう。それでも私は言った、異様に休みが出来てしまって困って来てしまったと、だから泊めてくれる代わりに部屋の掃除とかをするからと。それを聞いた弟はしばらく珍妙な物を目にした、と言う顔をして黙っていたが、ヤカンの笛の音を聞いて立ち上がり様にようやく言葉を返してきた。
「まぁ良いけど・・・僕だって何時までも子供じゃないけど、してくれるって言うなら任せるから」
そう言って戻ってきた時には机の上に淹れたてのお茶を置いていく。その光景に、ああこんな事も普通に出来るようになったのだ、と私は、もう子供では無いと言う彼の言葉を聞いた直後でありながら浮かべてしまった。
弟は私とは逆だった、そうその仕事は具体的には聞かなかったが他人様が休みの時が忙しく、そうでない時は比較的暇と言う世間とは逆の流れにある仕事に就いている様だった。だから翌日から連休が始まったと言うのに、朝も早くから出かけるから私は早目に起きて簡単な朝食を作って見送ると、後片付けをしてから休憩して部屋の掃除を始めた。
少なくともここにある物は私から見ても最終的な判断は出来ない、だからこそ肝心な所をする時は弟がいる時にしてそうではない所から取り掛かって、途中で買い物に行き夕飯を作って弟と食べて寝て、と言う日々が始まって数日が経過した。この間に自分で言うのも、だが部屋はかなりきれいになり落ち着いてきたと思う。何よりもの変化が玄関周りだろう、私が来た時はそれこそ人が1人何とか通れる位の幅しかなかったのだが、今ではすっかり元通りの幅に戻って余裕が出来ている。
そんな変化を弟はそう言うでもなかったが、実感しているのだろう。嬉しそうな顔を浮かべたりまた簡単にお礼を言って来る等の行動が何ともかわいくてしかなかった。だから私も続けていく、次はあそこ、そしてここ、と手際良く、今や比較的整っていたリビングの中にも手を伸ばしていた、そんな矢先だった。私がそれを掘り起こしたのは、その薄い直方体の段ボール箱を手にしたのはそんなある日の午後の事だった。そしてそれから全てが一変するとは、わたしは思ってもいなかった。
「ねぇ、これ中味は何なの?」
しっかりと封が、1度開封された上で更にその上から丁寧にされているのを見て、これは弟にどうするか聞いた方が良い。そう判断した私は数時間後、箱を前にして弟にそう尋ねた。
「ん・・・」
それまで弟はずっと雑誌を読んでいたからこちらを見ていなかったのだが、ようやくこちらを振り返って私が前にした箱を見てしばらく凝視してから、ハッとした様な顔を浮かべて、手にしていた雑誌をそれこそ放り投げる様にして手から外すと、体自体をこちらに向けて箱を手にして自らの膝の上に載せ変える。その様が余りにも大仰で滑稽であったから、私は思わず笑ってしまった。それに対して弟は異様に目を輝かせて後生大事そうに箱を扱うと、静かにやや顔を俯き気味にして言葉を続けた。
「・・・どこにあったの、これ」
「これって・・・あそこよ、ベッドの脇の下からね。大事な物だったの?」
「ん・・・まぁ、探してたからありがとう」
「あっそうなんだ、じゃあ良かった」
少しばかり弟の様子が変わったのが気にはなったが、それ以上は何も無かったので私は触れないでおいた。むしろ、言って見ると私も笑ってしまった手前、それで気分を害してしまったのか、とその反応から思えてしまったから迂闊に言えないと判断してしまったのもある。だからこそ静かになったまま、その日は2人して眠りに就くまでろくに会話は無かった。
異変があったのは数日後だった。部屋の中はすっかり片付いて誰が見てもきれいと言えるほどになっていた、私も満足していたし弟もそれを良いと口にしていたからすっかり調子はよかった。だからこそあの晩の事を忘れていたのだろう、当然、箱の事も、箱の中身がなんだったのか、等とも全く思う事は無かった。
「んー・・・いいお湯だった」
風呂、ここもきれいにしたのだがそこから気分よく上がり、体を吹いて眼鏡をしてから私は服を着ようと畳んでおいた場所へと手を伸ばした。指先が服に触れる、掴もうと言う動きに移り変わりかけたその時、私は服の感触が違う事に気が付いた。そう硬いのだ、正確に書けば柔らかいのだが硬い、布の様な自然な柔らかさが一切無いその感触。強い人工的、と言える感触が指先から伝ってきたのだ。
当然、私は不振に思ってそれを見る。そして目に入ったそれと、つい先ほどおいた筈の、記憶にある物との違いに思わず息を呑むしかなかった。そう今そこにある明るい色をした薄い、ふとした光沢すらある1枚の折り畳まれた物に。
恐る恐る手に取ったそれは少なくとも身に纏う物ではあった、だがこの様な物を私は持ってきた覚えはなかったし、持っている記憶すらなかった。そもそもどうしてこんな物があるのか、仮に弟の物だとしても矢張りおかしい、いや考え辛さしかない代物。ただそれと同時に浮かんだのは、今しがたまで風呂に入っていた私の代わりにこの空間にいるのは、ドア1枚隔てた向こうの廊下を経たリビングにいる弟しか考えられないと言う事。玄関の鍵は確かにかかっていたのを見ていたし、どう考えても弟がこれをここに置いたとしか考えられなかった。
だから私は喉の、それこそ縁まで弟を呼ぶ大声が出かかった。でもそれは抑えた、ここは実家の様な一軒家ではなくアパート。下手に大声を出せばお隣さんに迷惑になる、と。かと言って裸で出て行く勇気もなかった、これがお互いが子供であったり弟が小さければまだ出来ただろう。しかし弟自身が言った様にもう彼は子供ではない、成人した社会人なのである。
そんな前に全裸で出て行くほどの無神経さ、言い換えれば度胸はなかった。かと言って叫ぶのも憚られる、その場で浮かんだ選択肢の内、2つが封じられた以上、取るのは1つしかなかった。その、見覚えのない物を身に纏ってここを出て弟に尋ねる、ただそれしか取り得なかった。