馬の愛好会・第二章前編 冬風 狐作
「・・・であるからこのフランス軍のルール占領とドイツ側の操業停止による抵抗はドイツでのハイパーインフレーションの原因となり、それに伴う社会の混乱の中で後に総統としてドイツに君臨する事になるヒトラー率いるナチスが芽生え・・・。」
 それは世界史の時間、眼鏡をかけた白髪で初老の教師が教壇に立ちつつ生徒に向かって解説をしている。最も要約した内容はレジュメとして最初に配られているから最低限の内容は生徒達の手元に置かれており、それもあってか教師の説明は・・・その教師が普通に高校勤務でありながら、独自の研究で本を出しているほどの事も反映してか噛み砕いてはいるものの比較的専門的な内容が多かった。
 最もこのクラスは全体として文系が出来る生徒を中心に編成しているのもあってか、殆どの生徒が聞き入る様に・・・いや食い入る様にして夢中になって聞いていた。今日の内容は第一次世界大戦から第二次世界大戦へ至るまでの戦間期、そうまだ第一次世界大戦を世界大戦と読んでいた時代の欧州に付いてであった。レジュメ、そしてノートに内容を書き込む音が響き饒舌に教師は語る・・・その空気はまるで大学の講義さながらの様相であった。
 その中で数人だけ少しばかり気が集中していない存在があった、大体教室の中の座席配置で言うと窓側の後ろよりの端の辺り。そこにほぼ固まった感じで数名・・・見たところ3人と言うところであろう、1人が静かでありながらも気が完全に散っていて別の事に向かっており残りの2人がそれに気付いて少し気を割いて観察している・・・そんな所だろう。そして何よりも肝心なのはその1人が見られている事に全く気が付いていないと言う事だ、いやそんな余裕も無いと言う事か。
 とにかく顔を真っ赤にした彼、その生徒は軽く足を振るわせつつ決して踵を震わせて音を立てない様にして耐えていた。それはおよそ授業が始まってから20分位した頃から急に始まっていた、それを示す様にノートの文字はその辺りの板書内容と教師の口にしていた内容と重なるし何よりもそれ以降文字が乱れ始めて、今ではもうシャープペンこそ持っているもののそれは動いていなかった。そうノートの上に黒い軌跡を走らせてはなく、ただそのポーズを何とか保つ事に専念しているので精一杯と静かに主張するかのように顔は俯き加減、表情は赤く薄い汗を帯びて息を熱く軽めに抑えつつ荒くしていた。
"早く・・・おわらないか・・・な。"
 時折顔を上げるのは教師の頭の上に掲げられている丸時計を見る時だけ、時計の針が今どこを指しているのか・・・この学校の授業時間数は1コマ辺り60分となっており今は40分をようやく経過したところであった。
 あと20分の拘束、目には見えない時間とこの集中している雰囲気と言う2つの拘束によって彼は封じられていたと言えるだろう、特に後者の雰囲気と言う拘束は人一倍強く皆が教師が授業に集中いや夢中になっているのを手を挙げて乱す勇気等彼は持ち合わせてはいない。いや持ち合わせていたらとっくに行使してここにはいないか、それかその興奮を引かせて戻ってその雰囲気に献身的に身を捧げている筈である。
 だが彼はそこ、つまり自らの教室における座席に置き続けそして何とか抑えようと懸命な努力をしていた。全ての気力と思考をそれを必要としている事柄に回してひたすらに、それこそ1人だけ異質な気をまとっていたのだ。更に災い転じて福と成すと言うべきか、彼を拘束していた教室の雰囲気はその気配を隠すという事に限っては彼に味方をし、大多数の・・・それは真後ろと前後全ての九割九部の生徒から彼を良い意味で隔離していたのだ。
 だから視点を変えれば彼のその自らにだけベクトルを向けた気はクラスのベクトルを巧みに利用してその存在を隠している、とも言えるのである。だが例外的な存在が1つ、それは彼と共に全ての気を授業に向けていないわずかな存在・・・誤差であろう。そしてそれは彼のただ机と机の間にある通路1つ挟んだ右隣と右後ろに揃っていた事は、それは余りにも残酷な事であったとしか言いようが無い。
 そしてチャイムがなる、それまでの脳裏を木霊する様に響いていた教師の声と比べるとそれは彼にとって何と言う福音の鐘の音だったのだろうか。当番の起立の声、そして一礼と続き拘束は完全に解かれる。起立の瞬間から姿勢をやや崩していた彼は礼が終わるのを待たずしてもう足をわずかに動かし、クラス全体が解き放たれた時には数歩歩いて最後列を廊下へと向かって移動しており別の誰かがその様な動きに入った時には小走りで、明らかに大慌てで廊下を駆けて行った。

「おーそうだそうだ。」
「何だ?今崎、先に食べ終わったからってまだ食べ終えて無いんだから待ってくれよ。」
 そしてその時間、そう昼休み。殆どの生徒が他のクラスなり学食へと散ってしまった中でわずかに残っている顔触れ、その中に先ほどの2人・・・その気を全て授業では無く少しだけ別の事にも割いていた2人が顔を突き合わせる感じで座っていた。一方の手元には空になった弁当箱があり、もう1人は言葉に出たように残りわずかに残った弁当箱の中身に箸を付けている。
「ああ、いやただ話すだけさ・・・な。」
 軽く静止をかけられた食べ終えた側の今崎、彼は少しばかりニヤッとするとそう言って言葉を続ける。
「いやほらさ、今日・・・世界史の時間中沢おかしくなかった?」
「中沢・・・?」
「そうそう、ほらさ・・・何と言うか。」
 中沢、そう食べている側の口から漏れたのはその単語だった。そして食べつつも軽く身を乗り出してきたのを見て幾許かほっとして今崎は気を楽にする。
「妙に熱くなっていたというか・・・そわそわしていなかったか?ちょっと途中から気になって見てたんだけどさ、ほら山崎隣だから何か気が付いてなかったかなって思って。」
「んー・・・確かになぁ、言われて見ればおかしかったかも知れない。今日の授業の範囲暇だったからぼうっと眺めてただけだけど。」
「はは、ナチス好きだもんなぁお前は・・・。」
「ああ好きだよ、そりゃホロコーストとか悪い面があったのは確かだけどそれとは別の側面もある訳だし。列車砲ドーラとかたまらないよ、セヴァストポリ要塞を一撃で破壊したんだから。それで中沢の事ねぇ・・・と言うか忠利どこに行ったんだ?弁当置いたままだろう?」
 山崎が一気に語り終えると2人の視線は、折りしも山崎が弁当を食べ終えた事も相俟って空いたままになっている中沢の席を見た。そこには筆記具が開かれたままで放置されていて全てが露わとなっている、座席は明らかに片付けられていなくて斜めにまるで座っていた人を放り出したかの様に外に向けて開いており、机もその方向に曲がって置かれている。明らかに投げ出された、その様な気配の濃厚な座席。
 それはクラスのどこにでも多く見られるのだが、今の2人にとってはその中沢の机だけが異様に目立って見えるのだから、印象深さと言うものはそれだけ人の視点を操るものと言える事への証左ではないのだろうか。そして再び顔を向かい合わせると弁当箱を片付けつつしばらく黙って、先に片付けて背後の机にかけた鞄の中へと入れた山崎は、今崎の机へと向けた椅子を元の自分の机に向けて戻そうと立ち上がりつつふと呟いた。
「まぁどこかにいってるんだろ・・・大方トイレか保健室じゃない?じゃあ自分はちょっと用があるからまたね。」
 そう言って小脇に本を、数冊の図書室より借りていた本を抱えて今崎を残して廊下へと出て行った。残された今崎はそれを見送ると彼もまた立ち上がり教室から後に続く様に、しかし廊下の進む方向は逆へと折れてまた教室から姿を消す。教室には一層の静けさと明るさが・・・制服の黒さが減ったからだろうか、そう広がっていた。


 続
馬の愛好会・第二章中編
小説一覧へ戻る
ご感想・ご感想・投票は各種掲示板・投票一覧よりお願いします。
Copyright (C) fuyukaze kitune 2005-2013 All Rights Leserved.