馬の愛好会・第一章前編 冬風 狐作
「おう、山崎放課後カラオケ行かない?」
 それはある日の午後のホームルームの後の教室、帰宅に部活の着替えに掃除にと三々五々とそれぞれの動きを点でバラバラで、そしてある程度の統一感のあるその一角で自らの机の所で帰り支度をしている1人の男子生徒に別の男子生徒が声をかけていた。かけられた方の、帰り支度をしている生徒は軽く髪を茶色に染めてどちらかと言うと線が細い印象の学生で、かけた方は対照的にがっしりとした明らかに体育会系と言う心地。
 一見するとどうにもいる世界が違って交流が薄そうな気配もするが声のかけ具合、それに対する表情を見るとそうとは見えなかった。前々からの付き合いがあるのだろうなと言う事をうかがわせる見えない安定感、その様な物が漂っている様に見えてならない。
「おーカラオケね、良いね・・・でもごめん、ちょっと今日は先約あるから無理だ。」
 問いかけに対して山崎は少しばかり心が揺れ動いた様で、途中で間を置きつつも残念さをわずかに漂わせながら断った。当然、体育会系の方は駄目と承知しつつももう一度畳み掛けるが今度は言葉ではなく首を振り、その間に鞄を閉じて会釈と共にその場を立ち去った。
「おーい山崎駄目だってよ。」
「何だ、つまらんなぁ・・・あいつ結構歌うまいから呼ぶと盛り上がるんだけどな。」
「どうして駄目だって?」
 断られた事を伝えつつ教室の別の一角にて話をしていたグループの元に戻ると途端に、その場の話題はそのことへ集中した。そして必ずと言って良い事だがその中の1人が理由は何だったのかと問いかける、それに対して彼の返せるのはただひとつだけ。そうそれだけしか聞いていないのだから当然だろう。
「知らね、とにかく先約があるんだってよ。」
「ふぅん・・・って山崎、前も同じ理由で断らなかったっけ。」
「だよなぁ、確かそんな気がする・・・河野、ちゃんと今度は聞いてくれよ。先約の中身もな。」
「はいはい、でもさ尋ねても教えてくれないんだから分からないって。」
「ほー教えてくれないねぇ・・・彼女とデートか?」
「はははは、かもよっ。今度、皆で探るのもおもしろくね?」
「おお、いいなそれ・・・。」
 と妙な、そして新たな話題を提供した事を果たして山崎が知っているのか、そもそも意図していたのか否かは分からない。とは言えその様な憶測は特にどの様な年頃であっても人の関心や興味を惹くもので、かつその様な話題になると大抵の人が興じそれまでの話題から話がどうしてもそれがちになってしまうと言う特性がある。後々何かと探られることもあるかも知れない、しかしそもそも無い話である。恥じる事は全く無い話といえるだろう。
 むしろそれに引き止めておけば他に探られる事は実質無くなってしまうのだから、ある意味では使いようにもよるが効果を発揮する劇薬の一種なのかもしれない。しかし今は無視出来るだろう、何せ多感な年頃なのだから・・・そして次第に賑わっていた教室、校舎は日差しの傾きと共に静かになり夜を迎えた時には一部を除いて静まり返り明かりも灯っていなかった。
「さてと・・・誰もいないようですな。」
 そして間も無く23時と言う頃、最後まで残った教員が一通り教室と部室を見て回ると鍵をかけ防犯装置にスイッチを入れて門扉を閉め外に出る。これでもう翌朝まで出入りは無い、もしあったとしてもそれは警報システムに反応してしまうことだろう。だから反応がなければそれは誰も立ち入らなかったという事、その証明となるのである。そして翌朝になって朝一で出勤してきた教員が解除するまでそれが反応する事は一度もなかったのだった。

 しかし物事には何事にも表裏がある様にここにもまたそれがあった、見えないというよりも見落とされていた死角がその監視網にはある。それは・・・1階と2階の窓と入口以外には監視装置が取り付けられていないと言う事、本来は全ての階に取り付ける予定であったのだが矢張り公立学校故に、地方自治体の財政悪化の下での経費削減の波によって当然予算が削られ設置されるのは当初の半分以下の数となってそれも要所のみ。
 これに対しては色々と見方があり特に強いのが当初案が余りにも過剰であったという見方であるのだが、取り敢えずは設置そして今に至るまで運用されている訳である。今のところ特に問題も起きては無く導入後にはむしろ忍び込もうとした窃盗犯が現行犯にて逮捕された事例もあるのでむしろそれで良かったと言えるだろう。
 しかしこのシステムでは防犯装置が稼動する前に中にいてかつ作動後にその上の階にずっと留まっていたなら感知される事は無い、むしろ感知されないのだから何をしていても良いと言う事にはならないだろうか。当然電気等を使うと周囲から怪しまれてしまうから使えないという制約はあるとは言え、水道などは普通に使えるしトイレも然り。また光が漏れない様にカーテンなどをしてこっそりと使えば電気もまた使うのは不可能ではない・・・そうばれない限り、人の目や機械の目に留まらない限りそこは自由に使える空間なのだ。
 そしてその事に気が付く者は当然いる、少しでもそう言う事に知識がありまたそれを元に想像できる力を持った者であれば一度はそう言う事を思い浮かべることだろう。当然その様な知識か無くとも大抵の人であれば夜の学校は・・・と思う事はあるだろうがそれらはただ思うにしか過ぎない、如何にして思いを考えに出来るか更には実行可能な物にまで仕立てる事が出来るかが肝要なのである。
 最も仮に立てられる者は意外と多い、何故なら考えるのは中々に刺激的で楽しい事故にそこまで達するのはわずかな情報さえあれば以外に容易いからだ。しかしその情報がまた色々と事を左右する、ここで言う左右とはつまるところ実行可能か否かであって計画自体の出来と共に、それを実行する勇気の元となるお墨付きを考えた者に与えるだけの情報があるかだろう。
 つまり情報の量だけではなく信憑性の方がより影響を与えるだろう、幾ら量が多くともそれに根拠が無ければ信頼性と言う点では不足であり弱くなり逆の事もまた言えるのだ。
 そしてその校舎群、高等学校それも普通科のみならず商業科・工業科・農業科と4科を併せ持つ中々珍しい陣容の一角にある校舎の1つでその話は始まる。

 静まり返った深夜の校舎群の中の1つ、それは普通科の校舎として割り当てられている校舎で高さは5階建て。見た目からして古く実際の所、老朽化著しく配管からの水漏れなどで幾ら修理してもまた別の場所が壊れるという悪循環の中に置かれた、色々と使用するのに支障を来たしているそんな校舎であった。今では主に特別活動用の教室と使われていない倉庫兼用の空き教室だけ、1つの階に4つの教室がある造りであるからおよそその数20。そして使われているのはその半数のみ、それも低層階が中心であるので4階以上は実質閉鎖されているのと大差ない。
 故に昼間であっても授業がなければ人の立ち入りは無かったし、何よりも閉鎖状態にある4回以上は掃除当番すら設定されていなかったのでその存在理由すら実質無くなっていた。でもそこにある物はある、例え3階から4階へ上る階段の上り口が机を置かれて閉鎖されていようとも・・・ 生徒が立ち入らない様にと、こちらも今では用済みとなった昔に使っていた机が並べられて塞がれていた。
 とは言え危険防止の為に机を数段積み重ねて置いてある等はしていないので構造的に容易に飛び越せてしまう。だから侵入自体は容易で実際のところは昼休みの時間に立ち入って昼食を食べる等していた生徒がいるのは生徒の間では知られていたが、教員の関心は一応塞いであるのだから・・・と薄かったし何よりもその様な所にまで気を払う余裕が無かったので建前上は放置してあれど本当のところは、と言うのが現実だった。
 そして夜、いや放課後の今にも日が翳ろうとしている夕刻。隣の校舎から続く4層の渡り廊下を慣れてそれでいて早足でその校舎に向かって移動する影があり、その影は扉の前に貼られている防風用の波トタンを壁にして身を隠すかのようにして立つとポケットから取り出した鍵の内の1つをドアの鍵穴に差込み・・・次の瞬間にはいとも簡単に開錠して校舎の中へと消えていった。

 校舎内へといとも易々と忍び込んだその影は、特に気負う様子も見せずに軽い足取りで奥へ奥へと進んでいく。まるでこれが許可されたあるいは当然の事であるかの様に校舎入ってすぐの階段を無視して埃臭さのある廊下を、廊下に面した教室にの入口の上にある各々の教室の用途を示した名札には何も刺さってなく最早その用途を果たしてはいない。
 その名無しの教室達を当然その影、窓から差し込む夕暮れの薄明かりのはみ出した様な明るみの中に見えるこの高校の制服を身に纏った・・・生徒なのだろう。生徒、この学校は男子校であるから男子生徒しかいないので、彼が無視して更に進む先に残るは1つの教室のみ。そしてその言葉の通りにその先に教室は無い、何よりも廊下もその教室と共に尽きているのが見えていた。
 だからもう彼が進めるのはその教室だけであった、だからもうこの先の彼の行動は誰にだって予測が出来る事にして必然、そうその扉に手をかけて中に入るまで幾許も無くその通りに彼は姿を消した。そう、その廊下より扉の不快に軋み開く音叩き付ける様に閉まる音と共に姿を消した・・・それは前述出来た様に容易に予想出来る事であり必然とも言える事象、ただ1つの例外を除いてそれに何ら変わりは無かった。
 その唯一の例外、それは最後の空き教室の扉が開けられていない事、何よりも開けられる以前に手すらドアノブにかけられていないと言う事であった。しかし彼の姿は扉の音と共に次の瞬間廊下より姿を消して今や見渡す限りどこにも見当たらない。だが扉は開いていないしそれ故にこれまた当然なのだが教室の中に人影は無い、教室の中はぬるさの残り湯の様な夕闇時の残照に一部が照らされて埃とそれの被った室内の器具類が静かに佇んでいるのみだった。
 しかしでは彼はどこに消えたのだろうか、決して彼は何かの奇術を使ってその姿を眩ませたとかそう言う事は無いであろう。彼が奇術師であるなら別としても、そして彼にそうであったとしてもわざわざここでやる理由はどこにも見当たらない。もっと常識的な理由、それで姿をどこかへ眩ましたと考える・・・それが何よりも妥当であろう。そもそも既にその答えは示されているのだから・・・そう扉の音、前述された扉の開閉の際に響いた音それが答えである。
 扉の不快に軋み開く音叩き付ける様に閉まる音と言う・・・それを踏まえて考えてみればすぐに浮かぶのは何か。それは扉の構造では無いだろうか、懸命なる読み手の方々はきっと何か閃くものがあったのではないだろうか。ではそれを踏まえて今一度ここで廊下を見渡し直とてみてはどうだろう。
 そして気が付くのは、それは扉・・・教室群の扉が前後に押す事によって開閉する構造の扉だと言う事に気が付けただろうか。この様な扉は大抵の場合開くときも閉まる時も一定の何かが転がるような音を立てて、そしてまるで我が身が叩かれたかの様な反射を耳にした人に感じさせる極めて背筋に来る音を強く閉めると立てるものである。またゆっくりと閉めた時でもそれ相応の、叩く音がくぐもった感じの音を立てがちである。しかし先程響いた音は明らかにそれらとは違う性質の音、故にそれが示すのは即ちもう1つの別の扉の存在であるのもまた分かる事ではないだろうか。
 ではそれを踏まえて今一度見渡す・・・廊下を挟んだ反対側の一番奥の教室と対の位置にある扉の存在を見落としてはいないだろうか。その扉は教室の扉が横開きにて各教室に2つずつあるのに対し教室と同じ幅を持ちながら扉は中央に1つ、何よりもそれは前後に押しそして引く事によって開閉する縦開きとでも言える扉であった。
 そして前述した先程響いた音と言うのは比較的この縦開きの構造の扉にありがちな音と言えるだろう、開閉時の金属と木の軋み音そして勢い良く叩かれると言うよりも違った形で弱い音・・・前者をピシャッと言う音で示すとしたなら後者はバタンッと文字に出来よう。その様な違う音の扉、そしてその後者の奥へと彼は姿を消したのだった。そう教員以外には男子だけの「男子トイレ」と書かれたかすかな独特の匂い漂う空間の中へと。


 続
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