夢示す・中編 冬風 狐作
「んーむ・・・。」
「ですから他愛の無いことですよ・・・なので本当お気になさらなくて大丈夫ですから・・・。」
 まだまだ頭を絞ろうとする教授にそれを落ち着かせようとする俺、そろそろ終わりの気配が感じられつつある時に教授は軽く手を叩いてこれぞと言う会心の表情を浮かべて口を開いた。
「夢かね?」
 その一言に俺は思わずはっとなった、どうして今話題となっている考えに耽っていた内容とは別の事であるのにそうもはっとなるのか分からないかもしれない。だが"夢"は俺の余裕を・・・違う答えであるのに突き崩し大きく揺らがせたのだった。
「図星かね・・・?」
 その様を見て取った教授はすっかり正解をとうとう言い当てたと思い込んだらしく、さきほどの笑みを更に深めてあからさまに浮かばせていた。余裕がある時の俺ならそれに突っ込みを入れる等するのだが、今回はそれもかなわない。ただしどろもどろするだけで一向に埒が明かず冷や汗が吹き出る有様、もうすっかり耐えられなかった。狼狽・・・その言葉が何と似合う姿なのだろうかと後々になっても思えたものだった。
 そしてしばらく勝利・・・と言うほどでもないと思えるが一応は勝った形の教授の、過去に占星術と夢占いを学んだことがあるとか言う言を耳にしつつ時間を過ごす羽目になった。得意げに夢と言う物は・・・と舌も滑らかに得意げに語る教授とは対象的に、居たたまれない気持ちで俺はただ座っていた。それでも時間の経過と共に次第に癒され回復して来る。
 そんなところで俺は研究室から立ち去った、ちゃんと丁寧に教授に礼を述べて。時間を見れば午後6時を回ったあたり、今の今まで続いた教授の夢に関する持論が一体正しいのか回復する一因となったのかは分からない。それでも聞かないよりはマシではなかったかと・・・そんな思いの中で軽トラの荷台から自転車を下ろし、正門を出て坂を下り始めた時にはすっかり辺りは夜の帳に包まれていた。

 そして深夜、ここ数日書き続けていたレポート・・・今日教授に提出した物以外には特にすべき事は無かった。だから俺は久々にのんびりとした夕飯を取り、更に少しばかり奮発して近所にある健康ランドで長風呂を楽しみ上機嫌で家に帰った。その時の時刻は深夜23時、少しはしゃぎ過ぎたかなと思いつつふと夜空を見上げればそこには正円の満月、銀に輝く秋らしい象徴がすっかり夏の気配の去った夜道を照らし町を照らしている。
「・・・?気のせいか・・・。」
 しばし見つめていると何かが脳裏を過ぎった、そんな気がした。軽く後頭部に手を当てて髪を掻きつつ首を傾げてみるが特に何も浮かんではこない。ただそんな気がしただけだろう、そう結論付けて再び顔を元の位置に戻し、何気なく前方真正面から見て右に40度ほど視線を向けた瞬間・・・俺は固まった。
 そう後頭部に手を回して満月を眺めつつも前へ進んでいた足は止まり、全身の細かい動きも止まりそして視線は釘付けになって口はぽかんと開かれた。ただ何気なく視線を向けた先にあった物の為に全ての動きが文字通りフリーズ、凍り漬けになった様相だった。何故そうなったのか、そう視線の先にあるものと記憶にある物とが結びついたからである。それが示したのはひそかな恐怖とも言えるものだった。
 そして数秒後、俺は糸の切れたマリオネットの様にバランスを崩しつつも何とか踏ん張り全身から脂汗を流して・・・もしかすると悲鳴すら上げていたかもしれないが今となっては分からない。とにかく必死に、何かが逃れようともがく様にして月明かりを受けて銀色に輝くアスファルトを蹴り、一目散にその場から離脱したとだけしか確実に言えないのだから。
 そしてそれがまだ始まりに過ぎない事にその時の俺は皆目気が付いてはいなかった・・・。

「ゆ・・・夢と同じだ・・・っ。」
 家に方々の呈で帰りついた俺は、汗だくのまま布団に包まり文字通り恐怖に震えていた。心臓は高く鳴り動き血管はこれでもかと言うほどに膨れ上がってハイペースで大量の血液が全身を駆け巡る・・・目は血走り呼気は激しい、頭はどこかぼやっとして正常に何かを落ち着いて考え様としても、全くの上の空でまともな思考にならない。
 むしろ逆効果だった、まともな思考をして落ち着こうと言う目論見は大いに外れていた・・・。それは上の空だからではない、念じれば念じるほどあれが・・・俺をこの様な恐慌状態に陥らせている元凶が思考の中で膨らみ犯してくるのだ。そう夢が・・・教授が"夢"と言った時に思わずそれが正解であるかの様な、結果として真実を言わずに済んで助けられたのは否定しない。
 しかしそれは夢・・・悪夢以外の何者でもない、全身から溢れ出る脂汗は今や滝となり服と布団とを濡らす。まるで長距離走を全力疾走で駆け抜けた後のような有様、助けてもらった事はありがたいしかしこれがその代償と言うのなら助けてもらいたく等なかったと何とか思う。しかしそれは続かずに霧の中へと消えて再び夢のもたらす混乱に包まれる。
「あ・・・赤い鳥・・・い・・・に・・・ぃっ。」
 ふと激しい呼気をはく以外に特に機能を果たしていなかった口から、それこそ搾り出されるかのように言葉が吐き出され、肘を付いての四つん這いと言った格好で後頭部に両手を回した・・・怯える姿勢となってベッドの上で形になる。"赤い鳥居"今漏れたこれこそが毎夜に渡って苦しめてくる悪夢の冒頭に必ず現れるものであり、今現実化した悪夢のきっかけとなったのも赤い鳥居・・・近所にある小さな氏神様の赤い鳥居であった。
「次は・・・ぁ・・・っ!?」
 苦しみ後頭部に両手を回している事から動かせない視線。その視線の先にあったのは水色の布団、表には薄く模様が描かれており、この様な状況下でもそのまま伝わってきていたのだがそれが不意に途切れた。それは目が見えなくなったと言う訳ではない、目は見えて形は形として色は色として見えていた。
 では何が途切れたのか、それは形である。不意に脳に熱を一瞬感じた次の瞬間に模様は周囲と解け始め模様という形を無くし、布団は白いベッドとの境界を失い、ベッドは床のカーペットとの境界を失い・・・と色だけの世界になったのだ。色は混ざり合いつつも当初はそれでも元は何がそこにあったのか分かる様な分布をしていた。
 しかし次第に混ざり合う程度が深化し、今やどの色が元はどの形にあったのか全く分からない。枕も布団もシーツもベットもカーペットも・・・そしてカーペットの上に存在していた本とその他の物からなる手製の"整理途上"と言う名の山々も消え、複雑なそれでいて1つの空間へと変貌を遂げていた。これもまた夢の中で幾度と無く見せ付けられた光景、赤い鳥居に形と個々の色を無くした1つの空間・・・もう次なる"夢"が襲い来るのは必然の未来となっていた。

 俺を残して1つになった空間、見知っている筈の空間を構成していた物からなるその空間は、全く馴染みの無い・・・馴染みどころか嫌悪感すら抱けるものであった。そんな中でも"夢"は容赦せず、俺とは対照的にまるで現実化した事を喜ぶかの如く手を緩める事無くそして忠実に動き続けていた。それは真実であった、そして展開はいよいよ核心へと迫っていく・・・。
「やぁ、ようやくちゃんと対面出来たね・・・ふふっ。」
 そこにいきなり現れた新たな形・・・声。凛としていると言う訳でもなく聞く場面を選べば親しみ易い柔らかい声なのかもしれないが、その声が唐突に空間に現れた。
「ひ・・・っ・・・わわ・・・。」
 それに対して俺が返せたのは短く小さな悲鳴のみ、余裕を漂わせる気配とすっかり怯えて恐慌した気配の対照の妙。その声の裏に控える余裕にはこれで機は熟したとでも言えるのだろうか、その様に感じ取られる気配が充満し空間を満たしていく。その中で俺はただただ孫悟空の様に、お釈迦様の掌の上で暴れた孫悟空には負けない位盛大に怯えていた。
「・・・君みたいにこうも怯えてくれるのは楽しいね・・・。」
 しばし俺を包んでいた気配が再びそう言葉を繰り出しまた新たな動きを起こす。そう気配から形へ・・・全てが個をなくした今の空間とは逆の動きが一気に凝縮して軽く弾ける。その波に軽く煽られたかの様な格好で俺はようやく後頭部に回していた手の力を抜いた、しかし顔は上げようと、視線は決して向けようとはせずそのままの姿勢にて止まる。
 それが不満なのかは知らないがようやく1つの形となった声の源は、明らかに虫の居所の悪い気配を新たに充満させて佇んでいた。そして呟く・・・顔を上げなよ・・・と、しかしそれに俺が従う筈は無くこれまで通りに下を向き続けていた。
「しょうがないなぁ・・・少し覚えさせすぎちゃったか。」
 その呟きに続く小さな足音、そして詠唱・・・そのかけらが耳に届いた瞬間、俺は機を悟り酷く落胆した。矢張り全ては夢のままなのだと・・・逃れると言う事は出来ないと言う事に、もう俺に残されている選択肢はただの2つ。1つはこのまま拒否し続け顔を上げられるか、それとも観念して・・・潔くとも言えるかも知れないが顔を上げるか。
 アプローチは異なれど結末は同じ、受動的かそうでないかの違いだけ。それを改めて感じて湧き起こるのはこれまでとは違う新たな感情、忍耐とは違う諦めにもそして開き直りにも近い感情であった。もうこうまでなったら夢の通りに・・・お望み通りにしてしまおう、そして何とか道を切り開こうと言う諦めにして希望を捨てない新たな、新鮮な感情であった。

「ふふ・・・ようやくその気になってくれたね・・・。」
 無言で腕を解いて後頭部の縛りを無くすと俺は相手の欲する如く頭を上げて視線を向けた。視線の先には嬉しげに微笑む顔・・・とは言えそれは人ではない、獣の顔、狐の顔だ。夢の中で目にする顔と寸分の違いも無く容姿にも同じ、浴衣の様にも見える薄い素材の服を身に纏った狐は鳥居を背にして立ちこちらを見つめている。優しげにして獲物を品定めする色を輝かせて・・・。
「全然、顔を上げてくれなかったから困っていたんだよ。僕は無理やりにするのが好みじゃないから・・・ね、分かるでしょう。あれだけ夢の通りにするのを拒んでいた君なら・・・僕の嗜好が。」
 そう呟くと四つん這いとも言える格好、立っている狐との関係を傍から見たらそれはまるでペットと飼い主の向き合う形だろう。だが逢えて俺は無言で通した、せめてもの夢への反抗・・・そのつもりだった。
 続


夢示す・後編
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