そのゴーストタウンと呼ばれる一角に毎週末となると訪れる人の影がある事を知る人は殆どいなかった。そこへ至る唯一の現役な道であるトンネルの市側の入り口は、人家も密集した地域にあるというのに不思議と誰も気が付く事はなかった。いやそれは気が付かないほど関心を持っていなかったと言うべきかもしれない、こう書くと先程書いた閉鎖的ですぐに周囲に勘付かれると言う言葉と矛盾するかもしれない。
しかし実際のところ子供達に対してはそうであっても大人同士もそうであるとは必ずしも言う事は出来ない、この地域の場合大人同士の関係だけ見ればそれこそ互いに無関心で干渉し合わないのが当然だった。更にはその様な地域へ行った所で何も無いのだから行く人がいる筈が無いだろう、そう言う長年の経験からの無意識な思い込みもあって唯でさえ払われない関心が低くされていたのも十分に考えられるものだった。そしてその空気の中を今日もまた、一週間前と同じ様に1台の軽自動車が何事も無い様にトンネルへと向かい中へと消えては短いトンネルの向こう側へと姿を見せるのだった。
車が止められたのはその地区の中でも最北端に程近い、幾つかの路地を折れた先の一軒の廃屋の駐車場だった。潮風を浴びて内陸部にある同じ様に放置された廃屋より腐食の度合いが、明らかに大きいその廃屋の駐車場に降り立った人影は夕暮れ時の風の中を庭を横切る。とは言えその影は廃屋に消えるのではない、廃屋の立つ敷地の庭の一角を占めるブロック作りのどこぞの公園の簡易な公衆トイレの様な造りをした建物の中に消えていくのだ。
軽く錆の浮かんだステンレスの扉、苔生して亀裂が走ったブロック作りの壁に波トタンの屋根、その中にあるのは地下へと続く細く暗い階段だった。かすかに漂うその匂いは腐った金属の匂いとかすかな潮の香りがその暗闇の中には漂い、そしてその全てを満たしていた。その明らかに怪しげな空間の中へ人影は躊躇する素振りを垣間見せずに、むしろ楽しげな調子で飛び込んでいった。そして扉は静かに閉じる、かすかに半透明の波トタンを通じて差し込む光以外は何時の間にか人影の手元に灯っていた懐中電灯の明かりが唯一の光となっていた。
階段はすぐに螺旋階段となって5回ほど周ると尽き扉も何も無い、ただかつてはそこに扉がはまっていたと思われる蝶番の残骸のある壁を抜けて脇のスイッチを入れると、ぼんやりとだが幾つか天井から吊るされた開かりが灯りその空間の様子が露となる。そこは今入って来た口から見てほぼ正方形に造られたコンクリート製の空間でありその中央を以って2つの空間に分けられている。その1つは満々とした水、大体25メートルプールほどの大きさをした窪地に潮の香りを漂わせる海水が入れられており波立つ事も無く静かに存在している。
そしてもう一方の右手側、入り口があり海水に満たされていない言わば陸地の側は壁や天井こそ完全にコンクリートで作られていたが、床に限っては枠の様にコンクリートが作られていてその中はタイルが敷き詰められていた。いずれにしても共通して言えるのはそれらの材料は皆古びて当初の輝きを失っており、所々から石灰分が噴出しているのが散見された。だがそれ以外に関してはまだまだ十分この地下室の形を保つと言う使命を果たすに足るだけの力は持っているようで直ちに崩壊とかする気配は微塵も感じられない。
「ちょっと早く来過ぎちゃったか・・・。」
そう呟きながら人影は斜めに横切ると中央付近の壁に作られた窪み、ちょうど腰を落ち着けるには適当な高さからくり貫かれたその上に上り腰を下ろす。奥行きは2メートルほどあり10人ほどは足を垂らして腰掛ける事が出来るだろう、ベンチの様にわずかに張り出した出っ張りの下にはどう言う訳かウツボの姿があり汚れている。とは言えその様相はきれいに一筋の線で上下の区別を付けられる程の差を示していた。その線より下、つまりは出っ張りの下は比較的黒くウツボやら海岸の岩場に付着している様な物がコンクリート、そしてタイルに付着しているのが散見される。
一方で出っ張りよりも線の上に当たる範囲は汚れてはいてもその性質が異なる。所々に継ぎ目から噴出した石灰分や泥と見られる黄土色が付着し、若干黒みかかっている以外は元通りの白を比較的残していた。そして窪みの中は当然線より上と同じ汚れ具合、そこに人影は・・・彼女は腰掛そして何時しか瞳を閉じる。かすかな寝息がそこに残った。