隣り合う存在・前編冬風 狐作
 それは何処にでもある様な地方の港湾都市、週一便の内航コンテナ船が発着する港の背景に広がる扇形の町並みは幾分古びていて鄙びている。高いビルといっても5階程度が関の山のその都市は山に取り囲まれてまるで萎縮している、そんな様にも感じられなくはない。
 その都市の機能人口は殆どこの扇形の中に収められていた。後背地である山地は急峻で地形は巧みそれでいて地盤は脆く土地は痩せていると言う有様だったから、元からの自然林とかつて漁業と共に盛んだった林業時代に植えられそして放置された杉の人工林が山を埋めていた。人口は2万3000人余り、かつては海運・漁業・林業で栄え6万人もの人口を誇った時代の名残は、立派で老朽化した港湾施設と所々に集積して建設された4階建ての多くが廃墟となった集合住宅に留められているのみだった。
 そんな多くが廃墟と化した集合住宅と一口に言っても全てが同じ様な環境にある訳ではない、海浜近く、中心部、山際・・・その時その要請によって無計画に造られた住宅群は都市の至る所にあり中心部に位置する集合住宅は全て現役に供されていた。だから廃墟と純粋に言えるのは中心部以外の地域に立てられた集合住宅である、有刺鉄線や鉄柵で敷地を取り囲まれて草塗れの中で物言わずただ朽ちていくその姿は見る者に決して良い印象は与えなかった。
 当然市のイメージを汚すとして周辺住民からは当局や議会に解体を求める請願が何度も出され、当局側としても解体の必要性を強く理解していたが何分それに要する潤沢な資金、そしてもう1つの目処が付かない事もあってただ放置されるに任されるのみ・・・そしてその間にそこには様々な見知らぬ住民と出入りするもの達の影が現れていた。
 住民と言えどもそれらは鳥獣の類で野良猫が大挙して巣食う場所もあれば、野良犬・烏・・・と様々な鳥獣が住み着き周辺住民の新たな悩みの種と化していた。余りにも目に余る時は保健所が出動し駆除していたが全ての住人が駆除に良いイメージを持つ訳ではなく、地区によっては野良猫を去勢する等の活動を行っているとまちまちの対応が成されているのが現状だった。そして対応がまちまちである様に全ての集合住宅に人の目が行き届いていた訳ではない。
 閉鎖されたそれらの住宅群の中で唯一市外にある物があった、それは市街地のある扇状の地形の北側にある山地が海上へ落ち込んでいく急峻な尾根の向こう側にある。そこは人呼んでゴーストタウンと呼ばれる一角でありトンネルを経て通じる道もその地域で遮られ行き止まりとなってしまう為、好んで行く人の影はなく時折警察がパトロールする程度だった。
 そんな有様だから人に知られたくない様な事をするには最適の場所なのであろうが、この地域に限ってはそう言うことは余りなかった。そもそもそう言う事をする若者の数が人口流出によって激減しており、集団で何かをしようとしてもそれに見合うだけの仲間となるべき存在が作れなかったからだろう。そして地形的にも人々が一箇所に集中して住んでおり更には風土によってもたらされた昔からの閉鎖的な気質が今尚強く、何か事をしでかそうとするとすぐに周囲に勘付かれ反応され干渉を受けてしまうのだ。
 そして何よりも高校以上の学校が町の中には存在しない事も拍車をかけたのだろう。つまりそう言った事に走りがちな年頃の年代の層が市外へ出てしまっている事が、その特異とも言える現状に強く作用していたのは否定出来ない。だからこの市における最大の問題と言うのは先に書いた様な閉鎖された集合住宅の解体と跡地利用、そしてそこに勝手に住み着く鳥獣に同対処すべきかと言うある意味では牧歌的で周囲から取り残された様な様子は否めなかった。だが平和だった、確かにそこには独特でそして平和な時間が漂っていたのは間違いない。

 そのゴーストタウンと呼ばれる一角に毎週末となると訪れる人の影がある事を知る人は殆どいなかった。そこへ至る唯一の現役な道であるトンネルの市側の入り口は、人家も密集した地域にあるというのに不思議と誰も気が付く事はなかった。いやそれは気が付かないほど関心を持っていなかったと言うべきかもしれない、こう書くと先程書いた閉鎖的ですぐに周囲に勘付かれると言う言葉と矛盾するかもしれない。
 しかし実際のところ子供達に対してはそうであっても大人同士もそうであるとは必ずしも言う事は出来ない、この地域の場合大人同士の関係だけ見ればそれこそ互いに無関心で干渉し合わないのが当然だった。更にはその様な地域へ行った所で何も無いのだから行く人がいる筈が無いだろう、そう言う長年の経験からの無意識な思い込みもあって唯でさえ払われない関心が低くされていたのも十分に考えられるものだった。そしてその空気の中を今日もまた、一週間前と同じ様に1台の軽自動車が何事も無い様にトンネルへと向かい中へと消えては短いトンネルの向こう側へと姿を見せるのだった。
 車が止められたのはその地区の中でも最北端に程近い、幾つかの路地を折れた先の一軒の廃屋の駐車場だった。潮風を浴びて内陸部にある同じ様に放置された廃屋より腐食の度合いが、明らかに大きいその廃屋の駐車場に降り立った人影は夕暮れ時の風の中を庭を横切る。とは言えその影は廃屋に消えるのではない、廃屋の立つ敷地の庭の一角を占めるブロック作りのどこぞの公園の簡易な公衆トイレの様な造りをした建物の中に消えていくのだ。
 軽く錆の浮かんだステンレスの扉、苔生して亀裂が走ったブロック作りの壁に波トタンの屋根、その中にあるのは地下へと続く細く暗い階段だった。かすかに漂うその匂いは腐った金属の匂いとかすかな潮の香りがその暗闇の中には漂い、そしてその全てを満たしていた。その明らかに怪しげな空間の中へ人影は躊躇する素振りを垣間見せずに、むしろ楽しげな調子で飛び込んでいった。そして扉は静かに閉じる、かすかに半透明の波トタンを通じて差し込む光以外は何時の間にか人影の手元に灯っていた懐中電灯の明かりが唯一の光となっていた。
 階段はすぐに螺旋階段となって5回ほど周ると尽き扉も何も無い、ただかつてはそこに扉がはまっていたと思われる蝶番の残骸のある壁を抜けて脇のスイッチを入れると、ぼんやりとだが幾つか天井から吊るされた開かりが灯りその空間の様子が露となる。そこは今入って来た口から見てほぼ正方形に造られたコンクリート製の空間でありその中央を以って2つの空間に分けられている。その1つは満々とした水、大体25メートルプールほどの大きさをした窪地に潮の香りを漂わせる海水が入れられており波立つ事も無く静かに存在している。
 そしてもう一方の右手側、入り口があり海水に満たされていない言わば陸地の側は壁や天井こそ完全にコンクリートで作られていたが、床に限っては枠の様にコンクリートが作られていてその中はタイルが敷き詰められていた。いずれにしても共通して言えるのはそれらの材料は皆古びて当初の輝きを失っており、所々から石灰分が噴出しているのが散見された。だがそれ以外に関してはまだまだ十分この地下室の形を保つと言う使命を果たすに足るだけの力は持っているようで直ちに崩壊とかする気配は微塵も感じられない。
「ちょっと早く来過ぎちゃったか・・・。」
 そう呟きながら人影は斜めに横切ると中央付近の壁に作られた窪み、ちょうど腰を落ち着けるには適当な高さからくり貫かれたその上に上り腰を下ろす。奥行きは2メートルほどあり10人ほどは足を垂らして腰掛ける事が出来るだろう、ベンチの様にわずかに張り出した出っ張りの下にはどう言う訳かウツボの姿があり汚れている。とは言えその様相はきれいに一筋の線で上下の区別を付けられる程の差を示していた。その線より下、つまりは出っ張りの下は比較的黒くウツボやら海岸の岩場に付着している様な物がコンクリート、そしてタイルに付着しているのが散見される。
 一方で出っ張りよりも線の上に当たる範囲は汚れてはいてもその性質が異なる。所々に継ぎ目から噴出した石灰分や泥と見られる黄土色が付着し、若干黒みかかっている以外は元通りの白を比較的残していた。そして窪みの中は当然線より上と同じ汚れ具合、そこに人影は・・・彼女は腰掛そして何時しか瞳を閉じる。かすかな寝息がそこに残った。


 続
隣り合う存在・後編
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