若気の至り・第一章冬風 狐作
「ツラント・・・ホーフ・・・ナイム・・・。」
 誰もが寝静まった都市近郊に広がる高級住宅街にある一軒家、分厚い遮光カーテンで閉じられた上にもう春も半ば過ぎたと言うのにシャッターまで下ろされてドアには厳重に鍵をかけられた一室の中にてその奇妙な詠唱が唱えられていた。床には白いチョークか何かで魔方陣のような物が描かれておりその周囲には蝋燭の灯った蜀台、そしてそれを前にして手を合わせて一心不乱に俯き加減に口の中から詠唱を紡いでいる少女がいた。
 彼女の名前は松村明美、日本人の名前を持つがその体は色白く髪の毛は見事なブロンドをした一見しただけでは白人としか見れない姿をしている。だが彼女の国籍は日本もそして生まれも育ちも当然日本と言う生粋の日本人であり海外には出た事が無い、その様な外見をしているから町等を歩いていると地元ならともかく少し離れた地域では外国人と見られて以前には警官に職務質問をされた事すらあった。流石にその時は自らは日本人であると言う意識であった彼女にはショック以外の何者でもなかったが、時と共に次第にそう気にする事もなくなり今ではむしろそうされるのを誇りに思っている所すらあった。
 その様な複雑な事情となった背景には彼女の両親、更に遡れば祖父母とその母国が大きく影響している。彼女の家柄は元を辿れば東欧の小国の貴族にまで至り格式ある名門として一時は国の命運を左右する要職を歴任した程であったと言う。しかし祖父母の代に母国では革命が勃発しそれまで上流階級として権勢を振るっていた貴族や資本家は一日にして終われる立場へと転落、それまで支配される側に甘んじていた民衆の暴力から逃れようと祖父母達は決死の脱出を行った。幸いにしてそれは成功し大方の予想、つまりは貴族仲間の予想を裏切って祖父母達は西欧諸国ではなく極東の島国日本へと移住したのである。
 これは祖父母が2人とも大の親日家であった事に起因していた。親日家であった事から最初は日本大使館、そしてそこを通じて様々な人脈を築いてありそして既に避難させてあった財産がかなり存在した為にその様な運びとなり、以来様々な困難があったもののそれらを乗り越え今では実業家としてその世界の一角にしっかりとした立場と地位を築いていた。だがそれはあくまでも表向きの姿にしか過ぎない、彼女の家柄のもう1つの顔、それは公にはされない裏の顔とでも言うべきものだろう。かつて東欧の小国とその周辺諸国にまで王家の一族ではないのにもかかわらず強い影響力を保ち続けたその源泉とも言うべき物・・・それは魔力であった。
 古くからその天性とも言われ常に賞賛の的とされた一族の絶妙な政治的軍事的手腕を影ながら、それだけでも十二分であると言うのに補強し後押しを加えてきたのが魔力、つまりは魔術であった。一族の表の顔として政治・軍事といった表舞台で活躍するのが男の役目なら裏の顔としてそれを支え、何事も万事支障なく有利に動く様にその力を奮っていたのが女の役目だった。そしてその事は一族最大の秘密でありだからこそ閉鎖的ではあったが、近親間での結婚により血の濃くなるのを避けるべく外から嫁や婿と言った形で入って来る者達にも後天的に能力が与えられ、一族の一員であると言う意識を意図的に与える事によって外へその秘密が漏れる事を防いで受け継いでいた。
 そしてそこにはある面白い法則が存在しており外部から入って来た者、それも嫁として入って来た者ほど後天的に魔力を得ると言うのに関わらず多くの場合極めて強力な術者、魔女になると言う法則が存在している。事実一族史上最大かつ最強の魔女と言われていた明美の祖母は嫁として一族の中に入ってきたのであり、その出自は中流階級に属する役人の娘であり魔術の素養など全く見られなかったのだが会得後は急激にその力を伸ばして皆を驚嘆させたものだと親戚が良く彼女に言ってきた事を今でも良く覚えている。
 そんな祖母の孫である彼女も当然の事ながら魔力を受け継いでおり、その力は中々の物だと数年前に死去するまで病気がちな母親に代わって面倒を見ると共に魔術を扱う上で必要な事柄を教えてくれた祖母本人が太鼓判を押すものだった。だがその祖母もなく母ももうこの世にはいない、一人っ子であった明美の肉親は一族発祥の地に残留し今もその地に住まう見た事もない遠縁の親戚程度で、本当に身近な肉親と言えるべき存在は父親しか存在しない。
 しかしその父親は仕事柄世界中を股にかけて移動しているのでこの自宅に戻ってくるのは年に数回あるかどうか・・・だからもう1人で多くの時間を過ごす事には既に慣れていた。学校と言う特殊な場所以外で殆ど彼女は1人ですごす、その間は勉強する以外はひたすら読書を・・・それも祖父母が持ってきた古書を読み漁りそこに書かれている魔術を一つ一つ独学で会得し鍛えるのに努めた。そしてそれをする事が喜びになりつつあった頃に明美はあることに気が付いた、それは自分が一体どの様な魔術に興味があるのかと言う事だった。
 彼女が興味ある事柄、それは生命・・・特に生命を作り出す、そう言った事に強い関心を抱き意識せずともそう言った魔術の書かれているページや項目を探している事に気が付いたのだった。それは大きな転機の他の何者でも無かったであろう、それ以降明美はその方面へとますますのめり込んで手始めに実践と称して小動物に手を出し、次いで犬猫などへと対象を拡大して自らの魔術をより鍛える為にかなりえぐい事にも手を出す様になっていた。具体的に1つ例を挙げればそれはキメラを作った事だろう、幾つ物異種同士を組み合わせたキメラを作っては戻し股合成するのを繰り返したりもしていたのだ。
 だがその様な単純な事は比較的容易で彼女に負担は少ない、それでも幾らそうやって他の生物を弄ぼうとも結局のところはほんの一時の退屈凌ぎ以外の何者にもならず、回数を重ねれば重ねるほど気の紛れる時間が短くなってしまっていくのだから始末に終えずむしろ退屈が更に募る他には何もなくなっていた。そこで彼女は再び考えを巡らし何とかして軽くさせようと努めた、その結果として彼女が考え付いた事・・・それは自分がずっと1人でいるから悪いのだと言う事であった。1人が駄目なのならどうすればよいのかは単純である、1人でいなければいいのだ。
 しかし容易く言う事は出来ても誰か一緒にいてくれる人を見つけるのは極めて困難である、だからただの夢物語で終わるかと思いきやそれで終わらせようとはしないのが明美だった。何と言っても彼女と他の人々の間には同じ線引きの上に立っていると言う前提は通用しない、何故なら明美には魔術と言う常人とは明らかに違う代物がその手中に収められているからだ。更にそこに追い風となるのが彼女が得意とし興味を強く抱いている事柄・・・生命が見方をする。
 つまりは彼女は他人と関係を築く事で一人ぼっちと言う孤独から脱け出そうとするのではなく、自らの手によって常にそばにいてもらえる他人を創ろうと目論んだのだ。それも自分好みの容姿や性格をした存在を・・・言わば神に等しい事をしようと決めていたのだった。
 もし仮にこれを明美の祖母や母若しくは父が聞いたらすぐに止める様にと諭した事だろう。それが例え近親者でなくても誰もがその様な無謀な試みは止めるべきだと忠告した筈だ、しかし彼女が創り出してしまおうと考えた動機の最大の物が孤独である。孤独なのだから彼女は1人で頼るべき存在は身近にいない、参謀役が全くいないからこそ明美はこの様な大胆だと自ら感じている考えをして実行に移す事を決意してしまったのだから・・・それは一冊の特に古びた魔道書のみを頼りに全ては成されていくのだった。

「キャッ!?」
 準備が整い実行された明美の計画。準備の段階から何とか首尾よく特に目立った失敗も成しに実行へと至ったそれの最初の異変は詠唱を唱え終えた時、大きく手を振りかざしたその瞬間に起きた。強い光が全てを瞬時に貫く・・・これは既に予測済みであったので驚きはしなかったが何の圧力もない筈の光に弾き飛ばされたのだ、それも軽くではなく強く彼女の体は立ったままの姿勢で大きくくの字に曲げられて宙を水平に飛んだ。だがそれが始まった時には彼女を貫通した光の衝撃波は既に壁に到達しており部屋全体が思わず軋む、そして何より恐ろしい事に反射してきた弱まった衝撃波が今度は逆の方角から明美を襲うとそれに続いて本棚が彼女の真上にと倒れてきた。
"下敷きになる・・・!"
 次第に加速をつけて迫り来る本棚、重厚で付けられたガラス張りの引き戸の向こうには無数の分厚い古書・・・仮に最良の結果が得られたとしてもガラスによって血塗れになるのはとても避けられそうにはない。そして最悪の結果となった時は・・・それを思うと彼女はその場で体を硬直させて目を閉じて覚悟を決めたその瞬間奇跡が彼女を救った。
「ギャウッ!」
 聞き慣れない強い叫び声と物体の動き・・・倒れてくる本棚の気配が同時に止まりそして耳に入った。それから数秒の間それでもそのままの姿勢でいたが全く静かな物だった、そしてようやく緊張が少し解れて麻痺したかの様であった耳が元に戻った時にまず聞こえたのは吐息、それも明らかに己の物ではない強い調子の息を吐く鼓膜を揺るがしたのであった。
"何・・・誰か助けてくれ・・・と言う事は・・・。"
 途端に彼女の心に力が漲る、それは希望と成功の確信だった。何故ならこの完全に閉じられた部屋の中に要る存在は自分のみである筈、そして物には出来ない倒れてきた本棚を止めると言う芸当・・・そう言った証拠から導き出されたのはそう彼女の試みた魔術が成功したという以外の何物でもない。つまりは生命の創造に成功したという事、だからこそ心躍るのは無理の無い話ではなくむしろ正当であろうししない方がおかしいのかもしれない。だがそれは一瞬の事だった、解れた体を解いて顔を上げて視線を向けたその先にある本棚をちょうど押し戻した影を見て数秒後には、目は大きく見開かれてその口からは何の言葉も漏れずにただ正円に近く開かれていた。


 終
若気の至り・第二章
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