雪深い出会い・始まり冬風 狐作
 それはほんの、些細な偶然から始まった事だった。物心付いた頃から何と無く気になっていた自宅の裏手の山へと登る一本道、その思いは次第に成長していく中でも変わる事無く、大学も半ばまで来た今もそれは変わらない。そんな時、バイパス建設か何らかの工事により実家が別の場所へ移る事になった。それを聞いた私はこれも良い機会だと、引越しを手伝った翌日すっかり空となったかつて実家であった建物を尻目に、自転車に漕いで冬枯れた山へと続く道を登り始めた。
 そう長くは続かないだろうと事前に予測していたが、予想に反してその道は長く単調な坂がどこまでも続いていた。未舗装な上に落ち葉が積もっていると聞くと走りにくそうに思われるが、以外に走り易くすっかり乾燥しきった落ち葉が潰されていく音を楽しみつつこぎ続ける。その時の空は久々に雲ひとつ無い快晴だった。
 九十九折の区間を越えると道は平坦となり、路面に落ちている落ち葉も少なくなってすっかり走りやすくなる。斜面側を眺めれば里の景色が一望出来、その雄大な光景に思わず心を奪われつつも前を注視しつつ進み早く来れば良かったものだと悔やみながら漕ぐ。結局、その様な区間が5キロほど続いた所で道は素彫りのトンネルへと消えた。トンネル内の路面は所々が凍っていて、同時に反対側の坑口から吹き込む風の冷たさに身を振るわせられる。
 それでも何とか無事に通過した先には、常緑樹の人工林と広葉樹中心で葉がすっかり落ちてさっぱりとした自然林との境界線となっている道の姿があった。道は幾つかある尾根の置く深くへと向かっているらしく次第に様相が荒れて来た。はっきりと道に残っていた轍は次第に薄くなり始め、道幅もトラック二台は余裕で擦れ違えるのではないかという大きさから、何時の間にか軽トラ一台でもやっとではないかと思えるまでに狭まっていた。何時の間にか人工林も消えて周囲の森も完全な自然林その物に変容しており、雰囲気は完全に一変していた。
"そろそろ終点だろうな・・・結局は森林管理用か。"
 と思った時だった、大きく谷側へカーブした先に再びトンネルが姿を現したのは。銘盤こそ欠けて判読出来ないがそのトンネルは立派なもので、ここまでの道幅よりも幅が大きい。恐らくは使われていない区間が次第に自然に侵食されて狭まってしまったのだろう、だからこれほど差があるのだろうが地図上にも記されておらず、また噂にも聞いた事の無いトンネルの出現に驚いたのもまた事実である。それでも血が騒ぎ減速しながらダイナモをオンにすると、コンクリートで簡単に舗装取れているトンネル内へ軽い段差の衝撃を受けながら入り込んで行った。

 低く唸り回転音を立てるライトの発電機と金属の擦れる音を響かせてトンネルを進む、こちらのトンネルも冷え切っていたが、それよりも圧倒的な闇に油断すると押し潰される様な感覚を受けた。そんなんだから妙に必死になって自転車を漕ぐ、油が切れているから漕げば漕ぐほど金属の摩擦音は大きくなって反響する。その循環で進んで行く内に再び闇は途切れ、光の下へと躍り出る。
 だがそこは一風変わっていた、まず第一にトンネルが途切れたと言う訳ではない。ただトンネルの右側の壁がすっぽり100メートルほど無くなっており、車を道路に対して垂直に止められるほどの幅のある空き地が斜面との間に作られていた。
 その斜面は苔生した石積みの物で、そのちょうど半ばの辺りには石積みの間に大きな窪みがあり階段の様な物が下へと下っているのが見える。ついつい気になってしょうがなかった事から彼は良い機会とばかりに脇へ自転車を横倒しにして止め置き、鍵をかけると水筒の水を飲みながらその階段の元へと近付いて行った。
「へー地下へ続いてるのか・・・。」
 覗いた先には矢張り地下へと続く階段の姿があった、土砂が流れ込むなどして半ば枯れ草で埋もれているその様は恐らく夏であったら決して入ることを嫌がるであろうが、冬となると逆に何処か哀愁を漂わせてその中へと心を捉え導かせるのである。このまま素直にトンネルを進んでも特には何もなさそうだ・・・そう感じると彼は足元を泥に掬われ無い様に気をつけつつ暗闇の中へと進んだ。

 途中から光の全く無くなった洞内を懐中電灯のお世話になりながら下っていく、どうもこの階段が作られた理由ははっきりしないが途中で朽ちた看板の様な物が転がっていたりするので、もしかすると何らかの観光施設的な物とする為に整備されていたのかもしれない。しかしそれは陽の目を見ずに今この様な姿を曝している・・・そう勝手な予想ではあるが考えると何とも興味惹かれるものだ。俄然運ぶ足に力が入り、期待が募る。
 階段はカーブし、そこに落ちていた蛍光灯を踏まぬ様に回った先で途切れていた。そこには木の柵で囲われ苔の生えた注連縄が巻かれた石碑が鎮座していた、石碑の表面に書かれている文字は余りにも達筆過ぎて読み取る事が出来ない。幾ら有難い言葉がかかれていようとも、この様な様では普通の人に理解されぬのは当然であった。
 懐中電灯で表裏とも照らした彼はまだ他に何か無いのかと照らし回った。すると階段のちょうど真隣に別の場所へと続くのであろう穴が開いていた、穴と言うよりも通路と言った方が良いだろう。その通路の入口には細いタイガーロープが渡されて「立入禁止」と書かれていたが、特に構う事無くロープを外すとそのままにして更に潜行したのだった。

 潜行する事、10分余り。最初の素掘りであるとは言え残っていた人の手の痕跡は殆ど薄れて何も無いに等しくなっていた、それでも続いているのはこれが天然の洞窟である事の証明なのだろう。うねうねと横も縦と曲がりくねった洞窟は更に続く、途中で傾斜も出てきて平坦と比べると足は自然と早くなり転ばぬ様に気を払っていると不意にそれまであった圧迫感、暗闇を尚暗く感じさせていた壁の圧迫感が消え明るくなった様な気がした。実際には暗闇の濃度は全く変わっていないと言うのに・・・ただそれだけで張り詰めていた気持ちのどこかが軽くなった様に感じられた。
「急に広い所に出たなぁ・・・さっきのトンネルも凌ぐほどの大きさじゃないのか?」
 懐中電灯で照らし出されるその一部、天然の所産とはとても思えないほど大規模で立派な空間だった。ただ鍾乳洞などとは違うらしく地下水も流れていないし石灰石の柱も無い、ただ無人で漆黒と無音に包まれているだけの世界。そこに易々と踏み込んだ自分は果たして良かったのか、そう思いながら靴音を響かせて奥へと向った。

 数十分後、彼を取り巻く様相は一変していた。まずあの暗闇が何処にも見当たらないのである、そしてそこには音と空気の流れがあり究めつけは太陽の光が注ぎ込んでいたのだ。後ろを振り返ればあの大洞窟が大きな口を開けて鎮座しており、表を見れば眩しいばかりに日を反射している大量の雪の姿があった。だだっ広いたらいの様な形をした大きな窪地、一言で言えばそんなような風情の場所だった。こう書くと何の変哲も無い場所に思えるかもしれない、だがその立地もそうであるし何より雪に一際映える鮮やかな赤色の物体・・・鳥居の存在が大きな関心を呼び覚ましたのであった。
 鳥居の幅に合うようにして雪が掻き分けられていた、人がいる筈も無い様に思えるこの空間にてそれは不思議な光景であり鳥居を超える時には、どうした訳か一歩を踏み出すのが恐ろしく感じられて躊躇ってしまったものだった。しかし幸いな事に踏み越えた所で何も起きずほっと一息吐きながら静かに前へ行く、道は目の前にある雪山を避ける様に右へカーブしておりその先は見通せない。何が待っているのか、とそう感じながら回ると右手には全面氷結した池があり視線の先には神社の様な建物の姿が見えた。
 簡単でも除雪された道・・・参道とは対照的にその神社の屋根には恐ろしいまでに積み重なった雪がありそれは彼を見下ろしていた。少々不安げな眼差しを向けつつも賽銭箱と鐘の前に立つと自然に手を合わせて参拝をする、いきなりの遭遇であったから何を拝もうかと思ったものだったが咄嗟に思いついた事を思って頭を下げた。
 そしてそれはわずか数秒の出来事に過ぎなかった、何とか体面を繕って・・・誰相手かはわからないが、恐らくはこの神社に祭られているであろう祭神相手にそれをした彼が面を上げると目の前には何時の間にやら人影が立っていた。静かにずっと前からそこにいた様な気配に思わず、彼は驚きと共に記憶を巡り思い起こさせるが矢張りほんの寸前の記憶の中にその姿は全く無かった。当然気配も無い、幾ら彼が人でそう言った能力に劣るとは言えそこまで無能ではない。だからこそ彼はそこまで驚愕してしまったのだった。

「おや、こんにちは。久々のお客さんだね・・・珍しい。」
「えっ・・・はっはぁどうもこちらこそ。」
 そんな彼とは対照的にその人物は非常にのんびりとした調子で話しかけてきた。その姿はこの神社の宮司なのだろうか、今ではこう言った場でしかお目にかかる事の出来ない薄緑色の狩衣を纏い立ち烏帽子を頭に載せている。まるで平安時代とかその辺りにタイムスリップしてしまった、そんな心持にすらなって頷きその場に立ち尽くす。
「良い機会だから上に上がっていないかい?たまには人と話をしたくてね。」
「あっ・・・あのちょっと・・・!?」
 そう呟くとその宮司は階段を下りて手を伸ばすと僕の服の袖口を掴んで上に引っ張り上げた。
「いいからいいから・・・じゃあこっちだよ。」
 だが宮司は僕の抗議を軽く受け流すと、その細身に見える体の何処から沸いてくるのかと思える怪力で上に強引に上げると、そのまま半ば引き摺る様にして運ばれて行ってしまったのだった。

 強引に連れて行かれた先はその宮司が寝起きしている所なのだろう、古惚けた平屋建ての建物だった。中には一応一通りの生活をこなせる設備が整っており小ぎれいにまとめられた気配は好ましく思えた、そこで彼は囲炉裏端にて宮司と世間話をしていたのだった。
 何でも聞く限りではもうこの神社に最後に人が訪れたのは30年前で、それも近くの山を登山中に遭難し掛けていた人だと言うから、偶然と好奇心の産物とは言え普通にやって来た僕は一応久々の参拝客となるらしい。何だか分かったような分からない様な話だったが何処か嬉しく思ったのもまた事実だ。
「いやー久々に外の世界の話を聞いたよ、ありがとう。」
"変わった事を言う人だなぁ本当・・・。"
「そうですか、いえいえこちらこそお邪魔してしまいまして・・・。」  感謝されるのは満更悪い事でもないので照れ気味に答えながら、彼は腰を浮かせた。そろそろ失礼しようかと考えていたからだ。しかしそれを宮司は引き止める。
「うん?どうかしたいかい?」
「いやそろそろ失礼しようかと思いまして・・・。」
 と呟きながらそっと窓の障子を開けると外はすっかり薄暮に包まれていて見通しが悪い、風も冷たくなって確実に夜の帳が落ちつつある事を示していた。
「帰るのはこれからの時間は止めた方が良い、朝まで待った方が無難だよ。それに君の通ってきた道は夜は魔が跋扈するからね・・・私ならともかく、君には無理だ。」
「魔・・・ですか。」
 またもこの宮司は思わず疑ってしまうような事を平気で口にした。最もこれまでの会話の中でもそれは多くその内容や話す時の態度から見ると余りにも自然で何処か真実味があり、不思議と気にはならなくなっていたことに今ようやく気がついた。だがそれでもそう気にはならなくなり彼もまた自然とそれを了解した。
"どうせ明日は休みなのだし、まぁ自転車も盗られるなんて事は無いだろうからな。"
 と思って。彼の言葉を受けた宮司は途端に顔を綻ばせるといそいそと動き始めた、一旦外に出たと思ったら30分ほどで戻って来てその後自らの手で食事を用意した。30分間外に出ていたのはちょうど祭祀の時間となった為だと言う、それを済ませてすぐに取り掛かった調理はものの30分で終わり、簡単ではあるが品数は多い夕食が並べられた。味の方は中々良く食べ終えた時には彼にしては珍しく腹が軽く膨れていた。
「あーごちそうさまでした、いや美味しいですね。また食べたいなぁ。」
「そう言ってもらえて良かった、良かった・・・普段は何を食べているんだい?」 「普段ですか、自分は独り者なので簡単な物ばかり・・・たまに実家に帰った時にはしっかりと食べますがそれ以外は時間も無いので・・・。」
 今食べたばかりの夕食と日頃食べつけている冷食やレトルト中心の夕食・・・その格差に思わず納得させられつつ少々恥ずかしく思いながら呟いた。
「まぁ忙しいのなら仕方がいないんじゃないか、それよりも時間のある時にしっかり食べれば良いと思うね。それよりも風呂に入って汗を落とすと良い、あそこの扉を抜けたところがそうだから。」
 笑うに笑えない顔、そんな顔をして宮司はある扉を指差して風呂を勧めた。ちょうど気まずくなっていた事もあって素直に従うと足早にそちらへと移動した。


 始まり終 深まりへ続く
雪深い出会い・深まり
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