「まずはどうして美咲の体が必要となるのか?そして村の農業との関連についてだが、南の社とその祭神が農業とそれに関する一切、そして生死等を司っている事は美咲も知っている事だ。だが神とは言え全能ではないしその力には限りがある・・・言ってしまえば人と同じだな。その能力等は人とは比べ物にならないが所詮は同じ、だから時には休息や力の補充などが必要となる。能力さえなかったら単なる人間と言えるだろう。」
「ちょっと火嗚。それは言い過ぎ・・・。」
「まぁ黙って聞いていてくれ、実際そうなんだから。それでなその休息の際に先程言った様に神は力を蓄える、その有する能力を生かし義務を果たす為にだ。人が食べ物を食べたりするのと感覚的には似通っているだろう、だがそれを形として食べるのではない。無論、人と同じものを食べるがそれは神の体を維持する為の物であって神の力を生み出す元にはならない、では何から力を摂っているのか・・・わかるか美咲?」
「まさかかとは思いますが・・・人を食べるとか?」
「うーん、ちょっと違うが人が関連している事は確かだ。大奥とでも言おうか・・・。」
「大奥ってやっぱりそう言う方面の話なのですか・・・?先程違うと言っていたと思うのですが?」
「まぁそう言う話だ、要は神が神として振舞うための力の源は2つ。1つは人間の信仰心と供物のエネルギー、そしてもう1つは人間の生命力だな・・・霊界の中にて最下位に属する物の中には血肉より得る者もいるが、大抵は性的な接触によってその力を得るのが普通だ。特に神の能力を実行し向上させ新たな物を生み出すのには人の生命力は不可欠、維持するだけなのなら信仰心のみで構わない。しかし長期的には如何しても生命力が不可欠となってしまう・・・おかしなものだが、熱の無い信仰心では活力の源泉とはなり得ないんだよ。」
とそこまで途切れ無しに話し続けた火嗚は一息吐いた、その好きに今度は火鳩が口を開く。
「まぁ火嗚の話で全体像はつかめたかもしれないけれど、私からも補足として話して置くわね。まずその神とは、つまり南の社の真の祭神とは私達ではないの・・・さっき火嗚の口からも漏れたけれど、霊界に座する紅舞神王と言うお方。姿こそ私達と同じだけど、その炎は七色にて霊界の南の守護を担われ、その姿は美しく一度見た者は皆が虜にさせられる事から玄妙王との異名もお持ちなのね。」
火鳩は澱み無く滔々と話す。一息ついたがその勢いに聞き惚れ飲まれてしまい、何事かと口を挟む事は出来なかった。そしてそれを死ってか知らずかは分からないが彼女は再び話し始める。
「そして、霊界には紅舞神王以外にも東、西、北、そして中央を守護される神々がいらっしゃって、この村の各神社はそれに対応しているという訳よ。四神と人が呼ぶものね。だから人から年に一度の大祭に、生命力補充の為に人を献ずるのが古代から連綿と行われてきた慣わしなの。どうここまでよかったかしら?ちょっと飛ばしてしまったけれど・・・。」
ようやくそこで火鳩は美咲の反応を窺った。幸いにして美咲は戸惑う様子も詰る気配も無く首を縦に振って、反応を返した。
"良い反応ね・・・物分りが良い娘で良かったわ。"
それを見て火鳩はしばし静かに胸を撫で下ろした。もし通じていなかったら厄介な事だ、幾度と無く説明を繰り返した事も過去にはある。時には分かっていると言う風に装われていた事すらあった、しかし今回はそうではない。しっかりと理解している・・・それが目に見えるのではないかと思うくらい強く感じられたからだ。
「じゃあ続きね・・・そして献じられた年巫女は本来ならば、霊界に自ら赴きそこにて役目を果たすと言う事になっている。でもこれはあくまでも建前、実際は人の体にはかなりの負担を掛ける事になるし、神々の好みにもよるわ。私達の主の紅舞神王は余程の事が無い限り降りられるのは好まれない。でもそれでは色々と支障を来たしてしまうので、私達の様に代理として地上にて霊界との仲立ちをする者がいるの。火嗚がさっき言いかけたのはそう言う事、私達は神の位ではあるけれどあくまでも代理人に過ぎないのよ。」
その言われる言葉を聞いてようやく美咲は先程の火嗚が言いかけ、言い切れずに終わった言葉の結末を知った。そしてどこが胸につっかえていた物が落ちると同時に、また新たな物が胸を塞ぐ。その様な変化が起きていた間も火鳩は話し続けていた。
「だからそれに倣って生命力も私達が代行して吸収し届ける・・・これが普段なのだけれど今回の様に間が開いてしまった場合は、代行で運ぶ間に混じってしまう私達の生命力による不純化を避けるべく年巫女に選ばれた人は、霊界へと直接赴かねばならないのよね・・・って聞いているの?美咲さん?」
「あっはっはい、聞いていますよ。つまりは私はその霊界の紅舞神王という方の元へ行かなければならない。そう言うことですね?」
どうやら上の空であった様だ、一瞬戸惑うも何とか耳に流れていた内容を断片的に思い出して何とかその場を取り繕う。慌てて紡ぎ出した言葉だがどうやら上手く行ったらしい、何とか火鳩も納得はしてくれた様であった。
「まぁ聞いていてくれたようね。それならいいんだけど、そして・・・とまぁ続けるよりもここからは論より証拠、と言う所ね。早速儀式に移るわよ、霊界へ行くためのね。さぁここに座って。」
少し話しすぎた感があるからね。とその後に付け加えて言うと、何時の間にか部屋の片隅で転寝をしていた火嗚を起こしている火鳩を眺めながら、視線を2人とその脇にいつの間にやら作られた祭壇とを見比べていた。先程の話から総合すると、恐らく自分は霊界と呼ばれる恐らくは異空間へと行く事になるのだろう。
そしてその世界にて火嗚と火鳩の主人、詰まるところの南の社の真の主人の元へ行きそこにて神としての行動力を養い蓄える事に協力、そう言えば聞こえは良いが要は夜のお相手をさせられるという事だ。愛人、側室、娼婦・・・そう言った言葉が頭を巡る、嫌がっている訳ではないが何だか頭が痛い様な気すらする始末であった。
「あら、どうしたの具合でも悪いのかしら?」
そんな風にしてノロノロと歩く美咲を見て、再び火鳩は不審の声を・・・不審とは言えその実は美咲の事を気遣う様に尋ねてきた。
「大丈夫です、ただ少し考えていただけですから・・・ここでいいですね?」
「えぇそうよ、じゃあ一先ずは座って待っていてね。すぐに用意するから、火嗚用意出来た?」
「あぁとっくに出来ているぞ、全く話が長いから冷めてしまつたじゃないか。ほらこれだ。」
奥からしばらく姿を消してた火嗚が何かを手に戻ってきた、何かの包みの様だ。白く包まれたそれを持って現れた火嗚は祭壇の前にて半円形の形に座る美咲と火鳩の前に一つずつそれを置くと、次に白磁の取っ手付きの小瓶を手に現れ何時の間にか並べられていた小皿に注がれていく。小皿は茶色であった、そこに注がれた液体は乳白色をしていて流れが鈍い。粘り気がある事が窺え、また仄かな酒粕にも似た香りが漂っていた。
「濁り酒よ、お酒は大丈夫ね?」
それは濁り酒であった、美咲は軽く頷いてそれを再び見詰めてみる。初めて見る濁り酒ではあったが何処と無く素朴な感じがして興味が惹かれる、思わず手を差し出して口を付けてしまいそうになったが堪えていると不意に肩に手が置かれた。振り返ればそこには火嗚の姿が、何時の間にそこに来たのかは知らないが彼は静かに笑っている。
「まぁそう焦っちゃ駄目だ・・・まずは包みの中身からだぞ。」
「はっはい。」
まるで言葉の調子から言えば幼子をあやし諭す様な勢い、普段の彼女ならあからさまに不機嫌な顔を魅せた事だろう。返事だってしないかもしれない、だが今回は妙に素直に了解しそして落ち着いた。何だか妙な気配だが、確かに今見せているその表情はどこか生気が無い。機械的で正確ではあるが感情がどうも薄い、それによくよく見れば瞳もどこか普段以上に澄んでいる。まるで透明度100%の湖の如く、深い黒を湛えているのが印象的であった。
「では、包みを解きましょう。」
そのやり取りを継ぐ様に火鳩が言葉を続け手を前へ包みへと伸ばし、その封印を解く。美咲も、定位置に戻った火嗚も、何事も無かったかのように全てを承知していると言った風に封印を解いて包装を外すと中からそれぞれある物を取り出した。それは一枚のお札、ただし色がそれぞれ異なって美咲の物は白であるのに対し火嗚は朱、火鳩は黄で染められその中央には縦書き一行に墨で何事かと書かれているが、余りにも達筆なので読む事は出来なかった。ただそれもお札毎に違うのは色と同じであった。
「さぁここへ。」
立ち上がった火鳩が3人の円の中央にある台の上へと自らの黄色い札を置いて美咲に白い札を置く様に促した。一言も発せずに寸分のズレも無く白い札が置かれると火嗚が朱の札を載せる、それを見た火鳩は台の下の扉を開けると、その中へと自らの纏う炎の一部を移し火を付けた。彼らの纏う炎が実際に火として他の物に燃え移るのを見たのはそれが初めてであり、改めて彼らが朱雀であるのだと実感させられる。
燃え移った火は次第に勢いを増し、台の側面に何箇所か設けられた穴からわずかに先端が吹き出るまでになった。すると何処からか取り出された蓋がその最上部に取り付けられ、3枚の札はその中へと姿を隠し、しばらくすると何かか焦げる様な匂いが漂い始めた。美咲はすぐにお札からは発せられているのだろうと察したが他の2人に動きは見られず、平然と何事も起きていないかのように静かに座って視線を下に落としていた。
それを見ると何かを尋ね様と言う気も削がれるし、そもそも先程から頭がぼんやりとしてよくよく思ってみれば今の今何を質問しようとしていたのか思い出せない。ただ何かを思っていたなとしか漠然と浮ぶだけで、忘れた事に対する焦りすらも見られなかった。無気力・・・その言葉が正に合うのが今の美咲であったと言えよう。
そんな美咲を満足気に見た火嗚と火鳩はどこか満足気に微笑むと、そっと蓋を外し小皿を持ち出して中に溜まっていた灰、3つのお札であった物を手で全てを移すと今度は先程美咲が関心を強く示した濁り酒の中へと混ぜ込む。それも美咲の濁り酒のみに・・・。
そしてすっかりその灰が溶け込んだ頃合になって頷き合った2人は立ち上がると、まずその濁り酒の入った器を片手に火鳩がすると耳元に囁くかのように火嗚が呟いた。
「濁り酒を飲むか?美咲。」
するとまるで操り人形の如き動きで彼女は首を縦に振り元に戻す。すると目での合図と共に火嗚が離れ、代わりに火鳩が近付き頭に手を掛けて口を開かせると一気に小皿の中の濁り酒を、混ぜ込んだ灰と共に流し込んだ。濁り酒の液体はその口腔内を何者にも邪魔される事無く流れすぎると、食道へと落ちて行く。
すっかり流し込まれたことを見届けて火鳩はそっと離れた。そしてすぐに戻る、小皿の代わりに筆と絵壷を手にし筆の先に付けた塗料を顔へ走らせ、何事かとその表面に文字の様な物を記していく。最後に筆が離れた時にはすっかりその顔、そして白い純白であった着物は朱で筆書きがされ人の体ではあるが、まるで燃えているかのごとく見受けられた。
「まぁ60年振りとは言え鈍っていなくて良かったわ・・・我ながら上出来ね。あっ年巫女を霊界へ送り出すのは数百年ぶりか、本当感心しちゃうわね自分に。で、準備は整ったの?火嗚。」
自らの出来栄えに1人悦にいっていた火鳩は思い出した様に火嗚の名を呼ぶ。
「あぁ整ったぞ・・・お前も整えないとな、その間に始めておくから。」
声が返って来た、そしてそれは次第に大きくなりそして火嗚の姿が再びその場に現れた。見た所別段変わった様子は無く一体何を準備したのだろうか?それはこの場では窺う事が出来なかった。
「分かったわ、じゃあ私も行ってくるからよろしくね。しっかり馴染ませておいてよ、久し振りなんだからさ・・・それにかなりこの娘強いわ。きっとお兄様も喜んで下さるだろうし、それでもお釣りが来るほどね。」
入れ替わりに擦れ違うと共に火鳩が呟いた。
「そうか・・・飛んで火にいる夏の虫だな。人の言葉で言うと・・・ククク。」
「今は秋、冬も間近よ・・・まぁいいけれど。じゃ頼んだわよ。」
「任しておけ、俺も気合が入っているからな・・・60年振りだ。」
「まぁそうね・・・じゃ頑張って。」
火鳩はその様に言いつつ奥の闇の中へと消えて行った。祭壇の前に残されたのは火嗚と糸の切れたマリオネットの様に座り込む美咲、今気が付いた事だかその下には巨大な鳥の巣の様な楕円形の代物が敷かれていた。
"さてさてどうしようか・・・。"
火嗚の瞳に怪しい輝きが一瞬煌めいた。