ボーイフレンド・中編冬風 狐作
 香水が本格的に活躍する機会を得たのは数ヶ月が経過した日の事だった、それまでの間は数日に1回付ける等していたが矢張り周りからの視線が痛い。これが昔からしているのなら別だろうが基本的に俺は無縁であったし、周りもそうと認識しているので戸惑いを感じていぶかしんでいるのだろう。その度毎に質問されて答えるのも億劫になったので何時の頃からかデートの時以外は付けるのを止め、香水の瓶は洗面所の棚の隅に放置しておいた。
 そしてその日俺は久々に手にしたその香水を万遍無く、それこそこれまでに無いほど念入りに体へふき付けた。体からプンプンその匂いが漂っている、正直付け過ぎてしまったかもと思ったがまぁ大丈夫だろう。何故ならこうもしたのはこれから来る来客を迎える為、そしてその来客とは即ち実子・・・彼女が自分の家に遊びに来るのは久々の事である。この頃は街に出てデートする事が多かったので自分が実子の家に余り行かなくなったのと同様に、実子もまた自分の家に来る事は稀になっていた。
 だがこうも念入りにするのはこれだけではない、何と今日はただ来て夕食を共に食べ一時を過ごすのではなく何と一晩彼女が泊まっていくのだ。これは初めての事だった、だからこうも念入りに、実子の機を損ねる事の無い様に備えていると言う訳である。時間は午後5時、昨日の電話では午後5時40分頃に行くと言っていたから後40分・・・たかが40分とは言え、今の自分にとっては一年に等しいほど長く感じられる。一刻でも早く来ないだろうか・・・そんな淡い期待を胸に俺は気を紛らわせるべく、一人テレビをつけて柄でもないお笑い番組の再放送にてわざと笑っていた。

 その頃実子は知章の自宅アパートに向けて車を走らせていた。法定の休日とは言え今日は平日、何時もより車の数は少なめだが渋滞している箇所は今日も変わらず渋滞しており、読みを間違えた彼女はすっかりその一つにはまっていた。幾台もの前に連なる車の彼方には赤く灯る踏切、鉄道もまた帰宅時間帯なので本数は多く一向に開く気配がしない。もう彼これ20分近くは止まったままである。
"弱ったわね・・・このままじゃ時間はおろか、大幅に遅れてしまうわ・・・でも抜けられないし、全くどうしてこう言う肝心な時に携帯を忘れるのよ。"
 と1人一向に進まぬ踏切渋滞の中にて舌打ちをしていた。

 ピンポーン、ポーン
"来たか?"
 気を何とか紛らわして今度はまどろんでいたその時、不意に玄関のチャイムが鳴った。咄嗟に時計を見ると予定されていた時間まではまたわずかに時間がある、しかしチャイムは二度鳴った。恐らく実子が来たに間違いはない・・・そう考えると俺はすぐに立ち上がり上機嫌で鍵を開けて、確認する事無くドアを押し開けた。
「いらっしゃい、実子さ・・・。」
「おう、若者。つけとるようじゃな?感心、感心・・・上がらせてもらうよ。」
「へっ?」
 言いかけたその声を遮ったのは元気な実子の声ではなく、何処と無くしわがれて勢いのある男の老人の声であった。姿は見えない、いやそれは単に相手の背が低いからであって背の高く視線の高い俺が戸惑っている隙に、何事かと言った老人は足をすり抜けて家の中へと入り、慌てて振り向いた時には誰いない筈の部屋の中の椅子に悠然とした態度で腰掛けていた。
「ちょっとあんた、何勝手に人の家に入ってくるんですか!出て行ってくださいよ。」
「これこれ、年寄りにそんな口を聞くではない・・・まぁちょっとの様だ、勘弁してなさい。で・・・お届け物だよ、あんたと彼女にね。彼女が来たら渡してくれれば分かる筈だ・・・。」
「彼女・・・って実子の事か?」
 と俺は半ば驚いてその何かを取り出している老人に言葉を投げかける。
「実子さんと言うのかい、なるほど・・・彼女には色々とお世話になったからのう。そのお礼と言う事だ、なっお兄さん・・・しっかり彼女の相手をして上げなさいよ。応援しとるからね・・・へへへっ。」
 そう言ってその老人は立ち上がって俺の脇を通って玄関ヘ向う。どうも調子を取られてばかりでこちらがようやく我に帰った時は目の前に姿は無く、脇を通過して言った感覚だけが残っていた。
「はっはぁ・・・っておじいさん、これは。」
「ぷれぜんとふぉーゆーだと言っておる、彼女によろしく言ってくれ。お礼だとな・・・お返しはいらんよ、もう会う事もないじゃろうし・・・それでは若者、頑張りたまえ。若いのだからな。」
「だから一体どういう・・・!?」
 そう大声で言いながら老人の肩に手を掛けたその途端、まるでホログラムであったのかと思うように老人の姿はかき消えた。まるで最初からそこに居なかったかの様に空気すらもそう流れていた・・・だが目を丸くし驚きつつもある感覚だけは忘れていなかった。それは手に感じた質感、ほんの極わずかな1秒にも満たないかもしれない間に、俺の指先は確かに熱のある人の体へと触れたのである。だが目の前の空気を見る限りではとてもそこに存在していたとは思えない、視覚と触覚の矛盾。この2つのギャップを深く感じつつ俺はドアを開けたまま右手を見詰めていた。

「何だったんだ・・・あの老人は・・・。」
 ようやく部屋に吹き込む寒風に押されてドアを閉めた俺は、ぶつぶつと呟きながら部屋の中へと戻った。今の机の上に置かれた2つの物体、何れも白い箱であったが片方は立方体で嵩があり、もう片方は直方体で嵩がなく細長い。それを前にした俺は取り合えず、実子へのプレゼントと称していた立方体の中身も気になったが自分にも言及していた直方体の方を開ける事にした。封等はされていないので簡単に上蓋を外し中身を見る、するとその中には2つの細長い金具の付いた物体が入っていた。
「これは・・・首輪か?」
   俺はサキイカを食べる時の様に端を抓んでそれを目の前に持ち上げる。確かにそれは首輪だった、アクセサリーとして人が付けるチョーカーの様な生易しい物ではなく、恐らくは小型犬か中型犬用の首輪。今手に持っているのは薄桃色をし、もう片方の箱に収まっている物は赤色であった。
「何で首輪なんかを・・・ご丁寧に名前を書くプレートまで用意していやがる。」
 見れば首輪の中ほどには銀色に輝く金属の楕円形をしたプレートが付けられていた。ふと思い立って指先でプレートに触れてみるが何も起きはしない、当然だろう。むしろ何か起きたらその方が怖いと言うものだ。そして何を思ったのか俺は首輪を手にしたまま、今一度香水を体に振り掛けると何の躊躇いも無く自然に首輪を前から後へと回し、そして巻いて金具で止めた。一体全体どうしてこうしたのかは分からなかったが、一先ず首輪を首に巻いて手を外した俺は再び万遍無く香水を全身に振り掛けてソファーに腰を落ち着ける。どこか気持ちが安らぐ・・・そんな気がしないでもなかった。

"まだ来ないのか・・・。"
 しばらく経った頃、時計を見た俺は驚いた。何故ならもう30分も時間を過ぎていたからだった、あれだけ時間に厳しい実子がここまで遅れるのは珍しい。恐らく初めての事だろう・・・車で来ると言っていたから渋滞に巻き込まれたのかもしれない。携帯をかけようかと思ったがやめた、実子には運転中は必ず携帯の電源を切るという習慣がある。
 仮に電源が入ったままで車内に着信音が鳴り響くような事態になっても彼女は決して手にしない、ただ時間が経って鳴り終るのを待つのみ。そしてそれは渋滞にはまっている間も変わらなかった、だから結局つながる事はない。
"まっその内に来るだろう、待つしかないな・・・。"
 そう考えると俺は一度は込めかけた力を抜いて楽な姿勢を取りテレビへと目をやる。しばらく見ていると何だか何処と無く体が熱い。窓を閉め切っているのでそのせいだろうと思い取り合わないでいる内に今度はどう言う訳か視野がぶれる、見る物の輪郭全てが二重にぼやけて見えるのだ。まるで酒で悪酔いをした時の様な感覚、胸のムカつき感こそ無いがそれ以外は殆ど変わらなかった。
"妙だな・・・水でも飲んで落ち着かせるか・・・。"
 突然の異変に違和感を感じつつも俺は立ち上がって台所へと向った、そして仕切りを越えようとした辺りで急に視界が暗転した。同時に意識もまたまるでそこには無かったかのようにいきなり闇の中へ消え、何も思う間も無く俺はそのまま床に倒れ臥した。
 その弾みの揺れで不安定な位置に置いてあったあの香水の瓶が棚の上にて倒れ、中身が蓋の外れた口から静かに流れ出し床にも広がっていく。後には静かな寝息とムッとする様な香水の香り、時計の針とテレビの音だけが残っていた。

カタン・・・
 知章が倒れて10分ほど経過した時の事、不意に玄関の方から小さな音が響いた。そして聞こえ始める規則的な音・・・足音だろうか、それは次第に部屋の中へと迫りやがて止まる。
「ニャー。」
 猫の鳴き声、見れば一匹の三毛猫が倒れている知章の頭の辺りにて知章を眺めながら一声鳴いた。その猫の名前はタマ、特に由来は無くただ直感的に付けられた名前であって彼の愛猫でもあった。近頃は猫と言っても家からは一歩も出ない出さないのが当たり前になっている中で、知章は勝手に玄関を改造して出入り口を作り自由に出入りさせる様にしていた。当初こそ彼も一般の風潮に習って家の中から一歩も出さないようにしていたのだが、ある程度大きくなってから拾ってきた猫であったので外を出歩く癖は全く抜けず、閉じ込めておいてわずかに窓なりドアなりを開ければその間から脱出する始末。
 結局何時までも気を張り続ける事に疲れた知章はその様に躾ける事を断念し、今度は逆に猫が好きなだけ外に出られる様にしたと言う訳である。その結果猫が欲求不満で家の中を荒らしまわる事も無くなり、知章の日時様には平穏が戻って来たのであった。そしてそれは今尚続き猫はふらりと家を出ては数日間外を彷徨い何時とも無く戻ってくると言うのを繰り返していた。
「ニャー。」
 猫はまた一鳴きすると、まるで頭を撫でるかのように前足を片方だけ知章の頭の上へと置いた。首を傾けながらの事であるから、恐らくどうして飼い主がここに寝転んだまま動かないのか不思議がったのであろう。そして
「フギャーッ!ニャーッ!」
 天地が引っ繰り返る、と言うのは大袈裟であろうがそれに匹敵するとも言えるほどの猫の鳴き声が辺りにこだまして、そして再び静かになった。時は我関せずと言った調子で流れていく。

 アパートの階段に響く金属音、息を吐く音、そしてチャイム。実子が到着したのはそれからわずかに数分後の事だった。
"もうっ、あの道通るんじゃなかった・・・。お陰で1時間も遅れちゃったし、知章怒っていないよね・・・。"
 そう思ってチャイムを鳴らすが反応が無い、流石に何時もは多少の自分の遅れには優しく知章の遅れには厳しい実子だが、今回ばかりは冷や汗が背中を流れた。そして思わず手をノブに回して回す・・・閉まっている事だろうと思いながら。だが予想に反して回ったノブを引くと軽い抵抗があっただけでドアは開いた、中からは熱気とムッとした匂いが噴出してくる。
「何この臭い・・・知章、いるの?」
 実子はこの余りにも甘ったるく濃厚な臭いに顔をしかめながら、恐る恐る中へと声をかけた。彼女にしては慎重過ぎるほど小さい声で返事は無い。流石にムッとした実子は声のボリュームを上げて声を投げかける、しかしそれでも反応は見られない。
「ねぇっいるの?いないの?どっちなの知章・・・折角来て上げたのだから返事くらいしな・・・?」
 靴を脱いで玄関の上へと上がり、そう言いながら中へわずかばかり入った所で実子は急に言葉を止めた。視線の先になにやら捉えたからだ、それは人の手の様に見える・・・瞬間実子が口を噤んだのも当然の事だろう。何故ならその手は知章の物である可能性が高いからだ、そして当の知章からは何度呼びかけても返事が無い。
「ちょっと、どうしたの!?知章!だいじょう・・・ぶって・・・えぇっ?」
 慌てて駆け寄ると共に発せられた声は紡がれると共に変質し、最後にはすっかり戸惑いを漂わせていた。表情もまた同じだった、驚きと焦りに満ちた表情は声と同じく戸惑いに変容している。一体何が彼女をそうさせたのか。彼女の視線の先を見てみよう、そこにあるのはフローリングの木目調の床、そして影。
 人の形をして床に横たわる影・・・まださっとしか見ていなかった時は知章だと思った、しかし次の瞬間よく見ればその影、つまり横たわる体が知章とはどうも違う。どことなく筋肉質でがっしりしていた筈の体は丸みを帯びて、質感で表すとしたら剛ではなく柔と言った所だろう。そして更におかしな点としてその体はどう言う訳か様々な色で覆われていた、白をベースに茶色と黒の斑が幾つか、そして腰の辺りから外に伸びる細長い物・・・。
「まさか尻尾・・・て、どうして・・・。」
 思わず後退りしてもう一度目を皿にしてその横たわる人影を見た。それが人影である事に変わりは無い、だが同時に人影であって人ではない事も明らかであった。表面の皮膚に見られる色は皮膚の色などではなく、びっしりと寸分の好き間も無く生え揃った毛・・・獣毛の色であり、腰からは細長い尻尾。そして髪の毛の気配のない頭の上には三角形をした耳、膝を曲げて手の平を見てみれば人と同じ形をしている代わりにすっかり白い猫の毛に覆われ、その手の平と指先には幾つかの肉球が見られた。
「何で人に猫が?で、知章はどこにいるのよ。トイレ?覗いてみないと・・・。」
 実子はその場に荷物を置くとトイレの様子を見に行った。ノックをする反応は無い、電気はついていない、恐る恐る静かに扉を開けて中を見るがそこには洋式便座が鎮座して空気を載せているだけで何も無い。
"トイレじゃないとしたら・・・お風呂?"
 そして今度は風呂を見に行こうとしたその時だった。ふと耳に音が聞こえる、テレビは先程消してしまったので音が出る筈もなくまたそれによって部屋の中は非常に静かだ。一瞬壁を挟んだ隣の部屋からの音かとも考えたが、ここに来るとき隣の家に明かりは点いてはなく、こうもはっきりと聞こえるのも変な事。普通壁を通して聞こえるとなれば音はもっとくぐもって聞こえるものだ。
"まさか・・・。"
 と思ったその時だった。


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