ボーイフレンド・後編冬風 狐作
「あれぇ、どうして俺はこんな所で・・・。」
 声が聞こえた、それは男言葉の聞きなれた知章の物だったが違った。耳に聞こえてきたその言葉は男言葉でも音程が低い男の物ではなく、高い女の声であったのである。続いて聞こえてくる言葉もその事に気が付いた様だ、段々と調子が乱れて困惑と焦りが表へと露わになって来ている。同時に実子もまた戸惑いと落胆そして衝撃を強く、これまでも感じていたがそれを押さえ込んでいた期待感が完全に消滅した事で一気に噴出した。そう、あの謎の人と猫とが混ぜ込められた体の持ち主が知章であり、あの見慣れた知章ではなくなってしまった事、そしてこれんらどうなってしまうのかと言う見通しの無さから来る物だった。
「何だこの体は・・・って、そこにいるのは・・・実子・・・か?」
 ようやく混乱している中で知章が実子の存在に気が付いた。敢えて気が付くまで押し黙り、そちらの方向を向いていなかった実子はようやく向き返ると口を開く。
「そうだけど・・・あなたこそ知章・・・よね?姿大分変わっているけど・・・。」
「そうだよ、俺だよ。知章だよ、知章・・・知章なんだよ。信じてくれ・・・。」
 実子がそう言うと知章・・・その人の体に猫が混ぜ込められた奇怪な姿をした者はまるで追い縋る様に、わずかに残されようやく見出せた希望に追い縋る様に声を絞り出した。その声の調子と目からは必死さが感じ取られ演技にはとても見えない、実子はそのまま首を縦に振りたかったがまだ信じがたかった。どうして人の姿がああもなってしまうのか・・・それが彼女の中に残った最大の疑問にして砦であり、目の前の存在が姿変われど知章であると認めるのに対して最後の抵抗を試みていたからだ。
「じゃあさ・・・私の住所と車のナンバーを言ってみて。ちゃんと当たったら知章だろうし・・・疑っているわけじゃないけど、どうしてもそうしないと信じきれないのよ。だから・・・気を悪くしているだろうけどお願い!」
 実子は最後は声を大にして言った。目の前の人・・・猫人は困惑した表情を浮かべている。とても見たくは無い表情だった、あの様な事を言うのではなかったと後悔したがそうでなければ自分の中で踏ん切りがつかないのだから致し方ない。そう自らに言い聞かせてじっと目を猫人に見据え集中させる。
「正確に言えば・・・信じて、いや納得がいくんだな・・・?」
 女の声で男言葉と言うのも何だか面白い・・・その様な事をふと思いながら実子は静かに首を縦に振る。
「わかったよ・・・じゃあ、千葉県野田市○××・・・、ナンバーは野田300○××−○◇。」
 猫人はすらりとそれを言い切った、全くの澱みが無い。言葉にも顔にも口の動きにも。
「知章なのね・・・ごめん疑ったりして、でも・・・その姿は一体どういう事なのよ・・・?」
 実子は深い溜息と共にそう言って認めた。矢張りその猫人は発する言葉の通り知章だったのだ。ようやく心を塞いでいた最大にして最後の砦は陥落し瓦礫と化した、しかし今度は改めてどうしてその様な姿なのかと言う疑問とどうなっていくのかと言う懸念が心を覆う。改めての驚きもあったがそれ所ではない、そしてそれは見た限り猫人、即ち知章自身も感じている様であった。しばし深い沈黙が二人を襲う。

「そんな事言われたって・・・わかる訳ないじゃないか。俺だって急に気分がムカムカとしたから水を飲もうと立ち上がったら倒れて、そして気が付いたら実子がいて俺はこんな姿になっていた・・・実子こそ何か知らないのか?」
「私が来た時にはもうその姿だったは・・・そうね、今から20分くらい前よ。もうその姿で倒れていたわ。」
「そうか・・・じゃあ、俺が倒れる前に時計を見た時、時計は6時前後だったから実子が来たのが20分頃・・・その20分の間に何があったんだよ・・・。」
 知章は頭を悔しそうに叩きはじめた。まるで何かを思いだそうとするかのように、それを慌てて実子が止める。
「ちょっと止めなよ。それよりもさ何かなかったの?その前後、何かを飲んだとか・・・。」
「何かを飲んだ・・・そんな事・・・あっまさか・・・。」
「何、何か思い当たるの?」
「あぁそうだ、そうだ。実子が来る前、確か5時位にチャイムが鳴ったんだよ、玄関の。それで俺はてっきり予定よりも早く実子が来たと思ってろくに確認せずに玄関を開けたら、誰もいなくてな。そしたら部屋の中から急に声が聞こえて・・・変な老人が家の中に入って来ていたんだよ。背が低くて猫背の変な人だった、そして文句を言ったら実子によろしくとか言って・・・。」
「実子に?何で私の名前が?」
 不満気な調子で実子が口を挟むも知章は口を止めない。
「それでほら机を見てみろよ。箱を2つ置いていって、空けていない大きな箱の方は実子へのプレゼントだとか言っていたな。そして老人は言うだけ言って帰って行って、一い何が入っているのかと思った俺はもう一つの上蓋の外れている箱を開けて、そうだそうだ思い出した。中には2つの色違いの首輪が入っていたんだ。最初は何でかと思ったけどふと首に巻いてみてそのままにしたんだ、そしたらしばらくして体が熱くなってムカムカとして倒れて・・・こうなっていたんだよ。ほら見ろ、この首輪だよ首輪。あの中にも入っている。」
 言われて見るとなるほど気が付かなかったが、赤い首輪が毛の中に埋没するようにして知章の首に巻かれている。そして机の上には彼の言う通りに何れも白い2つの箱、そしてその内の封の空いた嵩の低い箱の中には窪みが2つ設けられ、その内の片方の一つにのみ青い首輪が静かに鎮座してた。
「見た所普通の首輪ね・・・私も巻いて見ようかしら?」
「何言っているんだい、俺はそれを巻いてこんなになったんだぞ・・・実子までなったらどうするんだ?」
「冗談よ、付けないわ・・・でこちらは何だろう・・・。」
 そう言って実子は納まったままの首輪から視線を外しもう一つの未開封の箱を見る。こちらは嵩も大きく、手に持って見ると重さが感じられた。少なくとも首輪とかの類ではない事は確かで俄然興味を持った実子は知章の静止も聞かずに、静かに蓋を持ち上げて中身を曝け出した。
「これは・・・香水かしら?どこかで見覚えが・・・。」
 中身を手にとってかざして見回す、出てきたのは真紅の液体をたたえた加工された小瓶。どこかで見覚えがあるので頭を捻らせているとすぐに思い浮かんだ、そして知章に尋ねる。
「知章、あの香水は何処?」
「あの香水は洗面所の・・・ってあぁ零れている!」
 知章が叫んだ、見るとその先には洗面所があり、その上の棚の隅には先日送ったばかりの香水の小瓶があった。正確に言えば横倒しになって蓋が外れた格好で、恐らくこの部屋中に漂う甘ったるい臭いの元凶は全てあの香水であり、あれほどまでに這い去っていた中身の多くは既に漏れ流れ出した後で床や洗面台を薄桃色に染め上げていた。
「何時もここに置いて使っていたんだけど・・・どうして。」
 知章はすまないと思ったのかすまなそうにブツブツと呟くが、その声は殆ど実子の聞く所にはなかった。それよりも実子は素早く洗面台へと駆け寄るとその匂いを嗅いで覚え、すぐに戻ると今度は箱から出しただけの赤い香水の瓶を開けてその匂いを嗅ぐ。瓶の形は全くの同一でありながら色の違いが示すように・・・その中身の香りも違っていた。
 薄桃色の知章へ贈った物は甘ったるい臭いをしているのに対し、今自分の手元にある知章曰く謎の老人が置いて自分宛に指定して行ったと言う香水から漂うのは、爽快感すら漂う僅かな隙すらない香り。一度吸うだけで頭がスーッとする香水と言うよりも、メンソール等に近い感覚の物であった。この香りの違い、そして色の違いが何を示しているのかは分からない。ただ実子はあの日の、台風の日トンネル内にて止まっていた電車内での一時を自然と思い返し無言で唾を飲んだ。

 夜が来た、流石にこの時間ともなると人通りはまず見られない。それまで息を潜める様に知章の部屋に留まっていた二人は、必要な物だけを最小限に持って実子の車に乗り一路彼女の家を目指した。実子の家は広い敷地を持った一戸建て、実子の父親が経営する不動産会社の所有する物件で父親名義で借りられており、大学に通う実子が使用している。かつては企業の研修施設であった敷地にある関係で、家は普通の大きさだが庭が広いと言うアンバランスな造りであり地下室をも兼ね備えているものの、これまで1人暮らしの実子は1人では使い余している感があった。
 しかしながら今回起きた異常事態、つまりは彼氏である知章の変貌、人から人でもあり猫でもある姿への変貌、男から女への性転換・・・と言う事態には非常に役に立つ。敷地が広いお陰で仮に敷地内をその姿で知章が歩いたとしても外から見られる心配は薄いし、家の中に幾つもの未使用の部屋があるのでもし実子の友人や殆ど無いが両親が訪れたとしてもその内のどれかで匿って置く事が出来る。
 それで実子は知章を連れ出した、アパートに居るよりは余程安全であると言い聞かせて。知章もすぐに同意し日が沈み完全に夜になるまでの間、部屋中に漂う香水の匂いを消すなどの後始末をして過ごしたと言う訳である。
「大変な事になっちゃったね・・・。」
 来る時に渋滞にはまった踏切にて電車が通過するのを待ちながら運転席から後部座席へと呟く。
「そうだね・・・本当ごめん実子、俺がしっかりしていないばかりに・・・。」
 奥からは女の声で知章が、すっかり体を服で覆い涼しくなったとは言え季節外れの格好をしたまま呟いた。ミラーに移るその姿では顔の辺りに2つの光、猫の如く目が光っていた。そして目の前を轟音と共に光と人で溢れた長距離夜行快速と対照的に光を一切放たない、壁の様な貨物列車が通過して行く。辺りに車の姿は無い、あの夕方の混雑振りが嘘の様であった。
 ちなみにあの電車の一件は既に先程実子は知章に話した。今の言葉はそれを受けての事だろう。
「気にする事は無いよ・・・じゃ進むね。」
 遮断機が上がった、車は急いで線路を渡っていく・・・道路が空いたとしても線路は空かない。もう警報機が鳴り始め、両側の線路の彼方から光が幾つか見えてきている。

 実子の自宅に着き、最も奥の部屋に案内し実子が知章の休学願いを代わりに提出する等している内に数日が瞬く間に過ぎた。実子は1人で日本酒をリビングにて飲んでいる、色々な事が起き過ぎて今は勉強する気にはとてもなれなかった。幸いにして試験は終わったばかりで提出すべきレポートも当分は見当たらない。実子は酒豪である、東北出身であるからだろう。もうここぞとばかりに一升瓶を軽く一本飲み干していた・・・日々している事ではないが、今日は特別である。
 深夜が過ぎた頃テレビでも面白い番組はあらかた終了してしまった、流れるのは何処もお堅い系の昼間ですら流せない様な人気の薄い番組ばかり。つまらなく感じた彼女は電源を切って一気に飲み干す、そしておもむろに立ち上がると棚の中の一つを開けて例の箱を取り出し中身を出す。一方からは香水を、もう一方からは首輪を、そして香水を普段使っている何の変哲も無い香水をかけるように体にかけてしばし匂いに酔う。
 酔っている時は何ともこの匂いが堪らない・・・この事に気が付いたのは昨日の夜の事だった。この匂いを身に纏って嗅いでいるとどれだけ飲んでも不思議と酒には飲まれない、そして全く気持ち悪くなる事も無かった。それ故今晩も吹き付けた訳だが首を取り出したのは今日が初めてだった、そして彼女もあの日の知章の如く何の気も無しに首輪を巻き鏡の前にてポーズを決める。
"満更でもないわね・・・結構似合っているかも・・・。"
 前向きである、そして妖しく微笑んで再び腰掛けると新たに数杯煽って自室へと引き下がった。自室に入った彼女はベッドに転がり、自ら手を股間へと伸ばし割目に這わせる。何時の間に服を脱ぎ去ったのだろうか、部屋の入口の辺りに服が散らかっている傍らのベッドの上にて次第に自ら生み出す官能に酔って行く。
 酒の勢いもあるのだろう、自らの生み出した酔いと熱、意図的に作り出した酔いと熱が競演し合体する。全身からは滝の様に汗を流し、ワギナからは滴る愛液、手の指は最早まるで愛液の中に突入したペニスの様にびしょ濡れで妖しく輝き匂いを放つ。天然の匂いは、愛液に留まらず体の発する匂いと香水の香りは奇妙に混じりあいそして部屋を満たし行く。喘ぎ声がこだまし洗い吐息もまた・・・数時間後、一際大きな喘ぎ声、最早絶叫の類に近いほどの声が部屋の中から外に漏れ聞こえた。
 中を見ればそこはもう熱と香りが飽和状態になっている異世界、全ての物が熱に良い閉める中でただ1人実子は永久機関の如く片手でワギナを、もう片手で形の整った比較的大きめな乳房を揉み下す。皮膚の表面は汗で妖しく輝き爬虫類的な感覚も漂う中、まるでアオコが増殖するかのごとく、その極めて爬虫類的でありながら鏡の様に波一つ立たない池とも言うべき表面を覆い隠していく。
 それは獣毛だった、知章と違って色は単色・・・漆黒の黒。毛が覆い尽くす間も彼女は手を止めずむしろ激しさを増し、やがて来る体の変形の際も悶え続けた。性的な快感と体が異種の物に変容する快感、苦痛に激しく悶えた。乳房は元からの二房の下に対になって4つ、顔は美人と言うべき分類の小顔から大きさこそ保ったまま顔は若干前へと出でて目の形は丸みを帯びつつ鋭く、鼻は湿った黒い固まりとなり湿っている事で周囲の黒毛とは別の輝きを見せ付けている。
 尾てい骨からは当然尻尾が、3本ヒゲも生え肉球も出来爪も鋭く耳も三角に綺麗に立ち・・・最後に瞳が開いた。黒き毛の中に浮ぶ宝石、そう言えるだけ綺麗なわずかに緑色をたたえた黄色の瞳の姿がそこにあった。そして変化も自慰も終わった、彼女は小さく息を吐く。
「ふぅ・・・終わったわね・・・私もなっちゃったか・・・。」

 その声に迷いは無い、落胆の色も無い、しっかりとした意思が感じられた。彼女は電気を完全につけて自室にある鏡に全身を映す、筋肉質でどこか女性らしさを持ちながらすらりとした体付き・・・人であった頃、スリムだと周りからは言われつつも決して満足していなかった体はそこに無く自らの理想とするものが変容こそすれどもそこにあった。
「美しいわね・・・もう最高、感度も・・・良いし・・・ふぅ・・・ふふふ。」
 そう言って彼女は軽く自らの乳首を抓んで息を吐いた、少し感じたようである。
「私見ちゃったのよね・・・知章が・・・いやトモちゃんが1人で燃えてるの・・・気が付かれなかったけど私もあそこで思わずイッちゃったしね・・・。もう見ているだけでイクなんて初めて・・・そして期待通りのこの体・・・そして聞いたのよ。あの子の寂しげな泣き声を・・・ふふふ、もう大丈夫よトモちゃん・・・私がずっと一緒にいてあげるから、何時までも何時までも一緒にいてあげるから・・・さぁ行かないと。きっと寂しがっているわ、1人で燃えているわ・・・きっと・・・。」
 そう猫の顔で微笑み独白した彼女はまた笑みを見せると部屋を出た。かすかに聞こえる、猫人となったから聞こえる同族の同性の求める声に向けて、廊下を音を立てずに走って行った・・・。


 完
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