ボーイフレンド・前編冬風 狐作
 俺の名前は三ツ島知章、21才の大学生。何処にでもいる平凡な大学生・・・と自ら言うのも何だがそれが事実であるのだから仕方無い。そして勿論彼女もいる、彼女の名前は本早実子、同じ学部の同じ学科、所属している研究室まで同じ・・・と言う仲なのだがどう言う訳だか上手くいっていない。彼女に言わせると原因は俺が積極的じゃないからだと言うが・・・俺にしてみればこれが精一杯、これ以上要求されても困ると言う訳だ。だが何時までも放置しておく事は出来ない、別れてしまったり等してしまったら良い話のネタにされてしまうでも・・・と言う訳で今日も研究をする傍らその様な事で頭を悩ますのが俺の日常だ。

 私の名前は本早実子、21才の大学生・・・自分で言うのもなんだけど平凡な大学生ね。彼氏も当然ながらいるのだけど・・・イマイチ頼りないのよね、あの人。すぐに弱気になるし尻込みするし・・・もっと頼りになる人と付き合おうかなぁ・・・。

 それは雨の日の事だった。その日実子は地方の実家から帰る道すがら、大雨の影響で足止めを喰らっていた。乗っていた電車が止まったのは生憎駅と駅とのほぼ中間に位置する山間部のトンネルの中、トンネルの前後の区間にて規制雨量を越えた為に行く事も戻る事も出来ずに電車は停止していた。田舎の早朝の始発電車なので人影は少ない、運転士1人を除けば乗客は2両合わせてわずか3人、その内の1人は1両目の先頭車両にいるので2両目には実子ともう1人の乗客しかいなかった。
 数時間が経過した、電車は一向に動く気配が無い。時折運転士から放送が流れるが雨はますます強くなる一方で運転再開の目途は立っていないとの事、最初の内はイライラしていたがここまで来ると最早その様な気持ちにはなれない。ひたすら耐えるしかない、と言う忍耐の気持ちと恐らくこの電車の中で持つとも責任が重大で苦労している運転士に対して労いと励ましの心を抱きつつあった。
 停電さえしなければ考えようによっては電車は過ごしやすいものだ、トイレはあるし空調は効いている。それにこの電車は支線から本線へ直通し、本線との分岐駅にて特急と本線を走ってきた特急と連結して行く快速。その為車両は特急の物で、デッキには自動販売機が設置されているから飲み物にも込まらない・・・今必要なのは忍耐の心だけ、そう言えるだろう。
「ちょっとよろしいですかな?」
 そう言葉を掛けられたのはかなり経っての事だった。話しかけてきたのは4つほど前の座席に座っていた人、60を過ぎた感じのおじいさんである。
「もう・・・どれだけ止まっていますかな?時計を忘れてきてしまったもんでね、教えてもらいたいのですが。」
「今ですか・・・そうですね、5時間くらいは経っていますよ。」
「そうですか・・・それはどうも、所でその飲み物はどちらから・・・?」
 そうその老人は私が手に持っている飲みかけのジュースの缶を見て言う、どうやら自動販売機が付いている事を知らないようだ。
「自販機が付いているんですよ、ご案内しましょう。こっちです。」
 実子はおじいさんの手を引いてデッキにある自販機へと連れて行き案内する、するとおじいさんはいたく感激した様子で深々と何度も頭を下げて自らもまた緑茶を購入していた。そして何時の間にやら、彼女とそのおじいさんは話をし始め席を向い合わせて盛り上がり、最初は世間話から次第にそれぞれの話へと展開、当然の事ながら実子が頼りない彼氏・・・つまり知章の事を笑いながら話すとおじいさんは神妙な顔をしてこう言った。
「男にとってはね、それが精一杯と言う事もあるんですよ娘さん・・・様子を見てやったらどうかね?」
「それはそうですけどねぇ・・・そう時間だって無い訳ですし、もし他に縁があって逞しい人がいるかもと思うと・・・。」
「それはそうだが・・・まぁ若いからまだ出会いはあるよ、娘さんみたいに綺麗な人だったら特に・・・でも物じゃないんだから捨てるのは良くない。あんたが一肌脱がないと。」
「一肌脱ぐって・・・簡単に言いますけど私も色々としたんですよ。でもねぇ・・・。」
 そう言って私はこれまで彼に良かれと思ってした事を細かく欠く事無く延々と言い連ねる。それら全てをしっかりと耳にしたおじいさんは、話し終えてから一度頷きすぐに口を開いた。
「それは色々な事をやったねぇ娘さん・・・でも聞く限りじゃその恋人はかなりの難物だなぁ・・・難しいね。」
「でしょう?だから私は・・・。」
「とっとっとっとっ・・・そう急ぐもんじゃない、まぁ娘さんには今日は何かと世話になったからねぇ。良い物を上げよう、きっと彼氏に役に立つものをな、しばし待ちなさい。」
 おじいさんは立ち上がると自分の座席からトランクを一つ持ってきた、そしてそれを空いている通路を挟んで隣の席へ置き鍵を外して蓋を挙げて何かを取り出すとすぐに閉めた。
「これだな・・・使い方は簡単、香水と同じ要領で吹きかければ良い。すぐに効果は出るだろうよ・・・分かったかね?」
 差し出された手から自然と受け取ってしまった小瓶を手の平に置いておじいさんの説明を聞く。何時もなら謙遜するのが常なのに今日は自然と受け取ってしまった、少し複雑な気分でその小瓶の使い方、詰る所香水なのだろうか?その様な形をした小瓶を見詰めて聞く。
「あっはい・・・どうもありがとうございました。」
「良い良い、ほんのお礼だ・・・さて電車が動き出したようだね。」
 気が付くと何時の間にか窓の外はすっかり明るくなって、小雨交じりの光が注ぎ込んでいた。

 大幅な遅れで終着駅に降り立った私は特急料金を精算してもらって駅を出る。あの後結局として一度もあのおじいさんと言葉を交わせなかった、元々席は離れていた上に本線との分岐駅にて一気に乗客が乗り込んで来た事も会って物理的に無理であったからだ。終着駅に着いた時、おじいさんの座っていた座席には別の人が腰掛けていた。どうやら途中で降りてしまったらしい、私はどこか残念に思いつつ下宿へ向けて歩いて行った。
 知章と会ったのは翌日、大学の研究室での事だ。そこで言葉を交わした後、私は例の小瓶・・・香水をプレゼントする。ちょうど知章の誕生日であった事が幸いした、知明は心底喜んでいる様であったが私は喜ぶ反面一体その香水を浴びた知章がどうなるのかとあのおじいさんの顔を脳裏に浮かべつつ、興味津々な反面どこか戦々恐々とした気分で見詰めていた。

 今日は何と良い日なのだろう・・・朝から千円を拾った事に加え、大学では実子から誕生日プレゼントをもらえるとは。毎年もらっているのだが例年はプロテインやら鉄アレイ等と言う体を鍛えろ、逞しくなれと言う意思が濃厚な物が来るのに今年は香水。普段と違うだけで何だか嬉しいし少し心も休まる、俺は厚くお礼を言うとそれを鞄にしまい家へと持ち帰った。
 帰宅後何時も通りに時間を過ごした俺は風呂に入る前に、おもむろに香水を鞄から取り出す。香水を包んでいた茶色の紙袋、地味な昔ながらの袋だが不思議と実子の好む茶袋の中から出て来た香水は幾何学的な構図にカットされた瓶の中に、桃色透明の液体をたたえていた。
 軽く一押しして感じられる匂いは桃と言うか何と言うか・・・一言で言えば微妙で断言出来ないがどちらかと言うと甘系の香りを漂わせている。とは言うものの何処か気持ちが良い、わずかに空気中へと出しただけなので体に付いたら本当にどうなるのかは分からなかったがこれから風呂に入るので取り敢えず付けて見る事にした。
シュッ、シュッ・・・
 軽く押して脇などに万遍無く軽く振り掛ける、その途端鼻腔には先程微かに感じられた香りがより強くなって流れ込みその匂いが良く分かる。なるほど確かにこれはいい香りだろう、微妙とはとても言えない、最初に感じた通りこれを嗅いでいると気が休まるのは不思議な感覚であった。そうしてしばらく堪能した俺は風呂に入ってそれを全て押し流して消すと、疲れていた事もあってそのまま眠りに就いた。


 ボーイフレンド・前編 終
ボーイフレンド・中編
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