水乞い祭り〜化身〜冬風 狐作
 祭りからちょうど半月の9月の始めの新月の夜、誰もいない東の社。そこには社に仕える神官や巫女の姿すらない、それはそうだろう。何故なら彼らだって里に家庭があるのだから、カトリックの聖職者の様に結婚等は禁じられてはいないので朝から夕方まで社に勤めた後彼らはそれぞれの家族の待つ家へと帰る。かつてなら社に奉じられる供物等を糧に生活できたが、それも昔の話。信仰心今尚篤く、神が身近に感じられるこの御世沢村でも今やその様な生活は出来ない。
 仮に昔ながらのその生活に徹しようとするのなら、祭りや儀式、冠婚葬祭の際に与えられる謝礼以外に収入は望めない。社の維持費は全て村民全員で組織された講演会の積み立て費用から賄われる、それ故にお守りや御札等の収入は全てその積み立てへと繰り込まれ彼らの収入となる事は無い。故にこのような収入の不定な仕事で生きて行こうとするのは自殺行為に他ならず、その職をまっとう出来るのも影での家族の支えがあるからこその話なのである。

 そのスポンサーとも言える家族の元へ社に仕える者達が帰っているその晩、社のみならず村全体は強い風雨の下にあった。この嵐を村では神下り嵐と呼び、特に用は無い限り自宅にて家族揃って篭るべきだとされている。そして今年も殆どの村民はそれに従って各々の家に篭っていた、当然ながら神職も同じである。
 そしてこの嵐の中下られた水神は半月前の祭りの日に一人社に篭ったきりのよりしろの体へと下るのだ、とされている。当然ながらそれを知る者の中には半月もの間一人っきりのよりしろはどの様にして過ごしているのだろうか?と疑問を感じる者もいる。
 それに対する答えはと言えば明確に示された事は無いが、社の中に食料が蓄えてあるのだろうとか、村の長老達は水神様がお世話下さる等と世代によって様々な事が言われている。しかしながらそうであるのも当然の事だろう、何故なら誰も見た事が無いのだから。誰もが同じ様な疑問を抱いているのだから、だが誰もそれを表立たせずに真相は分からないまま毎年よりしろが選ばれて行くのであった。

 風雨の音が騒々しく響く社の中、そこにはあの卵が半月前に出来た時と変わらぬ位置、変わらぬ姿にてそこに鎮座していた。表面に埃等が積もった痕跡は全く見られない、形こそ全く変わってはいないがどこかオーラと言うか色を静かに放っている様に見受けられた。
 だが微動だにする事無くそこに卵は在り続けた、風雨が酷くなって暴風雨と化し社がそれで強く揺さぶられても微動だにしなかった。そして深夜、雲の上の新月が天頂に達した丁度その時一筋の稲妻が社の屋根の頂点を直撃する。
 木と言う物は元来水分が少なく抵抗が強い、それ故に雷の直撃を喰らうと火災を起こす原因となってしまうのだがこの社は板ぶきの屋根であると言うのに、全く痕跡が、わずかな焦げ跡すら残されていなかった。そして突き刺さった雷光は屋根に何ら傷を付けぬまま貫通すると、そのまま社の内部を縦に横切り卵の表面にぶつかる直前にて四散し、表面すれすれの空中を瞬時に沿って駆け抜けて行き再び卵の底にて1つに収束した途端強い光が卵諸共室内を覆い尽くした。
 卵が雷光を基にした強い光に包まれたその時、その中身であるよりしろ、つまり沙耶は殻の中を満たした液体の中に浮んでいた。それまでは微動だにする事無くただ目を閉じただけの元の姿で眠っていたが、雷光の直撃を受けた事によってそれは一変する。
 目蓋と口は一瞬にして開かれ何かを見据えて口からは気泡が漏れる。手足が盛んに水中を掻き髪の毛も乱れて苦しそうな表情となり、傍目から観ただけではまるで溺れているその様に見えなくも無い。だが一向にそのまま沈むなどはしない、ずっともがき続けて気が付いた時には再び静かに水中に浮んでいた。最も先程までと違うのはその姿勢が縦であり、そして目蓋が開かれている事であろう。
"あれ・・・私はどうしてこんな所に・・・水の中なのに苦しくない・・・。"
 沙耶は水中に浮ぶ我が身を見て新鮮な驚きと疑問を露わにした。人は水中で呼吸は出来ない、この様な事は保育園児ですら知っている当然の常識だ。しかしながら今ここにその常識を見事なまでに打ち破り、無視して存在している自分がいる。これが驚きに値しなくて何なのだろうか、だがこれはあくまでも前座に過ぎない事を彼女はすぐに知る事となる。

"痛っ・・・なにこのキーンとした痛み・・・。"
 興味深げに水中の自らの手足を眺めていた沙耶は不意に強い頭痛を感じた、キーンとした鋭い痛み。似通った物としてはかき氷を一気に食べた際の痛みを想像すれば良いだろう、今彼女に襲い掛かっている痛みはその痛みを何十倍にも強くしたと言った様子で、余りの痛さに両手で頭を抱えて体を丸め込もうとした。
 だが今度は体が硬直して微動だにしない、そのままの格好で固まってしまう。次第に痛みは全身に広がり、どこか鈴の音の様に一定の波長を持った痛みへと変わって来た。その為非常に苦痛は和らぎむしろ心地よさすら感じた頃、再び異変が襲った。体が温かくなってきたのだ、それと共に何だか辺りが明るくなりやがては目を開けるのも厳しいほど白く染まっていく。
"私の体が光っている・・・どうして・・・?"
 目を細くしながら気が付いたのはその光は全て自分、全身から放たれている事であった。全身が形はそのままにまるで蛍光灯の如く白く輝いている、決して優しさをその光から感じる事は出来なかった。そしてふと思い立って両手の指と指とを付き合わせたその瞬間、ショートした。目の前で光が爆発したのだ、その衝撃と共に体が光に完全に白く染まり光の中で膨れ上がり捲れ上がっていく。
 底知れぬ強烈な快感、そして感じる体の崩壊。だがそんな事が分かった所でどうする事も出来なかった、まるで炸裂し原爆の爆心の様に、そしてそこにて偶然巻き込まれた人間の様に声無き叫びを、喜びと恐れに満ちた叫びを限界まで叫んで白い光の中へと吸収され溶け合い、やがて消えて行った・・・。

 卵の中にて沙耶が自らが光を放っている事に気が付くわずかばかり前、それを覆う頑丈な殻にも異変が起きていた。それまで雷光が落ちた時も微動だにしなかったその表面はその辺りから青く、全てが青く輝きを放っている。その青には動きがあり良く見ると右から左へ向けて静かに流れており、その流れによる物だろうか時折色の澱みすら見る事が出来た。
 しばらくはそのまま平静を保っていた殻であったが今度は沙耶が光に溶け消えた時、殻には無数のひびが走った。何の前触れも無く唐突に、一部がわずかに欠けて床へと散り元の白へと戻るも大勢はそのまま動じない。ただ無数とは言えそれぞれが独立していたひびはその一つ一つがそれぞれ勢力を拡大し、次第に幾つかのひびの線を形成していく。そしてそれらが全て線として繋がりあったその瞬間、殻全体が青く強く輝いて異音が響き桑の身の様な線を表に走らせた殻は崩壊した。
 青に続いて強く白い光が堂の中を包み込みそれらが晴れた時、卵の姿は薄暗い堂の何処にも見当たらず無数に散った筈の殻すらも見当たらなかった。その代わりにかつて殻が床と接していたわずかな部分、そこにだけ殻が当時のままでありその中には中を満たしていた羊水もわずかに残っている。
 そしてその上には二足で直立した人影、背は高くしっかりとした体格で沙耶とは違う様子である。とは言えその胸には二房の乳房がたわみ体付きも何処と無く柔らかく滑らか、髪も長く女性の様ではある。だがどうも感じられる雰囲気がおかしい、人には無い何処かかけられる無言の圧力。並の人間にはとても抗し難い、別種の神々しさすら感じる雰囲気を身に纏っているのだ。
 それから数分間影は止まったままであった、微動だにしない池に立つ石像の様。そうとすら感じられた時、不意に動きそして殻から外へと足を踏み出し数歩歩いて立ち止まる。そして体の各所へと手を当て舐める様に回し見る・・・まるで体の調子を確かめているかのように。そしてその体は大きく伸びをした、手を高く掲げて思わず大きな欠伸をし肩を鳴らして動きを止めた。
「ふん・・・これが今年の体か、中々波長が合うね。まぁ上出来だな・・・さて、取り合えず今日はこれで過ごして、明日になったら起こして返してやるとするかな。一応は借り物だし疲れているだろう・・・さぁて現世でのしばしの勤めをするか。」
 そう言うとその体に宿った者・・・あの先代と同じく蛇と人とが交じり合った蛇人の姿をし、乳房とペニスとを併せ持った奇怪としか言い様の無い体の彼の者は勢い良く堂の扉を横に開く。秋めいたやや涼しい空気の元わずかに漂う朝日の気配、沙耶の入ってきた入口とは別のその扉の目の前に広がるのは東の社の御池。そこにその者は勢い良く、滑る様に空を切って飛び込んだ。全身の白い、何処と無く青の掛かった鱗を輝かせて静かな水面の中へと、それこそ静かに沈んで行く。

 その時東の社の本殿に置かれる鏡は青く輝いた、それを見た神官は思わず簡単の息を吐き続けて肩の力を抜いた。
「今年も無事お下りになられましたか・・・水神様。」
 と呟く。そう鏡が青く輝いたのはこの東の社に祭られる水神が、今年のよりしろの体へと無事御宿りになられた事を示しているのである。今し方来たばかりの神官は神妙な顔に落ち着くと祝詞を唱え始めた、彼の背後には昨年のよりしろを勤めた少女が布団に包まって静かに眠っている。その少女と共に沙耶もまた水神の宿った自らの体の中にて、これまでに味わった事の無い魂の底からの惰眠をしばし貪るのであった。


  水乞い祭り〜化身〜終 

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