例大祭〜前編〜冬風 狐作
「じゃあな、博、また明日な〜。」
「おう、遅刻すんなよ!じゃあな〜。」
 俺の名前は高幡洋平、17才の高校2年生だ。今別れたのは久原博、幼馴染で同じ高校に通う俺の友人だった。何故、だったと過去形なのか?それは簡単だ、実を言うとその日に俺が見て以来博はぷっつりとその消息を絶ってしまったからだ。誰にも見られる事無く、誰にも知られる事無く、まるで煙の様に分かれた後で消えてしまったのだ。
 無論、息子が深夜になっても帰って来ない事をいぶかしんだ博の親は警察に通報し、警察・消防団による辺り一体の捜索が行われた。警察犬すらも投入され、俺を含め博と親しくしていた奴は皆、何度も事情を聞かれた。だが、答える内容はいつも同じであった。それは当然であろう、何せ俺はあのT字路で博と別れて以来、会ってはいないのだから・・・。結局、博の行方は不明のままに終わった。三年へ進級した今、奴の席は空いたまま存在している。いつでも座れるようにと・・・だが、俺はもう博は帰ってこない、いやこの世界にはいない気がしてならなかった。だが、確証は無い。しかし、その様なもやもやっとした気がしてならなかった。窓の外は梅雨空、もう失踪から4ヶ月近くが経過していた。

 それは真に予期せぬ出来事であった。苑田さやかはその時、自転車を漕ぎ自宅から東へ5キロほど離れた図書館へ向っていた。その日の温暖な天気に合わせた涼しげな格好をして楽しそうに進み、山がちなこの街に多く見られるありふれたトンネルへと進入した。そのトンネルは500メートルほどの長さで大きく弧を描いている以外は特段変わりは無く、トンネルの両側には住宅地が広がっている。それが当然の光景だった・・・しかし、彼女がトンネルを出る直前に一瞬気を失い、すぐに戻ったその時トンネルは出ていたもののそこには見慣れぬ光景が広がっていた。
キキキキッ・・・キーッ!
「何ここ・・・。」
 慌てて急ブレーキをかけて片足を付いて辺りを見回すと、そこには一面に広がる広大な水田があった。さやかがいるのはその誰の影も無い水田を、何処までも見える限りでは一直線に貫く未舗装の細い道の上、その姿は完全にその風景から浮き上がっていた。
「本当、ここどこなのよ・・・変ねぇ・・・。」
 彼女はしばらくその場で立ち尽くしていたが、やがて自転車を押して元から進んでいた方向へと足を進めていた。右も左も分からない状況下ではあったが、進めば何か進展があるかもしれないと考えての事であった。そして、どう言う訳か知らないが彼女の心中には漠然としてではあるが、何か自分と関わりのある何かがこの道の先にいると浮んでいたのである。何かに心を惹かれながら彼女は静かに歩いていく、時には自転車に乗って進な内に日は流れ、何時しかすっかり真っ赤な夕日に何もかもが包み込まれていた。
「綺麗な夕日ねぇ・・・壮大だわ。」
 一時後ろを振り返って呟くとまたも前進する。背中の夕日はすっかり消えて夜の帳が辺りを覆うと自転車に跨り、ライトを点灯して進み続けていくが不思議と疲れの一切を感じない事のは幸いであった。そして夜通し進み続けてしばらく、あと少しで辺りが明るくなりつつなる頃、さやかはようやく道端に1つの人工物を見つけた。それは石を組み上げただけの簡素な板葺きの小屋、入口に扉は無く覗いて見ると中には無数の藁の束が置かれている以外は何も無かった。
 立ち止まった時点では、別にそこで休むつもりは全く無かったのだが、正直考えてみるとわずかながらに疲れが体にたまってきているのは事実であり、自転車を小屋の中の入口付近に立てかけて、小屋の隅を流れる水路の水を数杯飲んださやかはその藁の束の上に身を投げた。藁の上で寝るというのは彼女にとって未知の体験であり、服越しに藁が刺さってくるのは少しいただけなかったが、寝転べば体がそれを欲してそのまま彼女は瞳を閉じ小さな寝息を立て始めた。まだ日も上がり切らぬ早朝の出来事である。

"ここは一体どこだ・・・?"
 俺はここ数日の間、ずっとこれだけを考えていた。無論、これ以外にも思う事はあったが、そんな物よりもこちらの考えの方がずっと多くの時間を使っていたからだ。夕暮れの自宅近くの帰り道、夕日を浴びて伸びる影を眺めながら暢気に歩いていたら、突然背目眩がし、視界がグニャッとまるで溶鉱炉の鉄の様に歪み出し・・・それをわずかに見ただけで俺は意識を失った。そして、目覚めるとここにいた。辺り一面見渡す限りの草原とわずかな木々の集まりだけのこの大平原のど真ん中に俺は、1人で立ち尽くしていた。誰もいない、風と草木以外動く物の見当たらないこの大平原に。
 最初の内、俺はしばらくその場から動こうとは思えなかった、何故か、それはもしかしたらこれは夢なのではないかと、そして最初からいた場所にさえいればいつかは戻れるのではないかと密かに期待していたからだ。しかし、数日その場で過ごした挙句、ひもじさに負けて俺は移動を始めた。

「おまえさん、わしの小屋で何をしとるか?」
 翌朝目を覚ますとそこには1人の冴えない風貌の長身の男が、奇妙な物を見る目付きをしておりさやかに声をかけてきた。どうやら、この小屋はこの男の持ち物であったようだ。急な所有者の到来に慌てたさやかは思わず本能的に逃げようとした、しかし外見に合わず俊敏なその男にすぐに捕らえられてそのまま気絶させられてしまった。
 次に気が付いた時、さやかの周りにはあの男以外に複数の男女がいた。彼らは皆一様に不審の目をさやかに向けてはヒソヒソと何かを言い合っている。そんな状態がしばらく続いた後、最初見た男とは別の男が声をかけてきた。
「おまえさん・・・どこの者だ?見た事の無い服装をしているが・・・名は何だ?」
「・・・苑田・・・さやかです。」
「ソノダサヤカ?なんだその名前は?聞き慣れん名前だな・・・。」
と尋ねて来た男が呟いたのを境に、彼らは再び彼らだけで固まって何事かと話し合い始めた。詳しい内容は聞き取れなかったが、その雰囲気から彼女の事を疑いの目で見ている事だけは違いなく、さやかにはただ事の成り行きを見守るほかに何も出来はしなかった。
「ソノダ・・・サヤカ、とか言ったな?おまえさん、ちょっとこっちへ付いて来い。」
「はい。」
 さやかは一言返事をすると人々の間を縫って進む、話し掛けて来たのとは別の男の後についてその家の中から外へと出た。外は夕暮れ時を迎えており、昨日見たのと同じ様に鮮やかな夕焼けが辺りをすっかり包み込んでいる。男は幾つかの家に囲まれた四角い広場を横切ると、とある一件の家の裏にある倉庫の様な狭く古びた小屋の中へとさやかを入れた。
「一先ず、ここで落ち着いていろ。おまえがに対する処分が決まるまでな、飯は・・・これだ。便所はそこ、水もそれだからしばらくな・・・。」
 そう言うと男はその扉を静かに閉めてその場から立ち去った。後にはさやかと狭い格子窓から漏れ込んで来る残照の光があるだけだった。

 変化を見つけたのはこの明らかに元いた世界とは異なる世界へ来てから、早3日が経過した頃だった。2日ほど前に見つけた川縁を歩いていると、急にそれまで自由気ままに流れていた川が定まった所を流れ出したのである。そこにあったのは土を盛った堤防であり、そっとその上に登ってみるとその彼方には、延々と果てしなく続く青々とした水田が広がっていたのだ。均等な長方形に区切られた明らかに人工的な物と分かる無数の水田、俺は人知れずその場で喜びの声を上げると、そのまま足取りも軽やかに土手に沿って再び歩み始めた。
"何て広大なのだろうなぁ・・・。"
 土手の上を含め辺りはすっかり月明かりに包まれていた。確か、土手を見つけたのが昼の少し前であったから凡そ8時間前後歩き続けていると言う訳になる。
"8時間と言う事は・・・そうだな、大体35キロ位歩いたという事か・・・道理で足がパンパンになる訳よ。しかし、本当何処まで続くんだ?この水田は・・・少し恐ろしいものを感じるね・・・。"
 その様に思っていた矢先、ふと前を見ると土手が軽くカーブした先に橋の姿を見る事が出来た。慌ててそこへと駆け寄り確認すると、その場には幅は5メートルほどで長さは200メートルはあろうかと言う比較的大きな木橋が構えていた。そして橋の袂からは未舗装の白い道路が一直線に限りなく、見渡せる範囲に伸びており土手上の草生した道と十字に交差している。
"結構立派な橋だな・・・何だか結構使われている様だし・・・と言う事はこの近くに人が、かなりの規模で住んでいる事は間違いないな。となるとどちらに進もうかと・・・よし、これで決めるか。"
 どちらに進もうか悩んでいた矢先に、ふと道端に落ちていた葦の茎を見て俺はある事を思いついた。早速それを手に取って十字路の真ん中に立つと、垂直に立てたそれから手を離しどちらに倒れるかを見比べてみた。手から離れた葦の茎はストンと何の躊躇いも無く地面へ倒れた、そしてその手に先程まで持たれていた先端は、橋とは逆の水田の中へと続く方向を見事に示していた。その方面には水田と道のほかには何かを認める事は出来なかった。

   それから一週間ほど、さやかはずっとその薄暗い半地下の空間に閉じ込められていた。幸いな事に食料だけは1日2食、粗末ではあるが与えられ自然と湧き出ている地下水もあるので飢えや渇きに苦しむ心配は無かったが、やはりずっとその中に入れられているのは心理的にかなり負担であった。女の子だからと言うこともあったのだろうが、一週間もの間体を洗えずにずっとそのままでいるのは痒みとなって苦しめ、また自分がこれから如何されるのかと言う先行きの不透明さもそれに作用していた。
そんな折の事、食事とはまた別の本来ならば開く筈の無い時間に突然扉が開けられたのだ。何事かとさやかが入口へと駆け寄ると、村人の1人が何やら得意げな顔をしてこう言ってきた。
「お仲間を連れて来たぞ・・・ちょっと奥へ下がってろ。」
「お仲間って・・・あの・・・。」
「おい、ここだここだ・・・入れろ入れろ。」
 さやかが尋ねようとすると、男はそれを無視して村の中の方へと大声を掛けた。外からは久し振りに見る太陽の光が燦々と薄暗い空間へと降り注ぎ、思わず目を細めて口を閉じてさやかも男と共に見つめていると幾人かの人影が姿を現した。逆光であるので最初は影にしか見えなかったが、次第に近付いた事でその輪郭もはっきりとしてその影が、3人の男の村人と1人の何処か見慣れた服装・・・ブレザーの学生服を着た高校生と思しき男から構成されている事をはっきりと見る事が出来た。
「あれをおまえさんは知っているのか?」
 扉の所で構えている男が不意に尋ねたのでさやかは静かに肯いた。それを見た男は黙ったまま軽く手を振って何かの合図を送ったところで、その影の一行は入口へと到着し、半ば放り投げる様にそのブレザーを着た青年を入れ込んだ。
「トットットット・・・。」
「縄は外してやれ、後で食事を持ってきてやる。」
 軽く調子を付けてそのまま落とさない様に、さやかがその青年をその体で受け取るのを見た男達はそう言ってその場から立ち去り、扉を閉めた。扉が閉められた後のそこは以前と変わらぬ空間で、ただ人員が増えた以外は全く変わりはなかった。その青年が気を失っている事を見たさやかはそっと横へ寝かすと、その手首を縛っていた荒縄を外しそのままそこに置いて様子を見た。
"一体誰なんだろう・・・。"
 と思いつつ、何の手出しも出来ずにさやかはただ見詰めるだけだった。そしてその青年は静かに寝息を立てていた。

「おい。飯だぞ・・・お仲間は目覚めたかい?」
「いえ・・・まだ寝ています。」
 いつも通りの時刻に村人が1人夕食を届けに来た。何時もは1つで済む食料が倍になった者を受け取りながら会話が交わされる。
「そうか・・・じゃあ目を覚まし次第色々と教えてやれな。頼むぞ。」
「わかりました・・・。」
そして何時も通りに村人は立ち去って行った。月明かりの注ぐ薄暗い半地下室で食事を取り分けると、一先ずさやかは自分の分を食べ始めた。心なしかその日の食事は何時もよりも味が濃いような気がしないでもなく、その晩は中々寝付けなかった。


 例大祭〜前編〜 例大祭〜中篇その1〜へ続く
例大祭〜中篇その1〜
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