甘露の味〜竜の心・下・戌年記念冬風 狐作
 雪はますます激しくなってきた、当然ながらかなり冷える。これまでは塀の上や草地等に薄っすらと積もるだけであった雪は勢いを得て、そう言った上には満遍なく隙間なく、アスファルトの上には薄っすらとそして次第に厚くなりつつある。幾ら自分の周りの空気を操り温度を自由に決められる能力があっても、周りの景色が寒々しくては実感も薄れてしまう。
 だが目的の物は中々見つからない、元々正月なので人通りが少ないと言うのに雪が降って来ている為に余計少なくなっている。このまま見つけられずに帰るのは惜しかったが、そうせざるを得ないかもしれない・・・そう竜神は感じつつ進んで行き土手を登って川を見渡した。ここへ来ると気分がホッとする、矢張り自分は水にまつわる者なのだなぁと改めて感じ、冬のいかにも寒そうな島では有り得ない水の姿に見惚れていた。
 そして探し物が見つかったのもそんな折であった。ふと顔を向けると独特な気配が感じられた、そう近くは無いが遠くも無い場所・・・そししてその方面をじっと見詰めると雪煙の彼方に小さな小屋の姿を認める事が出来た。気配はそこから漂っている・・・。
「ようやく見つかったか・・・。」
 やれやれと言った風に呟いた竜神は言葉とは裏腹に軽快に土手を駆け下り、雪が積もったサイクリングロードの上に靴跡を残して駆けて行った。

「ひっ・・・だ、誰?」
 勢い良くその立付けの悪い扉を押し開けると、酷く冷えた小屋の中に置かれたベンチの上に座っていた少女が小さな悲鳴を上げた。竜神はそれに構う事無く再び扉を閉じると入り込みその前へと立つ。
"ふむ、中々良い娘ではないか・・・ただ様子が妙だな。"
 寒さと驚きに震えたその瞳を見てそう感じ取った竜神は、軽く息を吐くとその脇へと腰掛けた。少女は体を逸らすがそう大きくは無い、それだけ体力・精神力共に疲弊してしまっているのだろう。そもそもどうしてこんな小屋の中にいるのかが竜神には不思議でならなかった、何か事情がある事を勘付いた彼は静かに口を開く。
「そう脅えるな、娘よ・・・どうしてこんな所にいるんだ?相談に乗ってやろう。」
 優しい声で言う様に努めたがどうやら意図が上手く伝わっていない様だ。考えてみればそうだろう、いきなりコートを着込んだ謎の男に話しかけられたのだから。もし少女が元気であれば逃げられたかもしれない、そう考えるとこう脅えられる事もまた好ましく思えるから不思議である。
「まぁ何だ、寒いだろう?暖めてやるからちょっとこっちに寄ってもらいたいのだが・・・大丈夫だ、別に変な事はしない。」
 相手の聞き様によっては先程よりも危うげな事を言っていたのだが、幸いその少女にはそうは取られなく恐る恐る接近してきた。竜神はわずかに力を増やしてその範囲を大きくした、ちょうど自分と少女が隣り合って座ったとしても十分なまでに。その円の中に入った時、一瞬少女の動きが止まった。そして再び手を伸ばしてその驚きの原因を確かめると、前よりも素早く入り込んできた。
「もっと近くによると良い、暖かいだろう?」
 そう声を掛けてもしばらくは反応が無かった。見ていると違う理由にて体を震わせて解している・・・暖かさを心底味わっていたのだった。
「はい・・・どうもすみません。」
 数分ほどしてようやく少女は応えた。そして不思議そうに竜神を見詰めると再び口を開いた。
「あの・・・どうしてあなたの傍はこんなに暖かいのですか?あれだけ寒かったのに・・・。」
 その質問に矢張り来たかと実感する竜神、だが安易に嘘を言うのも気が引け逆に不審がられるのではと思うと敢えて真実を行って見ることにした。
「どうしてかって?それは俺が神であるからだ、まぁ信じられないとは思うがな。」
「神・・・ですか?神様・・・。」
「まぁそうだ。信じてくれるか?」
 意外に早く返って来た答えに頷く竜神、そして再びぶつけた問いに少女は静かに応じる。
「えぇ、だってこんなにも暖かくなるなんてそうとしか考えられませんから・・・あの相談に乗ってくれますか?」
「良いぞ、大抵の事は解決してやろう・・・一体何なんだ?」
   その"解決してやろう"と言う言葉は少女の心にどれだけ強く響いただろうか。急に力が言葉に篭る少女、彼女は滔々と言葉を吐き出す。それまで心に滞留していた事柄を・・・最初はこの家出の原因、やがてはそれ以外の事柄にまで及んだが一つ一つ自らの深い知識を生かして、考えつつ言葉を示していく竜神。それは数時間に及んだ、その間にも雪は話以上に途切れる事無く小屋の外にて降り続き、そして積もって行く・・・それは話し終えた時にであった。そして恐ろしい事態が2人の身に起こる。

「どうも相談に乗って頂きありがとうございました。今から家に帰って両親と話し合いたいと思います。」
「それが一番良い・・・親だってお前の事をおもって言っているのだからな。とにかく家の近くまで奥って行ってやろう、雪も降っているし時間も遅いからな。」
「どうもすみません。」
「気にするな、では・・・?扉が開かぬな・・・っとこれは!?」
 礼を交わし言葉を交わしながら竜神が妙に重い扉を力任せに開けると、開いた傍から雪の塊が勢い良く小屋の床の上に転がってきた。見ればドアの外は全て雪・・・2人は知らなかった、彼らが話しこんでいた頃世間では大騒動となっていたのである。記録的な短期間での積雪観測として、過去に残されていた記録を大幅に更新していたのだ。その為に街の機能は大きく損なわれて大きな損害が生じていた、公共交通機関は元より車も当てにならず歩く事すらままならない事態に陥っていたのだ。
 当然人々は自分の身の回りの事ばかり気を使っていたので、しばらくは関係の無い河川敷に目を向ける者等いない・・・だから小屋の屋根の辺りにまで達する雪まで積もったという次第なのである。

「これでは出られぬな・・・どうする?」
「ここに一泊するという事しか・・・神様が暖めてくれるなら何とかなりそうです。」
 自らに親身になって初対面と言うのに相談に乗ったからだろう、すっかり少女は竜神の事を信頼しきっていた。その瞳を見ると竜神もまた応え様と言う気持ちに、当初の想い等脇に退けて思ってしまうのだが一つ問題があった。それは竜神の力の残量・・・竜神にとって人の姿を維持する事は非常に体力を消費する事になる。
 であるからこれまでなれてもならなかったのだが、あの見送りを機に考えを直しちょくちょくする様にしていた。しかしそれは長くても一時間余り、今日の様に6時間近くもすると枯渇は著しく、下手をしたら幽体にならなくては維持出来ないほどまでになる事すらある。その限界は目に見えていたので避けるには竜神本来の姿に戻る事が必要なのであるが、幾ら神と自分を信じているとは言えその姿となると如何反応するか・・・それか気になって仕方が無かったのだ。幽体となるのは論外、その姿では少女に熱を供給できなくなってしまう。
「陽子、少し怖がらせる事になるかもしれないが・・・良いか?」
 意を決した竜神はそっと尋ねた。陽子は静かに首を下げる、それを見届けると無言のまま自らの体の力を抜いた。途端に軽くなり解ける様に人としての体が消えて、服が全て床に脱げ落ちていく。その流れは正しく流れるようであって何処がどうなってと解説出来る感じではない、そして再び流れが止まった時そこには緑の鱗のあの普段の竜神の姿があった。
「神様・・・その姿は・・・。」
「これが俺の姿だ、すまぬな驚かせて。人の姿は仮のものでな、あれは力を以上に消費するのだ・・・。」
 竜神はそう謝る、一瞬驚いた感じの陽子はすぐに元通りとなって口を開いた。
「そうですか・・・すいません、私のせいでそんな事になってしまって。あのでは熱の方も・・・?」
「まぁ力で維持しているが・・・。」
 しかしわずかな物だから心配する事は無い、そう続けようとする前に陽子はそう言って否定しようとした事を口にしてしまった。負担となるのなら熱はいらないですからと、健気に。思わずそのまま言葉を詰らせてしまう竜神・・・沈黙した彼はそのまま否定するのもなんであるからとある考えをひねり出した。
「わかった、だがそれでは陽子が死んでしまう。こうも寒いと・・・一つ良い方法があるのだが。陽子は凍死する事は無く、そして俺は力をセーブできる方法が。」
「それは一体何なのでしょうか?出来るのならして下さい。」
 興味を持った少女はそう尋ねて来た。興味津々と言った調子である、こうも積極的であると竜神も嬉しいものであるからこそはっきりとその事を伝えた。
「つまりは陽子の中の獣を引き出すという事だな。」
「私の中の獣をですか?」
「そうだ、人にはそれぞれ属する獣と言う物がある。それは基本的には性格等に反映されるのだが表に出ることは無くそのまま一生を共にする・・・この国の民話に狐憑きと言うものがあるな、あれは精神的に獣が出てしまったと言う例だ。獣の暴走と言って良いだろう。」
「では私の獣を暴走させると・・・一体獣とは言ってもどういう獣なのですか?」
 飲み込みが早い、疲れていて常識が殺がれているからだろうが非常に気分が良かった。だからこそこちらも一生懸命になる、いやしたくなると言うものだ。
「陽子の獣は犬だな・・・まぁ暴走ではなく制御して表に出すという具合だろう。力を貸してやる、並みの人間には出来ぬからな。」
「犬ですか・・・そうなんだ、以外ですねぇ。のんびり屋だから猫か何かと思っていましたよ・・・。」
「やるならすぐにしてやろう、どうする?」
「それでは、お願いします。楽しみです・・・神様みたいな感じになるんですか?」
 特に考える事も無く即断して返す陽子、それを予想していた竜神はそれ様に力を分配して備えていく。

「あぁそうか・・・では、一つ行くとしようか。」
 そして座り込んでいる陽子へ手を差し出した。
「握るが良い。一時的に変えるだけだからな・・・それでいいのだ。」
「はい、ではこうですね。」
 ゴツゴツとして大きな鱗などに覆われた手を強く力強く握り締める陽子、人の柔らかい肉の手との対比が印象的である。最初の頃と比べると大分体温も回復して来た様でその手は暖かく、思わず当初の目的が頭をもたげ掛けたが押さえ込んで専念をかける。
「では行くぞ・・・絶対離すな、目を閉じろ・・・ではっ。」
 力強く言葉を閉めると一気に力を流し始めた。こうも直接に生で力を流すのも久方ぶりの事でありそれだけ人の体に負担は大きいが、順子らの様に体はおろか心までも変えようとしての事ではないのでこれが一番適しているのだ。見ると陽子は顔を顰めている、落雷により大量の電流が流れたような感覚なのだから。だがここで止めては変化は起きない、念じつつ力を込めて注いでいく一瞬の間断も置かずに多量に・・・そして変化が現れた。陽子の体が変化し始めたのだ。
 まず最初に現れたのは顔などの皮膚の表面に現れた獣毛、それは淡い金色の様なもので下地となる細い毛が生え揃うと続けて長いそれよりも鮮やかな金毛が生じ垂れていく。次に伸びたのはマズル、黒々とした鼻を先端に持ち長くなる口腔と舌、人の時の髪の毛の配置と同じく顔の表部分だけは薄い毛のみが生えている。
 そして体、スカートの端から長い尻尾の一部と見える毛が見え隠れし露出している皮膚は覆われ、靴下は窮屈そうに押し上げられていた。体付きもどちらかと言えば痩せ過ぎの体に肉が付き背も伸びて骨格がしっかりして丸くなる。ただ丸くなったと言っても太ったのではなく、適度に女子らしい体型になったと言う事だ。当然ながら胸も膨らみ服は破れこそしないが窮屈になっていた。

「これが私の獣の姿ですか・・・ゴールデンレトリバーみたい・・・。」
 変化が終わった事を受けて目を開く様促された陽子は目の前に浮ぶ全身鏡、そうかつて順子やチエを変化させた時と同じ様にして用意した鏡に映る己の姿を見ていた。そうショックではないらしい、むしろ気に入った様で窮屈だからと、既に身に纏っている物は全て脱ぎ捨ててしまっている。
「気に入ってくれたか?まぁその様子ではその様だな。」
「ありがとうございます、神様・・・本当に暖かいですね。熱が篭っているそんな感じですよ。」
 嬉しそうに感謝を述べながら近付き、そしていきなり抱き付いた陽子。咄嗟の事にわずかに動転して己の愚息が反応しかける。
「まっまぁ良かった、ひとまずは腰を下ろそう。そして隣り合うとするか?」
「あっはい、そうですね。神様と楽しく一晩過ごせそるなんて嬉しいものですから。さぁ早く早く。」
 率先して動く陽子、どうやら彼女の獣・・・つまり本質は陽気で愉快と言う事だ。順子ともカイ・チエとも違うその性質に気後れした感のある竜神は、ニッと笑って気持ちを整えると続けて脇に座り手を握った。もう当初の様な思いは微塵も浮ばなかった、確かにその通りに行かなかったりのは残念だったが犬と言う物の具合も掴め、また絡みばかりが全てではないと言う事が分かっただけでも大きな収穫であるな・・・ふと思って握る手に込める力を強くした竜神なのだった。
 朝まではまだしばらくある、だがこれほど時間がいとおしいと感じた事は無かった。


 完
甘露の味〜目的編第1話〜
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