甘露の味・目的編第1話 冬風 狐作
 龍神にとり、この土地での生活は今やすっかり快適なものであった。
 最初こそ、それは戸惑い、そしてどうしてこうなってしまったのか、との想いに大いに駆られたもの。しかし遠く離れたこの異国から容易に帰る事も、幾ら神たる身としても難しい事はある。何しろ、移動するには人と同じくある程度の疲労が伴う、これが慣れたる、勝手知ったる土地であれば如何様にも動きやすく、疲労も最小限に抑えられるばかりか、むしろ新たに得られるものすら見いだせるほどの余裕すらある。
 しかし、知らない土地ではそうは行かない。特に依るべき存在、これが疲労を回復させる最大のポイントとなるのであるが、これが限られているとなると無いよりはマシではあるが、そこまでの大差が生まれる訳ではないのでどうにも広い行動はとれないものであった。
 だからもう幾年にもなろう今も、龍神は自らと、また己をこの土地に連れてきた「男」たる順三、その今や、真の姿に取って代わりつつある従者たる猫人、順子と主に過ごすしかなかった。
 勿論その間に順子、次いで人から生み出した雄鹿人のケイに雌犬人のヨコ―人としての姿は今や、どちらもお年頃の女性である―に、順子が自らの手下として矢張り生み出した雌鳥人のカイ―人としてはそれなりに年の行った男―等と交わり、享楽に耽るのを専ら送っていたのであるが、次第にそれも穏やかになり、今やゆったりと過ごしているのが普通になりつつあった。
 それは一口に言って、神としての荒れた部分が鎮まりつつあるからだった。その事は龍神自身がよく感じている、同時に本来居た土地へ戻るとの考えも薄くなって行くものであり、冒頭に書いた通り、この土地に日々感じる快適さは彼がこの土地に根付きつつあるのを示していた。
 そんな折だった、変異をふと感じてしまったのは。順子が留守の折、龍神は大抵、その結界を張った部屋の中にいて他に気を払う事は余りなかった。
 何故そうしているのかとなれば、この家の中には彼の事を知らない存在がひとりだけいるからである。は順子―順三の妻たる俊子。そもそも順子が得られたのも、唐突にこの地に連れてこられて荒れていた折に、手ごろな女体として彼女がいたのを襲っていたところを順三に咎められたのに、龍神が原因は連れて来た事であろう、と罰した、つまりお返しをしたのに始まる。
 今となれば懐かしい話、ただその際に順子より俊子に対して手を出さない事、との請いがあったからこそ、ならば、と龍神も譲って以来、こう張った結界の中に普段はいて見えない、また感じられない様にしている次第。だから俊子が不在であれば、うしたのも不要であるので人の姿に化けては、家の中をどこでも自在に歩き回っているのもまた昨今の姿となる。

 そんな家の端々から最近、龍神はふとした雰囲気を感じられて仕方なかった。
 それは同類とも言える存在の気配であり、しかし海に育まれたとも言える龍神と違い、海の気配を伴わない異質さが日常に表れつつあるのに、どうにも気になってしまうもの。故にその何者かの正体は何か、また自らを害するものではないか、との見当付けに独りでいる時はすっかり励んでいるものだった。
 「正体」としたのは様々な存在が考えられるからである、特に結界を張っている己の存在を知れるものなぞ察せられる者の方が限定れてくる。だからこそ慎重に突き止めなくてはならないが故に努めていたのだが、結果としてしばらくに渡っての結果、得られたのは少なくとも害意、あるいは悪意あるモノではないとの事。そして推測混じりとなるが、恐らくは、相手も己を、龍神について探りを入れている、だからわざとそうした気配を撒き散らしているのだろう、と見えてくる。
(面白いではないか…久々に)
 龍神が抱いたのは正にその気持であった、一体どんな正体であろう、こんな事をしてくる意図は何だろう、そしてどうしたいのか?との思いを浮かべれば浮かべるほどに愉快さを感じてしまえてならない。
 故にしばらく表立った動きはしない様に努めてしていた。何しろ、この時点で言えるのは前述した通りの事でしかない。だから抑制的な判断こそ、と頭では理解こそすれども、人ではない同類たる神か妖、その類であろうと思えれば思えるほどに気持ちは募って仕方ない。それを勢いづけるのがここ数年で蓄えた大量の気の力であろう。島で静かに眠っていた頃に比べれば活力に体が漲っていたのも働いて今や、気持ちも肉体も若々しさを強めていたのもあって、本当のところは結界の中で静かに息を潜めているのはどうにも辛くすらあった。
 だから余計に龍神はその気を紛らわそうと努める、順子、またその他の者等との絡みもまた意図的に長く、あるいは一層激しく交わる様にしていた。本当のところは、新たな仲間―最近はそういう風に認識している―を得るのが、そうした気の最大の発散方法であるのだが、得るのは大きな動きであり、こちらの動きを探っている、あるいは察しようとしている存在の前に丸裸になる様な行動でしかない。だから努めて抑制的に振る舞うのを旨とするならば、それは到底成し得ない、抑制するしかない。
 ヒトであっても神であっても、意思があり、動きあるものであるならば自らを抑えるのは易々と出来るものではないからこそ、龍神の悶々とした気持ちは日々募っていく。時としてそれは、ふとした疑心暗鬼の類にすらなってしまうものであり、順子やヨコ等にどうしたの?大丈夫なの?と逆に心配されて、ハッと気付くすら珍しくなかった。
 不思議なのはそれだけ龍神が気になって仕方ない、何者かによる探りの気配に彼女等は全く気付いていない、との事である。これだけ挑発的とまで言えるほどに気が撒き散らされていていると言うのに、全く彼女等は変わらないのである。ただ龍神が落ち着かない、またどこか上の空であるのを目の当たりにして、前述の様な問いかけや心配を寄せてくるのであり、決して正体不明な何かに対しての感じるはおろか、何に対して抱いているのか全く気付かないのが不思議でしかなかった。
 考えられるのは彼女等が、元来はヒトであるからかもしれない。だがこれだけ龍神から交わりを経て多数の気を得て、幾らヒトに由来する存在であれ、これだけ人でない姿、また存在とすっかりなっているのにどうしてか、との点が実のところ、もうひとつのその関心を掴んで止まないものとなっていた。
 それだけにその募りたる気持ちを相談する相手がいない、つまりただ独りで対処せねばならなかったのが龍神の判断を曇らせたのもまた一面であろう。
(面白い、面白いが…流石にそろそろ、のう、また撒き散らしていると言うのに正体が捕えられぬとは一体どうしたものか)
 繰り返す様であるが一番、そうであるのを龍神自身が自覚していた。悶々とした気持ちの中で、早く片をつけてしまいたい、どんな存在が、どうして、どういう意図で、どうしたくて、己を見ているのか、対処してしまいたい―次第に深まる、一挙の解決を臨む気持ちこそが見えない何か以上に明確で、しかし一番手ごわい存在であるのを認識しつつ、もがくしかないのは辛くて仕方のないものであった。


 続
甘露の味・目的編第2話
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